世間ではGW。
天候にも恵まれ、これで出掛けない手はないよね。
どっちにするか迷ったけど、とりあえず今日は伊勢街道にしようっと。
今日は休日だからね、懐かしの?「青空フリー」が利用可能。
そういうことなら、当然JR利用が安いよね。
伊勢鉄道区間も気にする必要はないし。(東海道編19参照)
久々に大高駅に出て、青空フリーを購入し、名古屋駅へ向かう。
ここからは関西本線で、街道run初の快速「みえ」号の乗客となった。
松阪で鈍行に乗換え、前回のゴール地点、「徳和」駅に着いたのは、12時を少し過ぎた頃。
駅前といっても、何もない無人駅で、散策するような場所もない。
すぐ脇の、踏切を渡る道が、伊勢街道やね。
踏切上からの徳和駅をシャメにおさめて、さっそく本日のトレーニング開始とする。
すぐに常夜灯を発見。
「上川西」の信号もそのまま直進し、右手に小さな神社を発見。
「八柱神社」というらしい。
さらに進むと、庚申堂と地蔵堂が並び立ってたりする。
ところどころに連子格子の古民家も連なり、街道らしい雰囲気だけど、地元民の抜け道にもなっているらしく、車の通行が多いのがちょっと残念なところ。
さらに地蔵堂の隣にある古民家が「おもん茶屋跡」。
名前のとおり、ここに茶屋があったんだね。
ありがたいことに、ただ道なりに進むだけだから、足どりは順調だ。
「櫛田」の交差点で、幹線道路(県道37)を渡る。
櫛田川の堤防に突き当たったところに、古い道標が残る。
1819(文政2)年建立のもの。
ここで堤防道路に駆け上がり、右手50mほどの所にも同じような道標が残る。
実はここがかつての渡し場跡らしく、櫛田川を舟で渡ってたんだね。
もっとも手元の資料に寄れば、春や秋の渇水期には、仮の橋が架けられていたらしい。
現代はそのいずれもなく、県道に出て、櫛田橋を渡るよりほかはない。
わたってすぐの信号を左折。
さっきの反対側の堤防道路を走り、50mほどで右下へ降りる。
県道428に指定されているらしいけれど、いかにも旧街道っぽい道だ。
こちら側にも、文政年間に建立されたとされる道標が残っている。
右手にお地蔵さんを見て、街道を走る。
ところどころに田んぼもあり、のどかな風景に、足取りも軽い。
突然左側に墓標のような石柱が1基。
「六字名号碑」と称するらしいけれど、なんだかよく判らない石柱だ。
その先の細い道を左折すると、50mほどで、近鉄山田線「漕代」駅なんだけど、まだゴールするには早すぎるよね。
ここら辺も伊勢街道は、くねくねしながらも1本道。
歴史を感じさせる古民家も散見し、走ってても退屈しない。
1km弱で、またまた近鉄の駅。
「斎宮」駅ね。
名前からして由緒ありげな駅だけど、この駅を超えた300mほど北側には、「斎宮の森」がある。
そこがかつての斎宮跡なんだね。
ちなみに斎宮とは、天皇の名代として、伊勢神宮をお世話する斎王さんが、仮の宮殿として、ここを拠点にしたもの。
興味はあるけれど、駅の反対側だし、街道runのコンセプトからは少し外れるからさ。
それにトレーニング中だし!
ってことで、先を急ぐ。
でも、その存在は、いよいよ伊勢神宮が近づいたんだなぁ、と実感させられる。
しばらく進み、右側やや奥まったところに、地蔵堂が2つ並んで大切に守られている。
左側は盃地蔵と称し、防火のご利益があるらしい。
くねくねした街道は、1本道。
迷うところもなく、今日は順調だ。
左側、少し離れたところには、相変わらず近鉄山田線が寄り添っている。
「勝見」の交差点もそのまま直進、しばらくして左手に「安養寺」。
「明星水」なる井戸が現在も残っている。
また、この辺りにも、かつては茶屋が軒を並べていたとされる。
「上野」の交差点も直進。
相変わらず、連子格子の民家が時折姿を現し、所々にかつての面影を残している。
まぁね、中山道という「劇薬」?を並行して走っている身には、ほとんど平坦な伊勢街道は、負荷的には物足りないぐらいだけど、うねりのある1本道を延々と走れるのは、街道runの原点回帰みたいな感覚で、楽しいな。
少しだけ道は下りとなり、「そうめん坂」の名前が付いているらしい。
由来は、道沿いにそうめん屋があったから。!
そのまんまやね。
「新茶屋」とよばれる集落に入ったようだ。
これまた名前の通りで、さっき通った安養寺周辺の茶屋が混雑(というより繁盛?)してきたため、この辺にも新しい茶屋ができたことによる。
壁に寄り添い、目立たぬ道標を発見!
「従是外宮二里」と読める。(冒頭写真)
弘法大師堂、庚申堂と、続けて道なりにあり、飽きることはない。
やがてT字路に差しかかり、ずーっと走ってきた県道428は右へ。
ちなみに左折は県道713号で、近鉄山田線を超えたところには、甲子園に何度か出場した、野球の名門「明野高校」がある。
伊勢街道は、そのまま428号に従う。
200mほどで、立派なお屋敷が。
「へんばや」
漢字で書くと「返馬屋」になるのかな?
ここで馬を借りて伊勢に向かい、参拝済ませてまた馬を返し、ついでにお茶してったところなんだとさ。
さらに300mほどで、小さな川を渡る。
相合橋といって、かつては木橋だったんだけどね。
残念ながら、一人で走って渡っちゃったけどさ。
「新出」の交差点に出た。
油断してそのまま直進してしまいそうだけど、ここで久しぶりに、県道428とお別れね。
少し手前で右斜めに分岐する、狭い道。
これが伊勢街道。
分岐してすぐに、庚申堂があるから、ホッとする。
相変わらず、古いお屋敷が点々として、街道らしい空間が流れている。
左に「小俣小学校」を見て、さらに約300mほどで、「紀州藩高札場」の標柱が建っていた。
ここが札の辻も兼ねていて、小俣集落の中心ともいえる場所やね。
ここで伊勢街道は左折して、さらに進んでいくんだけど、直進し、すぐの十字路を右に行けば、JR参宮線「宮川」駅。
迷ったけど、時計を見れば、まもなく15時。
実走距離も、14~15kmといったところで、少々短めだけど、今日はこの宮川駅をゴールにしようっと!
この気楽さも、中山道じゃ無理だよな。
近いって良いよな。
参宮線の普通列車に乗り、「多気」駅で、快速「みえ」号に乗換え、名古屋駅着。
せっかくの青空フリーなんだから、しかもまだ明るいし、ということで、名古屋駅で途中下車。
名駅(名古屋弁で「め~えき」!)周辺をぶらついた後、帰途についた、コスモタイガーであった。
三重県は名古屋に近い上、昔ながらの街道がそのまま残る区間が多く、魅力的ですね。
東海道・伊勢街道だけでなく、ご指摘の初瀬街道や山和街道、そして何と言っても世界遺産にもなった熊野古道伊勢路!
どれも魅力的で、いずれは「完走」してみたいです。
初瀬街道は、近鉄大阪線に添う部分が多く、利便性もそこそこ良さそうですし。
初瀬は「長谷」に通じ、長谷寺も有名です。
青山高原は、阿保(あお)氏一族の領する山だったことから、「阿保山」→「青山」になったとか。
いずれにしても、いにしえより人々の営みを感じられる街道で、私も大いに興味ありますよ。
ちなみに三重県は、旧街道に比較的力を入れているようで、専用?のHPも存在し、三重県内の旧街道マップは網羅されていて、非常に便利です。
ご参考までに、HP、添付しておきます。