不易流行

2015年06月03日 | Weblog


年が明けたと思っていたら、もう半年になろうとしているのです。毎日何をしてきたのでしょうか。取り分けて、これと言うようなことは、ほんの数日くらいしかして来なかったような気がします。

 

空を向いていたソラマメが地面を向きました。食べごろです。アブラムシにやられながらも、なんとか少しは食べられるようになりました。

この頃は、作物は少しずつしか作りません。あまり大量に作ると、おいしさを通り越して消化するのが大変ですから。

 

午前中、早めに雨が降り始め、午後には止みました。午前は、朝食が終わってから急いでイチゴを摘み、草むしりをある程度やったら降り出しました。

イチゴはもうおしまいです。今年はまあまあ多めに食べられました。防鳥ネットを被せておいたので被害はありませんでした。

 

昔の喫茶店と違って、今は一人でカフェに行くことはなくなりました。ゆっくりと、文庫本など読むというようなゆとりは無くなってしまったなと、しみじみ思うことがあります。

つまり、精神的にゆとりが無くなったということでしょうかね。若い頃のほうが、毎日がつまらないと思うことは多かったのですが、ゆとりはありました。

 

ゆとりがありすぎると、こういういことになるのでしょうかね。そういえば、座布団の向こうにあるのは電話帳ですが、それを見て思い出しました。

自分はやったことがないですが、今月号の時刻表を買ってきて、じっくりと眺めながら一人で、時刻表の上で旅をする人がいましたね。やてみたいなと思ったことはありましたが、ついついやらないでしまいました。今は時刻表の売り上げはどうなのでしょうか。上がっているのか下がっているのか。趣味も多様化したし、種類も多くなったので、たぶん減ったのではないかと思っています。
書店に行っても、今は何処のブロックに置いてあるのでしょうか。ついぞ、気づいたことが最近は無いです。

いろいろと、物事も流れがありますね。流れ行くと書いて流行と言いますが、流行と言うとこの頃は 「 はやり 」 という意味が強いですが、「 時代とともに絶えず変わり、新しくなるもの 」 と言う意味もありますね。俳句の世界などで、不易流行(ふえきりゅうこう)と言うと、変わらぬものと変わるものという意味になります。