バルトーク:アレグロ・バルバロ Sz.49
民謡による3つのロンド Sz.84
3つのハンガリー民謡 Sz.66
組曲 作品14 Sz.62
ピアノソナタ Sz.80
ルーマニア民俗舞曲 Sz.56
古い踊りの歌~15のハンガリー農民の歌 Sz.71より
ピアノ:ゾルタン・コチシュ
録音:1975年10月23日、24日、荒川区民会館(東京都)
CD:DENON COCO73069
ハンガリー・ブタペスト出身のピアニストで指揮者、作曲家でもあったゾルタン・コチシュ(1952年―2016年)が2016年11月6日に亡くなった。64歳没。若い時、日本において同世代のハンガリーのピアニストのデジュー・ラーンキやアンドラーシュ・シフと合わせて“ハンガリーの三羽烏”とも呼ばれていた。コチシュは、バルトーク音楽院でピアノと作曲を学んだ後、リスト音楽院に進学。1970年ハンガリー放送主催の「ベートーヴェン・ピアノコンクール」で優勝し、以後ピアニストとして国際的な演奏活動を開始。1975年(23歳)には初来日を果たしている。ピアニストとしての活躍にほか、作曲活動も活発に展開した。リストが編曲したワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」や「マイスタージンガー」を自ら編曲し直したり、バルトークのピアノ曲を管弦楽用に編曲したりなどした。1983年指揮者のイヴァン・フィッシャーと共にブダペスト祝祭管弦楽団(BFO)を設立し、以後指揮者としての活動も本格化させた。1997年ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団の音楽総監督に就任。2004年仏文化省からフランス文化芸術勲章を授与される。このCDは、コチシュが初来日を果たした際に日本で録音されたバルトークのピアノ独奏曲集。当時23歳というゾルタン・コチシュ若々しい新鮮なピアニズムを聴くことができる。
最初の曲の「アレグロ・バルバロ」は、1911年、バルトーク31歳の時に、出世作となった作品。ハンガリーの民族音楽がそのベースとなっているが、当時としてはかなりモダンな作品で、ストラヴィンスキーやプロコフィエフの作品にも相通ずるところがある。次の「民謡による3つのロンド」は、スロヴァキア地方の民謡に基づいて作曲された作品。
「3つのハンガリー民謡」は、バルトークは1940年にナチスの手を逃れ、アメリカへ亡命する。その翌年にポーランドの大ピアニストのパデレフスキーが亡くなるが、バルトークは1942年「パデレフスキーへのオマージュ」という作品を発表。この3つの民謡は、その中に収められていた曲。次の「組曲」は、1916年に作曲された作品で、それまでの民謡の編曲という範疇から一歩踏み出し、独自の書法で書き始めた頃の作品。
「ピアノソナタ」は、バルトークのピアノ独奏曲の中でも重要な作品。バルトークは1920年以降ピアノ曲から遠ざかっていたが、6年の間隔の後、再度ピアノ曲に挑戦した。その結果は、初期の民謡の収集に基づいた作品から脱却し、抽象化され、音楽的にも高度なものに昇華された作品となった。次の「ルーマニア民俗舞曲」は、1915年、34歳の作品で、トランシルヴァニア地方のルーマニア人の民族音楽からとられ、バルトークのピアノ作品の中でも知名度の高い作品。最後の「古い踊りの歌~15のハンガリー農民の歌」は、1914年から18年の長きにわたり書き留められた作品。
これらのバルトークのピアノ独奏曲を弾く若き日のゾルタン・コチシュのピアノ演奏は、実に確信に溢れ、無限の楽興が鍵盤から零れ落ちような、実に清々しい印象を受ける。何よりも若々しいピアノタッチが何といっても小気味良い。そして、バルトークのピアノ作品への心からの共感が演奏全体を貫いており、単なる表面的な演奏とは一切無縁なものに仕上がっている。録音状態も良好であり、バルトークのピアノ独奏曲をまとめて聴いてみたいというリスナーにはお勧めのCD。(蔵 志津久)