cosmotiger発信!!

日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧中山道編(20)

2014-05-09 | 旧中山道run!!

10月も終わりに近づいた。
やわらかな秋の日差しに誘われ、家を出る。

「青空フリー」を携えて、10:10中津川発の普通列車に乗車。
この列車は松本行のため、中津川から先、乗り換えることなく、塩尻や松本まで行ける。
時間に余裕がある人には、利用価値が高そうな列車だ。
案の定、始発の中津川では、結構な乗車率だ。

中津川から先の中央本線は、山岳路線の趣で、まさにハイキングと紅葉の見所満載で、数人のグループ旅行の乗客が多そうだ。

徐々に乗客を降ろしつつ、中津川から約1時間、原野駅にたったひとり、降り立ったコスモタイガー。
あのねこちゃん(多分…)が、今日も待合室で迎えてくれた。

人けもなく、商店もない駅周辺だけど、駅裏には木曽川が流れ、景色は悪くない。
少しだけ、散策してみよう。

まず目に入るのが、駅舎横の神社。
由緒や歴史などは不明だけど、きっと「中山道」時代から、この原野集落を見守っていたに違いない。

農地の脇を歩き、線路の反対側(北側)に廻り、川沿いに出る。
木曽川の支流だろうけれど、水が綺麗で、思わずほっこりと癒しの世界に入り込んでしまった。

おっとっと!
すでに12時近くなっちゃった。
ぼちぼち本日のトレーニング開始としますか!

何といっても今日の目玉は「鳥居峠」越え。
後半、かなりハードなクロカン(マラニック?)状態を想定すると、ここであんまりのんびりしちゃいられない。

駅にいったん戻り、目の前の道を進んで約100m。
前回のコースアウト地点に出て、ここからが中山道(県道267)ね。

何やらくねくねと微妙に曲がりくねっており、いかにも旧街道らしく、静かな集落の中を走る。

中央本線の上を通って、反対側へ。
資料では、この辺りに一里塚があったらしいが、判然としないまま、走り去る。

右に中央本線が沿う形で、しばらくは農村風景の中を走るのみ。
景色は良いけれど、これといった見所もない。

2km近く走ったかな?
左手に宮ノ越郵便局が見えてくると、建物が増えてきて、どうやら「宮ノ越宿」ということらしい。

残念ながら、まとまった形での「らしさ」は残ってないけれど、ここ宮ノ越は、木曽義仲公誕生の地として、ゆかりの史跡が点在している。

「木曽義仲」
本来は「源義仲」で、後に鎌倉幕府を興した源頼朝のいとこに当たる人物やね。
打倒平家の先鞭を切る形で、ここ木曽で旗揚げし、飛ぶ鳥も落とす勢いで平家を圧倒(その代表が倶梨伽羅峠の合戦やね)、一気に都入り。
ときに「旭将軍」と称されることになる。

すわ源氏の政権奪取なるかと思いきや、都での素行が悪く、評判が一気に急落。
「これでは却って源氏の評判を落とす」と懸念した頼朝(実態は弟の義経)率いる源氏本流の軍に攻められ、都を追われることになった。

もっとも「素行が悪い」といっても、何せ木曽の山中から突然出てきたわけで、都の優美な風習をまったくといって良いほど知らなかったことによるコミュニケーション不足とも受け取れるし、「庶流のいとこ」に先を越された頼朝の策略かもしれないしね。
歴史とは基本、「勝者」側の視点で語られているから、100%信じることはできないよね。

受験対策としての「歴史」なら、教科書丸暗記して、はい終了!なんだけど、歴史的価値ある史料なんて、だいたい勝者側のもの。
敗者側の史料なんぞ、時の為政者にとって都合悪いことこの上なく、破棄されたり処分されたりして、表に出ることなく消えていく。
敗者側のことを考察することも、本当の歴史を知る上で大切な作業なのだ。

いずれにせよ、源氏一党にとって、この義仲の行動で、「平家はたいしたことない」的な心理的効果は大きかったと思うよ。
その後、義経を中心とする「平家追討軍」が結成され、時代は一気に動いたからね。

本陣跡は明治になってからの再建らしいが、今も子孫の方が住んでいるらしい。

右に宮ノ越駅、その十字路を左折。
突き当たった所にあるのが「義仲館」(歴史資料館)。
隣接して「徳音寺」。
義仲公の菩提寺とされている。

資料館、見たい気持ちは山々だけど、これまた毎度のことながら、トレーニング優先の殊勝な?心掛け。
この手の史跡は、大好きだけど、それが災い?して絶対時間食っちゃうからね。

ただ、お寺には、義仲や奥さんの巴御前を含む一族のお墓があるとのこと、手だけ合わせていこう。

資料館の前で右にカーブする形で道は続いているらしい。
しばし、木曽川を右に見て、道なりに進む。
案内板もあるけれど、若干わかりづらく、何度も地図を確認する。

そのまま右にカーブし、橋を渡る。
左には小さな池(沼?)がある。

「巴ヶ淵」ね。
木曽義仲の奥さん、巴御前さん。
彼女はこの沼に住む竜の化身だったのだ!

って、もちろん実際にはそんなわけないんだけど、そんな比喩がされるほど、激しい性格だったんだね。
タッキー主演の大河ドラマ、「義経」では、小池栄子さんが巴御前をやっていたけれど、意外にはまり役だった気がする。

県道259に再び巡り合い、そのまま走ると、国19と交差。
何やら国道19号とも久しぶりの再会の気がしたりする。

ここでちょっと寄り道。
19号を右へ、約200m。

「南宮神社」。
ここで木曽義仲が旗揚げの際、戦勝祈願したとされる。
静かな山あいの神社で、人の気配はないけれど、宮ノ越宿を見下ろす、なかなかのロケーションだ。

再びさっきの合流点、中山道に戻る。
ここで直進する細い道もあるけれど、国19を左折するのが選択するのが正解らしい。
どうやらここからしばらくは、国道敷設に伴い、中山道はかなりの部分、消滅してしまったようだ。

「神谷入口」の信号に出た。
国19は直進、右にも大きな道が分岐している。
国道361号線、通称、権兵衛街道やね。
最近になって、ようやく全通し、伊那市方面に抜けられるようになった。

でもさ、国道361を権兵衛街道と呼ぶのも「車」を前提にした話。
これまた東海道や中山道同様、本来の権兵衛街道とは別物ね。

旧権兵衛街道なるものがちゃんとあってこそ。
この近くの神谷集落に住んでいた、古畑権兵衛さんが、こつこつと切り開いた道とされる。

何せ権兵衛さんと数人?の有志だけで手作業で切り開いた道だから、お世辞にも通行しやすいとは言えない悪路で、姥神峠、権兵衛峠を越え、やっとの思いで伊那方面に出ていたんだね。

それでも当時、ここ木曽と伊那を結ぶルートとしては、画期的な短縮路だったため、権兵衛さんの功績は大きかったんやね。
街道名になっていることからも、それが伺える。

残念ながら現在は大半が消失・若しくは獣道化しているらしいけれど、それでも一部は残っており、マニアな人々のハイキング?コースとなっているらしい。
そう言いつつ、こんなところまで走りに来てるコスモタイガーもマニアックなわけで、人のこと言えないけど。
いずれ、コスモタイカ゛ーも、チャレンジしてみたいものだ。

中山道runは当然このまま19号を行く。
といっても、交差点から左に分岐する、旧国道19がある。

入口はガードレールで塞がれ、車は進入禁止となっている。
もっとも、こんなところ、車以外で通行する人間なんて、極めてまれだろうから、事実上廃道に近い状態で、入るのにちょっと躊躇してしまいそうだけど。

でも入ってしまえば、車も来ないし、舗装もそれなりにされているし、紅葉が見事だし、実に快適なランニングだ。

途中、トンネルを出てきた中央本線が左手に現れた。
資料によれば、この辺りで、ほんの少しだけ、旧中山道=旧国道19、の状態となるようだ。

再び国19に合流、旧国道は約500m、意外に楽しい区間だった。
ここからは再び、国道runが続く。
左手には、中央本線が寄り添ってくれる。

木曽川が右から左に移ると、崖崩れ防止用のトンネルが現れる。
川に向かう方だけ、ホ゜ッカリ口をあけている。
「吉田洞門」といい、とりあえず1つの目印になる。

実際の中山道は、右側の山奥から、この洞門の下辺りを通り、あとは木曽川の絶壁に沿ってくねくね、という感じだったらしい。
現在はそれに当たる道が存在しないから、ここは国道を走るしかない。
まぁ、部分的には中山道がそのまま国19になってるところもあるんだろうけど。

さっきの旧国道との合流点からだと、約4kmぐらいかな?
やっと「薮原」の交差点に出た。

ここで左斜めに降りていく道がある。
地図見なくても、これが中山道であることは明らか。

200mほどで、中央本線「薮原」駅に出た。
案内に従い、駅の下を潜りぬけ、線路の左側に出てすぐ右折。

左手に蒸気機関車、D51が陳列されている。
南木曽でも見た、同種の機関車やね。(旧中山道編15参照)

で、その前に説明板があり、いかにも機関車についての詳しい説明でも書いてありそうな雰囲気だけど、実はこれ、「薮原一里塚跡」の説明板。

この組み合わせ、なんでや?と思ったりするけれど、多分深く考えてないんだろう。
まぁ、これもリサーチ済みだから、驚かないけれど。

駅に沿って走り、交番の前を通過。
残念ながら、薮原宿自体は、かつてを偲ぶものはそれほど残っておらず、足を止めずに素通りする。

JAを左に見て、次の角を右折。
中央本線を潜ってすぐ左へ。
本来の中山道は直進していたけれど、現在は中央本線に遮られているため、こうやって迂回しないといけないらしい。

ここからが一気に登り坂。
100mほど進んだ、坂の途中にあるのが、「飛騨街道分岐点」の碑。
要するに追分ね。
本来の分岐点は、もう少し手前、現在は中央本線の敷地内らしいけれど。

すぐのところに「尾張藩薮原御鷹匠役所跡」の案内板。
尾張藩の鷲の飼育所だったということらしい。

さぁ、どんどん高度を上げる。
小さな神社があり、その前は見事な紅葉につつまれており、思わず足を止め、カメラを向ける。(冒頭写真)

さらに登る。
いよいよ鳥居峠の始まりだ!

事前のリサーチによれば、熊出現の多発地帯でもあるらしく、今日はそのためにリュックに鈴をぶら下げてきてある。
それでもちょっと不安だけど。

でもほどなく「鳥居峠案内板」が現れ、そこには「クマよけの鈴」が常置されていた。

すぐに未舗装のクロカン道となり、続いて石畳となった。
完全にトレイルランモード突入だ。

でもクマに関しては、少し安心。
休日ということもあって、馬籠宿や妻籠宿ほどではないにせよ、意外に歩いている観光客が多く、クマよけは必要ないぐらいだ。
ここもハイキングコースとして整備されてるからね、案内板も完備され、迷わず先に進むことができる。

案内板の指示通り、ひたすら登るのみ。
一気に汗が噴き出す。
所々に湧水があったり、何やら石碑があったりするけれど、余裕なくってね。
登りはホント、苦手なのさ。
クマよけの鈴も、至る所に常置されている。
今日は天気も良く、休日だから、それなりにハイカーも居るけれど、そうでなければ、やはりクマ対策はした方が無難なようだ。

飛騨街道分岐からひたすら20分以上登ると、鳥居峠の頂上を示す石碑に到達!
標高は1197m!
いや~、いつの間にか1000mを越えてるんだね~。

ちなみに旧東海道の最高点、箱根峠は846m。
もうそれはとっくの昔に越えてるね。

ここが行政上の境界にもなっていて、木祖村から塩尻市へ入ったことになる。

木々の隙間から見える山の峰々が赤く染まっていてきれいだけど、標高が標高だけに、じっとしてると汗が冷えてきて、寒いんだ。

少しだけ寄り道する形になるけれど、案内板に従い、「御岳遙拝所」を目指す。
鳥居があって、神社になっている。
そうそう、だから「鳥居峠」の名が付いたんだね。

山の神様に手を合わせ、旅の無事を祈願しておく。

さて、そろそろ帰路の電車の時刻が気になる。
下りは得意なんでね、ペースアップして一気に峠を降りるとしよう。

膝が笑いそうな急坂を駆け下りる。
道は、人一人がやっと通れるトレイル道だけど、所どころにある落ち葉のクッションが足にやさしい。

途中、案内板が「葬沢」とあり、ここが武田勝頼と木曽義昌の合戦の跡、ということらしい。
名前からして、戦死者を弔った場所なんだろうけど、周囲は山の中、何にもない。
今走っているクロカン道が通っているだけだ。

幾人かのハイキング客を追い越し、どんどん降りる。
やや広い分岐点に出ると、今度は案内板が展望台の存在を示している。

すぐらしいから、ちょっと寄り道してみよう。
当たり前だけど、遠くが見渡せるものの、残念ながら、何やら霞がかかっているらしい。

ここまで来ると、いかにも「山を下りた」感じになり、すぐにアスファルト道に合流。
ここにも江戸から来た人のための親切な案内板が設置されている。

今走ってきた峠道を振り返ると、いかにも山に分け入る感じで、思わずカメラを向けてしまった。

右手にはホテルがあるけれど、中山道は左に向かい、アスファルト道に沿って降りる。
ここも本来は直線的に急激に降りてたんだろうね。

クルッと右にカーブしたところで、少しだけ中山道が復活し、アスファルト道をショートカット。
再び合流して、そのまま進むと、ようやく「奈良井宿」が見えてくる。

宿の入口には、小さな民俗資料館と、鎮神社が隣り合っている。
そのすぐ横が高札場跡らしい。

奈良井宿は、江戸から来ると、これから鳥居峠を越えることになったこともあり、木曽路十一宿の中では、最長の宿場を形成している。
その姿は「奈良井千軒」などと呼ばれたらしい。

現在も観光の目玉として整備され、目の前には、江戸期の素晴らしい町並が、保存されている。

当然ながら、ここはぜひともゆっくり散策!
と言いたいところだけど、時計を見ると、予定の列車時刻がせまっている。

奈良井散策は次回に回すとして、とりあえず町並の写真だけをササッと撮って、今日はこのまま一気に突き抜ける。
中央本線の「奈良井」駅は、奈良井宿の東のはずれ、この町並が終わったところにあるから、余計に慌ただしい。

予定していたコ゛ール地点、奈良井駅に到着!
時計は15時40分を指している。
何とか間に合った!
とはいえ、電車の時刻まで10分もない。

慌ただしく駅のホームへ。
やってきたのは、臨時快速列車「ナイスホリデー木曽路」号、名古屋行。

ハイキンク゛や行楽等の多客期の土日祝日を中心に、名古屋~塩尻間を1往復運転される。
快速だから、当然、特別料金なし!
普通乗車券のみで利用できる。
しかも、乗ってしまえば、名古屋まで乗換なしだから、すこぶる便利な列車なのだ。
これに乗りたくて、コスモタイガー、後半、ペースアップしてたのさ。
(※2014年現在、上り名古屋行は、1時間ほど時間が繰り上がってしまったため、この行程は無理なようです。)

予想通り、この列車の存在価値は、この先の木曽福島や南木曽辺りから発揮されるらしく、奈良井ではまだガラガラだ。

東海道本線に乗り換える金山駅まで、約2時間半、快適な快速列車の旅を楽しめた。
といっても、中津川からは、お馴染みの風景だから、ほとんど寝てたけど。

今日もこれだけ乗って、交通費支出は、青空フリーの2500円のみ。
随分、有効活用したものだ。

肝心の?トレーニングの中身。
中山道としては15~16km、実走17~18kmなんだろうけど、鳥居峠がかなりの強度だったため、良い練習になったなぁ。
何よりも紅葉の綺麗さが印象に残る1日だった。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« コスモタイガー漂走記~旧東... | トップ | コスモタイガー漂走記~旧東... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旧中山道run!!」カテゴリの最新記事