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日本一脚の速い「鉄ちゃん」を目指します!
時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~暗峠越奈良街道編(1)~前編

2021-03-11 | 暗峠越奈良街道run!!

さあ、この道をとりあえず南下。
やっとまじめ?なトレーニング、と思いきや、すぐ左手に児童公園。
「北大江公園」。
本能寺の変の直後、一説には、ここにあったお屋敷に細川ガラシャ夫人は匿われたとされる。(※細川ガラシャ夫人については、西国街道編1後編を参照)

信号は多いけど、とにかくこの道を南下。
今度は左側に「中大江公園」があり、本町通、中央本通を越えれば、南大江小学校。

この小学校の敷地を間借り?するように存在するのが、太閤下水(背割下水)。(冒頭写真
文字通り、太閤豊臣秀吉が建造した下水路であり、現在も現役の下水路として機能している。

南大江公園を過ぎ、200mほどで突然道が狭くなり、階段になる。
ここにあるのが「榎木大明神」。
名前とは異なり、この樹木は「槐(えんじゅ)」という種類らしく、楠木正成手植えと伝わっている。
古から、貴重な道しるべになっていたんだね。

階段を少し下りれば、この辺り(大阪市中央区安堂寺町)出身の作家、直木三十五氏の記念碑も建っている。

詳しくは知らないけれど、あの「直木賞」の由来となった方だよね。

で、奈良街道(熊野街道)は、ここ榎木大明神手前の十字路を左折し、東へ向かう。
谷町筋、上町筋を続けて渡ってさらに直進。

升形かな?
少しだけ南へズレる形でさらに東へ直進。
この辺は少し窪んだ地形になっているらしく、少しばかりの起伏を感じられる。
清水谷、という地名なんだね。

あとは平凡な事務所街の中を行く。


南側に寄り添う国308(本町通)を越えた辺りが、かの有名な真田山なわけで、真田幸村のファンなら垂涎の場所なわけだが、今は我慢して先に進む。

玉造筋に出た。
ここで奈良街道はいったん消失。
国308に出て、国道南(右)側の歩道を走るのがペストな選択らしい。

右手にJR玉造駅を見つつ、大阪環状線高架下を通る。
2本目の角にあるのが、二軒茶屋跡の石碑。

名前の通り、ここに茶屋があって、行き交う人の喉を潤していたんだね。

大阪市民には「長堀通」と呼ばれるこの国308が奈良街道の旅のお伴になるわけなんだけど、ここでいったん国道から離れる。
右斜めの路地裏に迷い込むような細道がそれだ。
道標も設置され、地面がレンガ状に舗装されている。


すぐ右手に矢田地蔵なんてのがあったりして、大阪市のど真ん中とは思えない雰囲気にほっこり。
行き止まったところで長堀通に再会し、「玉津1」の交差点。

「慣れ」でね。
地図見て一時的な消失であることは明白。
道路反対側へ渡り、長堀通を50mほど走れば、左に分岐する道が奈良街道とすぐに分かる。

「玉津橋」を過ぎてすぐの信号。
ここを右折らしい。


ここからは旧街道らしい雰囲気が残っている。
約300m。
ちょっとややこしい変則交差点だが、ここに古い道標と説明版が並んでいる。
 

変則ではあるものの、道標に従って右斜め道なりに進む。
左へカーブしながらの1本道。

広い幹線道路に出た。
今里筋。
右手には、地下鉄今里駅の出入口が口を開けている。

信号を渡って4このまま進むわけだが、そこにあるのが追分尼辻の碑。
今も昔も交通の要衝ってことだよね。


ここからさらにくねくねと街道らしい町並みが続く。


やがて左側、小さな鳥居。
でも名前は大きな熊野大神宮を通り過ぎる。

大阪市内とは思えない道筋をさらに走ること約150m。
国308に再び交わる。

ここから約1kmは、国308がそのまま旧街道らしい。
この国308も、この辺では千日前通と名を変えているようだ。

新深江の交差点に出た。
308は左折するが、奈良街道はこのまま直進(府道702)となる。

200m少々で、府道は左斜めに折れるけれど、ここで直進する細道が分岐。
これが奈良街道ね。

ここからしばらくは、、左手(北側)が大阪市東成区、右手が東大阪市、いわゆる市境を走る状況が続く。
平成の世になっても(2018年ね!)旧街道が境界線、という状態は全国各地にあり、街道好きとしては嬉しいことである。

さらに200mほどで、アーケードのある道が横切る。
屋根には「えべっさんのまち布施」なんて書いてあるけど。

ここを左折、アーケードの商店街の中を走る。
市境も左折してるから、左手が大阪市で右が東大阪市の状況は変わらず。

府道702に再び出たところは変則6叉路。
右折してそのまま府道702(というよりここから府道24になるらしい)へと進む。

さぁ、大阪市に別れを告げ、ここからは東大阪市だ。
夏の暑い日差しの中とはいえ、まだゴールするには早すぎる。
コスモタイガーの足は先へ先へと進んでいる。

(後編へ続く)
 
コメント (4)
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コスモタイガー漂走記~暗峠越奈良街道編(0)~プロローグ~

2021-02-04 | 暗峠越奈良街道run!!

★関西ネタです

【2018年7月某日】

暑い!
でも社宅でボーっと過ごすのは嫌だ。
さあ、新たな街道を走ることにしよう!

ってことで、朝食を済ませ、走る用意を済ませれば、まだ8時を回ったばかりながら、今日は何と社宅がスタート!
移動時間0、ついでに運賃も0!

大阪~奈良を結ぶ街道はいくつかあるらしい。
その中で現代ではもっとも人気ある?「暗(くらがり)峠越」の奈良街道を走ることにしたのさ。
起点は、社宅から歩いて数分の場所♪

せっかくだから周辺の歴史巡りをしてから街道に入るとしましょうか。
走り出して1分少々、歩いても数分の距離の「北浜」交差点。
ここに大阪商工会議所創設者の五代友厚公のビッグな銅像が建つ。(冒頭写真)

NHKの朝ドラ「朝が来た」(2015年下半期)では、ディーンフジオカが演じて話題になった。
(※2021年、五代友厚公を扱った映画「天外者」が現在公開中、あの三浦春馬君が演じてるそうです!)

この北浜地区、いわゆる淀屋橋駅から北浜駅周辺は、かつて大阪商工会議所が開設され、その流れで現在も大阪の代表的な商業地区。
きっとそんな理由で五代さんの銅像が設置されてるんだろう。

さらに走って、また1分少々(同じく歩いても数分)。
はい、高麗橋ね。


京街道(東海道57次)の終点ね♪(旧東海道編46参照

懐かし…くもないか!(笑)
大阪生活始まってからすでに何回もこの前、走ったり歩いたりしてるから。

東海道57次を完全走破して充実感に浸ったこの地の近くに住むことになるなんて、あの時は想像もしてなかったなぁ。

そしてここは今から走る奈良街道、そして下関へ向かっている旧山陽道の起点でもあるわけで、まさに東の日本橋に対する、西の高麗橋。

さぁ、ここから暗峠越奈良街道ね。(以後、めんどくさいので、このブログでは単に「奈良街道」と表記させていただきます)
左折して北へ向かう。
要するにしばらくは京街道を逆走ね。
併用区間なのさ。

すぐに「北浜東」の交差点で、右折して土佐堀通を走る。

「天神橋」の交差点。
左手、土佐堀川を渡る橋の名前だけどね。
東海道57次の時は夕暮れ近い中でラストスパートだったからスルーしちゃったけど、橋の手前から降りていく川岸の散策路へ入り、ちょっと寄り道。

公園として整備されていて、なかなかの癒しの風景でもあるけれど、ここは古く平安時代から渡辺津と呼ばれた港だったんだね。


そしてここはあの世界遺産熊野古道紀州路(熊野街道)の起点でもあるわけさ。

あちこちからここまで船でやってきて、ここから熊野詣の長い歩きが始まったんだね~。

公園内をちょっと進めば、丁寧な案内板も設置されている。

渡辺津は水運の要衝として長く栄え、江戸時代には8軒の船宿が軒を並べるようになり、いつしか「八軒家浜」と称されるようになっった。
今ではこっちの方が一般的な呼称になっているようだ。


ここから見る大阪の中心街。
若い人たちの表現を使うなら、「インスタ映え」する景色で、コスモタイガーも好きなのさ。

おっと、時計は9時を過ぎた。
走ったのは3分ぐらいなのに、30分以上観光?を楽しんでるよ(笑)。
でも見どころありすぎてさ!

そのまま公園を通りすぎれば、土佐堀通に戻る。
とりあえずそこにセブンイレブンあったから、給水用のドリンクを買っておく。

目の前の信号渡って道路の反対側に。
またまた寄り道で、100mほど西へ土佐堀通沿いに走ると「永田屋昆布店」という由緒ありげなお店の前にあるのが、「八軒家浜船着場跡」の小さな碑。


足元見ながら走らないと見落としそうだ!
かくいうコスモタイガーも、普段からこの辺を走ってるからこそ、知ってるわけなんだけどね。

さっきの信号に戻る。
今度は南側に目を向けると、熊野街道起点を表す案内板がここにも建っている。


まぁね、ここで東海道(土佐堀通)とのお付き合いが終了し、南へ分岐することになるわけだから、ここが起点と解釈もできるからね。
しばらくは熊野・奈良両街道の併用区間なのさ。

ってか、やっぱりここがトレーニングとしても実質的なスタートだよね(笑)。
まだ社宅から1kmぐらいしか離れていない(汗)。

40分以上、この北浜地区を散策したってことにして、再度気合を入れ、リ・スタートだ!
コメント (3)
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