何度も繰り返して恐縮だが、「とりあえず愛知県(名鉄圏内)を!」としか現時点では考えてないため、前回「今度は西へ!」となったものの、あっけなく宮の渡し公園(七里の渡し)に到着してしまったため、これ以上西へは行きようが無い。
早い話、1回だけ問題を先送りしたようなもの?
で、仕方なく?東側を続けるしかなく、しかも何故かまたしてもマイカーにて赤坂宿へ。
今日は腹案があって、前々回気になったところへ行ってみようかと思ってやってきた。
それは「宮路山」。
標高361m、6~7割が舗装道だから本格的なクロカンとまでは言えないけど、良いトレーニングにはなりそうだ。
頂上からの景色が素晴らしいことで有名らしい。
大橋屋を少し戻ったところに登山口があり、ひたすら登り、途中の駐車場までは舗装されているが、そこから先は遊歩道になっている。
標高的にもハイキングには最適なせいか、家族連れが多いため、汗だくで走るのがちょっと恥ずかしい気がしないでもない。
ただ、噂に違わず、頂上からの景色は素晴らしいの一言!
しばし、走ることを忘れてたたずんでしまった。
得意の下りを一気に駆け下りて、旧東海道に戻る。
赤坂宿を東に走ると、すぐに御油の松並木となり、その向こうには御油宿。
赤坂宿と御油宿の距離は約1.7km、東海道53次では最短の間隔だったとか。
資料館があって、ちょっと覗いてみる。
御油宿は旧東海道だけじゃなく、姫街道との追分(分岐点のこと)でもあり、かなりの賑わいがあった宿場の1つである。
この姫街道もいずれ走ってみたいものだ。(天竜浜名湖鉄道とのセットやね!)
やがて旧東海道は、国府町藪下という名の交差点で国1に合流。
残念ながら工場などがあって、ここで旧道はいったん途絶えてしまう。
ここから先は諸説あるらしく、HPや資料によっていくつかのルートがあるが、言えることは、本来の旧道そのものは消失しているから、完全な道筋をたどることは不可能ということ。
一応、コスモタイガーは、そのうちの1つを信用し、名鉄線を渡り、農道のようなところを通り、名鉄豊川線を越えて、再び国1に合流するルートを取った。
すぐの信号で右に分岐する形で旧東海道が再び出現、あとはひたすら1本道だ。
らしさがないから若干単調だが、途中、伊奈一里塚跡の碑も建っている。
やがてJRの小坂井駅、東海道本線じゃなく、飯田線の駅!のすぐ脇を通る。
下地地区は走ってて癒される、街道らしさも残る風景だ。
豊川と併走し、右折して橋を渡る。
この橋こそ「豊橋」。
豊橋市の由来となっているんだよ。
あとは豊橋市街地を何度か曲がりながら走る。
岡崎ほどじゃないけど、豊橋も旧東海道はややこしい。
途中からルートを外れ、豊橋駅に出ることもチラッと考えたけど、ちょっとしたこだわりがあって、そのまま東海道を走ると、やがて吉田宿の中心、札木町に出る。
(ちなみに「豊橋」は明治維新以降の呼び名、それまでは諸説あるが、おおむね「吉田」と呼ばれていたとされる)
2軒あったとされる本陣跡を過ぎるとすぐに札木町の交差点。
ここは旧東海道と旧田原街道の追分で、吉田宿のもっとも賑わったところ。
こんな由緒あるところに無粋?な大きなビルがある。
某電話会社の札木ビルで、ここを本日のゴールとする。
まぁ、出張やレースでこの辺は何度か来てるからね、土地勘もそこそこあったりする。
今日は宮路山も含めると20キロぐらい走ったかな?
ちょっとお疲れモードの中、もう1つの目玉、豊橋市電が俺を待っている。
目の前に「札木」電停がある。
何度乗っても飽きない市電で豊橋駅に出て、名鉄で今日のスタート地点、「名電赤坂」まで戻った。
さぁ、これで西は「神宮前」、東は「豊橋」、名鉄圏内の旧東海道は走破してしまったことになる。
とりあえずの目標は達成したから、充実感があっても良いはずなんだけど・・・。
やっぱりこの先も知りたい!行ってみたい!という気持ちは抑えられそうに無い・・・。
平成26年3月10日追記
地図、作成しました。
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旧道は混むからと、バイパスを造りはじめたころは、旧道とバイパスが交差する辺りが渋滞しました。
おや、豊橋に路面電車が走っているのでしたか。
最初は「愛知県だけでも…」と気楽に始めましたからね。
西へ行けば熱田であっさり終了。
で、やっぱり東へ向かったのでした。
豊橋にはレトロな路面電車が健在です。
令和の現在、東海地区に唯一残る貴重なものになりました。
今後も元気に走り続けてもらいたいものです。