【Ⅱ ろっ骨状雲】『寒気氾濫』(1997年)59頁
参加者:四宮康平、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部 慧子
司会と記録:鹿取 未放
132 乱髪を父に見るとき父もまたわけのわからぬ闇のかたまり
(レポート)(2014年5月)
とにかく父とは長い時間を共有してきた。感情交流の積み重ねであった。だがそこにみえているそれを、それと捉え、内実は分からないので仮に闇のかたまりと捉えるような関係も社会には多くある。又、名は体を表すというが、体は内実を表すとも言える。今、乱髪の父を見ていると、そんなことが作者をよぎったのかもしれない。いろいろな思いが重なり「父もまたわけのわからぬ闇のかたまり」だなあと言ってみたくなったのだろう。(慧子)
(発言)(2014年5月)
★プールから上がって濡れたままの髪のことかなと。強いだけと思っていた父親の乱れ髪
を見て弱い部分もあるのだなと。恐ろしい父親の面だけではないと。父親を擁護してい
る感じ。(曽我)
★「もまた」とあるので、まず自分が「わけのわからぬ闇の塊」だという認識がある。そ
して父もそうだと。父とは子供や家族の前で取り乱しているところは見せたくないも
の。ここはそういう父を見てしまった実感。(四宮)
★前の131番歌同様、父との同感の歌。同じであるという安心感。(鈴木)
★家長的で威圧的な父というものを忌避してきたけれど、ここでは家族の役割分担から離
れて人間として、つまり死すべき存在として哲学的な闇を抱えて込んでいる同じ存在だ
と。安心というより痛ましさかなあ、自分が抱えている苦しさやにがさが父にもあるん
だという痛々しい感じ。そんなふうに読んでいました。(鹿取)
★私もおなじですよ。(鈴木)
(まとめ)(2014年5月)
乱髪の父を痛ましいと捉えたけれど、決して卑小なみじめな像ではない。ここも悩めるギリシャの神々のようなスケールの大きさを感じさせる。プールから上がってきた父の次にこの歌が置かれているせいだろうか、雄大な海を背にした巨人の神のようなイメージだ。(鹿取)
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