徒然日記

街の小児科医のつれづれ日記です。

立松和平さん追悼

2010年04月23日 06時46分37秒 | 日記
 栃木県出身の作家、立松和平さんが亡くなってはや2ヶ月。
 NHK教育で追悼番組「立松和平をリレーする」を見ました。
 作家の重松清さん、文芸評論家の黒古一夫さんをナビゲーターとして、本人の過去の映像や発言、私生活、日本各地にいる友人達のコメントなどで構成。

 立松さんはまさに現場主義で、地に足をつけ、根まで張り巡らした作家の枠を飛び越えた存在でした。
 リポーターとして現場から実況中継する姿が目に焼き付いていますが、言葉にする前に実際の感触・空気を伝えたいという思いが強かったのでしょう。
 でも、朴訥な彼の栃木弁を聞いているとなんだか気持ちが和みますよね。

 出世作「遠雷」という小説が野間文芸新人賞をとった時のインタビュー映像も流れました。
 田舎の町が都会から来た波に洗われてさらわれていく様を目の当たりにして、それを残したかったという心境が語られました。

 その後、彼は環境保護運動に取り組み、田中正造が関わった足尾銅山鉱毒事件に取り組み、仏教に取り組み・・・私には自分を造ってきた足元の歴史を自分の手法で紐解く行為のように感じられました。

 自分は何者なんだろう、日本人とは何なのだろう・・・それを知るには過去の歴史を知る必要がある。
 日本に限らず世界を放浪した彼の行動の原点だと思います。

 さらに「団塊」と呼ばれた自分と同世代の役割にこだわりました。
 戦争など都合の悪いことを隠しがちな世論の中で、「日本」という国の有り様を次世代に語り継がなければならない、という使命感。
 
 子ども達に「課外授業」をしたのもそんな思いからなのでしょう。
 ケヤキの巨木の根元に寝転んで「アリの気持ちになって」樹を見上げるシーンが印象的でした。

 一度だけ彼の講演を聞いたことがあります。
 栃木県で開催されたアレルギー系学会の特別講演として招かれました。
 東京タワーの消灯運動や、足尾の植林などについて話されました。
 印象深かったのはスギの話。
 「スギは悪者にされているが被害者だ。花粉をたくさん飛ばすのは、過密に植林され命を削られたスギ林の悲鳴のように聞こえる・・・」
 その視点の斬新さに目からウロコが落ちる想いでした。
 人間中心の視点から考える環境保護では地球は救われない・・・先日読んだ五木寛之さんの著作と共通する認識です。

 私は一読者に過ぎませんが「未来を語るには足元を見つめ、過去を見つめる必要がある」という考えには強く共感しました。
 そしてその足元は同郷である栃木県。
 忘れられない人物です。
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機械式時計のぬくもり

2010年04月16日 06時46分17秒 | 日記
 ある心理学系の本を読んでいたら「ストレスを軽減する方法」という項目がありました。
 自分の気持ちが落ち着く習慣・きっかけ・おまじないを見つけましょう・作りましょう、と提案しています。
 例えば、緊張する場面では「の」の字を手のひらに書いて呑み込むとか、ある香水を嗅ぐと恋人との楽しい日々が思い出されて幸せな気分になれるとか(笑)・・・誰でも何かしら持っているとのこと。

 自分では何だろう。

 ふと、幼い日の記憶が蘇りました。
 私の父の乗っていた車のエンジン音と、腕時計の音。

 社用車の軽トラックを使用していたので、エンジン音は乗用車より低く大きめでした。
 夜、その音が聞こえてくると「お父さんが帰ってきた!」と安心したものです。
 残念ながら、これは再現不能。

 もう一つは、機械式時計の「チッチッチッ・・・」という時を刻む鼓動。
 父親があぐらをかいて座っていると、その中に滑り込んでちょこんと座る私。
 すると父の時計(確かセイコーの自動巻時計)の音がかすかに聞こえてきます。
 私にとって至福の場所と時間でした。
 安心感の象徴として、その音も体に刻まれたようです。

 さて、大人になって、私は昔の機械式時計を集め始めました。
 クォーツの方が安くて正確なのになぜ?
 自動巻時計は毎日つけていなければ止まってしまいます。
 手巻き式は毎日ゼンマイを巻かなければ止まってしまいます。

 不便なこと、この上なし。

 しかし気がつくと、手元には150年前のイギリスの鍵巻き式銀時計などもあります。
 昔の懐中時計は簡単に裏ぶたを開けて時計の内部を鑑賞することが可能、「少年DNA」が狂喜します。

 最近、私の左手首に鎮座するのは1970年頃作られたセイコーの手巻き時計「キングセイコー」。
 昭和30~40年代のサラリーマンに愛用されたモデルです。
 毎朝、この時計のゼンマイを巻くことで一日が始まります。
 1日1分くらい進んでしまいますが、まあ許容範囲でしょう(笑)。
 不便を愉しむのも、趣味の一つかと。

 というわけで、「この音に私の安心の原点があるんだ」と気づくに至りました。
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