残暑。
ドラゴンズ、今年は未だ優勝戦線に生き残り、期待感を抱かせる。(2010年ね!)
さぁ、中山道!
主要峠は制覇したとはいえ、まだまだ山に囲まれた雰囲気。
きっと名古屋より涼しいはず。
といってもねぇ、向かう先は、前回のゴール、横川駅。
群馬県だよ群馬県!
名古屋に住む人間が、群馬県まで日帰りで往復し、わずかな?滞在時間に走ろうという話。
往復する時間の方か圧倒的に多く、何とも非効率で馬鹿げているけれど、それでもコスモタイガーは横川駅に向かうのだ。
で、ぶっちゃけ、往復とも同じ経路というのもつまらないし、鉄チャンとして、やっぱり「ヨコカル」を交通機関で体験しておきたい。
でもすでに、在来線(信越本線)は廃止され(旧中山道編29参照)、この間は代行バス。
なら、この代行バスに乗ろう!
と、文字にすれば簡単だけど、これまた大変な作業?なんだけど。
6時過ぎには家を出て、いつもの通り、大高駅に車を置き、朝7時名古屋発のワイドビューしなの1号ね。
もうお馴染みさんになってきた。
終着長野で、新幹線に乗継、軽井沢下車。
もうケチってる場合じゃないないんだよね。
代行バスの本数も限られているしね。
さて、ここからが、本日のお楽しみ、代行バス。
運行を担当しているのは、JR関東バス。
テンション高めのコスモタイガーと、数人の乗客を乗せ、バスは発車。
駅前周辺の広い道をちょっと走り、やがて国道18号(碓井バイパス)へ。
このバイパスは、中山道より随分と南側を走ってるため、残念ながら、車窓から中山道を望むことは無理だけど、峠越えの森林の中、信号もない快適なドライブを約30分。
なかなか楽しいひとときであった。
あんなに早起きしたのに、横川駅到着したころには、ちょうど11時半。
(※2015年現在は、時刻改正され、さらに30分ほど遅く到着することになります、はい)
でも嬉しいのは、降りた瞬間、やっぱり名古屋にはない涼しさを感じる。
何と言っても気になるのは、駅の西側に広がる、「碓井峠鉄道文化むら」。
前回も入りたい衝動に駆られて仕方なかったけど、今回こそ!
と思うものの、寄ってしまったら、ここだけで今日が終わってしまうことは必定。
残念ながら、というか、女々しいというか、入口付近のシャメだけを撮って、引き返す。
駅前(北側)の真ん前の道(群馬県道222号)が中山道だ。
天気が良い影響か、数人の自転車集団が、楽しそうに会話している。
子供も何人か交っていて微笑ましい。
さて、トレーニング開始!
駅前を離れてしまえば、静かな山あいの集落を走る、快適なランニングコースだ。
むろん、信号もない。
1kmを少し超えただろうか?
信越本線の踏切を渡ると、すぐに、本日初の、というより、中山道久々の信号で、「下横川」の表示がある。
ここでいったん、国道18号に吸収。
しばらく先で、今度は右へ分岐。
小学校を右に見て、再び国18に。
今日も国18が、中山道の相方のごとく、寄り添ってくれる。
ここでせ国道を渡って、またまた踏切を越え、反対側の狭い道を登っていくのが正解らしい。
正面には、由緒ありげな「碓井神社」があり、中山道の目印的な役割を果たしている。
このT字路を右に曲がり、すぐに左へ大きく旋回。
上信越自動車道が、左上方に見える。
途中、茶釜石なる史跡があり、説明版も立っている。
要するに叩くと不思議な音がするってことらしい。
またまた信越本線を渡り、突き当りを左へ。
100mも進むと、左に何やら史跡があるような、案内板が建っていた。
視線を、線路の向こう側に向けると、大きな屋敷が2軒。
かつての茶屋本陣で、「五料茶屋」と呼ばれたらしい。
どちらも「中島」さんだったので、地元の人々には、文字通り、手前(西側)を「お西さん」、東側を「お東さん」と称し、区別していたとされる。
どちらも現存し、今も建物内を公開しているというは、素晴らしい!
でもコスモタイガーは、トレーニング中だし、1つの場所に長居できるほどの時間的余裕がないけど・・・。
やっぱり中に入りたい!
ってことで、簡単に中を見学しよう。
江戸当時の資料も展示され、しばし静かに拝見。
なかなか楽しい時間だけど、30分ほどでササッと見て終了。
もったいない気がしないでもないけれど、まぁぶっちゃけ、今までの街道runで、散々似たようなところを見てきたという思いもあったりするから、とりあえず納得。
さぁ、足を進めよう。
信越本線に沿う形で、しばらくは1本道。
メインの峠越えは、すでに終了しているとはいえ、まだまだこの辺も山間ののどかさを感じる。
上信越自動車道の下を通ると、再び国18に合流。
渡ってすぐ、2本の狭い道が分岐しているけれど、これは左側、国道に沿って走る方が正解らしい。
もっともここからしばらくは、信越本線敷設に際し、本来の中山道は消失したらしいけれど。
信越本線の下をくぐり、今度は右手に線路が沿う状況に。
300mほどで、道なりに左に少し折れ、信越本線とはちょっとだけ離れることになる。
この不自然な左折が、ここから中山道に戻ったことを示している。
と同時に、どうやらかつての松井田宿に入ったらしい。
現在は、安中市になってしまったけれど、この辺りは旧松井田町の中心街で、しばらくぶりの集落、といった雰囲気だ。
普通に自販機で給水できるのも嬉しい。
ただ、宿場町らしき史跡や建物はそれほど残っていない。
右に地味に残る松井田一里塚跡。
表示があるだけで、立ち止まることもなく通過。
広い道に出た。
この辺りでは幹線道路で、県道33号。
いわゆる旧国道18号やね。
そのまま県道を右へ。
「駅前」の交差点。
駅前といっても、普通の交差点だけど。
南西に約400mの地点に、「西松井田」駅があるからね。
しばらくは県道run。
単なる地方の幹線道路の雰囲気で、残念ながら旧街道らしさはない。
左手には「松井田城」の説明板を発見!
え?でも松井田城は、どっちかとうと山城で、もう少し高台にあるはずだけど・・・・?
良く読むと、ここから見える、北側一円の山が、そのお城らしいけれど、ちょっと紛らわしい。
「下町」の交差点に出た。
その手前には、「松本本陣跡」を示す地味な案内板。
そして渡って対向車側に、「金井本陣跡」。
いずれにせよ、現在の町並みには、かつての面影はないんだけどね。
以降、しばらくは見どころもなく、単調な県道run。
右には、碓井川が静かに流れている。
やがて国土交通省の事務所が右手に出現。
これが目印で、その先で、右に分岐する細い道、中山道やね。
約400mほど先で、国18に緩やかに合流し、そのまま国道run。
さらに400m、信号があり、ここでまっすぐの国道とは別に、左に行く裏道?がある。
もちろんこちらが中山道。
そして分岐点の左側には立派な常夜灯がある。
「妙義道常夜灯」と称され、ここ安中市の重要文化財に指定されているらしい。
そして、分岐の真ん中には、何だか久し振りのコンビニがあるからね、ちょっと給水していこう。
県道216号となるらしい、この裏道が中山道で、しばらくは道なりだ。
特段見どころはないけれど、旧街道らしい独特のうねりを感じる道で、こういうのは走ってても飽きないねぇ。
集会所や神社、道祖神など、旧街道名物?も散見し、なかなか楽しいランニングだ。
今日も前回同様、中山道の看板以外に、マラソンコースを示す表示も見つけたりする。
「安政遠足」のコースでもあるわけで、それを逆走しているコスモタイガーなのだ。(※旧中山道編29参照)
途中、階段を上った所に「八本木地蔵堂」。
立ち寄ってシャメにおさめる。
原市小学校が左にあり、少し走った先からは、杉並木に癒される。
「原市杉並木」と称されている。
わずかながら下ってるのかな?
足取りは快調だ。
国18を斜めに横断し、右に安中実業高校があり、そのすぐ先に気になる表示が。
表示に従い、右折。
高校の裏手?のような場所に、1軒の立派な藁葺き屋根の民家が。
新島襄の旧宅とされる。(冒頭写真)
「同志社大学」の創始者やね。
その奥さん、八重さんもかなり個性的な人で、戊辰戦争では、自らも銃を持って戦ったとされ、「ニッポンのジャンヌダルク」などと呼ばれている。
(※2013年大河ドラマ「八重の桜」で、綾瀬はるかさん熱演しました!)
シャメに収めて、先を急ぐ。
中山道に戻る。
安中消防署が左にあり、道が若干狭くなった。
文字通り、安中市の中心街が近づきつつある。
200mほどでひっそりと「大木戸跡」。
ここからが正式には安中宿ということかな。
伝馬町という、いかにも街道らしい名前の交差点をそのまま直進。
ゴール予定の「安中駅」まであと少し!
右手に郵便局。
これが安中宿本陣跡。
それを示す簡単な石碑が建つのみで、残念ながら、それを偲ぶ雰囲気はない。
中山道、というより、県道125号なんだけど、安中市街のメインルート的な位置づけのはずだけど、それほどの交通量もなく、静かなローカル都市のイメージだ。
ただ、中山道を意識させるものはそれほどなく、足はどんどん先へと進む。
「下野尻」の信号で、国18に合流。
そのまま国道を走り、橋を渡る。
久芳橋。
下を流れるのは、随分と川幅が広くなった、碓井川。
渡り終わったところで、左に急激に下りる道があり、そこから狭い道が左斜めに伸びている。
これが中山道だ。
ただ、コスモタイガーは、そのまま歩道に沿って、ゆっくり直進で下りると、複雑怪奇?な交差点に出た。
たいした交通量じゃないんだけどね、一応6叉路のような構造になっている。
右手の、6叉路の先には、あまり賑やかとは言い難い、大きな建物が。
はい、信越本線の安中駅。
今日は予定通り、ここをゴールとする。
安政遠足も、ほぼ完走!ってことかな。
2回に分けて、だけど。
しかも逆走だし。
そんなに時間ないけど、とりあえず腹減った!
6叉路の反対側に、さっき、マックがあったよな。
着替えを兼ねて、マックで軽く腹ごしらえ。
久し振りだねぇ、お一人様のマック。
中山道だけで、18~19kmぐらい?
実走で、20kmぐらいかな?
何せ前回まで、コースがコースだっただけに、今回は随分と楽に感じた。
もっともそれは、「run」の部分の話で、移動に関しては相変わらずで、これから名古屋まで帰るという大事な?作業が残ってるんだけどね。
まさに「作業」であって、残念ながら、前回の帰路と同一工程なため、新鮮さはない。
ちなみに長野新幹線の「安中榛名」という思わせぶりな?駅があるけれど、北西に10km以上離れた山奥?で、わざわざ利用するメリットはほとんどない。
すでに16時を過ぎた。
さぁ、とりあえず信越本線の鈍行乗継だ。
新幹線(豊橋駅)→東海道本線と乗継、大高駅に着いたのは、22時を随分と過ぎた頃。
こうして、「名古屋から群馬県まで日帰りで行って、走って、帰ってくる」という、何とも無駄な1日が終了したのであった。
安中の宿場町は、せっかく、結構古い町並みが残っているのだから、本陣跡も何とかして欲しいです。
安中の町は、駅からも離れていて、静かでしたけどね~、確かに本陣跡は、何も残ってませんでしたね。
鉄道と町が離れてる所は、全国にたまに点在します。
ここら辺も「鉄チャン」目線では気になるところです。
恐らく、鉄道敷設時にいろいろあったんだろうな~。
新島襄が創った「同志社大学」は京都御所の直ぐ北にあったので、夫婦が住んだ屋敷を見物しています。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/646f11fcdd381b0905367bc5d175bec0
そうですね、富士山は、名古屋や大阪からは遠いですね。
そうです、新島襄は同志社大学の創始者ということで有名なせいか、関西人のイメージですが、実は安中の出身なのでした。
奥さんの八重さんも当時としてはかなり活動的なかただったようで、大河ドラマ『八重の桜』の題材になりました。
もっとも同志社大学には縁もゆかりもないため、こちらは残念ながら未訪問ですけど。
中山道も、横川駅を過ぎると、峠越えもなく、江戸へ向かってゆっくり下っていくだけです。
ただただ現地までの往復に膨大な時間を要していた記憶が印象的です。
逆に言えば、関東地区在住のかたなら、横川駅までは(移動も含め)案外簡単に攻略できますね。