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思索 電子回路 論評等 byホロン commux@mail.goo.ne.jp

窒息するオフィス

2007-11-02 21:39:50 | その他レビュー
(仕事に強迫されるアメリカ人)
ジル・A・フレイザー(著) 森岡 孝二 (訳)
岩波書店

今や旧来の感のある日本型年功賃金は、労働者の生活保障型賃金であったと言われる。年金、保険、家族手当、住宅手当、等の諸手当など、福利厚生にも重点が置かれ、経営者と労働者の関係は良き関係(コミットメント)の基に共に繁栄することであり、とりわけ終身雇用を前提としていることがそのことを明確に示している。これは、資本主義経済のもと、各企業は自由競争の原理に沿った活動を行いつつ、個々の企業内部では”社会主義的”な組織運営が行われていたと見ることもできる。これに対し成果主義賃金はどうか。労働者が受給する賃金は多くの福利厚生費が捨て去られ、成果給のみとなった。個人の生活の保障は、個人の能力と責任においてのみ行えということである。同時に終身雇用も捨てられた。つまり、かつて社会主義的であった企業内部においても、”自由競争原理”を導入したわけである。自由競争には当然、勝者と敗者が生まれる。飛躍的に成長する企業もあれば、大小を問わず倒産する企業もある。これは今や企業内部でも同じだから、勝者と共に敗者が必然的に生まれ、敗者は会社を去れということになる。これは純粋な自由競争の観点からは理にかなったことではある。新自由主義とも言われるが、経営者は自らと株主の利益以外には感心が無く、労働者はできるだけ低賃金で雇うことが理想的とされるのである。幸いにも日本においては成果主義賃金を導入した企業のほとんどが低迷し、見直しを余儀なくされているが、これを巧妙に取込み90年代に空前の好景気にわいたアメリカは一体どうなったのか。結果は本書に記述されている幾多の事例が示している。一部経営者と株主は巨万の富を得たが、大多数の労働者(ホワイトカラー)は生活苦と失業の恐怖にあえいでいるのである。これが原理主義的資本主義の本当の恐ろしさなのであろう。

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