かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男の一首鑑賞 310

2016年05月01日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究37(16年4月)
    【垂直の金】『寒気氾濫』(1997年)127頁
     参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆
     司会と記録:鹿取 未放

310 銀杏 病気をしたことのないふりをして人仰がせる垂直の金
      (レポート)
(解釈)銀杏の木がある。病気なんかしたことがいなように、垂直に突っ立って、金色に葉を染めている。
(鑑賞)銀杏は東京都の木。霞ヶ関を思う。自分たちには何の病もない風を装い、人を仰がせている。「金」は金権にからむ政界を揶揄しているのか。(真帆)


       (当日発言)
★銀杏で権威を象徴されているのですね。銀杏が病気するとかしないとか、そういう表現が凄いなと思います。病気をするしないに
 かかわらず人は銀杏を見上げますよね。病気をしたことのないふりをするってどういうことなのかなあと、この鑑賞ではまだちょ
 っと分からないのですが。(石井)
★銀杏は権威だと思いました。それで、自分たちには一点の非の打ち所もないとかそういう感じかと。ほんとうは悪いところを隠し
 ていて。(真帆)
★銀杏は単純に丈夫です。葉っぱもしっかりしている。木の性格として病気しないような。銀杏の葉っぱって何か薬草にもなります
 よね。そんな丈夫な木が秋になって垂直に立っている。(鈴木)
★「垂直の金」というのが一連の題になっているので、この歌は大事な歌なのでしょう。松男さんが木を歌うときは木そのものを歌
 っているので、私は何かの象徴とか取らない方がよいと思います。もちろん病気をしたことのないふりをするとか擬人化されてい
 るので、いろいろ考えられる余地はあるのですが、少なくともお金とか権力には結びつけない方が豊かな歌になるように思いま
 す。たまには病むことのある銀杏の木も、秋になって垂直の優美な肢体を保ち金色に輝いている、その銀杏の讃歌。もう少し先
 に「一本のけやきを根から梢まであおぎて足る日あおぎもせぬ日」という歌があって、こちらは自分の心が木に吸い寄せられて見
 上げながら満足する日とこころが木を忘れてしまっている日があるというのですが、主客は違うけど木のすばらしさを讃えていま
 すよね。(鹿取)
★前の章のような政治のことが多く歌われていると、この歌を金権とかに結びつけてもよいと思いますが、ここは病気の話で始まっ
 ているので。歌集の構成の中で読まないと。(鈴木)
★ああ、作者は銀杏に寄り添っているんですね。(石井)



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