<NHK-FM「ベストオブクラシック」レビュー>
~イアン・ボストリッジ テノール・リサイタル~
①シューベルト(作詞:ルートヴィヒ・レルシュタープ ):歌曲集「白鳥の歌」から(前半)
「愛のたより」
「兵士の予感」
「春のあこがれ」
「セレナード」
「わが宿」
「遠い国で」
「別れ」
②ベートーヴェン(作詞:アロイス・ヤイテレス):「はるかな恋人に」作品98
「兵士の予感」
「春のあこがれ」
「セレナード」
「わが宿」
「遠い国で」
「別れ」
②ベートーヴェン(作詞:アロイス・ヤイテレス):「はるかな恋人に」作品98
第1曲「この丘に座り」
第2曲「山々があんなに青く」
第3曲「大空を軽やかに」
第4曲「大空のこの雲たちは」
第5曲「5月が廻りきて」
第6曲「さあ、受けたまえ、この歌を」
③シューベルト(作詞:ハインリヒ・ハイネ ):歌曲集「白鳥の歌」から(後半)
「アトラス」
「彼女の絵姿」
「漁師の娘」
「都会」
「海辺で」
「影法師」
「はとの使い」(作詞:ヨハン・ガブリエル・ザイドル )
④シューベルト:
「月にさまよう人」(作詞:ヨハン・ガブリエル・ザイドル)D870(アンコール)
「弔いの鐘」(作詞:ヨハン・ガブリエル・ザイドル)D871(アンコール)
「夕ばえに」(作詞:カール・ゴットリープ・ラッペ )D799(アンコール)
テノール:イアン・ボストリッジ
ピアノ:ジュリアス・ドレイク
収録:2024年1月19日、神奈川県立音楽堂
放送:2024年7月19日、午後7:30~午後9:10
第2曲「山々があんなに青く」
第3曲「大空を軽やかに」
第4曲「大空のこの雲たちは」
第5曲「5月が廻りきて」
第6曲「さあ、受けたまえ、この歌を」
③シューベルト(作詞:ハインリヒ・ハイネ ):歌曲集「白鳥の歌」から(後半)
「アトラス」
「彼女の絵姿」
「漁師の娘」
「都会」
「海辺で」
「影法師」
「はとの使い」(作詞:ヨハン・ガブリエル・ザイドル )
④シューベルト:
「月にさまよう人」(作詞:ヨハン・ガブリエル・ザイドル)D870(アンコール)
「弔いの鐘」(作詞:ヨハン・ガブリエル・ザイドル)D871(アンコール)
「夕ばえに」(作詞:カール・ゴットリープ・ラッペ )D799(アンコール)
テノール:イアン・ボストリッジ
ピアノ:ジュリアス・ドレイク
収録:2024年1月19日、神奈川県立音楽堂
放送:2024年7月19日、午後7:30~午後9:10
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今夜のNHK-FM「ベストオブクラシック」は、英国ロンドン出身のテノール歌手イアン・ボストリッジと、同じく英国出身のジュリアス・ドレイクのピアノ伴奏という名コンビで、ベートーヴェン:「はるかな恋人に」を間に挟み、シューベルト:歌曲集「白鳥の歌」から14曲を前半と後半に分け聴くコンサート。イアン・ボストリッジは、独学で声楽を習得し、現在、オペラと歌曲の両方の第一線で活躍するテノール歌手であり、特に歌曲で高い評価を得ているので楽しみの放送だ。
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テノールのイアン・ボストリッジ(1964年生まれ)は、イギリス、ロンドン出身。ウェストミンスター・スクールのクイーンズ・スカラーを経てオックスフォード大学のセントジョンズ・カレッジで近代史を専攻して首席で卒業、ケンブリッジ大学のセント・ジョンズ・カレッジでは科学哲学史の修士号を取得。1990年、「1650年から1750年までのイギリスの公共生活におけるウィッチクラフトの意義」に関する論文で、オックスフォード大学の博士号を取得した。ロンドンで2年間テレビの時事問題やドキュメンタリーの仕事をした後、オックスフォードのコーパス・クリスティ・カレッジでイギリス学士院の博士研究員となり、政治理論と18世紀のイギリス史を教えた。この間、声楽を独学で習得。プロとして歌い始めたのは27歳の時で、1991年「全国音楽協会連合会賞」受賞。1993年にウィグモア・ホールで正式にデビューを果たす。1996年からEMI Classicsの専属アーティストとなり、「グラミー賞」に15回ノミネートされ、3回受賞している。CDは、グラミー賞のほか、「エジソン賞」、日本の「レコード・アカデミー賞」、「ブリット賞」、「サウスバンク・スカイ・アーツ賞」など、主要レコード賞を受賞している。2004年、音楽への貢献が認められて大英帝国勲章コマンダー(CBE)を授与された。
ピアノのジュリアス・ドレイク(1959年生まれ)は、イギリス出身。歌曲の伴奏者、室内楽奏者として、世界の一流アーティストと共演を重ねている。これまでに、アムステルダム・コンセルトヘボウ、ベルリン・フィルハーモニー、ウィーン・ムジークフェライン、ウィグモアホール等の主要ホールやザルツブルク音楽祭等に登場。2000年~03年オーストラリアのパース国際室内楽音楽祭の監督を務め、またデボラ・ワーナー演出による「ヤナーチェク:消えた男の日記」の音楽監督として、ミュンヘン、ロンドン、ダブリン、アムステルダム、ニューヨークで公演を行った。2009年よりウェールズのマカンスレス音楽祭の芸術監督を務める。毎年ロンドンのミドル・テンプル・ホールで一流の歌手とのリサイタル「ジュリアス・ドレイクと仲間たち」を開催し、数多くの優れた歌手を招いている。これまでに数々の歌手と多くの録音を残し、グラモフォン賞をはじめ数多くの賞を受賞している。現在、グラーツ音楽大学で音楽とパフォーミングアーツの教授を務め、ギルドホール音楽演劇学校でも教授として室内楽の指導に当たるほか、世界各地でマスタークラスを開催している。
ピアノのジュリアス・ドレイク(1959年生まれ)は、イギリス出身。歌曲の伴奏者、室内楽奏者として、世界の一流アーティストと共演を重ねている。これまでに、アムステルダム・コンセルトヘボウ、ベルリン・フィルハーモニー、ウィーン・ムジークフェライン、ウィグモアホール等の主要ホールやザルツブルク音楽祭等に登場。2000年~03年オーストラリアのパース国際室内楽音楽祭の監督を務め、またデボラ・ワーナー演出による「ヤナーチェク:消えた男の日記」の音楽監督として、ミュンヘン、ロンドン、ダブリン、アムステルダム、ニューヨークで公演を行った。2009年よりウェールズのマカンスレス音楽祭の芸術監督を務める。毎年ロンドンのミドル・テンプル・ホールで一流の歌手とのリサイタル「ジュリアス・ドレイクと仲間たち」を開催し、数多くの優れた歌手を招いている。これまでに数々の歌手と多くの録音を残し、グラモフォン賞をはじめ数多くの賞を受賞している。現在、グラーツ音楽大学で音楽とパフォーミングアーツの教授を務め、ギルドホール音楽演劇学校でも教授として室内楽の指導に当たるほか、世界各地でマスタークラスを開催している。
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シューベルトの歌曲集「白鳥の歌」D957/965aは、シューベルトの遺作をまとめた歌曲集で、3人の詩人による14の歌曲からなる。自身が編んだ歌曲集「美しき水車小屋の娘」「冬の旅」とは異なり、「白鳥の歌」は本人の死後に出版社や友人たちがまとめたものであり、歌曲集としての連続性は持っていない。新シューベルト全集では「レルシュタープとハイネの詩による13の歌曲」 D957と「鳩の使い」 D965aに分けられており、そもそも「白鳥の歌」という歌曲集は存在しない扱いになっている。歌曲集「白鳥の歌」は、ルートヴィヒ・レルシュタープ(7曲)、ハインリヒ・ハイネ(6曲)、ヨハン・ガブリエル・ザイドル(1曲)の3人の詩人の詩につけられた歌曲からなっている。「白鳥の歌」の14曲は、1828年8月ごろには完成したが、シューベルトは1828年11月19日に亡くなり、作曲された14曲は遺作として遺されることとなった。遺作は死の翌年の1829年4月に出版された。
今夜のシューベルトの歌曲集「白鳥の歌」を歌う、イアン・ボストリッジのテノールの歌声は、実に心に響く。決して自己の存在をことさらに大きく歌い上げるわけでなく、淡々とした歌唱であるのだが、声自体に温かみが籠っている。リスナーの一人一人に直接歌いかけているようでもあり、そのしみじみとした歌声を聴くと、リスナーのすぐ側で語り掛けてくるような親近感に溢れている。シューベルトの歌曲集「白鳥の歌」は、一曲一曲が独立した歌曲であり、何かストーリーがあるわけではないのであるのだが、ボストリッジが歌うとそこに忽然と一つのストーリーが生まれるかのようでもある。ボストリッジの「白鳥の歌」を聴き込んでいると、私の耳には、突然ジェラール・スゼー(1918年―2004年)の歌声が湧き起こってきた。スゼーもフランス人ながらシューベルトを歌わせたら天下一品であった。私にとっては、今夜のボストリッジは”スゼーの再来”そのものであった。それに加え、ジュリアス・ドレイクのピアノ伴奏の何と見事なこと。ボストリッジの歌の起伏を全てのみ込み、一歩引いたところでシューベルトの生き生きした音楽を紡いでいた。二人は名コンビそのものだ。
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ベートーヴェン:歌曲集「はるかな恋人に」作品98は、ベートーヴェンが1816年ウィーンで作曲した歌曲集で、タイトルの「はるかな恋人に」は、「はるかなる恋人に」「はるかなる恋人に寄せる」「はるかなる恋人に寄す」など、様々に訳されている。ベートーヴェンが中期の”傑作の森”の時代を終え、スランプに陥っていた時期の作品で、実際この時期に交響曲や弦楽四重奏曲は書かれておらず、ピアノソナタでも唯一第28番が作曲されているのみ。しかし後期に入る直前の時期でもあり、作曲家としての筆致は熟練しており、この作品でも第1曲の主題を最後の第6曲で回帰させるなど、全体の構成や転調などで、ベートーヴェンの熟練した作曲技法が十全に行かされている。作詞者のアロイス・ヤイテレスは医学生で、ベートーヴェンがヤイテレスの戦争負傷者に対する慈善活動を支援したことへの答礼として、この詩を受け取ったという。
今夜のベートーヴェン:歌曲集「はるかな恋人に」のイアン・ボストリッジのテノールの歌声は、シューベルトの「白鳥の歌」の時にも増して、親密さを湛えた歌声になった。一瞬、コンサート会場の演奏であることを忘れ去り、ボストリッジの自宅でボストリッジの歌声を直接聴いているようなくつろぎに満ちたものに聴こえた。このことは、ボストリッジが独学で声楽を習得したことと何か関連があるように思えてならない。この曲自体、あの厳めしいベートーヴェンには珍しく、シューマンの歌曲のように愛らしく、恋人を想う若者の感情を露わに表現した歌曲であるので、まことにもって、この曲ぴったりとした雰囲気に包まれた。それに加え、「白鳥の歌」では、ボストリッジを前面に立てて伴奏に徹していたジュリアス・ドレイクのピアノが、この曲では雄弁に語り始め、「はるかな恋人に」を生き生きと輝きに満ちた起伏のある歌曲集へと導いたのは、さすがとしか言いようがない。ベートーヴェン:歌曲集「はるかな恋人に」は、名前だけは有名だが、6曲を通して聴く機会は意外に少ないののではないか。その意味からも今夜の放送は貴重なものとなった。(蔵 志津久)