BOXING観戦日記

WOWOWエキサイトマッチなどの観戦記

WBA世界ウェルター級タイトルマッチ ミゲール・コットVSアントニオ・マルガリート

2008-07-28 23:21:35 | Boxing
マルガリート 11ラウンドTKOで勝利

2ラウンドにコットが打ち合いに応じたことで、3ラウンドの対応次第で勝負が決まると感じたが、
引き続きアウトボクシングを選択したことでマルガリートの勝利を確信した。
逆説的だが、痛めつけることに主眼を置いたマルガリートと勝ちにいったコットの違い(≠差)が出た。
相手を倒さない限り、いつ倒されるかわからない。
これがボクシングの恐ろしいところ。
コットの敗因、あるいはマルガリートの勝因を挙げるのは簡単だ。
サイズ、打たれ強さ、スタミナ、メンタリティ、ゲームプラン、どれも等しく正解だと思う。
個人的に一番の要因として挙げたいのは、コットの勝ちたいという気持ちの在り様だ。
この日のコットからは勝利への執念ではなく、勝利への希望が感じられた。
その希望が絶望に転化した時、コットの敗北は決定していたように思う。
本人に訊いてみないと分からないが、おそらく6ラウンドぐらいから恐怖感を覚えたのでは?
「ヤバい」という危機感はこれまで何度も味わってきただろう。
トーレス戦、コーリー戦、ジュダー戦、モズリー戦とそういった機会はいくらでもあった。
「怖い」と思ったのは、しかし、この夜が初めてだったのではないかと思う。
あれだけカウンターを顔面に打ち込んでも平然と前に出てくる、
自分の一番の武器である左ボディを打たせてくれる距離または隙は作ってくれない、
闇雲な連打に見えるが、テンプル、アゴ、リバーといった急所を的確に狙ってくるなど、
マルガリートはただ体格の利を活かすだけの突貫ファイターではなく、
洗練された技術を持った叩き上げのボクサーであることを思い知ったに違いない。

それにしてもマルガリートのこの打たれ強さと意志の力はどうだ。
あれだけ顔面にパンチを打ち込まれながら微塵もダメージを感じさせないとは。
生まれ持った頑丈さとキャリアで培ったパンチの受け止め方を身につけているとはいえ、
これはもう人間離れしているとしか表現できない。
アンドラーデといいマルガリートといい、大型メキシカンのタフさには舌を巻くばかりだ。
そのタフネスをコットに分けてやれよ、とさえ思ってしまう。

そのコットだが、終わってしまったかもしれない。
マルガリートもかなり弱ってきてはいたはずだが、
それを冷静に判断するだけの余裕はコットにはなかったと思う。
パッキャオに圧倒されたD・ディアスはまたリングに帰ってくるだろうが、
コットは果たしてこれまでの力量を保持したコットのままリングに帰ってくることができるか、
個人的にはほぼ不可能だと考えている。
一度目のダウンは肉体へのダメージの蓄積、二度目のダウンは精神的な屈伏だった。
無敗の選手が敗北を喫した時、立ち直れるかどうかは負け方によるところが大きい。
立ち直った例はオスカー・デラホーヤや内藤大助など。
立ち直れなかった例はバルガス、フレイタス、レイシーなど。
コットは後者の部類に入ると見る。

予想で、コットが勝ってもデラホーヤやメイウェザーは引っ張りだせないと書いたけど、
この内容で勝ったとしたら、メイウェザーが喜々として引退撤回しただろうね。
当然、デラホーヤも熱烈なラブコールを送ったことだろう。
逆にマルガリートはさらにビッグマッチから遠ざかってしまった感がある。
ここは何としてもデラホーヤVSマルガリートの機運を高めたいところだが、
次戦にモズリー、その後にコットとのリマッチだと?
そんなマッチメークは無意味で無価値だ。
コットはそもそも再戦など受けないだろう。
シントロンの二の舞を演じるのは火を見るより明らかだ。
マルガリートがデラホーヤを叩きのめし、JCCのリベンジを果たすことで、
メキシコボクシングは復権し、アメリカボクシングは新世代に突入する。
アメリカ・メキシコ両国の世論の盛り上がりに期待したい。

LA BATALLA アンダーカード

2008-07-28 22:42:39 | Boxing
S・バンタム級10回戦 バーナベ・コンセプションVSアダム・カレラ

コンセプション 3ラウンドTKO勝ち

若さと躍動感にあふれたいいボクサーだ。
パッキャオ的であり、3ラウンドのKO前に見せた左フックはドネア的でもあった。
順調にいけば1~2年で比墨戦争の最前線で戦う優秀な兵隊になるだろう。


S・ライト級10回戦 マイク・アルバラードVSセサール・バサン

アルバラード 4ラウンドKO勝利

新鋭VSベテランらしい構図。
若造にアッパーを教授する場面、若造の馬力に屈する場面、
10敗を喫しながらもリングに上がり続けるベテランの意地に哀愁が漂う。
戦い続けるのは若者の壁となって立ち塞がるためか、
若者の飛躍を助ける踏み台となるためなのか。