運動不足が指摘されますので家内と二人で曽根干潟迄散歩に行きました。
生憎と干潮時でなかったので干潟は見えませんでした、又夕陽も狙っての
散歩でしたがこれも残念ながら黄砂現象で霞んでます。
運動不足が指摘されますので家内と二人で曽根干潟迄散歩に行きました。
生憎と干潮時でなかったので干潟は見えませんでした、又夕陽も狙っての
散歩でしたがこれも残念ながら黄砂現象で霞んでます。
4月11日;幹事さんの配慮で桜が満開の頃を見計らって小学校時代の同級生を
対象に古希の祝いを兼ねて同窓会を開く。
場所は故郷に近い求菩提山の麓の谷合にある卜仙の湯で開催。
11日は生憎の雨だったが下曽根駅からがら空き状態の日豊線中津行で吉富駅まで
約50分の汽車の旅がスタートである。
1車両に3,4人
吉富駅から集合場所の上毛町役場までバスが無いのでタクシーを利用する。
予定では駐車場に卜仙の湯のマイクロバスが迎えに来るので11時発には
充分時間があるので秋𠮷家の家系図を作成しようと思い役場で除籍謄本を取る
少々値段は高いが5代遡ることが出来た。
駐車場に15分前にはマイクロバスが居た事は確認していたが、新しくなった
小学校の見物やら除籍謄本の受け取りやらで時間が過ぎバスに乗るべく
駐車場を確認したらバスが居ない!
11時前に出発している。慌てて幹事に電話すると運よく近くを車で移動中で
拾ってもらう。
木造から鉄筋二階建てに変わっていた。
校庭にあった銀杏、ヒノキは校舎の近くになった感じがする、運動場が狭く
なったのである。
11:50には卜仙の湯に到着する。ここで参加者14名が揃い
12時には宴会がはじまる。懐かしい顔ぶれである。
ここは元山間の小学校の跡地に新築したので名残として校舎の周りに桜がある。
校庭の跡地が駐車場になっている。
宴会のメニュー
各自半生を紹介しながら進んでく。 各自色々なエピソードを持ってる
物ですね。
途中車椅子で来られた恩師の挨拶もあり、大変有意義な一時でした。
楽しい宴会も直ぐに終わり、日帰り組が帰宅となり名残惜しく分かれました
が、宿泊組は温泉に浸かり、部屋で小学校時代の思い出を語らあい、夕食は
軽く牛蒡うどんで済ませ各自自由に行動する。
一夜明けると雨は止み昨日雨で見え無かった求菩提山が窓越しに
特徴の有る姿が望める。
8:00朝食
朝から見た目の良い朝食を頂く。
谷沿いの旧小学校校門付近にあった山桜は残念ながら散っていた。
9:30 満開の桜の前で喜寿のお祝いに再会しましょうで解散になる。
中津方面から参加したUさんが吉富駅までご丁寧に送ってくれる、
山国川を渡ると直ぐにある福岡県側の駅である。
12時に自宅に到着;楽しい一日でした。
幹事様、参加者の皆さん有難うございました。
29日;有朋友远方来,不亦乐乎
友遠方より来る、又楽しからずや!
青島大学留学時代、親しくしていたK君が夫人を連れて九州一周旅行の
途中我が家に立ち寄る。
若者夫婦らしく レンターカーを借りてののんびり自作の旅行である。
我が家に1泊して新境地を語り合う。
翌30日;小倉、門司の観光案内をする。
先ず我が家の前で記念撮影;
小倉の案内と言えば先ずは小倉城
ゆっくり見学したので昼食は門司港レトロ名物の焼きカレー
食後レトロ地区散策して
夕方近く一旦我が家に帰り夕食を済ませてから、広島に旅立つ
二人を見送る。
道中の無事を祈る。
先日;婿殿の実家から渋柿を沢山貰ってくる。
それで家内と二人で干し柿を作り、一部はあおし柿に
してみる。
一つ一つ皮をむいて紐で結んで吊るす。
軒先が無いので物干し竿にぶら下げるが天気予報を
よく見て雨が降りそうだと室内干しである。
10日くらいで渋は取れるみたいで楽しみである。
月水金は病院の運転手として患者の送迎に従事している。
昼食は11時半より病院が提供してくれる。
これがなかなかの味なのである。さて本日は冷やし中華、シュウマイ、
みかん缶 の3点セット。これにおにぎりは自由選択なので、2個も
食べた。
夏バテが始まる頃だが今のところ未だ食欲はある!
部屋には西陽が当たり熱いのであるが夕陽が見える。
この時期 足立山の頂上付近に沈む。
28日;家内に付き添いで病院に同行する。
行のバスの中で車内にひまわりの花(造花)を飾っていた。
ちょっとした事だが優しさが伝わってくる。
暑い一日だったが夕方少し気温が下がる。
天気予報によると この一週間 毎日34~35度が続くそうだ!
ふう~
気温が上がり水槽の水が濁り始めた。田螺を入れたが浄化しきれない。
簡易浄水器を取り付けたが、小さすぎたかも?
中の水草の花が咲いた。小さくてかわいい花である。
中国語教室
児童笑い話
“你几岁了,孩子?”一个好奇的老人问玲玲。
“六岁了。” 玲玲自豪地答道。
老人笑了笑,说;“ 可你还没我手里的雨伞高呢!”
“那您的雨伞几岁了?” 玲玲盯着雨伞,不服气地问。
三十六计之第一计;瞒天过海 (比喻用欺骗的手段暗中行动)
故事发生在唐贞观十七年(公元643年),唐太宗李世民率军三十万离开长安,
远征辽东。这一天,大部队来到海边,唐太宗举目远望,面对一望无际的大海
不禁发愁起来,很担心如何才能渡过大海。
作战总指挥张士贵看到这种情景,就连忙和各位大臣商讨议对策,
有位名叫薛仁贵的部将急中生智,想出了一个主意,说道;“皇上担心大海阻隔,
难以征伐辽东,我有一个好的计策,一定能叫大军平安渡过大海,取得东征的胜利。”
つづく
齐国故事
要重新立姜光为太子的消息,不胫而走。 其中有两人对此事格外关注,
一是大夫崔杼,一是大夫庆封。 崔杼富有谋略和手段,素有野心。
他暗暗喜欢;“ 我若帮助太子光登基,就是开国功臣,那还不是要风有风,
要雨有雨嘛!” 但又想;“ 自己一人,势孤力单,必须找个同谋。”
他想来想去,想到了庆封。
昨秋よりメダカの飼育を始めた。
春になり水温が上がりメダカの動きが活発になったが、水草が茂り
水が濁ってきた。
ビフォー;
そこで水を綺麗にしてもらうように近くの小川から田螺を30個ほど
取ってきて水槽に入れた。
アフター;の写真が何時頃公開できるかな?
12月25日生まれの孫が 1月26日 1か月検診である。
(月日の経つのは真に早い!)
今朝まで雪は残っていたが 出かける12時までには溶けたので
車が使えて”ほっ” とする。
母子共に異常なしでホッとする、30日で1K体重が増える。(順調らしい)
寒さも和らぎ暖冬に戻る予報で真にありがたいことである。