桜は散ってしまったけど、今まさに春爛漫。
窓を開ければ、穏やかな春の日が差し込み、素晴らしい天気だ!
今日は平日なんだけど、勤務の都合で、コスモタイガーは休日だ。
そして、夜7時からは名古屋駅近くで別件の野暮用がある。
ということで、中山道は後日にして、前回、途中打ち切り状態のようになってしまった伊勢街道の続きを走ろう!
目指すは前回のゴール、JR「高茶屋」駅。
でも残念ながら平日だから、青空フリーは使えないのさ。(旧東海道編19参照)
ということで、市バスと地下鉄で名古屋駅に出て、近鉄に乗換える。
JRだと第3セクター伊勢鉄道が足かせになり、割高なんだよね。
「津」駅はJR駅の中に近鉄が間借りする形で、双方の乗換には実に便利だ。
JR紀勢本線の鈍行で10分足らず。
高茶屋駅に着き、写メを撮ったりしていると、11時近くになってしまった。
駅前の道を100mほど直進したところで伊勢街道にぶつかる。
さぁ、本日のトレーニング開始!
すぐに国道165の下を潜り、今乗ってきたJR紀勢本線の踏切を渡る。
そのまま道なりに、右方向へ。
いきなり静かな集落を縫うような感じで、くねくねとうねりながらの1本道が続く。
こんな風景は、走ってても楽しいなぁ。
「島貫」という地区らしい。
県道と交わる信号もそのまま直進。
しばらくすると、ひっそりと残る古い道標を確認。
さらに進むと、目の前は一段高くなった堤防にぶつかり、道は行き止りに。
堤防に駆け上がると、目前に流れる大河?は「雲出川」。
ここはかつての「小野古江(おののふるえ)の渡し」で、当時は舟で渡河してたらしい。
現在は、舟はなく、200mほど右に大きな「雲出橋」がある。
県道413号にもなっている、立派な橋だ。
さぁ、橋を渡ろう!
と思ったら、その入口の角には、常夜灯が…。
1835(天保5)年のものらしいけれど。
ただ今居る場所は、伊勢街道から外れてるわけで、元からここにあったはずはなく、本来は、さっき堤防を駆け上がった辺りにあったものをここに移設したということだ。
渡り終わった対岸は、松阪市。
津市側と同じように常夜灯があるけれど、こちらも恐らく移設したものやろね。
まぁ、渡し舟無き今、「この橋を渡れ」と主張しているようで、道しるべ代わりになって、ありがたいことではある。
で、ここで左折し、堤防沿いに200m弱。
階段を下りると、旧街道が復活。
本楽寺、貴船神社と、いかにも旧街道を今に伝える史跡が続く。
またすぐに左側、ちょっと目立つ感じで古民家が構えている。
「松浦武四郎生家跡」。
松浦武四郎は、蝦夷地の探検家。
昔、北海道マラソン後に、道内旅行した際、このおっさん(失礼!)にまつわる史跡が点在してたのを思い出す。
その蝦夷地に「北海道」という名前を与えたのもこの人で、いわば「北海道の名付け親」ということになるね。
しばらくはまた、静かな道なりを走る。
右手に金剛寺、反対側には常夜灯。
この辺りは神社やお寺も多くあり、伊勢街道を意識できるエリアだ。
でもここを過ぎると、静かな住宅街を走るだけで、見るべきポイントはなくなり、runに集中。
1.5km弱走っただろうか?
突然、大きめの道標が見えた。
すぐ脇には常夜灯もあり、思わず足を止めた。
道標の字が達筆すぎて、解読できないけれど、右の道行くと「なら」、このまま直進すると「さんぐう」に行くという趣旨は何となく理解できた。
ここは伊勢街道最大の追分とされ、「月本追分」と呼ばれている。(冒頭写真)
当然、コスモタイガーは直進。
「さんぐう」の方に向かうわけなんだけど。
その先、紛らわしい二股。
でも、雰囲気的に、左の道だろうことは、今までの経験で判る。
100mほど先の十字路で右折。
ここにも道標や常夜灯が残されている。
直進は「香良洲(からす)道」。
名前の通り、香良洲町へと向かっている。
国23中勢バイパスの上を通過した地点にあるのが、「小津一里塚跡」。
ん?
確かリサーチした資料には、伊勢街道には一里塚が整備されなかったとあった気がするけれど…?
それに一里塚は、当然ながら「どこから一里なのか」を示すために築かれたわけで、そのためには2つ以上ないと意味ないしさ。
ちょっと疑問には思ったけれど、まぁ、走ってる最中だし、先へ行こう!
「小津西」の信号もそのまま直進。
左手には小さな郵便局があり、旧街道であることを確認できる。
小さな川(三渡川というらしい)を渡ったところにも、道標と常夜灯。
ここから右に行くのが「初瀬(はせ)街道」。
「六軒追分」と称されている。
「初瀬」は「長谷」とも表記され、アジサイで有名な長谷寺も、名字としての、長谷部さんや長谷川さんにも通じているとされる。
右奥、400mほどにある「常福寺」に寄り道。
立派な境内を持つ、曹洞宗のお寺だ。
伊勢街道沿いにあった道標の一部が、ここに集められ、現存している。
街道に戻り、しばらくは道なりだけど、ここからの街並みは、江戸の面影を色濃く残し、素敵な空間だ。
「市場庄」集落で、地元松阪市としてもそれなりに力を入れているのか、説明板も建てられている。
こういう、全国的には無名だけど、地元で静かに守られている街並み、好きだなぁ。
東浦町の緒川村を連想させる。(気になる古道たち10参照)
切妻造というのかな?
江戸から残る古民家もところどころに残り、道標・常夜灯が静かに鎮座している。
JR紀勢本線をアンダークロス。
すぐに枡型かな?
左折してすぐ右折。
ここにも常夜灯やお地蔵さん(庚申堂)が並んでいる。
さらに道なりに走る。
県道756号の下を潜り、すぐにT字路。
右の道がいかにも街道らしい雰囲気だから、ここも迷わないけれど。
右手に薬師寺。
いかにも古刹の雰囲気で、立派な仁王門が印象的だ。
本堂・仁王門ともに、松阪市の指定文化財となっている。
街道をそのまま進む。
突き当りに古民家があり、ここを左折。
そしてまたすぐ右折。
100mほど先で再び左折。
要するに、またまた枡型になってるわけね。
そしてここからの道は、狭いながらも県道24号に指定されているらしい。
しばらくはこの県道を走り、一気に松阪市の中心へと入っていく。
ペースも自然と早くなる。
小さな橋を渡ってすぐ、左手にあるのが、「商人の館」。
江戸の豪商、小津家の旧宅を資料館として保存・維持している。
残念ながらトレーニング中のため、写メだけ撮って、足を進める。
松阪といえば、何といっても「松阪牛」!のイメージだけど、実は江戸の頃から、商人の街でもある。
近江商人(旧東海道編19、旧中山道編4参照)とともに、全国的に有名だっんだね。
あちらは、西武グループの堤家や、伊藤忠の伊藤家を輩出しているけれど、松阪も負けてはいない。
三井グループは、この松阪商人がルーツなのだ。
その三井家発祥の地が、その先100mほどの「本町」交差点の手前、左手にあった。
さて、リサーチによれば、この本町交差点右手300mほどで、松阪城址に至る。
気になるところだけど、今日はまず伊勢街道に集中!
お城散策はまたの機会にする。
ただどうしてもチェックしておきたいスポット!
そのお城に向かって右折。
すぐの道を右へ。
そこに説明版があり、目の前の空き地?が「本居宣長旧宅跡」であることを示している。
そう!
学校の歴史の授業にも出てきた、本居宣長さんも、この松阪出身だったんだね。
旧街道に戻ってすぐ、「日野町」の交差点。
ここに大きな石の道標が残されている。
和歌山街道との追分で、ここを右折すれば和歌山であると示している。
伊勢街道はそのまま直進。
ここからは見どころもなく、商店街の中を走るイメージで、「愛宕西」の信号も、そのまま直進。
お店の数も減り、やがて左後方からやってきた道と合流し、そのまま旧街道は右へと続いている。
すぐに歩道橋があるのが目印だ。
200mほど先で、右に分岐する伊勢街道。
再び街道らしい雰囲気になり、右側に「信楽寺」。
すぐ隣の閻魔堂ともども、結構な歴史があるようだ。
その反対側(左側)には、こんもりした森があり、こちらは神戸神社。
良いねぇ、街道イベントが一気に現れた感じだ。
地味ながら、道沿いには常夜灯や庚申堂もあり、街道オーラを満喫しながら、淡々と走る。
と思ったら、目の前に踏切が現れ、その右手には、小さなJRの駅が。
紀勢本線「徳和」駅。
時間はまだ13時過ぎたところだし、実走距離も15~16kmといった感じ。
しかもほとんど平坦だし、中山道に慣れた?体には、少々物足りなさもあったりするけれど、先述の通り、今日は別件で約束があるからさ。
名古屋駅なんだから、帰路ついでに…、としたいところだけど、ランニングとは無関係の話のため、この走った後のむさくるしい恰好では少々厳しい。
いったん帰宅してさっぱりしたいからさ、いつもよりかなり早いけど、今日はここをゴールとする。
徳和駅は、普通しか停車しない無人駅。
幸い、すぐにその普通列車がやってきた。
隣駅「松阪」まで、わずか5分弱。
そこで近鉄の急行に乗換、名古屋駅経由でいったん帰宅。
1時間ほど寛いだものの、再び名古屋駅に向かった。
1日に2回も自宅~名駅を往復し、何とも非効率かつ慌ただしい一日だったけど、予定通りの行動でもあるため、自宅~名駅間は、今朝購入した、1日乗車券を利用。
こちらの方は、実に有効活用したことになるわけだね。
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