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青島留学老人日本生活記

留学後日本の生活記

旅行 九江~黄山 ① 5月15日

2015年05月22日 | 旅行

22日 朝 無事宿舎に帰り着きました。

山登りを含んだ観光はとても疲れましたが、手作り旅行のハプニング

もあり、結果的に楽しい旅行でした。

ここ数日掛けて 紹介していきます。

 

15日 金曜日夕方出発

22日 早朝帰宿舎の 車中2泊 ホテル5泊の 一週間の旅行でした。

 

先ず 行程の紹介

汽車で青島から 地図では左中央の九江市へ (江西省の北部)

九江から120K東の景徳鎮 

景徳鎮から北東160K 黄山市 (屯渓)

黄山市から北東230K 杭州へ の行程です。

 

15日 ①

宿舎発15:30

青島駅まで最近の地下鉄工事と車の普及で小一時間ほど掛るのである。

汽車に乗る前に早夕食を摂る積りで早めに宿舎を出る。

夕食 16:25

以前食べて美味しかった駅前の 悦来粥店で

 

栗粥 8元

 

鶏肉甘煮28

 

鶏肉レモン味煮32元

とても食べきれず 打包で車中持ち込みである。

近くのコンビニで、車中朝食用パン、ジュース等買い込み(16元)

青島駅17:10 手荷物検査を受けて構内に入る。

 

17:15 待合室到着

ここで私達が乗る汽車の行先が判る。 ベトナムに近い広西壮族自治区の

南寧である、 南寧までだと汽車で二泊必要だろう。

 

17:30 改札開始

 

地下の待合室から ホームに上がります。

18両連結してるのでとても長いです。 機関車が見えません!

軟卧車は真ん中の9,10号車です。

切符には17;46発とありますが、いきなり 4分遅れの

17;50 出発です。 今回の旅が始まります。

 

車窓より

青島の市内を抜けると夕陽が現れる。

 

同室のお客さんは 子ずれの兄妹で 以前牡丹見学に行った荷泽市16日

2;30着で降りて行く、その後は個室には私達だけである。

 

 

 

 

 


旅行 敦煌8-2

2014年09月22日 | 旅行

10日 9:45 西安駅に到着

何と雨が降っている。

 

駅の通路に西安の地図を掲げてある。

西安駅の位置は四角い城壁の右上である。

青島行に乗り換えるまで二時間足らずで 近辺の城壁の上から西安の

街並を見る予定だっだが 生憎の雨! 

中国では 汽車から降りると一旦 外に出なければならない。

傘が無いと歩けない状態である。

出ると直ぐ 傘のセールスに会う。 折り畳み傘 ”10元で買わないか?”

観光を諦めたので 買うのを止めて、遅い朝食場所を探す。

駅横に小吃部が有ったので入る。(お客が少ない)

キャベツ炒め 12元 トマト卵炒め 12元

これは高いのではないか? 味は塩辛い! お客が少ない筈だ。

これは失敗だった。 家内は口にしない。

 

食事が終わると 雨の中 並んで再び構内に入る。

 

待合室で休み 売店で食糧 ジュースを少し買い込む。

12:00 改札が始まり

軟臥車に乗るにも切符の確認が必要である。 8号車であり、先頭方面に

機関車が一台で牽引する、反対側に更に8輌繋がっている。かなり長い

列車になる、カーブ走行時 最後部から機関車は見えない。

同室の客は 青島在住の子供連れの夫婦で 仲秋節旦那の故郷の西安

に帰り本日青島に帰るのだそうだ。

定刻の 12:17 出発 約24時間かけて青島に着く。

車窓からの風景は 一変し 緑が多い。

 

15:20 霊宝駅到着 谷合の田舎街の様だ。

 

16:00 三門峡駅; このあたりも雨である。

ホームに迷彩色の団体が並んで汽車の到着を待っている。 西安、蘭州方面か? 辺境守備隊か?(西域が騒がしい)

 

 

17:55 洛陽到着 時間的に夕食の屋台が出ている。

鶏腿の照焼きが美味しそうで一本買う (10元) マーマーの味であった。

 

 19:35 鄭州着

 

 これから先は爆睡で記録無し

済南は明けて 6:20 到着 

済南から青島まで 5時間掛る。距離は340K程?

 

9:38 高密駅 ここまで来ると 青島は近い。

 

11:18 やっと青島駅に到着です。

 

長い汽車の旅も無事終わりました。

汽車代も含め 今回の旅行総費用は 7100元で終了。一人当たり

58000円である。(日本から敦煌ツアーは20万?位はするのかな。)

 

宿舎には12時過ぎに到着です、昼食を摂り 昼寝の時間も無く

留学の申請に並ぶ。

 

 


旅行 敦煌 8 帰路

2014年09月21日 | 旅行

日 帰路に着きます。

敦煌駅9:31発で時間はゆっくり出来るのだが、早朝に目が覚める。

7時 斜め前の店(淑琴舗)で粟粥と餅で朝食とし、

 

8時前にチェックアウトする。この時押金200元が返ってくる。

 

ホテル前でタクシーを捕まえるが 駅と言うとメータで走らない、30元だと

言う。先日乗った包車でも20元であったのに だ!

高いのでやめようとすると ”協定価格なので他のタクシーも同じだ”と

言います。 観光客目当ての価格設定の様だ!(こんなことを許していいのか?)

まー兎に角 駅に早めに行きたいのでOKして乗り込む。

8:05 運転手がスピード出すので10分足らずで着く。

 

駅の正面は莫高窟へ行く道が一直線に延びている。

 

例の如く 切符、身分証明証を確認し 手荷物検査して構内に入る。

一時間以上前に着いたので待合室は未だガラ空きである。

 

9:10 改札が始まる。

西安行である 10日 9:40 到着の予定 約24時間の旅である。

 

 

新装の敦煌駅のホームは行止まり駅であるが 一つしかない。

 

定刻9:31発車、敦煌の街を出ると砂漠の中を走る。

 

軟臥車の隣は食堂車になってる。(一度も食堂車で食事したことは無い)

 

私達はパンと果物 ジュースを持ち込みである、中国人は殆ど カップ麺を

持ち込んでいる。

 

街に近づくと緑が増えてくる。 と言う事は 緑が増えてくると街が近いと

言う事である。

 

最初の停車駅は瓜州である。

 ここから敦煌線が分岐する、敦煌線が出来る前は柳園駅が敦煌の玄関口であったが、この駅から100K近くも離れていたのである。

 ここから同室の客 ;孫(西安の大学)と婆さんが乗り込んでくる。

 

ホームに車内販売用か? お土産か?

瓜州蜜瓜;ここの特産品であろう。

 

又しばらく荒涼とした中を走る。

 

突然風力発電 の群れが 半端な数量でない!

砂漠のなかでは有力な手段だ。

一つ一つは微力でも 集められた先から高圧線が延びている。

 

砂漠の中の川を横切る、なんと!水が流れている 勿論 黄土色である。

 

15:10 酒泉到着 ここまで5時間以上掛る。

来る時は此のあたり爆睡してた地区である。

来るとき同室のおばさんが下りたところである。

こんな田舎町でも再開発か?

 

トウモロコシ畑が広がってくる 次の街が近い。

 

17:00 張掖駅到着

 

乗降客が多い

時間的にホームに屋台が出ている。

 

この辺りまで来ると 祁連山脈の麓 谷間を走るので風景が変わる。

 

 

 夕陽は祁連山脈に沈む。

 

 

 

19:07 金昌着 この時間でも未だ明るい

 

以下 武威までは覚えている20:00-

蘭州駅23:10 天水にも停車したと思うが爆睡中

明けると西安である。

 


旅行 敦煌7-2

2014年09月20日 | 旅行

更に 西域路を東に進むと 鳴沙山に行く鳴山路を横切る。

 

途中案内板の 清代糧倉を見て →の方向がホテルと同じなので立ち寄ろう

と思ったがその後の案内板が無く 通過したようだ。

 

沙州市場の南口を過ぎる。

ここは午後の観光が済んだ後 寄る事にしている。

 

水の無い水路を渡るとホテルは近いので 12時には早いがホテルで

休む事にする。

途中 餅屋で 昼食と思い店に入ると 

南瓜餅を焼いており 他の餅は未だ焼いてない との事で 大きいとは

思ったが焼き立てで美味しそうな匂いがしている。 10元

隣のスプライトの瓶と比べても分かるように、 失敗である。

汽車の中でも とても食べきれず 宿舎に帰っても食べた!

 

12時前だったが 昼食を済ませ 恒例の昼寝をして

14:00 博物館に向かう、

ホテル前で タクシーが捕まった。 5,6分 5元である。

場所は 鳴山路で市内と鳴沙山の中間より市内側。

入場料は只である。ゆっくり見学して 二時間程度。

 

 中に入ると巨大な壁画が迎えてくれる。

 

 

 床に年代順の歴史;

 

 シルクロードの案内

 

烽火の案内

  敦煌から一日半で西安に届くそうである。

 

 班超の遠征図

 班超の進軍

班 超(はん ちょう、32年 - 102年建武9年 - 永元14年)中国後漢軍人仲升(ちゅうしょう)。雍州扶風郡平陵の人。封号定遠侯。父は班彪、兄妹は兄の班固、妹の班昭。子は長男の班雄と三男の班勇(字:宜僚)ら、孫は班始(班雄の子)。西域(現在の新疆ウイグル自治区あたり)から北匈奴クシャーナ朝を追って後漢の勢力を広げ、その後は西域都護として長く西域を保持した。『後漢書』では「燕頷虎鬚」と描写される

 

 

 敦煌初期の交脚像の紹介

 

日本語の紹介もある。

 

 

 

 

 唐代の代表的な石窟の紹介

 

清朝末の写真と比較

 

 

 

 

 

 

最後は土産売り場で物色

絹に書かれた 双飛天 (天女が二人で飛んでる) 敦煌の代表的

壁画であるが高くて(600元)手が出ない 掛け軸様に仕上げているのは

もっと高い。

 

15:50 市内に戻る途中見物するような場所があるか?博物館の職員に

聞くが、” 没用 (無い) ” 一言で終わり!

博物館出発 、歩いて市内に戻る。

 

敦煌市漢方病院が目に入る

診察室が 外の道路の横に!

 

 

沙州路を北に歩くと 沙州市場がある。

横から入ったので

無公害農産品市場  ”こんな看板あげていいのかな?”

 

ここで 菊茶を買う 二両(60g)で25元

(一応値切ったが高いか?安いか?不明)

 

正門に行き 改めて 入る。

 

 

 5時過ぎ 夜市の食堂街で夕食の準備を始め出した。

夕食として回族が良く食べる串焼きを頼む。

 

 

 羊肉 8元x3 牛肉 10元 観光客用の価格なのであろう。(味は良し)

メニューに焼餅と有ったので主食として頼む 20元

 

こんなのが出てきた。

食べきれず 打包;(持ち帰り)する。 汽車の中の主食となる。

 

ホテルの帰り道 清真寺の表示が有ったので寄り道をする。

イスラム教のモスクである、中に入れる雰囲気ではなかったので外から

パチリ!

ホテル 17:45 着  これで敦煌の観光は終了である。

旅の最後は又 長距離列車で二泊の旅である。

 

 

 

 

 

 

 

 


旅行 敦煌7 市内観光

2014年09月19日 | 旅行

9月 8日; 敦煌の主だった場所は観光したので この日は市内をゆっくり

観光する。

朝食は昨夜の打包で済ませ、8:30出発。

事前にカウンターで何処を見学すればいいのか聞いたが的確な答えが無く

結局は地図で調べて取り敢えず ”敦煌楽園 ” 名前が凄いので取りあえず

覗く事にし 地図では場所は分かるのだが距離感がつかめず 散歩がてら

近くのバス停を探す。

近くの建栄市場

ホテルはこの市場の裏手に当たる。

隣にバスセンターがある。

長距離用のバスセンターで 結局市内バス停は判らず 丁度 来た

タクシーに乗る。

5分で 8:40分 敦煌楽園に着く 基本料金の5元

ここは市民憩いの公園である。

色々な活動をしている

太極拳

 

 

 

 

 

日中友好の碑

参加者の名前に橋本聖子 河村建児の名前がある。

 

 

 

この公園は東西に長く ここが正門の像であるようだ、とすると私達は

裏門から入場したのかな!

 

門を出ると丁度タクシーが来る。

沙州古城へ行ってくれ。”   運転手;” そこに行っても何もないよ!

月牙泉へは行ったのか?”

既に観光し終えたと言うと 車を出した。

5,6分 5元で到着;

 

 

 

地元の市民には興味無いかも知れないが 歴史的価値はあるところで

ある、が 残念な事に周りは開発されビルがどんどんできている。

一周して15分足らずで終わる。

タクシーに乗った感じでは市内はそんなには広く無い様で、ゆっくり散歩

しながら市内観光をする。

20分程で 党河畔に着く。

ダム式の浅い川を造りその横に運河を併設している。

運河には黄土を含んだ水が勢いよく流れている。

砂漠の中で驚きである。この水は灌漑用に幾つも分岐して敦煌の街、周辺

を潤している、 砂漠の中で消滅するのか?黄河に合流するのかは判らない

東屋で小休止の後

橋を渡り河畔沿いを散歩し 天潤花園を目指す。

 

 

市内はホテルが林立しており流石観光で成り立っている街だ。

以前は日本人観光客が多かったが ここ数年減少傾向だ と昨日のガイドはため息をついていた。

 

河畔には高級ホテルが。

 

 

 

露店市場を抜けて

 

天潤花園へ到着;

ここで又失敗!

 

なんとマンション小区の名前だった!

 

 


旅行 敦煌6 陽関

2014年09月17日 | 旅行

砂漠の中で昼食を取るような店が無く 車中でパン、バナナで昼食替わり

とし、砂漠の中を陽関に向かう。

約80分で陽関に到着;

ここはシルクロード南路の関所である。

保存地区らしく 関所跡まで近づけない。

陽関古城を観光用に建設し 資料等を展示しているが、歴史が無く

入場料60元 割引無しを聞いて入場する意欲がなくなる。

 

結局 陽関の写真を撮って終わりとする。

歴史的には要所であるが観光資源が乏しい。

 

そこそこにし、敦煌古城に向かう。

ここも市街地西に新しく作られた観光地である。

映画”敦煌”のロケ地として利用したところである、それ以来 中国映画、

韓国ドラマ等 のロケ地に利用される。

学割で半額の20元で入れる。

 

敦煌が西夏から攻められた時代を模写している。

当時の武器

街並を復元している

 

茶屋

 

 

食堂;

 

裏門

 

 

酒屋

 

一角に ”敦煌”のスチール写真を展示している。

敦煌』(とんこう)は、1988年6月25日公開の日本映画井上靖の小説「敦煌」を映画化したものである。日本アカデミー賞・最優秀作品賞・監督賞受賞作品を受賞(1989年)。

佐藤浩市 西田敏行 渡瀬恒彦 中川安奈

彼等が若い!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

韓国ドラマが使用した一角

 

お寺まで再現している

 

約一時間の見学で

本日の観光を終えて 15:20 ホテルに帰る。

遅い昼寝のつもりが 夕食も食べずに眠りこんで一日が終わる。

 

 


旅行 敦煌5 玉門関

2014年09月16日 | 旅行

7日は少し距離のある、玉門関、陽関を見学します。

途中に 西千仏洞、敦煌古城があるので寄ることにしました。

それで運転手は8時にホテルに迎えに来ました。

昨夜の夕食を打包してたので それで朝食代わりとして済ます。

最初に給油です、

この車はガソリンと天然ガスどちらも使用できるようになってます。

で、今回はガスの補給です、スタンドでは同乗者は車から降りで

スタンド敷地外れで給油が終わるのを待ちます。

安全確保の為です。

 

補給が終わり 西に向かって走ります。

遠方の山の頂に残雪が見えます。こんな砂漠の中で雪山!

思いもかけない光景です。

(この写真では判りずらい。)

 

 

 砂漠の中の一本道を西に進む。現代では(一般道であるが)90K走行である

が 古代は5K程度か?

 

 8:40 敦煌の洞窟群の一つ 西千仏洞に着く

 

 老人割引は中国人だけの適応だが、留学生の割引で半額(15元)

になる。

案内板を見ると 外人観光客40元 中国人30元と差を着けている。

ここでの開放窟は 第3窟~第7窟の5ヶ所  勿論勝手に入れない。

ガイドが着くのであるが、二人だけでは案内なく少し待つと 二人組が

来たので一緒に見学が始まる。

ガイドが一つずつ鍵を開け閉めし、勝手に入れない、しかも洞内撮影禁止

4人なので隠し撮りも出来ない。40元で案内本を買う。

時代も仏像、壁画は莫高窟とほぼ同じなので写真は割愛する。

 

 幹線道路から右折、北に向かって砂漠の中をしばらく走る。

 

突然 一般道路の中央に料金徴収所 

ここで観光料を徴収する。3か所通し券である。

 

  学割が効かず 40元  現代の関所である!

 

 最初に河倉城の観光をする。 玉門関東方5K 食料貯蔵城である。

 

 

 

 

 

 

風化され このような形で残って居る。

 

続いて玉門関に戻る。

 玉門関

関の北西部川があり一部水を保っている。 故に 関を設け兵士を駐在

させたのであろう。

 

 

 

水の周りは草原になっている。

 

 

内部に入ることが出来る。

内部から外を見る。

意外と狭い関所である。

 

次は

7K程西にある 漢長城遺跡;

 

 

これで玉門関地区の観光を終え11:45 陽関に向かって出発。

 

 

 


旅行 敦煌4 鳴沙山

2014年09月15日 | 旅行

6日 莫高窟の観光が終わり、ホテルに帰る。

昼食はホテルの1階レストランで摂る積りが 店内は貸切り状態で大宴会

の開催中で 止む得ず 近くのレストランを探すが適当な店が無く 小吃店

にて炒面を食べて昼食とする。

昼寝の後

16:00 運転手が迎えに来る。

午後の観光は 白馬塔から始める、市内の西南にあるが車だと6,7分

程度で着く。

 

16:10 白馬塔観光門票 15元  (老人割引なし)

 

解説; 伝説によれば、前秦の384年 西域で有名な経翻訳の大家クモロスは長安で経を講ずる為に

白馬に乗って山を越え 川を渡り、多くの苦難を経て沙州(今の敦煌)に来た。

クモロスは沙州に着くと普光寺に泊まった。この白馬は天馬であったが病死した。クモロスは心を痛め

、白馬の為に祭壇を設けて9日間祀った、また経を講じて資金を集め、普光寺の境内にこの白馬塔を

建てた。塔は9階に分かれ、そよ風が吹くと塔の頂上の鈴の音が悠揚と伝わってくる。

この音がクモロスが残した呟きの余韻であると人々は語っている。

 

現在は普光寺は無く 隠壁とこの塔しか残ってない。

観光客は私達二人だけであった。

これだけなので 15分で観光が終わる。

 

ここから鳴沙山は市内の南、15分も掛らず 到着する。

入口の案内板;

16:30 学割で120元が半額の60元になる。  二人だと120元安くなる

これは有難い。

 

入場すると直ぐに靴カバーの貸し出しが目に入り砂漠の中を歩くつもりで

借りる。 15元

準備万端で園内に入る。

 

早速 駱駝に乗る観光客が目の前を通る。

砂漠の中の駱駝! 月の砂漠状態である。

私達は 歩いて砂漠に入っていく。

 

細かい砂で埋まりながら歩く!

稜線に沿って登り始める、見た感じ 大した角度では無いのだか、実際登り

始めると 結構急な登りである。

既に 登ってる人々が先を行く、 我々はゆっくり砂漠を楽しみながら登る。

 

17:00 少し高度が上がると 稜線に私達の陰が伸びる。

砂の粒子が細かいので稜線から流れ出す。

 

30分程登ると 砂漠の中のオアシス 月牙泉が見えてくる。

砂漠の中に泉が湧く、どうしてだ! この目で事実を見る。

 

振り返ると入口、遠方に敦煌の街並が見える。

私達の後にも続いて登ってくる。 ん?裸足になってる、砂が焼けてるのにーー

写真では解り辛いが両側は結構急坂で 足を滑らすと下まで落ちて行き

そうなのである。

隣の山は侵入禁止地区で稜線が奇麗に保たれている。

 

 

17:30 百歩ずつ数えながら やっとピークに着きました。

月牙泉を踏んでます。足の弱い家内は良く頑張って登って来ました。

これから更に 稜線が伸びており 次のピークに繋がってる。

歩いた後が奇麗に残って居る。流れるように細かい砂である。

 

私達が登ってきた所を一団が列をなして登ってくる。

 

次のピークは諦めて 途中から月牙泉目指して一気に下る。

家内は立っては下れず腰を下ろし滑るように降りてくる。

 

18:10 月牙泉では太陽が山に吸い込まれるような景色である。

 

月牙泉超しの鳴月閣 

 

問題86の解答 この時期夕焼けは20:00頃で4時に出発すると

夕焼けが見れるまで時間が掛る

19:10 鳴月閣で大休止、時間調整する、やっと 夕陽が沈み始める、

残念ながら 雲一つない晴天で夕焼けが出ない。

 

 

東側では西陽に照らされた稜線の上に 13夜  8日が仲秋の月である。

 

なかなか沈まない夕陽を後に ホテルに帰る。

 

夕食は昼食べ損ねたレストランで 

糖酢脊里

青椒肉丝

トマトサラダ

 

早朝敦煌に着いてからの観光で昼寝着きだったが些か疲れ

シャワー後爆睡でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


旅行 敦煌4 莫高窟

2014年09月14日 | 旅行

今回の旅行、最大の目玉ー敦煌莫高窟に向かいます。

旅行に行くに先立って 《NHK特集 シルクロード 第三集 敦煌》

を再度見 窟の番号と年代を控えて 現場で見学の資料としていた。

 期待度がかなり上がっていた!

 

 市内から東へ敦煌駅に向かい 駅前を右折すると 正面に見える山脈に

向かって一直線に砂漠の中を進む。

 

砂漠を見ると敦煌まで来た実感が湧く!

 

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莫高窟・西千仏洞・安西楡林窟・水峡口窟など600あまりの洞窟があり、その中に2400余りの
仏塑像が安置されている。壁には一面に壁画が描かれ、総面積は45,000平方メートルになる。
敦煌石窟・敦煌千仏洞と言った場合、広義ではこの全てを含むことになるが、歴史・規模・内容
全てに渡って莫高窟が圧倒しているために敦煌石窟・敦煌千仏洞と言った場合でも莫高窟のこと
を指すのが普通である。    
作られ始めたのは五胡十六国時代に敦煌が前秦の支配下にあった時期の355年あるいは366年
とされる。仏教僧・楽僔(らくそん、僔は人偏に尊)が彫り始めたのが最初であり、その次に
法良、その後の元代に至るまで1000年に渡って彫り続けられた。現存する最古の窟には5世紀
前半にここを支配した北涼の時代の弥勒菩薩(みろくぼさつ)像があるが、両脚を交差させて
いるのは中央アジアからの影響を示している。それ以前のものは後世に新たに掘った際に潰して
しまったようである。窟のうち、北部は工人の住居となっており、ここには仏像や壁画は無い。
       
壁画の様式としては五胡十六国北涼、続く北魏時代には西方の影響が強く、仏伝・本生譚・
千仏などが描かれ、北周・隋唐時代になると中国からの影響が強くなり、『釈迦説法図』など
が描かれるようになる。期間的に最も長い唐がやはり一番多く225の窟が唐代のものと推定され、
次に多いのが隋代の97である。北宋から西夏支配期に入ると、敦煌の価値が下落したことで数
も少なくなり西夏代のものは20、次の元代の物は7と推定されている。この頃になると敦煌は
まったくの寂れた都市となっており、以後は長い間、莫高窟は忘れられた存在となる。
この莫高窟が再び注目を浴びるのが、1900年の敦煌文書の発見によってである。詳しくは敦煌
文書の項を参照。しかしその後も莫高窟自体にはあまり注目が集まらず、その価値が認められ、
保護が行き届くようになるのは中華人民共和国成立以後のこととなる。

 

 莫高窟が見えてきました。

8:30分 入園する。早いので未だ団体、ツアー客は来てない。

 入場券 大人160元 世界遺産での入場料は押しなべて高くなっている。

老人割引があって大いに助かるのだが、ここは適応なし、そこで学生証を

見せて半額にしてもらう、ところが私は宿舎に置いた荷物の中に学生証を

入れておいたので割引の対象にならなかった。ミステイクである。

結局 家内は半額の80元プラス 中国語ガイド付き+20元の 100元

小生は 中途半端な割引 120元プラスガイド料20元の 140元

この40元の差は大きい 食事一回分である。

 

ここで問題が発生;

答え;自由に見学出来ない!

窟の中に入るには 必ずガイドと一緒でなければならない

ガイドが鍵を持っており 案内する毎に窟の開け閉めをして文化財を

保存している。雇用の確保も兼ねている。

しかも日本語のガイドを頼むと特別料金、しかも 数人日本人が集まるまで

中に入れない。 日本人ツアー客なら問題なく日本語のしゃべれるガイドが

着く。

日本人の個人客が来るのか?

迷うことなく中国人客15,6人と一緒のグループになり園内に入る。

 

予備知識で行きたい窟に入れる訳ではない! ガイドが時代の代表的な

窟を選んで説明していく、 しかも駆け足!

窟内の写真撮影は禁止!

是だけの観光地を一時間半足らずで終了である。

何とも勿体ない!そこで別のグループに紛れて見学するが、私達が見学

した窟とは違う窟だ。 一か所の窟に集中し混雑を回避するためか?

選択の基準が良くわからない。

結局写真集の購入が必要になる。

観光資源の開発が凄すぎる!

 

最初は中央部に位置する大仏洞

 

中に入ると 照明が無く ガイドが懐中電灯で照らしだし説明がある。

拝借写真

 

 

 

懐中電灯に照らしだされた涅槃像

 何番窟か混乱し判らなくなりました。

 

暗い中で浮かびあがるととても神秘的です。

 

拝借写真;

 

右から二番目の菩薩像の拡大

 

16,17窟

ガイドが鍵を開けグループで中に入る。

ここはNHK特集でやってた窟で 窟の通路にもう一つ窟(17窟)を発見した

所である。

 

補修工事を終えた窟群 昔観光した人には激変の思いでしょう。

 

補修中の窟;

 

 

広い園内で窟番号と写真が混乱して詳しく紹介出来ず申し訳ないです。

 

有名な仏像です が 何番窟か混乱してます。

 

撮影禁止なのでこれくらいで止めときます

 

流砂が酷いらしく半分埋まったように見える。(最初からこんな作りなのか?)

 

莫高窟の前を流れる河  護岸工事は終えているが河に水がない

 

莫高窟を出ると

資料館が併設されている

中に代表的な窟を複製して展示している。

中でも 実際に見学出来なかった 初期の交脚像の紹介がある。

 

 

最大の目的地が駆け足ではあったのは残念だったが、見学を終えて

運転手の待ってる駐車場に向かう

12:10 莫高窟発  ホテルに帰り近くの食堂で昼食を摂り 

13:00 昼寝で休息である。

 

 

 

 

 

 

 


旅行 敦煌4(莫高窟)

2014年09月14日 | 旅行

9月 6日 土曜日

6:48 新装なる敦煌駅に到着です。(正味車中;約50時間の旅でした)

 6:50 やっと 白み始めました! 青島と時差は一時間半以上

ありそうです。

 

人の流れに乗って出口に向かいます。

 

駅の外に出ると

(横断幕に敦煌号が7月10日 就行とある)

 

 周りには新しく植えられた樹木以外何もない!

出来たばかりのままで、未だ開発されてない。

(手作り旅行の際は何時も駅周辺のホテルに泊まることにしてるので)

駅員さんに周りにホテルは無いか?聞くが 鉄道賓館が一軒あるだけ、

と言う。

どんな?環境か? 下見に向かうと、

 

 包車;(観光チャター)の運転手が

声を掛けてくる。

家内のアドバイスもあり、ここで考えを変える。(3日も不自由な駅周辺に

泊まるより市内の方が便利)

そこで運転手の話に乗る。先ずは ”市内へ行くのに幾ら?“ 

” 30元だ!” 距離感は判らないが 先ず第一声は ”えー 高いよ

と歩きかけると、 ”20元でどうだ!”  10元も下がった。

それで運転手に就いて行くと 駅横の駐車場に観光会社の7人乗り

ボンゴに案内される、当然 相乗りかと思ったが、すぐに出発である。

えー 何時もとちがうー

 

駅と市内は10Km程であろうか?

地図で確認すると 新しく出来た敦煌駅は空港の近くで 莫高窟の

正面方向約15Km 出来た当初は当然砂漠の中か!

 

車中で運転手の営業が始まる!

運転手は自分で回族だ、この観光会社の社員だと 自己紹介をする。

泊まる所はあるのか? 何日滞在するのか?

何処を見学したいのか?

やや聞き取り辛いが 標準語で会話する。意思の疎通には問題ない。

 

信用出来そうなので(家内はこの点敏感である) ホテルの紹介、

初日の観光コース、二日目の観光コース等 細かい内容を検討し

6日; 莫高窟; 白馬塔; 鳴沙山 400元(市内まで20元、ホテル紹介を含む)

7日; 西千仏洞; 玉門関; 漢長城; 陽関; 敦煌古城 600元

相場は判らない、少し高いのかいな?と思いつつも OKを出す。

 

市内に着くころには明るくなり 市内の東寄り、バスセンターの近くの

ビジネスホテルに案内される、予算は事前に200元程度と伝えていたので

先ずは部屋を見て決めろ との事である。

このホテルも出来て未だ間が無い様である。是で 200元ならOKである。

 

開泰商務酒店 前に停車中の車が観光会社の7人乗りボンゴである。

 

 

是で ホテルも決まり 帰りの切符は押えているので安心して観光が出来る。

 

 部屋に荷物を置くと 次の指示はホテル斜め前の食堂で朝飯を食べろである。

 運転手も朝飯は食べてないので一緒に食べる。

粟粥2元、と ナンに似た野菜入りの焼き餅一枚2元(三人の朝食が10元)

これが回族の朝食何だろうか?

 

 

朝食が終わると 早速 8時;莫高窟に向かって出発である。

早いと思うが、どうやら昼休みを取りたいようだ。(昼寝)

で、計画では 午前中莫高窟を済ませて、ホテルで休息後 5時に迎えに

行き 鳴沙山の観光に行くと言うが、5時では遅いと思い 4時に迎えに

来るように変更する。

運転手が5時と言うのには理由があった)

問題86; どんな理由?