林の管理

2006年04月22日 | Weblog

町や田舎を歩いていると、屋敷の中に大きな木があり、庭がりっぱな家があることに気づくことがあります。中には「保存樹」などと市の指定を受けている、立派な大きな木のある屋敷があります。

森を残そうということは大切なことで、決して間違っていることではありません。しかし、それは第三者の言うことだと思ってしまうことがよくあります。大きな木のある家の者にとっては、それは大きな心配の種です。

          

枯れ枝が落ちます。枯れ枝とは言えども、大木の枯れ枝は太股くらいの太さがあり、重さも相当なものです。落ちてきた大枝に直撃されたら、あたりどころによっては命さえ危ない状態にさらされます。それから、台風や大雪のときには、幹そのものが折れたり根こそぎ倒れたりしますから、その破損した木が家を押しつぶしたり、走ってきた車を直撃する可能性が十分にあります。

いよいよ危ないと判断して、そういう木を伐採してもらうとなると、莫大な費用がかかることがあります。私のかつての同僚は、家の裏にあった大木を1本伐採してもらうのに、30数万円もかかったとか。

          

           ケヤキの木はこれよりもっともっと太かったです。

私のところの場合もそうです。家のすぐ後ろにあった、両手を回しても届かないくらいの大木を数本切ってもらったことがありましたが、30万円ほどはかかりませんでしたが、かなりの費用がかかりました。

             

                    幹を自分で処分  

私の家の裏には数百坪ほどの林がありますが、これをこの数年の間に、計画的に伐採しています。半分は、昨年の冬にシイタケ栽培をしている人が伐採しました。しかし、幹は直径が30cm以上もあって太すぎるので、その部分は私が処分しました。残りを今年の冬に私が伐採しています。危ないところは専門の人に伐採してもらいました。今年出来ない部分は来年やろうと思っています。

   

       柳生 博 さんが番組にでていました。(テレビ画面から)

NHKに「特報 首都圏」という番組があり、「屋敷森」というテーマの報道がありました。都内には、屋敷の中にタヌキが住んでいるほどの森を持っている家があるとか。ところが、それがだんだん持ちきれなくなって、減少しているそうです。少しでも自然を保存しようとしたいのですが、時代が変わり、それができなくなってきているとか。

その大きな理由は相続税だそうです。しかし、それだけでは決してありません。持ちこたえられないのは、管理がたいへんなこともあります。やれ枝が落ちて車が傷ついたから弁償せよとか、倒木が交通を妨げたとか、日蔭になるとか、暗くて物騒なので切ってくれとか、木の葉が飛んできて困るとか、さまざまなことで管理が実にたいへんです。

         

私のところは、木を大量に伐採しましたが、ナラやクヌギの部分は株から芽がでて再生しつつあります。杉や檜の茂っていた部分は、株から芽がでない木なのですが、大木の下から樫や榊類が育ってきています。したがって、自然の破壊をせずに木の処分ができました。数年すれば、また小柄ながらも林の状態に戻ります。

         

もし、そういうことがなかったならば、新たに樹木を植林しなければなりません。それをしないと、一面のセイタカアワダチソウの荒れた草の原になってしまいます。

見て楽しい美しい木立も、管理する人がいないと、大木には蔓が巻き付いて押し倒し、たちまち荒れ野原となってしまうのです。番組では、自然を残す試みをいくつか取り上げていました。しかし、試みの対象に上げられた場所は幸運ですが、その他のほとんどの地域は、どうしてよいか分からない状態のままです。