チョイさんの沖縄日記

辺野古や高江の問題等に関する日々の備忘録
 

京都新聞に梅里雪山の大雪崩の写真

2011年04月23日 | 梅里雪山

 3月の梅里雪山行には、京都新聞のF記者が同行されたが、彼女の「カメラは見た---京大登山隊遭難の地を訪ねて」という特集記事が、23日(土)の京都新聞夕刊に掲載された。

 中央には、あの大雪崩の写真。すごい迫力だ。

 「友の眠る山 京大登山隊遭難20年」という連載は、27日の朝刊から始まる。

 以下、文章部分を転載する。

「絡まりあった真っ白い龍が、ゆっくりと山肌をなめて下界へ降りてくるようだった。ごおっと一瞬地鳴りが聞こえたと思うと稜線が白くけぶり、みるみるうちに巨大な固まりに成長した。奇妙な静寂の中、山の形だけが変わっていった。20年前の再現を見ている気がした。

 京都大学学士山岳会を中心とした日中合同登山隊は、1991年1月、中国雲南省の梅里雪山(6740m)に初登頂しようとして遭難し、17人が亡くなった。第3キャンプ(5100m)で、予想外の大雪崩に巻き込まれたとみられている。

 遺体は7年後、奇跡的にふもとの明永村の氷河から発見された。遺体捜索から始まった村と山岳会の交流は今も続き、元村長の娘は昨春、同志社大学に留学した。遺族や村の20年間を追いたいと思い、娘と隊長の親友だった男性とともに3月中旬、村を訪ねた。

 村の朝は、一家の主が「カワカブ」と呼ばれる山頂に向かって祈る声で始まる。寺では長老たちが泊まり込み、マニ車を持ち五体投地を繰り返した。遠くラサから足をひきずりながら巡礼する老夫婦にも出会った。山が信仰の対象として日常に深く根付いていた。「聖なる山に登ってはいけない」。彼らは口をそろえた。

 カワカブは雲に覆われ続けていた。一目見たい。ようやく晴れた5日目の早朝、前景が見える峠(3800m)に登った。頂から広がる山脈に息をのんだ。何千年も人間の営みを見守ってきた姿。生きる苦しみをすべて昇華し、喜びに変えてくれるかのようだった。

 その瞬間だった。雪崩が発生し、登山隊が巻き込まれた第3キャンプのはるか下、ベースキャンプを張っていた放牧地(3500m)まで達した。数分だった。雪崩は裾野の雨崩村まで飛び、村人たちは「こんな大雪崩は初めてだ」と叫んだ。

 聖山は、優しさとともに圧倒的な厳しさを持っていた。同時期、日本でも未曾有の大震災が起きた。人間の英知が決して及ばないもの。カワカブは、私たちに何かを伝えようとしたのだろうか。(文化報道部 藤松奈美)」

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