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コスモタイガー漂走記~旧西国街道編(4)

2020-09-11 | 旧西国街道run!!

【2018年5月下旬】
前回からわずか2週間後。
コスモタイガーは再び北伊丹駅に降り立った。(冒頭写真

北新地駅からJR東西線・宝塚線の「普通」で1本だからね~。
旅情も感慨もなく、さっそくトレーニング開始!
駅前ロータリーを左(南)に向かってスタート!

今日はどんよりとした曇り空。
走るにはちょうど良い気候だな。
まだ12時前だからね、時間もたっぷりある。

すぐに国171の高架下を左折し、大阪方面へ戻る形。
大きな電化製品店の前で国道に上がり、前回渡った軍行橋の手前が前回のコースアウト地点。
この先の西国街道を示す親切な道標に再びお目にかかることが出来た。

さぁ、この道標に従い、猪名川沿いに走ること約400m。
右手堤防を降りていけば、そこからが本物の西国街道。

もともと猪名川は人足の肩に担がれて渡るか、地元民による渡舟で渡るしかなかったらしい。
軍行橋なんて明治末期に陸軍が演習のために掛けたのが由来だから。
猪名川を挟んで旧街道が途絶えてるのは当たり前ではあるんだけどね。

くねくねとした感じはまさに旧街道。
しばらくすると小さな郵便局。
郵便局や公民館といったもの旧街道沿いに建てられることが多いからね。
見つけるとホッとする。

すぐに十字路があり、交差する道が遊歩道のように整備されている。
「多田街道」って云うんだね。

県道13をそのまま直進。
この辺から上り坂。
「伊丹坂」という名前がついているらしい。

〇〇坂、ブームだからねぇ。
坂というだけアドルグループを連想してしまう。
残念ながら伊丹坂にはかわいい女性の姿は見当たらない。

あれ?代わりに見えてきたのが「←和泉式部の墓」の看板。
和泉式部さんが可愛いかどうかは実物見たことないから知らないけれど、矢印に従い、左奥の方へ少し登ってみると…。

お墓、ありました!

でもさ、和泉式部さんのお墓、中山道の御嵩宿近くにもなかったっけ?
そうそう、和泉式部さんのお墓はなぜだか全国にいくつも点在してるんだね。

再び西国街道に戻る。
この辺はくねくねしながらも1本道だから、走ってて気持ち良いコースだ。

変則の五叉交差点。
ここも左斜め、八百屋さんの脇にカーブする小道があるからね、それが旧街道なのは一目瞭然。

年代を感じさせる立派なお屋敷があったりして、いかにも旧街道然とした道だ。
「大鹿交流センター」、要するにコミュニティセンタの前に西国街道の親切な案内板がある。
ここはかつての大鹿村。
現代も「大鹿○丁目」として残っているんだね。

足元には古い道標が街路樹に寄り添うように現存している。

さらに道は続く。
うねりながらも南西にひたすら進んでるね。
千僧(せんぞ)地区に入り、足は快調に進む。

突然現れた立派な建物が伊丹市役所・警察署を始めとする総合庁舎。
で、ここの信号を超えると昆陽町。
かつての昆陽宿だ。

100mほどで右手に稲野小学校があり、ここにも当時の道標が残る。

小学校を過ぎてしまうと、残念ながら宿場を偲ぶ史跡らしきものは残っていない。
普通の住宅街の中を走り、やがて微妙に右にカーブしながら国171へ合流。
その手前にあるのが、昆陽宿の説明版。
逆に走れば、ここから昆陽宿ってことだけどね。

しばらく国道とお付き合い。
ま、要するに旧街道はここでいったん消失ってことね。

そしてここがややこしいんだけど、200mほどで道沿いにコンビニがあってね、その先に地下道の入口がある。
地下道を「コ」の字型に通り、出たら花壇?の中の狭い道を通り、アスファルトの道に出る。
右手に水路があれば正解。

さらにすぐ左折の道。
ここから旧街道が復活さ。

でもすぐに「昆陽南公園」にぶつかってしまう。
右に行こうね。

また小さな児童公園がある。
「寺本児童遊園地」。
名前の通り、平凡な児童公園なんだけどね、その一角にあるのが「閼伽井」(あかい)。
西国街道の旅人たちの喉を潤していたんだね。
今は子供たちの遊び場になっている。

街道をそのまま進むとまたしても国171に合流。
そこは「昆陽里」の大きな交差点。

ここは信号渡って斜め反対側に回ろう。
大型スーパー「イズミヤ」の前ね。

こんなところに見逃しそうだけど、師直塚を発見!
高師直(こうのもろなお)やね。
足利尊氏の参謀、とでも言えばいいのかな?

参謀としては有能だったのに、プライベートの行いが宜しくなく(いわゆる女癖ってやつ!なにせ家来の奥さんにまで手を出しちゃうから…)、もう一人の参謀足利直義(尊氏の弟)により追放されることとなった。
逃げ落ちる途中でこの辺りで討たれたとされている。

ここから約500mは国道run。
見どころも全くない。

「西昆陽」の信号で、国171は左へカーブし、南下していくわけだけど、ここをまっすぐに進む旧国道のような道がある。
これが旧西国街道ね。

200mほど走ると駐車場があって、そこにポツンと隠れるように立札がある。
髭茶屋跡。
髭を生やした爺さんが営んだ茶屋があった、ってのが由来らしいけど。

ただ髭茶屋なんて言われると、同じ名前の追分が東海道にあったことを思い出す。
というより、旧街道的には恐らくそっちの方が有名だからね~。

すぐに右側、大きな川(武庫川)が近づき、堤防に沿う形。
この堤防向こうは河川敷の公園となっていて、「髭の渡し跡」(東岸)となっている。
要するに西国街道はここから渡し船で武庫川を渡ったってことね。

現代は「渡し跡」でしかなく、ここからは南下してとりあえず国171に出るしかない。
で、当時は存在しなかった甲武橋を渡り、対岸へ。
西宮市に入ったんだ。

で、今度は北上するわけだが、県道114号、武庫川パークロードなんて名前も付いている快適な川沿いのドライブコースらしく、歩道もない。
結構な交通量で、結構なスピードで走り去る車。
危なくて走れねぇ!

手元の資料には、この道路を渡って河川敷の遊歩道を案内しており、北上すると髭の渡し跡(西岸)があるらしいけど。
渡る場所すらない!

どうせここは西国街道じゃないからね。
国171から降りていく階段あったからさ、そこから住宅地の中を適当に北上。

野球や駅伝で有名な、あの報徳学園はここにあるんだねぇ。
この報徳学園の北側の町名が一里山町。

きっとこの辺に一里塚があったんだね。
ってことは、武庫川渡ってこの辺から西国街道なんだろう、と見当はつく。

地図を頼りに、学園北門から西へ約50mでT字路。
視野を広くすれば、電柱に「旧西国街道」の文字が。
ここを南下する分岐路から旧街道が復活するわけね。

ただ、完全なる住宅街で、街道らしい見どころはない。
道筋も所々途絶えたりしている上、右折左折を繰り返す。
幸い、西宮市に入ったことで、西国街道の標識はきめ細かく設置されているようで、ここはそれに従って進むのが無難だ。

浄水場?のような施設を超えればあとは一本道。
方角的には南西を目指して走る。

変則の5叉路は、「下大市西町」という交差点。
ここにひっそりと古い道標が2つ並ぶ。
この近くの門戸厄神と甲山観音への道を示しているらしい。

さらに進む。
急に雑踏な雰囲気になった。
「門戸厄神」駅。
阪急電鉄今津線の主要駅だけど、トレーニングはもう少し続けよう。

ひたすら南東へ。
500mほど走った三叉路にも道標が残っている。


単調になるほど、南西への1本道。
小さな川に出て、その橋を渡ると、何やら大きな公園がある。
「西宮市中央運動公園」。

野球場や陸上競技場もある立派な市民公園で、資料によればこの公園の真ん中を旧街道は通っていたらしく、ここで旧街道は消失。
親切な標識もここで途絶えてしまう。
手元の資料は公園外側をぐるっと回り込むよう指示しているからそれに従う。

国171に出て右へ。
2本目、某カメラ店のところで左折。
資料上は旧西国街道ってことになってるけれど、標識もないし、直線の道には「らしさ」も全くない。
とにかく南下。

それでも阪急神戸線高架をくぐると、多少のくねくね感が出てきた。
さらに進むと右へカーブ、小川(東川)が近づいてくる。

交差点に出た。
左折してJRの高架、続いて国2を渡る。

右手やや離れた位置に阪神西宮駅が見えている。
文字通り、西宮市の中心街で、それなりの交通量でもあり、街道らしさは皆無。
「用海筋」という名称も付いているようだ。

与古道公園という小さな公園が右側にある。
資料によれば、この辺から斜め右に街道は折れてるらしいが、そんな道は現存しない。
直進しかないね。

「正念寺」というお寺の前に出た。
ここを右折。
旧街道はこのお寺の裏の十字路に出て来たわけだね。

そしてここは東からやってきた旧山陽道との合流点でもあったんだね。
今、コスモタイガーはほんの50mほど、山陽道を走ったことになる。

国43の1本北の道、という感じやね。
とにかくこの道を走る。

西宮神社で突き当たる。
立派だ。
この辺ではかなり有名なお参りスポットなんだろうね。

左折してすぐ、国道43号にぶつかる手前、神社の南東にあるのが、1799(寛政11)年建立の常夜灯型道標。
久しぶりの街道らしいチェックポイントだ。

ここからは国道run。
頭上には阪神高速が通り、あまり楽しい景色ではない。

100mほどで右に分岐する道が西国街道。
しばらくして右手に阪神電車の線路が近づいてきたと思ったら、ちょっとお洒落な駅舎の「香櫨園」(こうろえん)駅。

ここ、景色のいい駅としても有名なんだよね。
夙川(しゅくがわ)が駅の真下を流れ、両岸が遊歩道として整備されている。
特に桜の季節には見事な風景が広がるんだね。

なのに素通りして、そのまま阪神線に沿って走るのみ。
で、ここからがややこしいんだよね。
標識もないし。

駅から600mぐらいかな?
芦屋市に入ってすぐ、右手に個人経営の住宅リフォーム会社がある何の変哲もない十字路。
ここを右折するんだね。
すぐに踏切で阪神線を渡る。

すぐに十字路があり、右から出てくる小道が西国街道の残骸?なのさ。
試しに走ってみたら、100mほどで行き止まり。
本来の街道は線路沿いの道をもっと手前で右に折れ、ここに出てくるんだね。

その証拠に、十字路反対側のマンションの角に、小さな道祖神が今も祀られている。
当然この道祖神の前を通り、すぐのT字路を右折、また左折。
動物病院の前を通れば正解さ。

信号1つ過ぎれば、今度は阪神電車「打出」駅前。
その交差点に鎮座しているのが「阿保親王廊」の道標。

こんな駅前に残ってるんだねぇ。

そもそも阿保親王って誰やねん?
調べてみたら、平安時代初期の人で、第51代平城天皇の第一皇子。
でもいろいろあって天皇にはなれず、不遇の死を遂げたということらしい。

標識も何もなく、迷ってしまったけれど、打出駅を通り過ぎてすぐ右折するんだよね。
左手に内科小児科があるのが手掛かり。

50mほどでまたすぐ左折。
わずかにカーブしてるのは旧街道の痕跡だろうか。

でもすぐT字路で行き止まり。
右折してすぐ左に曲がると、わずかに緩やかな曲線を描く道。

気になるのはこの辺りの町名で、「打出小槌町」。
一寸法師に関係した場所なんだろうね、きっと。
ごめん、こんな町名があることも初めて知った。

右手に小さな祠があり、小川を渡る。
そこから約300m、Yの字分岐は右へ。

十字路の住宅街の中を、この道だけが斜めに走ってるから、ある意味わかりやすい。
「茶屋之町北」の交差点南、茶色に舗装されたビルの谷間の道を直進する。
でもすぐに国2に合流。

そして、しばらくはこの国道2号=西国街道の単調区間、となるわけね。
これからその単調区間は嫌だなぁ。

ここまでの距離、旧街道自体は15kmぐらいだと思うけど、迷ったり迂回させられたりしてるからね~。
17~18kmといったところかな?
若干少なめではあるものの、全体のバランスもあるし、今日はこの辺でコースアウトしておこう。

前方の信号を渡り、少し戻るように北東へ走れば、2~3分でJR芦屋駅。
本日のトレーニング終了!

実はこのまま寄りたいところがあってね。
コスモタイガーの由来にもなった、某アニメの映画が公開中💛
気ままな独身?生活をいいことに、東海道本線で、そのまま梅田(大阪)に出たコスモタイガーであった。

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4 コメント

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旧街道沿い (ウォーク更家)
2020-09-13 09:30:42
西国街道、丁寧な案内で、色々と歴史の勉強になります。

そうそう、中山道に和泉式部の墓、ありましたよ。

打出小槌町なんても楽しいですね。
返信する
案内板 (コスモタイガー)
2020-09-18 09:17:13
更家様

はい、案内板。
万遍なく案内してくれるのが一番良いのですが、丁寧な所はものすごく丁寧にあるのですが、ないところは全くない。
まぁ西国街道に限った話じゃありませんけどね。
市町村ごとの温度差も感じますよね。
とはいえ、我々歩く(走る)方は、市町村ごとに区切って走るわけじゃありませんから、本当はもう少し統一感が欲しいところです。

和泉式部、小野小町。
全国各所に史跡がありますから、「何で?」と思ってしまいます。
要するに「諸説あり」ってことなんでしょうけど。
返信する
西国街道は歴史街道  (もののはじめのiina)
2020-09-19 09:17:23
> コスモタイガーは再び北伊丹駅に降り立った。
小説の見出しです。 
         内田康夫著の推理小説に刺激されましたね("^ω^)・・・。

「多田街道」といえば、源満仲にはじまる多田源氏の地でした。「摂津源氏」と同じです。
大阪時代にテレビ「歴史街道」で教えられましたが、歩いていません。

辻の碑、昆陽宿、師直塚、和泉式部の墓、親王廊の道標や髭茶屋跡などが、やはり歴史の街でした。



返信する
多田源氏 (コスモタイガー)
2020-09-28 09:50:38
iina様

多田源氏!
さすがiina様、恐れ入りました。

源氏にもいくつかの系統があることはどこかで聞いてはいましたが、多田源氏なんてのがあるんですね。
勉強になりました。

関西地区はさすが長きにわたり日本の中心に近かっただけあって、密度が濃いですね。
いろんな有名人?の史跡に巡り合えます。
トレーニング的には若干支障ありですが(笑)。

高師直なんて学校では直接習ってませんが、太平記では大活躍しますし、何より肖像画!
確か足利尊氏のものと長く伝わり、学校の教科書にまで掲載されたあの肖像画は、実は高師直のものだったというのが定説になりつつありますよね…。

真実は1つのはずなのに、新しい史料が出ると正しいと思われていたことがコロッとひっくり返ってしまうこともあるから歴史は楽しいです。

見出し。
特に意識はしてませんでしたが、やはり内田康夫作品はもっとも多く読んでるので、少し影響受けてるかもしれませんね。

あくまでも自分で勝手に思ってるだけですが、山﨑豊子さんや種村直樹氏の表現が結構好きなので、何気ないところで参考にしている部分はありますね。
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