ノーベル文学賞受賞作家のカズオ・イシグロが子どもの頃に観た、黒澤明監督の「生きる」をイギリスの同時代を舞台にして、イギリスの名優ビル・ナイを念頭に置いて脚本を書いた。
ビル・ナイは今年度のアカデミー賞でも主演男優賞にノミネートされた。
「ラブ・アクチュアリー」や「パイレーツ・ロック」でぶっ飛んだロック歌手ぶりが楽しかったし、歌のうまさも知っていたし、好きな俳優さんの一人。
役所勤めの渋いイギリス紳士を演じるにはこの人しかない!というのは大いに納得。
カズオ・イシグロの「日の名残り」は原作も映画も大好きな作品。ノーベル賞受賞後初作品の「クララと太陽」を執筆中に、この「生きる」のリメイク版を製作する話が持ち上がったという。ちなみに、「クララと太陽」も映画化の準備が進んでいるらしく、原作ファンとしては見逃せない。カズオ・イシグロの作品世界はまだ彼自身が生まれる前の日本やイギリスを描くものから、近未来まで幅広いし、イギリスと日本をつなぐ架け橋のような存在。
余命宣告を受ける、受けないに限らず、残された時間をいかに生きるか。世界共通の永遠のテーマなのだ。先月末に観た「オットーという男」(トム・ハンクス主演)も、「生きる」のリメイクと言えなくもない。こちらはアメリカらしく、周囲を巻き込みながら、にぎやかに、どこかユーモラスなお話しでもあった。
イギリス版「生きる」は若い世代に託された、希望の感じられるエンドに思えた。
若い娘とのかかわりの中で、残りの時間で何をなすべきかを見つけていく主人公。
余命宣告を受けたことをマーガレットにのみ告げる。そしてこのマーガレットがなかなかに思慮深く、ウィリアムズの気持ちを受け止め、葬儀の席でも息子に礼節を尽くしているのがいい。やがて、新人職員のピーターと共に、ウィリアムズをしっかりと伝えていく立場になる。イギリス版はこの若い二人を通して、未来を見せてくれる。
私は小田切みきの「若い娘」よりもマーガレットに好感を持ったが、主人公の気づきの舞台背景そのものは日本版がいい。にぎやかな誕生日パーティーとの対比は泣かされた。
小ネタ集ができるのではと思えるくらい、黒澤版へのリスペクトとともに、今作品にはユーモアが感じられる。
1950年代のイギリスにも「UFOキャッチャー」があったのか。ウサギのおもちゃがここにも登場。
妻を見送る霊柩車の思い出も、帽子を奪われるシチュエーションも同じ!もちろん、役所の仕事ぶり。山のように積まれた書類の数!部署をたらいまわし!
遊び場ができ、子どもたちが楽しそうに駆け回る、夕飯だよと呼ぶ母親の声も。昨年の「ベルファスト」の冒頭にもあった、世界共通の夕方の街角。
「生きる」といえば、♪命短し、恋せよ乙女~♪の「ゴンドラの唄」!
ではなく、スコットランド民謡の「ナナカマドの木」が取り上げられた。ビル・ナイはロック歌手を演じたくらい、歌もうまい。亡き妻との楽しかった日々を思い、朗々と歌い上げる酒場、そして完成した遊び場で雪の舞い散る中、ブランコを揺らしながら楽しそうに歌う。
志村喬が最初に歌う「ゴンドラの唄」はやはり自らの命の短さを思い、悲しい響きで歌う。だから、ふざけて膝に乗っていたホステスも不気味さを感じて離れていってしまった。
雪の降る夜ふけ、ブランコの主人公を見かけた巡査の告白は、通夜の席ではなく、若い新人職員のピーターにだけ語られる。「とても楽しそうだったから、声をかけるのをやめてしまったが」と後悔する巡査。ピーターは「彼は幸せだったのです。声をかけなくて良かったのですよ」と語り、巡査は安心して去っていく。そして、「THE END」、久しぶりに観た。これぞ映画だわ!
黒澤明版の「生きる」は実はラストシーンくらいしか印象がないまま、リメイク版を観賞したのだが、1週間後、日本映画専門チャンネルで黒澤版を観る事ができた。字幕が無いし、セリフが聞こえにくい欠点はあったが、放送してくれたことに感謝である。午前中にテレビで観た直後、リメイク版をもう一度観たいと火がついてしまい、夕方急遽車を走らせた。
名作は過去のものでなく、リメイクされ、新しい命が吹き込まれる。そうやって、古典になっていくのであろう。黒澤版も原案はトルストイにあるという。新旧の両方を見られたことも良かった、いや、この文章を書くにあたっては、かえって重荷になったことは事実。正直に告白しとこうっと。
(アロママ)
原作作品:黒澤明「生きる」(1952年)
監督:オリヴァー・ハーマナス
脚本:カズオ・イシグロ
撮影;ジェイミー・D・ラムジー
出演:ビル・ナイ、エイミー・ルー・ウッド、アレックス・シャープ
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