5月24日観光ボランティア現地勉強が大里地区で行われる。
関門海峡を挟んで下関彦島の対岸の門司地区は古くから「柳」「柳ケ浦」と呼
ばれていたが治承、寿永の乱で安徳天皇を伴った平家一行が「柳の御所」を
設けたことから「内裏ダイリ」と呼ばれるようになりました。江戸時代に入っ
て抜けに、漂流が頻発するようになり朝廷から異国賊船平定の命を受けた
為、時の藩主内裏の海に血を流すのは畏れ多いとして「大里」に書き改めま
した。
明治時代なると鈴木商店を始めとする工場や企業の進出が進み一大臨海工場
群地帯を形成した地域です。
新装なった門司駅の北側出口
門司赤煉瓦プレイス施設群に集合して勉強会です。
ビール工場の跡地はビール関係の展示館となっている。
大正2年ころのレンガ建造物
最初の頃はさくらビールのちに合併などでサッポロビールとなり日田に工場
が出来て移転する迄稼働後閉鎖となる。
拡大用
この地区一帯は豊前大里宿が有ったところで、本州に渡る海駅として
小倉湊ともに開け九州の諸侯は最短距離で安全なこの地を渡海に利用した
拡大用
対岸の下関彦島
現在も稼働中 関門製糖倉庫
役2時間の現地勉強会を終えて皆さんは昼食に向かうが近くの小森江駅
から失礼する。
結構歩きました。