今日は方麻痺仲間と
「柳生街道(滝坂の道)」
に行って来た。
私は脳出血を発病してからも、
数回歩いたことがあるが、
彼は登山やハイキングは初めてである。
脳梗塞の発病前は草野球など、
スポーツ大好き人間だったらしいのだが、
今は毎日のリハビリ(散歩)だけで、
趣味と呼べるようなものもなく、
一度、いっしょに連れて行ってくれと
2年ほど前から頼まれていた。
彼は読書が大好きで、
それも日本の歴史関係が中心だ。
かっての剣豪が歩いた道を見たいという理由で、
柳生街道に決まった。
近鉄奈良駅から興福寺の横を通り、


春日大社の脇を抜け柳生街道に入った。

樹齢3,000年の杉

人が少なく、
小川のせせらぎだけが聞こえる、
石畳を歩く。


紅葉には遅いが、
枯葉の絨毯を歩くのは気持ち良い。


歴史にロマンを感じる二人には、
古(いにしえ)の石仏を見ながらのコースに、
時間を忘れそうだ。

寝仏


所々で急な坂や階段に悪戦苦闘。

無事に、予定の円成寺まで到着。
13~14キロのハイキング。
楽しい一日だった。
「柳生街道(滝坂の道)」
に行って来た。
私は脳出血を発病してからも、
数回歩いたことがあるが、
彼は登山やハイキングは初めてである。
脳梗塞の発病前は草野球など、
スポーツ大好き人間だったらしいのだが、
今は毎日のリハビリ(散歩)だけで、
趣味と呼べるようなものもなく、
一度、いっしょに連れて行ってくれと
2年ほど前から頼まれていた。
彼は読書が大好きで、
それも日本の歴史関係が中心だ。
かっての剣豪が歩いた道を見たいという理由で、
柳生街道に決まった。
近鉄奈良駅から興福寺の横を通り、


春日大社の脇を抜け柳生街道に入った。

樹齢3,000年の杉

人が少なく、
小川のせせらぎだけが聞こえる、
石畳を歩く。


紅葉には遅いが、
枯葉の絨毯を歩くのは気持ち良い。


歴史にロマンを感じる二人には、
古(いにしえ)の石仏を見ながらのコースに、
時間を忘れそうだ。

寝仏


所々で急な坂や階段に悪戦苦闘。

無事に、予定の円成寺まで到着。
13~14キロのハイキング。
楽しい一日だった。
「中国障害者芸術団」2009年日中交流公演の、
関西公演が終わった。
途中で新型インフルエンザと重なり、
公演を危ぶまれた事もあったが無事に終わった。
今回の関西での公演で印象に残ったのは、
身体障害者ダンサー「羅相軍」である。
彼は子供の頃、電気事故に合い両腕が無い。
たまたま楽屋を歩いていると、
廊下に座り、舞台で使用する大きな麦藁帽子の破れた箇所を、
足を使って直していた。
細い糸で縫っているのだ。
それも、誰の手も借りずに足で・・・
その時、私と目が合った。
ニッコり笑った彼の笑顔が凄く印象的だった。

ハオ地域活動支援センターに来た時も、
彼の爽やかな笑顔が印象に残っている。


同じような印象を持った事が以前にもある。
同じ両腕のない中国の画家の劉京生氏と、
日本人の故安達巌氏だ。

ふたりとも両腕を電機事故で無くしたが、
障害を克服し口足画家として素晴らしい芸術家の道を歩んだ。
羅相軍もダンサーとして芸術の道を歩むのだろう。
この3人の優しい笑顔は、
忘れる事が出来ない。
関西公演が終わった。
途中で新型インフルエンザと重なり、
公演を危ぶまれた事もあったが無事に終わった。
今回の関西での公演で印象に残ったのは、
身体障害者ダンサー「羅相軍」である。
彼は子供の頃、電気事故に合い両腕が無い。
たまたま楽屋を歩いていると、
廊下に座り、舞台で使用する大きな麦藁帽子の破れた箇所を、
足を使って直していた。
細い糸で縫っているのだ。
それも、誰の手も借りずに足で・・・
その時、私と目が合った。
ニッコり笑った彼の笑顔が凄く印象的だった。

ハオ地域活動支援センターに来た時も、
彼の爽やかな笑顔が印象に残っている。


同じような印象を持った事が以前にもある。
同じ両腕のない中国の画家の劉京生氏と、
日本人の故安達巌氏だ。

ふたりとも両腕を電機事故で無くしたが、
障害を克服し口足画家として素晴らしい芸術家の道を歩んだ。
羅相軍もダンサーとして芸術の道を歩むのだろう。
この3人の優しい笑顔は、
忘れる事が出来ない。