チョイさんの沖縄日記

辺野古や高江の問題等に関する日々の備忘録
 

外国からの訪問者が相次ぐ辺野古ゲート前から本部(塩川)港へ

2019年10月30日 | 沖縄日記・辺野古

 10月30日(水)は、辺野古ゲート前から、午後、本部(塩川)港へ。

 辺野古では、朝からインドの人たちや世界ウチナンチュ大会で来沖されたハワイからの人たちが相次いで参加され、国際色豊かな1日だった。私も指名されてマイクを握ったが、その話の内容については明日、報告したい。

(ハワイからの日系2世、3世たちが10名ほど参加。ハワイの州旗には、イギリスのユニオンジャックがデザインされていることを初めて知った。)

 インドからのグループも。伝統的な楽器で見事な歌声を聞かせてくれた。

 インパールの平和資料館にかかわっておられる方からの説明もあった。第二次大戦の末期、インド北東部のインパールの制圧を目指した日本軍の無謀な作戦のために、飢えや病気で3万人以上の死者を出した。撤退路は「白骨街道」と言われる。そのインパールに平和資料館が建設されたのだが、南風原文化センターの元館長らが、再三にわたって現地に通い続け、展示方法のアドバイスをされたという。

               (シュワブの工事用ゲート前)

  午後は、本部(塩川港)へ。先週1週間、「集まれ辺野古 大行動」のために土砂搬送が止まったためか、防衛局は昨日から海上搬送のピッチをあげている。30名ほどの人たちがダンプの前で抗議行動。30分以上経過してやっと機動隊がやってきて強制排除が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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