<新譜CD情報>
~フジコ・ヘミング 追悼盤 チャイコフスキー:ピアノ協奏曲 第1番/5つのラ・カンパネラ~
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲 第1番
リスト:ラ・カンパネラ(パガニーニによる大練習曲 S.141の3)
「奇跡のカンパネラ」より
「永久への響き」より
「哀愁のノクターン」より
「カーネギー・ホール・ライヴ」より
「フジ子・ヘミングの奇蹟」より
ピアノ:フジコ・ヘミング
指揮:オリヴァー・フォン・ドホナーニ
管弦楽:チェコ・ナショナル交響楽団
録音:チャイコフスキー:ピアノ協奏曲 第1番
この録音は、チェコ・ナショナル交響楽団が2001年10月~12月にかけて来日ツアーを行なった際、ソリストに起用されたフジ子の協奏曲演奏を3公演ライヴ録音(12月4日、6日&20日)したもので、今回初登場となる未発表音源。
リスト:ラ・カンパネラ(パガニーニによる大練習曲 S.141の3)
「奇跡のカンパネラ」より
「永久への響き」より
「哀愁のノクターン」より
「カーネギー・ホール・ライヴ」より
「フジ子・ヘミングの奇蹟」より
ピアノ:フジコ・ヘミング
指揮:オリヴァー・フォン・ドホナーニ
管弦楽:チェコ・ナショナル交響楽団
録音:チャイコフスキー:ピアノ協奏曲 第1番
この録音は、チェコ・ナショナル交響楽団が2001年10月~12月にかけて来日ツアーを行なった際、ソリストに起用されたフジ子の協奏曲演奏を3公演ライヴ録音(12月4日、6日&20日)したもので、今回初登場となる未発表音源。
5つのラ・カンパネラ
①「奇蹟のカンパネラ」より(録音:1999年6月11日、ビクタースタジオ)
②「永久への響き」より(録音:1999年秋、東京オペラシティ・ライヴ)
③「憂愁のノクターン」より(録音:2000年3月25日、ビクタースタジオ)
④「カーネギー・ホール・ライヴ 2001」より
(録音:2001年6月7日、カーネギー・ホール・ライヴ)
⑤「フジ子・ヘミングの奇蹟」より
(南西ドイツ放送音源 ドイツSWR放送局(旧SDR2)録音:1988年6月)
CD:ビクターエンターテインメント VICC-77001
このCDは、2001年にチェコ・ナショナル交響楽団との共演のライヴ録音で、2006年に発売を予定していたが、当時は条件がまとまらず、発売中止となっていたものを、このほど条件がまとまり、今回、フジコ・ヘミングの代名詞となっているリストの「ラ・カンパネラ S.141-3」の5つのヴァージョンと合わせて追悼盤として発売。
ピアノのフジコ・ヘミング(1931年―2024年)は、日本人の母とロシア系スェーデン人を父としてベルリンに生まれる。10歳から、父の友人だったロシア生まれドイツ系ピアニストのレオニード・クロイツアー(1884年―1953年)に師事。青山学院高等部在学中、17歳でデビュー・コンサートを果たす。また、東京音楽学校(現・東京芸術大学)在学中には、「NHK毎日コンクール」「文化放送音楽賞」など多数受賞。28歳でドイツへ留学。ベルリン音楽学校を優秀な成績で卒業。その後長年にわたりヨーロッパに在住し、演奏家としてのキャリアを積む。1999年2月11日、フジコのピアニストとしての人生の軌跡を描いたNHKのドキュメント番組「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」が放映され、日本で大反響を巻き起こす。その後、発売されたデビューCD「奇蹟のカンパネラ」は、発売後3ヶ月で30万枚のセールスを記録し、異例の大ヒットとなった。第14回日本ゴールドディスク大賞の「クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」他各賞を受賞。その後、1999年10月15日の東京オペラシティコンサートホールでの復活リサイタルを皮切りに、本格的な音楽活動を再開し、国内外で活躍した。2024年4月21日、死去。享年92歳。
①「奇蹟のカンパネラ」より(録音:1999年6月11日、ビクタースタジオ)
②「永久への響き」より(録音:1999年秋、東京オペラシティ・ライヴ)
③「憂愁のノクターン」より(録音:2000年3月25日、ビクタースタジオ)
④「カーネギー・ホール・ライヴ 2001」より
(録音:2001年6月7日、カーネギー・ホール・ライヴ)
⑤「フジ子・ヘミングの奇蹟」より
(南西ドイツ放送音源 ドイツSWR放送局(旧SDR2)録音:1988年6月)
CD:ビクターエンターテインメント VICC-77001
このCDは、2001年にチェコ・ナショナル交響楽団との共演のライヴ録音で、2006年に発売を予定していたが、当時は条件がまとまらず、発売中止となっていたものを、このほど条件がまとまり、今回、フジコ・ヘミングの代名詞となっているリストの「ラ・カンパネラ S.141-3」の5つのヴァージョンと合わせて追悼盤として発売。
ピアノのフジコ・ヘミング(1931年―2024年)は、日本人の母とロシア系スェーデン人を父としてベルリンに生まれる。10歳から、父の友人だったロシア生まれドイツ系ピアニストのレオニード・クロイツアー(1884年―1953年)に師事。青山学院高等部在学中、17歳でデビュー・コンサートを果たす。また、東京音楽学校(現・東京芸術大学)在学中には、「NHK毎日コンクール」「文化放送音楽賞」など多数受賞。28歳でドイツへ留学。ベルリン音楽学校を優秀な成績で卒業。その後長年にわたりヨーロッパに在住し、演奏家としてのキャリアを積む。1999年2月11日、フジコのピアニストとしての人生の軌跡を描いたNHKのドキュメント番組「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」が放映され、日本で大反響を巻き起こす。その後、発売されたデビューCD「奇蹟のカンパネラ」は、発売後3ヶ月で30万枚のセールスを記録し、異例の大ヒットとなった。第14回日本ゴールドディスク大賞の「クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」他各賞を受賞。その後、1999年10月15日の東京オペラシティコンサートホールでの復活リサイタルを皮切りに、本格的な音楽活動を再開し、国内外で活躍した。2024年4月21日、死去。享年92歳。