徒然日記

街の小児科医のつれづれ日記です。

「オ血点マッサージ!」

2009年02月22日 19時32分36秒 | 小児科診療
まじめな話です。
本日、「群馬漢方集中セミナー」に参加してきました。
講師は大阪の千福クリニック院長、千福貞博先生。
元々は一般外科医でしたがふとしたきっかけで漢方に目覚めて独学でマスターし、現在はビギナー向け講演をあちこちで行っている先生です。なんでも全県制覇を目指しているとか。

私は漢方セミナーをもう数十回聴講していますが、初めから漢方専門の先生より西洋医学中心の診療をしていた人が漢方の魅力に取り付かれてプチ専門医になった人の話の方がわかりやすい印象があります。
西洋医学と東洋医学の間の垣根を上手に飛び越える方法を噛み砕いて教えてくれますので。

今日の千福先生の話は特にわかりやすく、大阪人らしく「つかみはオッケー!」と話のリズムもよく睡魔に襲われずに一日聴講できました。

腹診の実技がとても勉強になりました。
この腹診方法も講師の先生により微妙に異なります。
千福先生は外科医らしく、結構強く押して所見を取るタイプ。
私は小児科医ですので痛い診察は極力避けてソフトにマッサージする癖があり、「もっと強く押して」という感じの指導を受けました。

一番印象に残ったのが表題の「瘀血点マッサージ」。
女性で下腹部がポコッとふくれている方は、おへその斜め下を押すととても痛がることがあります。生理痛がひどくて悩んでいる人に多い傾向があります。
そこを漢方医学では瘀血点といい、治療薬を選択する所見となります。
と、そこまでは今まで何回も聞いた話でしたが・・・
千福先生は「痛がるところを痛すぎない程度の強さでぐりぐりマッサージしていると急に柔らかくなって痛みが無くなり、本人も楽になります」とおっしゃいました。
実は私も瘀血点が少し痛むので、夜布団に入ったらマッサージしてみようかな。

腹診はお腹に手を当てて診察しながら、実は治療もしていることになります。
「手当て」の語源はここから来ているとか。
そういえば九州の織部先生の講演でも聴いた記憶があります。
彼の師匠は山田光胤先生で「痛くない腹診」がポリシーだそうです。

手をそっとお腹に当てて体の声を聞く・・・ゆっくりとマッサージして緊張を和らげる・・・良い方法ですね。
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「食物アレルギー研究会」に参加してきました。

2009年02月15日 20時49分20秒 | 小児科診療
2月14日に東京で開催された「第9回食物アレルギー研究会」に参加してきました。
食物アレルギーに関心のある小児科医、栄養士、学校・園関係者、患者家族などが一堂に会し、知識をアップデート&連携を図るという趣旨の会です。
私は3回目の参加になりますが、毎回勉強になります。特にふだん聞けない栄養士さん、学校・園関係者の生の声を聞けるのが良い点です。

近年、食物アレルギーを取り巻く医療・行政の進歩はめざましく、ガイドラインやマニュアルが次々発表されてきています。
今回も「食物アレルギーの診療の手引き2008」「食物アレルギーの栄養指導の手引き2008」「食物アレルギー経口負荷試験ガイドライン2009」などの解説がありました。
私がアレルギー関連学会に参加し始めた約15年前は食物アレルギーは科学というより宗教というイメージさえあった分野でしたので、隔世の感があります。

私は開業小児科医ですので「開業医のレベルでどこまでカバーできるだろうか」という視点でいつも聴講しています。
しかし、医学が進歩しガイドラインが整備されるに従い「入院施設がないとできない事」が増えてきました。
栄養指導も「管理栄養士ありき」という設定。
食物負荷試験も「施設基準があり登録制」「原則として入院で」という設定。
それがガイドラインに明記されてしまうと、手が出しにくくなります。
なんだあ、ダメかあ・・・とガッカリすることしきり。

今回のトピックスはなんといっても「急速経口減感作療法」でした。
食物アレルギーを減感作療法で治す時代が来たのです。
そのせいもあって例年より学術的な雰囲気が満ちていました。
ただ、これも入院が必要なので開業医ではできません。

私の診療圏では総合病院小児科病棟がこの春から無くなります。
つまり、この地域では食物負荷試験ができなくなり、必要な患者さんは遠方まで出かけなければなりません。

医学の進歩に胸躍らせ、小児地域医療の現状に希望がしぼんだ一日でした。
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私的ジャズ論

2009年02月07日 06時18分11秒 | 日記
 最近のジャズを聞く度にガッカリします。
 録音技術の発達でクリアな音質になり、ミュージシャンのテクニックもレベルアップしているのでしょうが、心に響いてくるものがありません。
 話題の若手アーティストもしかり。
 これはなかなか・・・と思わせるのはニコラス・ペイトンくらいかなあ。
 昔から活動しているベテランミュージシャンが注目されていると思って久しぶりに聴いてみるとジャズのエッセンスを抜いたカクテルピアノに成り下がっていたり・・・いけません(渡邊包夫調)。
 ビル・チャーラップ、ルイス・ヴァン・ダイク、カール・ボエリー、エディ・ヒギンズなどなど。
 昼下がりの読書のBGMには良いのかもしれませんが、身を乗り出して聴きたくなる魅力を感じません。
 私が許せるのは往年のハンク・ジョーンズくらいまでですね。彼のピアノはアーシーな空気の中にエレガントさが見え隠れします。

 以降は独断と偏見による、いちリスナーのジャズ論です。
 音楽の専門家ではありませんので突っ込まれても何も出てきません。悪しからず。

 ジャズはアメリカの南北戦争終了後に払い下げになった軍楽隊の楽器を黒人が手に入れて演奏したのが始まりと読んだことがあります。南北戦争は黒人奴隷を解放する争いでしたから、自由になった喜びを初めて音楽で表現できるようになったのです。
 それ以前は自分を表現する演奏は黒人には許されていませんでした。

 数十年前のアメリカのTVドラマ「ルーツ」(アレックス・ヘイリー原作)では白人のパーティーのために演奏するフィドル奏者の憂鬱を取り上げた一節があったことを思い出します。
 死期が間近に迫ったとき「俺は白人のために演奏するのはもうイヤになった。これからは自分のために演奏するんだ・・・」残念ながら彼の生涯の中ではそれは叶えられませんでした。

 その後、楽器演奏は黒人の生活音楽となって浸透していき、日常のあらゆる場面で演奏されました。
 1900年代初頭のレコードには葬式の音楽も録音されています。
 物悲しいけど暗くない「つらいけど明日があるさ」という独特の空気を感じます。

 そんな中から、上手な演奏者がプロのミュージシャンとして活動を始めたのでしょう。
 ディキシーランド・ジャズ(あるいはニューオリンズ・ジャズ)のはじまりです。
 学生時代に1930年代のバンク・ジョンソンのLPをよく聴きました。鄙びた演奏に昔のアメリカを感じながら。
 ルイ・アームストロングは生活音楽だったジャズをエンターテインメントの域まで押し上げた功労者ですね。

 ジャズの人気が出ると「黒人が出来るんだったら俺にも出来るぞ」と白人も演奏に加わり始めました。
 より洗練された音楽となり、ショービジネスの世界へと展開します。
 スイング・ジャズです。
 1930~40年代はデューク・エリントン、カウント・ベイシー、グレン・ミラーなど今でもみんな名前を知っている楽団が活躍しました。
 聴く音楽から演奏をバックにダンスする音楽へ進化。
 スコット・フィッツジェラルド原作の「華麗なるギャツビー」という映画にその華やかなシーンが登場します。

 その後スイング・ジャズがポピュラー音楽へ分化していく一方で、オーケストラの中でも特に演奏が上手な一部の人たちが小さなコンボでソロ活動を始めました。
 ピアノ、ベース、ドラム、ホーンというシンプルな組み合わせ。
 レスター・ヤング、コールマン・ホーキンス、テディ・ウィルソンなどなど。
 熟成を重ねて時代を反映する音楽を造りだしました。
 1950~60年代のモダン・ジャズです。
 たくさんのミュージシャンが活躍し、ジャズの全盛時代を築きました。
 チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー、ソニー・ロリンズ、ジョン・コルトレーンなど数々のミュージシャンが輩出されました。
 やはりジャズが一番ジャズらしかった時代は1950年代だと思います。
 得も言われぬ濃厚な空気が充満している感じ。
 「スイング・ジャーナル」という老舗ジャズ雑誌の表紙は今でもこの時代のアーティストの写真が圧倒的に多いことでも当時の勢いが伺われます。

 その中には私のお気に入りのマイルス・デイビスもいます。
 世界的に有名ですが、特に日本人に好まれています。
 彼の演奏には「秘すれば花」という世阿弥の精神に共通する世界を感じます。
 彼はトランペットをバリバリと勢いよく吹きません。音の数を絞りミュートという弱音器を併用することにより、抑制した音の中に感情表現を凝縮する手法を取ったのです。
 彼は黒人として差別されてきた負のエネルギーを音楽に昇華させ芸術として残しました。
 万人の有する内面の負の感情世界を映し出したことが普遍性を得るに至った要因だと思います。

 モダン・ジャズ世代の演奏は形こそ違うけれど「抑圧からの解放」と「自分を表現できる喜び」のエネルギーがビシビシ伝わってきます。
 1960~70年代にはロックン・ロールが台頭して若者を夢中にさせ、ジャズは檜舞台から降りることになりました。
 ジャズは色々な音楽の要素を取り入れながら進化、あるいは迷走した時期です。
 そして現代。
 ジャズは国際化し、ミュージシャンもアメリカ黒人・白人に限定せずヨーロッパ、アジア、アフリカ人もいます。
 ジャズという音楽言語(コード進行やアドリブ)を借りて「自分を表現すること」は共通していますが、私には「抑圧からの解放」という音の深みはそこには存在しないように感じます。
 魂の抜けた音楽のように聞こえて心に響いてこない理由なのでしょう。

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