4月3日;4月にしては25℃超え
汗ばむ中 仙台よりのミステリーツアー御一行様 二班に分けてに案内する、
旧税関ビルの密輸品の展示コーナーを案内する、違法ドラッグなどを 人形の中、たばこの中、
パソコンの中 様々な方法で持ち込み品の展示に皆さん興味を持つ
三井倶楽部;関門海峡ライブ館;;門司港駅;大連航路待合室;など約二時間案内する。
関門海峡の潮の流れの変化;船の通過の規則,旗の掲げ方などに興味を示される。
4月3日;4月にしては25℃超え
汗ばむ中 仙台よりのミステリーツアー御一行様 二班に分けてに案内する、
旧税関ビルの密輸品の展示コーナーを案内する、違法ドラッグなどを 人形の中、たばこの中、
パソコンの中 様々な方法で持ち込み品の展示に皆さん興味を持つ
三井倶楽部;関門海峡ライブ館;;門司港駅;大連航路待合室;など約二時間案内する。
関門海峡の潮の流れの変化;船の通過の規則,旗の掲げ方などに興味を示される。
13日;名古屋からのツアー客45名を二人で分担して案内する。
事前に二班に分けてもらい被らない様にコースをずらし、寒波の中を見学して回る。
旧三井物産門司支店(国鉄に売却されてから門司鉄道管理局として使用)現在は海峡ライブ館として
関門海峡の知識、ライブ映像 を提供している。潮の流れ、速さ、船舶の通行状況、などに
お客さんは興味を持つ。大連航路待合室;-旧税関事務所;-国際友好記念図書館―旧三井倶楽部
(ツアー客の昼食場所)まで 約二時間コース
大正10年1921年三井物産の社交クラブとして山沿いの谷町に建てられた、
戦後国鉄の所有となり門鉄会館として使われてきたが老朽化により一時は解体も考えられたが
保存が決まり北九州市に国鉄清算事業団より無償供与され、今回移設復元した、
平成2年1990年国の重要文化財に指定され、北九州における門司港駅舎、松本邸とともに
木造建築の重要な近代化遺産である。
木造2階建ての建物は3階建て見えるが3回部分は屋根裏の置物である。
正面には大小5つの切り妻屋根を用いて変化をつけ縦長の窓と出窓が多く、柱の骨組みを見せる
ハーフテンバーに掃付け壁を配したイギリスチューダー風の特徴を持つ。
5月24日観光ボランティア現地勉強が大里地区で行われる。
関門海峡を挟んで下関彦島の対岸の門司地区は古くから「柳」「柳ケ浦」と呼
ばれていたが治承、寿永の乱で安徳天皇を伴った平家一行が「柳の御所」を
設けたことから「内裏ダイリ」と呼ばれるようになりました。江戸時代に入っ
て抜けに、漂流が頻発するようになり朝廷から異国賊船平定の命を受けた
為、時の藩主内裏の海に血を流すのは畏れ多いとして「大里」に書き改めま
した。
明治時代なると鈴木商店を始めとする工場や企業の進出が進み一大臨海工場
群地帯を形成した地域です。
新装なった門司駅の北側出口
門司赤煉瓦プレイス施設群に集合して勉強会です。
ビール工場の跡地はビール関係の展示館となっている。
大正2年ころのレンガ建造物
最初の頃はさくらビールのちに合併などでサッポロビールとなり日田に工場
が出来て移転する迄稼働後閉鎖となる。
拡大用
この地区一帯は豊前大里宿が有ったところで、本州に渡る海駅として
小倉湊ともに開け九州の諸侯は最短距離で安全なこの地を渡海に利用した
拡大用
対岸の下関彦島
現在も稼働中 関門製糖倉庫
役2時間の現地勉強会を終えて皆さんは昼食に向かうが近くの小森江駅
から失礼する。
結構歩きました。
毎週第三水曜日は観光ボランティアの定例会です。
3月は年度末で勉強会は簡単に済ませて、新年度の班割り当ての抽選会
が行われる。12班に分け勉強会の講師当番を決めます、私は4班を引き当てる
講演月と講演内容は後日決定です。
門司港駅 現在改装中で重要文化財の修復の為予定より1年程遅れる
そうである。
門司港駅前に移築した旧三井俱楽部;彼岸桜が満開に近い。
この日の会合では 観光局とコンベンション協会が統合されるに伴い
ベテラン会員の退会も発表され寂しくなる。
観光ボランティアの勉強会で15期生対象に小倉街歩きコース実施
小倉駅2F 観光案内所前に10時集合
入り口の前にロケ地の案内
北九州市はロケの誘致を行っているが東京より離れており、人気ドラマ
のロケには俳優の日程の関係で泊まり込みのロケは無理であり自ずと
制限されるのである。
小倉駅を出発し
小倉祇園太鼓の説明;作;高村光雲の弟子ー米静雲。
歩道橋の階段を下りると
昭和33年小倉駅新築の伴い住居は撤去されるが、平成10年小倉駅
改装に伴い碑が現地に移される。
駅から小倉城に向かって歩き始める。
昭和23小倉国体の時日本で初めてアーケードが出来上がった京町通り
ここは長崎街道の延長戦上で
門司の大里まで参勤交代往還路であった。
京町アーケードの突き当りは紫川で木造の常盤橋が架かっており、
渡り切手所が西溜で長崎街道の起点で25の宿場 228Kmを
7泊8日の旅が普通であった。一日約30K近く歩くのが普通である。
当時の橋脚を展示している。
拡大用
小倉県庁の跡;明治4年 企救群;豊津;千束;中津を合わせて小倉県が
誕生したときの県庁の跡地現在は医院になっている。明治9年に福岡県に
合併される。
後ろのビル リバーウオークの裏に
乃木希典の住居跡;
北九州芸術劇場の下敷きなっており石碑がビルの入り口に立っている。
芸術劇場の裏は堀を挟んで小倉城がすぐそばにある
1600年細川忠興は豊前の国を30万石で治め中津城に入るが、1602
年に小倉城を普請して入城する。中津城に入城した際、中津藩は黒田如水が
治めていたが福岡城の転封されるさい年貢米を根こそぎ持参したので細川藩
と黒田藩は仲違いし藩境に出城が整備されるが後の一国一城で取り壊される
小倉城は輪郭式 石垣は野面式 一部打ち込みハギ式
門の数は輪郭式なので大小合わせて48所ある。
小倉城のカメラポイント
駆け足の説明になりましたが最後は糠櫓にある糠炊きを土産販売所で
殿様弁当@1000
をみんなで頂いて旦過橋市場を見学して解散である
3時間コース終了。
6日;日曜日 教会で聖餐を受けたのち早目に帰宅し、市民大学現地
視察に参加する。北九州市内7コースあり、そのうちの門司港レトロ
地区を選択する。
小倉地区希望者は小倉駅集合、それ以外の地区希望者は北九州大学
集合でバス6台でそれぞれの目的地に向かう。
門司港地区は学生さんの希望者が多く3台で行く事となる。
貸し切りバスを6台も集めるのは大変苦労するらしく、博多港に
中国からの船が入港しない時を選んでバスを集めるので12月の
観光OFFのこの時期実施する。
13:00 北九州大学に集合
ほぼ定刻に出発する。
都市高速を利用したので約30分で門司港レトロ地区に到着できる
各班20名程度に分かれて観察、ボランティアの方が案内する。
2班は門司港駅起点に海岸から始まる。
何時の間にか 焼きカレーが名物になっている。
高校時代は門司駅から門司港駅まで汽車通学をしていたが、勿論その
頃には焼きカレーなど無く、門司港駅前のうどん屋でエビ天うどん
30円を食って家に帰っていた。
海岸沿いにも焼きカレー店が、
そういえば、11月8日のブログで門司港で開かれたカレー祭り
を思い出す。カレー祭り
海岸沿いに 出征の岸壁跡地
出征馬の水飲み水道
岸壁の埋め立て拡張に伴い 無用になった係留杭
最近建てられた関門海峡ミュージアム
左手ビルの1Fにレトロぽく室内を改造している。
続いて三井クラブ 三井物産の社宅の中にあったのを移築
口上着きのバナナのたたき売り発祥の地
今はさびれた銀天街
高校時代はまだ人通りは多かった!
昭和初期からある飲み屋街
当時8件ほどあった料亭の中の一つ
三宜楼 とうとう成り立たず
市が買って保存している、 近くに芸者の検番があったのだが今は
錦町公民館として利用している。
門司港駅は改装中で見学は出来ないがトイレは利用できる!
確かにレトロぽい、臭いも若干レトロぽい。
でも高校時代に比べると臭いは格段に改良されている。
門司港駅周辺を2時間半で終了する。じっくり見物、買い物すれば
3時間~4時間楽しめるコースである。
本日の市民大学は例のごとく学食堂で昼食を摂り大教室に入る。
豆腐揚げ2 鶏唐揚げ1 カレーコロッケ1 キャベツ大盛
ご飯小 味噌汁 合計552円 カレーコロッケが重たかったか?
本日のテーマは北九州の近代化遺産;
はじめに 近年益々盛んになっている文化遺産の保存・活用
世界遺産、記憶遺産とは別に日本遺産が発足する。(2015年18件)
1;北九州の近代化遺産どのような物があるのか?;
北九州旧5市別に見ると
建築物 土木、機械と分類すると
門司区108
小倉 62
八幡 121
若松 43
戸畑 37
合計368 存在する。
その中で放置されてるのが40近くあるそうだ。
狭い地区に集中して存在してるのは門司の海岸沿いである。
2;どういう風に活用するのか?
価値評価の高い順に整理、観光3時間以内にどれだけの広さで
まとまるか?
移築 復元が可能か?
等の説明がある。
スライド拝借
政治利用されてないか?
ベスト10に門司港駅と折尾駅がランクされている。
90分では足りない内容で 駆け足の説明になる。
学生さんの本日のレポートは ”何を発見したか?”
200から300文字のレポートである。
市民大学の受講生は感想文の提出である。
臨月に入った次女が運転できないので今は彼女の代行運転である。
30日;福岡に出かけたので送迎をする。
待機時間が3時間ほど有ったので近くの伊野大皇神社と香椎宮を
参拝する。
最初は伊野大皇神社 (猪野地区に鎮座) 説明書きクリック
伊勢神宮に所縁があるので 神社に行くのに五十鈴橋を渡る。
五十鈴橋を渡ると直ぐ右手に駐車場がある。
11月の初めに大きな水槽に水草を栽培始め、ころあいを見て
メダカを放流した、 タニシを入れると水槽の水が綺麗になる
そうで、 橋の下にタニシが生息してたので記念にいただき
水槽に放流した。
ここまで路線バスが来ており、良く見ると1時間に3本ある。
因みに内の団地は1時間に1本である。
神社が遠見岳の登山口になっている。
夫婦杉
この地が神社の最上段で 此れより奥は砂防ダムがあり登山道に
なっている。
ここで神社参拝は終わりにして引き返す。
次は香椎宮; ここをクリック
仲哀天皇御崩御の地
ここで終了
折しも駐車場の隣のグランドでは福岡県警の年末特別警戒の結団式
が開催されていた。
18:00挨拶が終わると神楽が始まる、私たちが着いた時は折居が始
まっていた。
続いて地割の舞
下関 赤間神宮の影響
冷え込んできたので 焚火のサービス ; これで立ったまま見物
しても寒くない!
新米をお盆に乗せて舞う;
これは技術が必要だ!
あいたた!溢してしまったーーー
司会者の説明では新米を地にばらまき来年は豊作だ!
と力説していた。
いよいよ姪の婿殿の演技である。
出てまいりました!
怖そうな面を着けてます。
子供にわざと近寄ります(面で視界は悪いのですが鼻の穴から見るそうです)
赤ちゃん、子供を捕まえて 抱き上げます、大概の子供は大声で泣きます!
これで元気に暮らせるそうです。
最後に岩戸神楽を演じ 餅撒きで終了だが、演技が終了して出てきた
彼に挨拶をして早めに帰路に就く。
かぶりつきで見ても飽きない二時間でした。
21日 故郷の幼馴染より電話あり、 T君が東京より帰ってきてるので
お昼を一緒にどうですか?と お誘いがある。
上毛町道の駅で落合 幼な馴染み5人で コスモス畑を鑑賞して、
太平道の駅で食事して別れる。
コスモスは正に満開である。
農業をやってる皆さんのボランティアで成り立っている。
回を重ねる毎にアートが増える。
畑に石灰でアートの線引きして種を撒くそうである。
平日にもかかわらずかなりの見物人が居る、広大な駐車場が先週の土、日
には入れないくらい見物人が殺到したとの事である。
白いコスモスで”ようこそ”
コスモスのアートを見学できるように 各所に撮影ポイントを作成している。
ウサギ2匹とお月様
アニメのキャラクター (何だかわからずじまい)
2時間ほど見物し
温泉、大衆劇場がある太平道の駅で昼食
和日替わり定食 1000円
海鮮丼におかず6品 味噌汁、果物 年寄には十分な量である、また 味も
良し。
更に お土産に 掛け干し新米3K 椎茸 甘柿 等のお土産まで
頂き 真に嬉しいお土産で感謝です。
何時でもお声をお掛け下さい、飛んで参ります。
(小学頃見た夜神楽の日程も聞いたので機会が有れば見たい物である)