徒然日記

街の小児科医のつれづれ日記です。

「鎮守の森訪問記」余録

2010年08月17日 05時01分24秒 | 日記
最近、近所の神社巡りが趣味になっています。
http://picasaweb.google.co.jp/home?tab=mq
なんとじじむさい、と皆さん思われることでしょう(笑)。

始まりは「巨樹巡り」でした。
私は大きな樹木が大好きで、そばに佇んでいると心が落ち着くのです。
大きな存在に包み込まれるような・・・樹齢数百年の樹木は父性的・母性的な存在。

でも、そうそう巨樹・巨木が近所にあるわけではありません。
その筋の本をひも解いても、一つの県にまばらに存在する程度。

そんな時、神社の御神木に気がつきました。
神社境内の木々は大切にされ、伐採されることなく残っていることが多いのです。
「巨樹」と呼ぶほど大きくはありませんが、「大樹」はたくさんあります。
田んぼや街中に、こんもりと緑の「鎮守の森」を見つけると訪ねるクセがついてしまいました。

そして、機能していない神社(お寺で云えば『廃寺』)がたくさんあることも知りました。
宮司さんがいない神社は手入れがされていなくて拝殿の屋根にも草が生えている始末。
人の気配・生活の気配・信仰の気配がありません。

一方、現在でも『鎮守の森』として機能している神社もあります。
先日訪ねた栃木県佐野市の「人丸神社」は現在進行形で地元の人たちに愛されている神社でした。
大きな池があり、また公園も付属しており、そこで子ども達が遊んでいるのです。
拝殿内も公開されており、昔の絵や写真を自由に閲覧することもできます。

写真を撮っていたら、宮司(神主)さんが話しかけてきて神社の歴史を教えてくれました。
・人丸神社の祭神は万葉歌人の柿本人麻呂であること(人丸=人麻呂)。
・池はもともと湧水であり、この水を使って近隣の田んぼはイネを作ってきたこと。
・公園は遺跡の一部で1500年前の住居跡が発掘されたこと。
・樹齢数百年のケヤキの巨樹が御神木として本殿裏にあり、旅行者はケヤキの巨樹を目印に帰郷したらしい。しかし昭和30年頃枯れてしまい、今あるケヤキはその跡に植えたもの(・・・見たかったなあ)。
などなど。

つまり、1500年前からこの地は人々の集まる信仰の場所であり、生活の場所でもあったということ。
境内を歩いていると、なんとなく古人の気配や生活の匂いがしてくるようで心が和みました。

ものの本によると、1500年前の神社には建物はなかったそうです。
年中行事のたびに神様が降りてくる場所を臨時で造り、行事が終わると撤去していたらしい。
毎年行う中で場所が固定しそこに祠を作るようになり、現在の拝殿・本殿に発展してきました。
建物より、その土地や木々に意味があったと云うことですね。

いろんな神社の境内を歩いていると、たまに「ここは神の領域なのかな」と感じる場所があります。
それは拝殿・本殿の右奥にあることが多い。
たいていそこには摂社・末社と呼ばれる小さな祠が並んでいます。
辺りは静寂が支配し人の気配が断ち切られている。
私には、悠久の時の中で神様達が井戸端会議をしているように感じるのです。
鎮守の森に守られたその空間は深い緑に覆われて常に薄暗く、写真を撮ろうとしても光が足りなくてピントがなかなか合いません。
特に桐生市の賀茂神社を訪問したとき、とくに強く感じました。

夏の神社巡りはヤブ蚊との戦いです。
この夏は200箇所以上刺されて、腕がボコボコになりました(苦笑)。
コメント (2)
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