徒然日記

街の小児科医のつれづれ日記です。

インド版「巨人の星」から「スポーツと体罰」を考える

2013年03月10日 16時19分44秒 | 日記
 昨今話題の「スポーツと体罰」。
 いろんな意見があり、何をもって判断して良いのかわからなくなってきます。

 ただ外国人から見ると、日本では当たり前とか感動秘話のレベルで捉えられているエピソードが「体罰」「虐待」に映る事実を受け止める必要があると思います。
 昭和40年代に一世を風靡した「スポ根マンガ」の原点とも言える「巨人の星」。
 最近インドでかの国用にアレンジしたアニメ「スーラジ ザ・ライジングスター」が人気とか(野球がクリケットに代わっています)。
 その関連記事の中で、以下の文言を見つけました;

■ 「巨人の星、インドで人気の理由」(東洋経済オンライン:2013.2.26)
・・・父親が息子を殴るシーンは虐待に当たるという理由で、盛り込んでいません。ばねを体に巻く大リーグボール養成ギプスも、インドでは虐待として受け止められる。困ったなと思いましたが、自転車のチューブなら大丈夫ということになりました。・・・

 巨人の星の「大リーグボール養成ギプス」を「虐待」として扱う論調は日本ではついぞ聞いたことがありません。
 あれを自然に受け入れている日本人の感覚は世界標準とはずれている様子。

 それから微妙なのが「体罰」と「愛のムチ」の線引き。
 同じ行為をしても、
・指導者との間に信頼関係があれば「愛のムチ」
・指導者との間に信頼関係がなければ「体罰」

 と認識されますので、物理的行為の種類だけでは判断が困難です。
 もっとも、信頼関係があれば「言えばわかる」と思うのですが、いかがでしょう。

 例えて云えば・・・
・尊敬する上司から叱られると「自分のためを思って厳しい言葉で叱ってくれるんだ」
・嫌いな上司から指導されると「ウザイやつ」

 と感じてしまうのと同質だと思います。

 体罰問題の本質は、思い通りにならない相手を「力でねじ伏せて言うことを聞かせる」という人権無視・人権侵害している点にあります。

 そのように指導された子どもたちは、逆の立場、すなわち成長して指導者になると同じ事をしてしまう傾向があります。
 これは「児童虐待の連鎖」と同じ悪循環であり、戦争の病理の根っこでもあると考えます。

 コミュニケーションで問題を解決する人間を育てるためには、そのように育てなければいけません。
 「叩いた方が早い」と思っても、辛抱強く、辛抱強くわかるまで言葉で言い聞かせる・・・。
 尊敬する佐々木正美先生の「育てたように子は育つ」という書籍を思い出しました。

 しかし世界を見渡すとどうでしょう。
 紛争地では話し合いで解決せずに力に訴えて争い、死者がたくさん出ている現状をみると暗澹たる気持ちになります。
 「力でねじ伏せる」ことは人間の本能の一部であり教育によりそれを乗り越えるのは至難の業ではないか、という気がしてきます。
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