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コスモタイガー漂走記~旧中山道編(3)

2013-07-23 | 旧中山道run!!


なんだかんだと忙しく、間隔が開いてしまった。
すでに晩秋ともいえる11月上旬。
穏やかな青空を見て、久々に中山道を走ろう!と思い立ち、自宅を出た。

大高駅に車を置き、いつもの東海道本線乗継で、草津駅下車。
さすがに草津市の玄関口、駅前にはショッピングセンターや銀行・飲食店が立ち並び、それなりに栄えている。

草津市は、滋賀県では県都大津市に次ぐ人口(約13万人)を誇る。
2街道が分岐(合流)するかつての交通の要衝は、現在も、JR東海道本線と草津線の交わる主要駅で、新快速も停車する。

今年(2008年!)になって開通した「新名神高速道路」も、草津市内で名神高速と合流しており、まさに現代も交通の要として重要な位置を占めているということだ。

軽く腹ごしらえののち、前回同様、意地でも中山道を避け、ビジネスホテルの並ぶ裏道を歩き、「草津追分」に出た。

追分の碑をもう一度撮影し、深呼吸。


過去2回は、旧東海道を逆走しただけだったけど、いよいよ今日からは、中山道オリジナル?のコース!
2度目のスタート、未知の世界に足を踏み込む、みたいな感覚で、ワクワク感が充満してるよ~。

何やらここまでに少し楽しみすぎちゃって、すでに時計は12時半を過ぎちゃってるよ。
ゆっくりスタートする。

まずは追分の碑を直進、天井川の草津川をトンネルでくぐる。
トンネルを出てもしばらくは、アーケードのある商店街は続く。
右手奥に覚善寺。

ここにも「右東海道、左中山道」の碑が!
実はこれ、明治になってからの追分で、東海道が明治になってからこのお寺の前を通ってここで合流することになったらしい。

さらに道なりに進む。
アーケードは程なく途切れ、ショッピングセンターの横を通り、草津駅前も素通りね。

駅前からだと400mぐらいかな?
道なりに走ると、右手にこじんまりとした神社がある。
「伊砂砂(いささ)神社」。


地味ながら、実はとても由緒ある神社らしい。
室町時代の創建で、目の前の本殿は重要文化財だ。

さらに300mほど進むと、この道は右に(不自然に)急激にカーブしており、目の前は東海道本線が遮っている。

もう、東海道での経験値があるからわかるけどね。
中山道はかつて、ここを直進していたわけだね。

ということで迂回するしかない。
途中まで戻って、広い幹線道路で東海道本線を渡る。
すぐに右折し、線路沿いに走る。
一応、この道、滋賀県道2号線になっている。

最初の信号(葉山川橋)が見えてくるけど、その手前で、ゆるやかに道が左にククッと曲がってる地点から、中山道が復活してるわけだね。

右側に東海道本線。
草津線がここで東海道本線から離れて行くんだね。

微妙に東海道本線とも距離を置き、静かな雰囲気の旧道がしばらく続くから、走ってても楽しい区間だ。

公園が右手にある。
「大宝公園」というらしい。
その一角にあるのが「大宝神社」

ここも古い神社らしく、狛犬が重要文化財に指定されているらしい。
公園の傍らには芭蕉の句碑とかもあるらしいけど、残念ながら、俳諧系はあんまり興味ないんだよね、俺。

街道runに戻ろう。
すぐに守山市に入った。

「十王寺(焰魔堂)」。(えんまどう)が左にある。
怖そうな名前だね。
ちなみにこの辺りの町名も「焰魔堂町」。

ちょっと走ったところにあるのが「今宿一里塚」。
片側だけながら、滋賀県内で唯一現存する一里塚、ということらしい。(冒頭写真)

「今宿町」の信号を直進した辺りから、徐々に宿場町の匂いが漂う。
守山宿やね。

左手に立派なお寺が現れる。
「東門院守山寺」。

ここは最澄が建立したとされる古寺らしいけど、寄り道ばかりで効率悪いから、素通りね。
主役はあくまでも中山道。

すぐの分岐路に石製の道標が建っている。
「右 中山道美濃路 左 錦織寺四十五町」

またここはかつての高札場跡も兼ねているらしい。
守山宿の中心に入ってきたらしい。
そしてここは道標の通り、右の道へ。

守山宿の特徴は、「稲妻型屋敷割」と称し、1軒1軒、家が道に対して少し斜めに建ち、互い違いのようになっているところ。
今も所々にその屋敷割が残っている。

高札場から200mほどで、某小児科医院の前に、またも道標が残る。
「すぐいしべ道 高野郷新善光寺道」。

「いしべ」ってのは、東海道の石部宿のことかな?
ここで南に分岐する道が、その「石部道」になるらしい。

それにしても「すぐ」とはねぇ。
地図で見ると3kmぐらいありそうだけど…。
そりゃまぁ、ランナー的には、レースペースで走れば10分程度だけどね。
まさか走ることを前提に道標作ったとは思えないし。
きっと昔の人の感覚では「すぐ」だったんやろね。

道なりにどんど走り、守山宿もいつの間にか脱したようだ。
「吉身3」の交差点も直進。
野洲川橋を渡る。

さらに道なりに走り、東海道本線の下を再びくぐる。
ちょっと変則の4叉路があって、蓮照寺があるのが目印かな。
ここも由緒あるお寺っぽいけど、パス!

そのまま道なりに進むのが中山道。
ちょっと進むと「背比べ地蔵」。

昔の親たちは、小さい方のお地蔵さんとわが子を比べて、並んだら1人前になったと感じたらしい。

野洲小学校の前の大きな道を、斜めに横切るのが中山道やね。
さらに県道150号を横切り、東海道新幹線の下を通り、道は続く。

実はこの県道150号を800~900mほど北上すると、東海道本線「野洲」駅なんだけど。
まだ10kmぐらいしか走ってないしねぇ。
ゴールにするには早すぎる。

かといってこのまま続けるとしばらく交通機関空白地帯になる。
オリジナル中山道、さっそくこんな街中でも、東海道との違いを感じさせられる。
いきなり「概ね20km前後」のルールは守れそうにない。

リサーチしてあるコスモタイガー、迷うことなく、このまま旧街道ランを続ける。
左に「暁酒造」の藁葺屋根の見事な建物が。

右に広い公園が見えてきた。
「小篠原公園」。
その向こうに見える印象的な小高い山を「妙光寺山」というらしい。

しばらく走り続けると、2つに分岐する地点。
間違えそうだけど、ここは左を選択。

右に桜生公民館があり、案内板によるとここを右折すると、銅鐸出土跡があるようだ。
行ってみよう。

国道の下を潜り、民家の脇みたいなところを抜けると、左に日吉神社がある。
小さいながら、静かで癒される感じだ。

さらに進むと「野洲市弥生の森公園」。
ここがその銅鐸出土跡らしい。
民俗資料館も併設されているようだけど、さすがにそれはパスし、出土跡だけを写真におさめ、再びきた道を戻り、中山道に復帰。

すぐに東海道新幹線が左に近づいてきて、「甲山古墳」。
隣接して奥まったところが「丸山古墳」。
江戸より遥か昔から、この辺りには人々の生活や歴史があったってことだね。

この銅鐸や古墳群を皮切りにして、中山道はこの辺りから、江戸以前の別の顔も見せてくれる。
東海道と鎌倉街道の関係に似ているけれど、中山道はそもそも「東山道」という江戸より遥か昔からの古道をベースにしている。

東山道は、古代日本の律令制度、「五畿七道」の1つ。
「五畿七道」とは、日本全国(北海道を除く)を5つの行政区分に分け、さらにそこに主要道として7つの道を定めた律令制度の1つ。
その成立には諸説あるらしいけれど、7世紀後半にはすでにある程度の原型があったらしい。

ちなみに7つの道とは、東海道(古代東海道)・東山道・山陽道・山陰道・北陸道・西海道・南海道。

そんな古い話、何を今さら!、と思うなかれ、我々現代人の生活習慣にもこの制度は、今も所々に根付いている。

天気予報や交通情報で耳にする表現。
広島・岡山を中心とした瀬戸内海地区を「山陽地方」。
島根とか鳥取周辺を「山陰地方」。
金沢や富山辺りは「北陸地方」。
都に近い関西地区を「近畿地方」。(畿=都、の意)
これらは皆、五畿七道に由来する呼称なのだ。

また、江戸末期から明治にかけて開発した蝦夷地を「北海道」と名付けたのも、この考えを踏襲したものだ。

中山道は、そのうちの1つ、東山道をモデルにして、江戸幕府が整備した街道なのだ。
だから中山道を走れば(歩けば)、東山道とも微妙にリンクしながら進むことになるわけだ。
特にこの近江路は、中山道と東山道がかなりの部分で重複(あるいは近接)しているため、どうしても「東山道」を意識することになる。

道なりに進むと、小さな川を渡る。
すぐに小さな分岐路。
ここは左ね。

でもすぐに国道8号に吸収される。
いつの間にか国道8と並走関係になったんだね。

しばらくはこの国道8号と、東海道本線が、旅のお供になるからね。
良い目安にはなる。

しばらくは国8を走る。
右側に大きな池が現われた。
「西池」というらしい。

その池を過ぎたあたりで、左に分岐するのが旧道やね。
もう東海道で感覚はつかんでるから、こういうところで迷うことはないんだよね。

でもそれもあっという間の話で、600mほどで「浄勝寺前」の交差点で再び国8に吸収されるけど。

またまた右手に池。
東池というらしい。

「大篠原北」の信号を超えるとまた池がある。
蛙不鳴(かわずなかず)池というらしいけど。
その反対側に、久々のチェックポイント。
「平家終焉の地」。


源平の最後の合戦「壇ノ浦の合戦」で敗北をした平家。
源義経に捕われの身となった、棟梁の平宗盛とその子宗清。
義経は2人の助命を嘆願したものの、兄頼朝はそれを許さず、ここで処刑されたとか。
そして平家はこれにて完全に途絶えたってことだね。

またすぐに右に分岐するのが旧道ね。
途中、野洲市から竜王町に行政区分が変わり、すぐにまた国8に合流。
この辺り、国8と付いたり離れたりと忙しい。

で、その合流地点、道路の左側にあるのが、「元服池」。


誰の元服かといえば、さっき出てきたばかりの、源義経。
さっきの平家終焉の話から、さらに遡り、まだ平家が全盛、義経が若年の頃の話やね。

この辺りの字名は「鏡」。
かつての東山道鏡宿といわれている。
一説には、その鏡宿の、この場所で義経は元服したといわれている。

でもね、コスモタイガーとしては、この説、懐疑的なんだけど。

もう1つの有力説が、「尾張国内海」(現南知多町内海地区)で元服したというもの。
地元びいきもあるかもしれないけれど、コスモタイガーはこっちの方に分があるような気がする。

そもそも源氏は尾張国と結び付きが強い。
父君である、源義朝。
その奥さんが由良御前で、熱田神宮の宮司、千秋家の出身。
由良御前が実家で生んだのが、義経の兄、頼朝公。
だから源頼朝は、現在の名古屋市熱田区出身というわけだ。(旧美濃路編1参照)

その義朝公、平治の乱に敗れ、やっとの思いで逃げ延びたのが、尾張国野間(現美浜町野間地区)。
尾張国内なら、千秋家の勢力が及ぶ、という考えもあったかもしれないね。

残念ながら、家臣の裏切りに遭い、ここで最期を遂げた。
現在も「野間大坊」はじめ、義朝公ゆかりの史跡は野間地区に点在している。
愛知県人なら感覚でわかるけど、「野間」と「内海」はまさに目と鼻の先だ。

ここ鏡集落も、当時の幹線道路?東山道の宿場だったには違いないけれど、義経にとってはそれほどゆかりのある土地とは思えない。
こうして現地を訪れてみると、ますますその思いに駆られる。

庶子として、不遇の幼少期を送ったとはいえ、腐っても鯛、仮にも源氏の端くれとして、元服という、当時の武家の男子にとっての一大イベント、やっぱりそれなりの場所でやったと考えるべきだし、それなら父君が討たれた因縁の場所で、父の菩提を弔いつつ、源氏再興の願いを込めて、と考えた方が何となくスッキリするんだけど。
(ちなみに2005年に放映されたタッキー主演の大河ドラマ「義経」では、この内海説が採用されてたね♪)

いずれにせよ、ここがかつての東山道であり、江戸になって中山道として整備され、現在は国道8号として利用されていることは事実やね。
義経がここを何度も行き来したことも多分間違いないんだろうと。

道の反対側には「道の駅竜王かがみの里」なる施設がデン!と構えている。
そろそろ疲れてきたけれど、車じゃないから、ここでゴールにしてもアシがないからさ。
次回のスタートにも困るしね。

左手の階段を上ると「鏡神社」。
その境内に「烏帽子掛松」。
義経が元服の際、この松に烏帽子を掛けたって話だけど。

残念ながら明治の頃に台風で折れてしまい、幹しか残っててないんだけど。
それ以前にさっきの理由で、ちょっと疑わしい気がしてるからね、素通りする。

ちょっと進むと、今度は鏡宿本陣跡・脇本陣跡と続く。
その隣には義経宿泊館跡。
まぁ、普通に宿泊したところまでは認めちゃっても良いんだけど。

「鏡口」の信号で、右に分岐するのが東山道、じゃなかった、中山道。
でもまたすぐに合流し、今度は「西横関」の信号で左に分岐。
途中にある若宮神社は、1500年以上の歴史があるらしい。

かつては、この若宮神社あたりからそのまままっすぐ進み、目の前の「日野川」を渡ってたんだろうけど、現在は土手にぶつかってしまう。

仕方ないから、道なりに右にカーブし、いったん国8に出て「横関橋」を渡るしかないのさ。
橋の上で、近江八幡市になった。

すぐに左折し、堤防沿いに走り、降りたところから中山道が復活する。
この辺りは、東横関というらしく、静かで旧道らしい雰囲気だ。

そのまま進むと、左に八幡社があり、国8に再び合流する。

しばらくは国道runやね。
1km弱かな?
信号があって、その向こう側、左に大きなパチンコ店が見え、国道は緩やかに左にカーブしている。
その手前で敢えて直進する狭い道があって、それが中山道らしい。

途中、「住蓮坊首洗い池」なる史跡があった。
名前の通り、後鳥羽上皇により、住蓮坊なるお坊さんが処刑され、ここでその首を洗ったらしい。
これもまた、「東山道」の史跡やね。

でもこの道、400mほどで行き止まり。
左折して国8に出ると「六枚橋」の交差点だ。

右折して、国8をそのまま進む。
途中、いろいろ立ち寄りすぎて、随分時間が経ったね~。
日が傾いてきた。

「西宿町」の交差点。
右に2本、分岐する道があって、間違えやすいけど。

真ん中の一番狭い道が正解らしい。
武佐宿は近い。
左に小さな公民館(西宿公民館)があって、その前の広場で地元の子供たちが遊んでいる。

線路が見えた!
踏切を渡ると、そこに駅がある。
ようやくに「交通機関空白地帯」を無事駆け抜けることができたらしい。

近江鉄道(八日市線)武佐駅。


時計はちょうど17時。
秋の日は短く、すでに日は傾き、完全に夕暮れの状況だ。
本日、ここをゴールとする。

寄り道も多かったし、実走距離、27~28kmぐらいかな?
中山道オリジナルに入って、初っ端。
随分と走ったね~。

そして近江鉄道。
なんだか懐かしいね。
東海道で鈴鹿峠や水口宿を走って以来だ。(旧東海道編19・21参照)

あの時点では、中山道走るなんて想像もしてなかったからね~。
こうして再び近江鉄道にめぐり合うのは、不思議な気分だ。

しかも武佐駅は八日市線という支線だからさ、初乗りということになり、それも楽しい。
欲を言えば、このまま八日市に出て、そこから本線を米原まで…と行きたいところだけど、ちょっと大回りだし、時間的にちょっと厳しいかな。
途中から真っ暗になっちゃうだろうし。
それにちょっと疲れた。

近江八幡行に乗り、終点近江八幡はわずか1駅。
夕暮れ時ののどかな近江路を、なんだか懐かしい雰囲気で走る。

近江八幡駅。
文字通り、近江八幡市の玄関口。
近江八幡といえば、豊臣秀次(秀吉の甥)が築いた城下町で、興味は大いにあるけれど、この時間じゃ、どうしようもないね。

往路同様、東海道本線を乗継、大高駅に戻るコスモタイガー。
何だか今日は「中山道編」というより、「東山道編」といった感じだ。
まぁ、近江路はだいたいこんな感じなのかな。

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3 コメント

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Unknown (のぶー)
2013-07-24 20:35:44
いあ~、楽しい話ありがとうございます…。野間には野間街道と言う古道が有るのですよね…。最近は整備されているようで一度、行きたい所です。
返信する
のぶー様 (コスモタイガー)
2013-07-25 15:37:57
知多半島も、常滑街道や師崎街道もあるし、知多四国88か所もあるんで、楽しそうです。野間街道は初耳ですが、ゆっくり?走ってみたいエリアですね。
ちょっと今回、マニアック過ぎましたかね~。どちらかというと、のぶーさんの専門分野に入ってしまいました…。
返信する
重要な元服の儀式 (更家)
2016-06-13 14:46:42
そうなんですか、私は、もともと、こちら方面の地理に疎いので、鏡宿説も尾張国内海庄説も知りませんでした・・・

なるほど、重要な元服の儀式を通り道の鏡宿で挙げたという説よりも、父が討たれた因縁の場所で源氏再興の願いを込めて挙げたという説の方が、確かに説得力がありますね。
返信する

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