タイトルがタイトルだけに
マニアックな話かなぁと予想していたのですが、
日弁連のみならず弁護士を取り巻く環境、
とくに法曹人口問題、法曹一元化など
これまでの司法制度改革問題について
歴史的経緯を含めわかりやすく論じられています。
司法制度改革というと、とかく建前論に終始して
本音の部分がなかなか語られないのですが、
多少偏っているきらいはあっても
かなり本音の部分に言及されていて
とても面白かったです。
京大の棚橋先生や神戸大の馬場先生の発言等にも
言及されているように
さらに掘り下げていけば法社会学的研究として
面白い成果になるような気がします。
本書の最も核となるテーマは
今、弁護士界を揺れ動かしている法曹人口問題です。
その法曹人口問題で、法曹三者の中で最も割を食っている弁護士。
なにゆえ、弁護士だけがかくも不利な事態に追い込まれたのか?
それを著者は、日弁連のそれぞれの機会における数々の
愚かな判断にあるのではないかと仮説を立て、
詳細に論じていきます。
時には戦後の法曹史から、
ときには裁判所と日弁連との関係から、
ときには大学との関係から。
様々な観点と方向性から、
日弁連という組織を浮き彫りにし、
その生態を明らかにしていきます。
それが単なる建て前ではなく、
弁護士としての真摯な本音から
論じられているために、
鮮烈な印象を持つことができました。
本書の内容については総じて共感することができましたが、
少し、気になった点を一つだけあげます。
「経済的自立論」(弁護士が経済的に自立できないと、
人権擁護という弁護士の使命を果たせない)や
「超人思想」(弁護士は全員が確実に正義の味方であり、
自己犠牲をいとわず、必ず人権のために働く)の考え方については
著者は批判的な立場に立っています。
ところが、
『法曹界の人材払底は、三権の一翼を担う司法の崩壊を招く』
という立場から、弁護士はほかの法律実務家とは違うと述べ、
多額の投資に値する能力の持ち主にこそ、
国家は弁護士の資格を与えるのだと著者は主張しています。
もちろん
弁護士として、自らの職業の意義を確立し、
それを主張するいうのは理解できます。
しかし、私には
『法曹界の人材払底は、三権の一翼を担う司法の崩壊を招く』
という考えも「経済的自立論」や「超人思想」と同様、
幻想にすぎないと思えます。
一つには、民主主義国家において
権力分立は一つの職業が担っているものでもないし、
また担うべきでもないと思われること。
また、もはやどんな職業にも、『聖域』はないと
考えられること。
民間の企業人は言うに及ばず、
立法権を担う政治家や、
行政権を担う公務員でさえ
いまや熾烈な生存競争にさらされる現在において
何故弁護士だけが参入規制的保護を受けられるのでしょう。
厳しい競争にさらされているのは
ひとえにどの業界でも同じことです。
数が増えれば「質が落ちている」
というのを金科玉条のようにいわれますが、
下位の方を抽出すれば、弁護士数が少なかった時代と比べて
質が落ちるのも論理必然であり、
そんなことは制度導入以前から
わかりきっている当たり前のことです。
いまさら言うべき理由でもありません。
むしろ、成績上位層はまったく変わっていないのでは?
そして、適切な競争によって質を上げていくのも
またどの業界でも同じことではないでしょうか?
弁護士界だけが数が増えると
ルール無視の無法な競争が始まり
国民が不当な不利益を被るかのような言説は
タメにする議論でしかないと思われます。
論証不可能なことを平気で言うのは
不信感を誘います。
優秀な人材が欲しいのは
どこの業界であっても同じことであるし、
なぜ法曹界だけが他よりも図抜けて優秀な人が
いなければならないのか、
それを「司法の崩壊」のひとことで論証するのは、
人権が保障できないと叫んでいた、
かつての左翼系弁護士と変わらない論理と
言わざるを得ません。
弁護士界は、数を制限するというかたちで
国民の憧憬を集めるのではなく、
自らの仕事の魅力によって
国民の尊敬と憧憬を集める努力をすべきなのでは。
なすべき努力がズレてるように思います。
ただ、こういう議論も、
もうすでに幾度となく繰り返されており、
もはや弁護士界は自らの論理に自縄自縛となり、
身動きがとれない状態になっているのではないか。
改革をお題目のように唱え
ついぞ自力再建できなかった「日本航空」と
ダブって見えるのは気のせいでしょうか。
「安泰!」と思った時点から崩壊が始まるのは
どの組織でも、業界でも普遍の原理なのでしょうね。
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う~ん、という方も怒りのひと押し(笑)》》
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マニアックな話かなぁと予想していたのですが、
日弁連のみならず弁護士を取り巻く環境、
とくに法曹人口問題、法曹一元化など
これまでの司法制度改革問題について
歴史的経緯を含めわかりやすく論じられています。
司法制度改革というと、とかく建前論に終始して
本音の部分がなかなか語られないのですが、
多少偏っているきらいはあっても
かなり本音の部分に言及されていて
とても面白かったです。
京大の棚橋先生や神戸大の馬場先生の発言等にも
言及されているように
さらに掘り下げていけば法社会学的研究として
面白い成果になるような気がします。
本書の最も核となるテーマは
今、弁護士界を揺れ動かしている法曹人口問題です。
その法曹人口問題で、法曹三者の中で最も割を食っている弁護士。
なにゆえ、弁護士だけがかくも不利な事態に追い込まれたのか?
それを著者は、日弁連のそれぞれの機会における数々の
愚かな判断にあるのではないかと仮説を立て、
詳細に論じていきます。
時には戦後の法曹史から、
ときには裁判所と日弁連との関係から、
ときには大学との関係から。
様々な観点と方向性から、
日弁連という組織を浮き彫りにし、
その生態を明らかにしていきます。
それが単なる建て前ではなく、
弁護士としての真摯な本音から
論じられているために、
鮮烈な印象を持つことができました。
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本書の内容については総じて共感することができましたが、
少し、気になった点を一つだけあげます。
「経済的自立論」(弁護士が経済的に自立できないと、
人権擁護という弁護士の使命を果たせない)や
「超人思想」(弁護士は全員が確実に正義の味方であり、
自己犠牲をいとわず、必ず人権のために働く)の考え方については
著者は批判的な立場に立っています。
ところが、
『法曹界の人材払底は、三権の一翼を担う司法の崩壊を招く』
という立場から、弁護士はほかの法律実務家とは違うと述べ、
多額の投資に値する能力の持ち主にこそ、
国家は弁護士の資格を与えるのだと著者は主張しています。
もちろん
弁護士として、自らの職業の意義を確立し、
それを主張するいうのは理解できます。
しかし、私には
『法曹界の人材払底は、三権の一翼を担う司法の崩壊を招く』
という考えも「経済的自立論」や「超人思想」と同様、
幻想にすぎないと思えます。
一つには、民主主義国家において
権力分立は一つの職業が担っているものでもないし、
また担うべきでもないと思われること。
また、もはやどんな職業にも、『聖域』はないと
考えられること。
民間の企業人は言うに及ばず、
立法権を担う政治家や、
行政権を担う公務員でさえ
いまや熾烈な生存競争にさらされる現在において
何故弁護士だけが参入規制的保護を受けられるのでしょう。
厳しい競争にさらされているのは
ひとえにどの業界でも同じことです。
数が増えれば「質が落ちている」
というのを金科玉条のようにいわれますが、
下位の方を抽出すれば、弁護士数が少なかった時代と比べて
質が落ちるのも論理必然であり、
そんなことは制度導入以前から
わかりきっている当たり前のことです。
いまさら言うべき理由でもありません。
むしろ、成績上位層はまったく変わっていないのでは?
そして、適切な競争によって質を上げていくのも
またどの業界でも同じことではないでしょうか?
弁護士界だけが数が増えると
ルール無視の無法な競争が始まり
国民が不当な不利益を被るかのような言説は
タメにする議論でしかないと思われます。
論証不可能なことを平気で言うのは
不信感を誘います。
優秀な人材が欲しいのは
どこの業界であっても同じことであるし、
なぜ法曹界だけが他よりも図抜けて優秀な人が
いなければならないのか、
それを「司法の崩壊」のひとことで論証するのは、
人権が保障できないと叫んでいた、
かつての左翼系弁護士と変わらない論理と
言わざるを得ません。
弁護士界は、数を制限するというかたちで
国民の憧憬を集めるのではなく、
自らの仕事の魅力によって
国民の尊敬と憧憬を集める努力をすべきなのでは。
なすべき努力がズレてるように思います。
ただ、こういう議論も、
もうすでに幾度となく繰り返されており、
もはや弁護士界は自らの論理に自縄自縛となり、
身動きがとれない状態になっているのではないか。
改革をお題目のように唱え
ついぞ自力再建できなかった「日本航空」と
ダブって見えるのは気のせいでしょうか。
「安泰!」と思った時点から崩壊が始まるのは
どの組織でも、業界でも普遍の原理なのでしょうね。
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