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時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧伊勢街道編(2)

2014-07-18 | 旧伊勢街道run!!

HappyNewYear!
2010年を迎えました。

若干雲多めながら、冬の澄んだ青空。
まさに「街道日和」?

そういえば今日は成人式だ。
行きかう人々の中に、可憐な振り袖姿の若い女性たちがちらほらしている。

そんな華やかさとは無縁?のコスモタイガー、今日も鳴海駅に自転車を置き、名鉄→近鉄のルートで、白子駅に降り立った。

だだっ広い濃尾平野の中を動いてるだけだから、中山道runを思うと拍子抜けするような感覚だ。
このルートは、トンネルすらない。

あえて街道の反対側、西口から駅を出て、白子駅周辺をしばらく散策する。
若かりし頃、仕事や研修等で何度も来たり、長期間過ごしたりという経緯があり、懐かしさを感じたりする。

駅前を直進すると、左手に某電話会社の白子ビルが見え、すぐに国道23号に出る。
この辺りが当時の「マイコース」の一部だったりするんだけど。

適当にぶらぶらして駅前に戻ると、何やら観光案内所のようなスポットが出来ており、ちょっと覗いてみる。
白子周辺の歴史案内などもしてあり、数枚のパンフレットもいただいておく。

さて、駅構内を通って反対側、東口(海側)に廻り、そろそろ今日のトレーニング開始としよう!

駅前の広い県道(551号)を進み、300mほど先で旧伊勢街道に再会。
右折してすぐに、前回のゴール地点、「鈴鹿白子本町局」という小さな郵便局、そしてその隣が、旧河芸郡役所跡を利用した児童公園だ。

ここは枡型になっていて、そのまま道なりに進む。
この辺りも前回の続きという感じで、白子宿の面影を残す町並みだ。

小さな川を渡る。
「和田橋」というらしい。
ここも枡型になっている。

右に「久留間(くるま)神社」。
名前の通り、「車」関係にご利益があるらしい。

そのすぐ先で、三たび枡型になっていて、その正面にあるのが「唯信寺」。
真宗高田派の寺院で、立派な門が印象的だ。

どうやらこの辺りが、白子宿の南端らしく、あとは直線的に進むことになった。
とはいえ、そこは旧街道、微妙なうねりをかすかに残している。

左手前方に何やらグラウンドが現れたら、左折する。
この奥にあるのが、子安観音。

安産の観音様として、地元でも信仰されている。
不断桜というのが有名らしいけれど、まだ桜には早すぎる。
それよりも、三重塔が映え、美しい境内に、思わず写メを撮る。

ここは「寺家」という集落で、裏路地のような狭い道が入り組んでいる。
伊勢街道はその一部だ。

曲がり角には道標がちゃんと残っているのはありがたいけれど、リサーチしておいた方が無難な区間だ。

先ほどグラウンド前で別れた道に再度ぶつかり、右折。
すぐに大きな川が目の前に。
「堀切川」ということらしい。

堤防に突き当たるところに「右いせみち」の道標が現役で?存在しているからありがたい。
わずかの区間ながら、この堀切川の右岸に沿って走ることになる。

近鉄の線路をクロスし、国23に出る。
23号で橋(堀切橋)を渡って対岸に。

この堀切橋の正確な場所は、現在では不明らしいけれど、今走った堤防沿いのどこかで、対岸に渡っていたんだね。

200mほどで、堤防を駆け下りる左の道を選択。
そのまま道なりに。

23号の1本西の抜け道のような形だけど、これが旧伊勢街道。
両側に、大きな屋敷が散見され、なかなか歴史を感じられる一角だ。
磯山集落というらしい。

磯山の中心、八幡社を右に見て、さらに進むと、23号に吸収されてしまった。

そのまま23号で、中ノ川橋を渡る。
下を流れるのは、中ノ川、そのまんまやね。
そしてこの小さな川が、鈴鹿市と津市の境なのだ。

左側に工場が見えてくると、歩道だけが車道から少し離れ、すぐに今度は左に分岐する道が現れる。
これが旧伊勢街道なのは、もう感覚でわかる。

100mぐらいで今度はY字分岐。
立派な地蔵堂が立っていて、ここが旧街道であることを教えてくれている。
ここは右。
ちなみに左は、「巡礼道」という信仰の道だったらしい。

この巡礼道も、詳細は不明だけど、何やら伊勢街道に寄り添うように存在していたらしい。
その上、旧街道に付き物の神社やお寺は、ここからしばらくは、巡礼道の方に面しているらしいから、街道に拘らなければ、こっちの方が楽しいのかもしれないけれど、コスモタイガーのコンセプトはあくまでも「旧伊勢街道」!

ごく普通の古い集落の中を走る感じで、約700m。
斜め右の道を選択し、近鉄の「千里」駅前に出る。

国23の信号(千里駅前」を横断し、100mほど先で左にカーブ。
すぐにまた立派なお地蔵さんを発見!
「田中地蔵」というらしい。

右後方からやってきた県道(645号)に合流し、橋を渡る。
大蔵橋の名前が付いている。

県道に沿って右に行く。
かつての「上野宿」で、ここもまた、立派な屋敷が残り、微妙なうねりとともに、旧街道の雰囲気を残している。
気持ちよく走れるなぁ。

右側に上野小学校、左に上野公民館。
さらに少し先には「最勝寺」という何やら縁起良さそうな立派なお寺もある。

さらに200mほど走る。
この辺りが上野宿の中心だったらしく、本陣や問屋場もこの辺りにあったらしい。
現在も、所どころに、武家屋敷風の建物が残っている。

ここに「上野城跡」の標柱があり、右手奥に入るように案内している。

小山の上に小さな公園があり、それが城跡ということらしい。
「本城山青少年公園」として、整備されている。

この上野城は、1569(永禄12)年、織田信長の弟、信包(のぶかね)が5万石で入城し、一時は、妹のお市の方とその3人の娘たちも住んだとされている。
夫、浅井長政を兄信長の手により滅ぼされ、信包を頼って、この上野城に3人の娘を伴って逃げてきたんだね。

お市の方自身も数奇な運命を辿る、悲劇の女性ではあるけれど。

その3人の娘、長女が「茶々」で、のちに豊臣秀吉の側室となり、嫡男秀頼を生む。
秀頼可愛さのあまり、大坂夏の陣で、悲劇的な最期を遂げる。

次女の「初」。
のちに京極高次の正室となる。
実像はどうか知らないが、史実的には、3人の中ではもっとも地味な?存在ではある。

3女の「江(ごう)」。
3人の中では最も激動の人生だったかもしれない。
2度の結婚→離縁・死別を経て、最終的には、徳川家2代将軍、秀忠の正室となり、嫡男家光を生む。

何やら来年(2011年ね!)のNHK大河ドラマは、この「江」を取り上げるとかで、複雑な彼女の人生がどう描かれるのか、楽しみではある。

そして、それだけに結構立派な城だったらしく、天守台跡、本丸跡、二の丸跡と、それぞれ案内が行き届き、なかなか楽しい「プチクロカン」だった。
公園内には展望台も設置されており、本城山からの絶景も楽しめる。

さて、予想外に随分楽しんじゃった!
展望台には資料館も併設されているけれど、さすがにそれはパス。
っていうか、まじめなトレーニング中だし!(またそれかよ)
伊勢街道に戻り、先に進もう。

道なりに進むと、「一色南」の交差点を斜めに渡り、確かに道は続いている。

「中瀬」という集落らしく、ここも街道オーラが充満した、趣ある道筋が続く。
右手に「高山地蔵尊」、またすぐに今度は「松林寺」、と、古くからの信仰を忍ばせる史跡が続く。

名前の通り「中瀬」の交差点に出て、国23に吸収される。
しばらくは国道runやね。

800mほどで、パチンコ屋の前で、右に分岐する道が出現!
もちろんこれが伊勢街道。

現在、この辺りは「津市栗真小川町」。
江戸の頃には「粉川」と呼ばれた集落で、特にこの辺りからは、伊勢地方特有の「妻入り」という形式の古い民家を見かけることができる。
要するに、出入口(玄関)が、屋根の妻のところにあるから、パッと見て、確かに変な感じがしないでもない。

くねくねと続く街道を気持ち良く走る。
約1kmほど、素敵な景色が続く。
その間にも、善行寺、観音寺といった名刹があり、道標も残っている。

左手に逆川神社。
一応、ここらでは名のある神社らしく、集落の南端を守っているようだ。

さらに400m、久しぶりの信号で県道(410号)にぶつかり、いったん伊勢街道は消失、ということらしい。
実際には、信号すぐ手前の、小さな十字路のところから、左斜めに突っ切ってたんだろうね。
そこには現在、某材木店が存在している。

信号を左折すれば、またすぐに右へと、旧街道が伸びている。
ちょうど、この先の「栗真中山町」の交差点をショートカットするような形だ。

国23を斜めに横切るのが旧街道だけど、渡る手段がないため、いったん「栗真中山町」の交差点に迂回して、続きを走る。

コンビニの裏を通り、再び国道と離れた静かな街道runだ。

約600mで、左後方からやってきた、これまた何やら街道オーラ漂う道と合流。
実はこれ、前述の「巡礼道」。
追分になっていて、ここで再び巡り合ったわけだ。

追分地点には、当時から目印として、松の木が植えられ、今も「名残松」として大切に守られている。(冒頭写真)

静かな道が続き…、と言いたいところだけど、突然前方から「ガガガ…!」とけたたましいドリル?の音がする。
道路工事のようだ。
車も片側交互通行になっていた。

工事の脇を抜け、すぐに伊勢街道の最たる目印、常夜灯を発見!
1854(嘉永4)年建立とされる。

右にカーブすると、すぐに「三重大前」の大きな交差点に出て、国23と再会。
名前の通り、左手には三重大学の広大なキャンパスを望むことになる。

ここは国道がそのまま伊勢街道になっているらしく、国23を走る。
先のことを考え、信号で、反対側に渡っておこう。

「江戸橋北詰」の交差点。
ここから右前方に分岐する道がある。
もう、これが伊勢街道であることは一目瞭然で、地図を確認するまでもない。

志登茂川を渡る橋が、「江戸橋」。
参勤交代の際、江戸に向かう藩主をここで見送ったとされ、それが名前の由来になっている。

渡り終わった十字路のところに、今度はかなり立派な常夜灯がある。
1777(安永6)年建立のもので、津市の指定文化財にもなっているらしい。

実はとっても意味ある常夜灯で、この地点が伊勢街道と伊勢別街道の追分となっていて、それを示しているのだ。

ここで左(南)に曲がるのが伊勢街道。
逆に、右(北)へ向かうのが、伊勢別街道で、東海道の関宿へと向かっている。

で、コスモタイガーは、ここをゴールにし、多分、後年になって出来たであろう、最も平凡な道を歩き、近鉄名古屋本線「江戸橋」駅へと向かった。

平坦で地味ながら、天候にも恵まれ、結構あちこち楽しめるコースだった。
街道自体では15kmぐらい?
実走17~18kmかな?

「江戸橋」駅は、特急こそ通過するものの、急行も停車する主要駅の1つで、先ほど前を通った、三重大学の最寄駅でもある。

名古屋方面の急行に乗れば、あとは眠気を誘う列車の揺れに身を任せるだけ。
1時間少々で、終点の名古屋駅だ。


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