つぶやき・ツッコミ・つれづれ語り

言わないけど内心でツッコミ入れている、日常語り。

答えが見つからない、愚痴と悩み事の境界線は?

2017年08月29日 | 日常のこと
この間から抱えていた疑問。

愚痴と悩み事相談の違いはなにか。

きっかけは、
ある人の話を聞いた時に
「ごめんね、愚痴になっちゃって」

でも、その方は
真剣に悩んでいるように見えたのです。

愚痴について意味を調べたら
「言っても仕方がないことを後で言うこと」だそうです。

愚痴と悩み事を話すことは
似ているけど、境界線は何処なんだろう。

そんな事を考えていたわけです。

私の見つけた答えなのですが
「言葉に責任を持てるかどうか」が境界線なのかな、と。

まだまだ答えが浅い気がするなぁ。
難しいなぁ。


愚痴としてこぼさなければ辛いほどに
悩んでいて苦しいなら
いくらでも話を聞くよって言ってあげたいだけなんです。

漢字三千年のススメ。

2017年08月28日 | 日常のこと
高崎シティギャラリーで開催されている
企画展「漢字三千年-漢字の歴史と美-」を見てきました。

東京や京都、数カ所で展示して
一番最後に群馬県で行われた企画物です。

なぜ群馬が会場に選ばれたのか?

いぶかしみながら会場へ。

私が入場してすぐ
解説ツアーに遭遇しました。

説明してもらった方が面白いかもしれないと思って
ちゃっかり混ざってきました。

細かい数字は間違っているかもしれませんが
書き出してみます。

漢字が日本に入ってきたのは約2500年前。

(展示してある拓本を見る)

読める漢字がある、これはすごい事。

古い文字は他にもたくさんあるけれど読み方が伝わっていない。

エジプトのヒエログラフ、読めないでしょう。
くさび形文字などもあるけれど失われてしまった物。

日本に文字が入ってきたのは2500年前だけど
日本人は500年間文字を使わなかった。
これはなぜか。

文字を使わなかった500年の間に存在が知られているのは卑弥呼。

三国時代に書かれた魏志の中に
東夷倭人伝の記録があって
卑弥呼という女王が治めていてという記録が残っている。

日本の歴史は文字を持たなかったため
外国の記録に頼っている。

おかげで邪馬台国は九州か奈良かいまだに言われている。

漢の王から金印を授けたられたという記録が残っていて
実際に博多から漢和那国王の金印が出てきたので
これは本当の事だろうと思われる。

金印が確認できる最古の伝わった漢字。

日本人が漢字を使うようになったのは仏教が伝来したから。

昔の漢字は絵のようだった。

「道」という漢字は
生首を持って歩いて祓い清めて進めるようになったのを描いた物。

昔はお化けを信じていた。
生首という怖い物でお化けを除けようとした。
生首を持って歩くというのがお祓いだった。

牛の耳の形をした金属(漢字が彫ってある)の前に移動する。

約束事を取り交わすときに立会人がいた。
立会人が牛の耳に署名した。
これが牛耳るの語源になっている。

竹の形をした金属が展示してある前へ。
これにも漢字が彫られているが
さらに彫った文字に金が埋め込まれている。

これは通行手形のゴージャス版。

税金を免除するという事が書かれている。
これによって2000年前に税金の制度があった事が分かる。

昔は通行手形が竹でできたので
金属の物も竹を模していて、竹の節がある。

使節団の「節」は通行手形の竹の節から来ている。

兵馬俑の前に移動する。

これは現地に行って借りてきた物。
何度か日本に来た事があるけれどこれは世界初公開。

発掘された中で目立つところに漢字が書かれている。

今まで漢字が掘られている物は80体ほど見つかっているが
胸元に掘られている物はこれだけ。
作者のサインと思われる。

首が取れるようになっていて
モデルがいると考えられている。

作られたときには本物そっくりに色が塗られていた。
目などもかかれていた。

復元した物を見ると、今夜、夢に見ますよ?

これは竹の弓を持っていた。
竹は2000年の間に朽ちてしまった。

この人物を下から見上げるようにすると
「イイネ!」ってしているように見えます。

別の拓本の前へ。

中国史上唯一の女性皇帝がいた。
この人は自分で漢字を作ってしまった。
大変、やっかい。

ペンライトを当てて
これとこれとこれと、と指していく。

今は使われていないが
一つだけ、日本に伝わって、日本で使われている物がある。

「圀」
国に威光が八方に広がるように。
この漢字だけが使われている。

日本にも同じ事例がある。
伊達政宗公が作った門がまえに水。

これも浜の名前一つしかない。

群馬県の上野三碑は2000年前の物。

古い石碑は80個くらい残っているが
同じ場所に3つあるというのは他にない。

2000年前に漢字を書けるし読める人がいたという事が分かる。

昔は竹や板に文字を書いていた。
板をつなげて巻物みたいにしていた。

図書館に行くと
巻いた物がたくさんあった。

本を一巻と読むのはこの名残。

紙が登場した。
おかげで漢字の自由度が高くなった。

漢字を美しく書こうという動きが広まった。

司という人だったと思うのですが
漢字があまりに美しいので
皇帝が命じてその人の書蹟を石にそっくり彫らせた。

「之」という漢字が26個出てくるがすべて大きさが違う。
美しさを意識して書いているからである。

質疑応答は自由な感じでした。

漢字の展示というとどうしても拓本ばかりになってしまうので
なるべくそうならないように気をつけたとか。

展示品には漢字が書かれた青銅器
漢字柄の茶碗
筆や硯なども展示してありました。

説明員のおじさんの話が面白くて
すごく興味深く展示を見る事ができました。

群馬県に上野三碑(漢字がいっぱい彫ってある古い石碑)があるから
今回の展示の運びになったようです。

東京や京都で開催するくらいの大きな展示が
群馬で開催されるという事はそうそうないことです。

興味のある方はぜひ!と思います。


ぺぱぷんたすのススメ。

2017年08月25日 | 日常のこと
「ぺぱぷんたす」という本を買いました。

本の装丁デザイナー
祖父江 慎さんという方が
ディレクターを務めていると聞きまして。

祖父江 慎さんを知ったきっかけは
「ゴーストハント」という小説の表紙を手がけていたからです。

タイトルで分かるとおり
お化けが出てくるのですけど

内容が怖いのに
表紙に蛍光塗料を使って
暗闇でヒトガタが浮き出るようになっていたんです。

本の表紙を見て悲鳴を上げたなんて
思えばあれだけです。

本を読んで
怖い気持ちのまま電気を消した時
暗闇で本自体がおどろおどろしかったら心臓に悪いわ~!

なんちゅう表紙を作るねん。

ゴーストハントはその後
シリーズが進むごとに表紙が金ぴかになったり
穴がぽっかり空いていたり。

とにかくこのシリーズ、
表紙が自由ですごかったのです。

表紙のイラストを手がけているのが
コミックス版を描いた漫画家さんだったのですが

ゴーストハントシリーズの本に挟んであるチラシに
表紙イラスト打ち合わせで
やりとりしたファックスがそのまま載っていたんです。

そのファックスがこれまた面白かったのです。

祖父江さんの人柄がすごく伝わってくるファックスでした。

本のバーコードの位置まで計算するこだわりと
遊び心と、チャレンジャーなところと。

私には祖父江さんがすごく魅力的に見えたのです。

このすごい方が
紙をテーマにした本を出したと聞けば
気になるじゃないですか。

切ったり書き込んだり
鏡に映したり切り絵にしたり
半分に折ったり

ほんの少し手を加えるだけで
別の世界が広がっているような本だったのです。

面白すぎる!

ただ、やっぱりもったいなくて
本を切ったり折ったりできないのです。

楽しまなきゃ損だとは思うんですけど。

続編が出るかどうかは評判次第だそうです。

ぺぱぷんたす、オススメ!

ちょこっとだけ遊んだけれど
意外な発見が続けて見つかって楽しいですよ。

どうか続編が出ますように!


岩宿博物館へ。

2017年08月21日 | 日常のこと
先日、岩宿博物館に行ってきました。

岩宿遺跡と言えば
関東ローム層から石器が出土し
旧石器時代に人類が居た事が初めて証明された
考古学的にとても価値のある遺跡です。

子供の頃、
親に欲しいとねだってみたら
珍しく買ってくれた本があったのです。

それは遺跡発掘の本でした。

群馬県の遺跡が
一つだけ掲載されていました。

それが岩宿遺跡。

相沢忠洋さんが
豆腐の行商をしながら
石器を掘り当てて

いろんな大学に当たったけど門前払いをくらい
数カ所目の明治大学が動いてくれて
結果、旧石器時代に人類が居た事が判明した、

群馬県ってすごい、と
子供の頃に何度も読み返したものです。

岩宿遺跡、
小さい頃に来た事があって
前は普通に山の中でした。

博物館ができて
今回、改めて足を運んで
子供の頃、あこがれていたなぁ、岩宿遺跡、みたいな(笑)

相沢忠洋さん、
けっこう広範囲に行商をしていて
近所の噂を聞いてはそこに行って石器堀りをしていたそうです。

このことは本に書いてなかったな~。

子供向けの本に
いくつかの大学から門前払いされたって
出来事をありのままに書いたんだなということが分かりました。

リアリティたっぷりに読んだのですけど
そのことがなんか妙に可笑しかったり。

けっこう面白く見てきました。

製粉ミュージアムへ。

2017年08月21日 | 日常のこと
少し前のこと。

駅のスタンプラリーをしていて
電車の待ち時間に
駅付近にあった「製粉ミュージアム」に行ってきました。

日本で初めて
小麦を粉にするのに機械を導入したところだそうです。

新館には
ローラーみたいな
当時の機械が展示してありました。

群馬は粉食文化というけど
こういう設備があったからさらに盛んになったのかな
なんて思いながら見学しました。

本館の方は創設者の住んでいた家なんですけど
きれいな洋館でした。



状態もすごく良い。

ふかふかの絨毯やら
書斎の大きなデスクを楽しんできました。

展示室なので
家具はデスクくらいしか置いてなかったのです。

庭には日本庭園が造ってあって
池の中央の石は瑪瑙、
太陽と月と星を現しているんだそうです。



洋館と日本庭園を見ただけでも十分楽しめたのに
小麦粉のおみやげが付いていました。

ぜんぜん知らないで
偶然、足を運んだのですけど
思いがけなくいろいろ楽しんできました。

草木ダムと富弘美術館。

2017年08月21日 | 日常のこと
先日、富弘美術館の招待券が当たりました。

小学生の頃の担任の先生が
大学時代の先輩後輩だとかで

体が不自由になったあと、
口で詩や絵を描くようになったことなど
星野富弘さんの事をよく話しいました。

おかげで私も富弘さんひいきです。

書店などで行われる
特別展に行った事はあったのですが

富弘美術館まで行ったのは
招待券が当たった今回が初めてでした。

行く途中、電光掲示板がいくつもありました。

「ダム放流中」

これは車が草木ダムに向かっているから。
そして、富弘美術館についても表示されます。

「富弘美術館いつかどこかで展示中」

いつかどこかで展示中って
ずいぶん不親切な案内だなと思いながら走ったのですが
到着して初めて分かりました。

展示のテーマが「いつかどこかで」でした。

ややこしい(^^;



富弘美術館は草木ダムのほとりあります。

中はかなりの広さがありました。

部屋は全部「丸い筒」です。
壁と壁の間はどうなっているのだろう。

富弘さんは柔らかいタッチの花の絵と
ちょっと添えられた詩が有名で
こういう作品は明るい部屋に展示してありました。

少し光を落とした暗い部屋もあって
こちらには言葉のみで
苦しみとか悲しみが綴られていて
そういうものを展示した専用の部屋がありました。

こういう暗い部屋があって
展示してあるのが感動する作品だけじゃないってのが
すごく印象に残りました。

時間があればカフェに寄りたかったです。

ダム湖を眺めながら
余韻に浸ったらいい気分だろうな。

帰りに草木ダム管理事務所に行って
ダムカードをいただいてきたのですが

ダムカードに台紙が付いていて
星野富弘さんの絵が書いてありました。

草木ダム、
なんてすばらしい企画!

すごく嬉しかったです。



富弘美術館の後は
少し寄り道になりますけど
ぜひ草木ダム管理事務所にも足を運んでみてください。

春の小川と夏の花。

2017年08月21日 | 日常のこと
こうほねの花の咲いている場所を見つけました。

博物館の庭にハス池があって
古代蓮の中にこうほねも咲いていたのです。

こうほねは漢字で「河骨」と書きます。

根っこがワサビみたいなので
骨に見立てたそうです。

この花の名前が付いた川がありました。

河骨川。

童謡「春の小川」のモデルになった川と言われています。

花の名前が付いた川だなんて、
なかなかそれらしいじゃないですか。

こうほねってどんな花だろうってずっと思っていたのです。



春の小川のイメージが強すぎて
花の時期を勘違いしていたのですけど
こうほねは夏の花だそうです。

河骨川については
改めて調べてみたのですけど

渋谷区で下水道として流れているのが
かつての河骨川みたいです。

こうほねの花を撮るとき
携帯電話を池ぽちゃしたらしゃれにならないなと思って
かなり気をつけたのですけど

不思議なくらい腕が安定して
思いどおりに写真が撮れました。



河骨川が書いて欲しいと思っているのかなぁ、
なんてことを思いました。

夏の思い出は何かの出発点。

2017年08月15日 | 日常のこと
ぐんまちゃんブログの方にちょこっと書いたのですが
先日、たむらやさんの店頭でヴァイオリンをちょっと弾きました。

この日、
午前中レッスンだったので
ヴァイオリンを持っていました。

日差しが強くて
車の中に置いたままだと危険だと思い
店先の日陰になるところに置いたのです。

それをぐんまちゃんが見つけました。

これは何?と仕草で聞くので

「楽器だよ、ヴァイオリン」
「暑いので日陰に置いておかせて」

ぐんまちゃんはヴァイオリンを弾くまねをしました。

ぐんまちゃんも弾きたい?と言ったら
私の方に迫ってきました。

弾きたいんじゃなくて、聞きたい、だそうです。

たむらやのぐんまちゃんは
弾いてって言うかなと予想はしていたので
楽器を取り出しました。

集まった人は顔見知りばかりだったし
演奏しても大丈夫かなという雰囲気だったんです。

この日のレッスンで
私は先生にものすごく注意を受けていました。

弾くときに力が入りすぎ、
もっとオーケストラを聴いて耳を鍛えないとダメ、

レッスン前と後で音が変わったのに
まったくそこに気がついていない事がダメ、

弾けるのに弾けていないのがもったいない。

いっぱいダメだしくらったんです。

レッスン帰りに
群馬の森で練習しようと思ったら

群馬の森の一角に
「スズメバチに注意」って看板が立てられていて
野外練習を断念。

それからたむらやさんに来たのでした。

私は野外で弾くのが好きな方です。

空の下で弾くと音が空気の中に溶けて消えてしまう、
その抜け感が好き。

今まで公園で弾いた事はあっても
街頭みたいなところで弾いたのはこれが初めてでした。

普段、
レッスンで弾いている曲は
楽譜がないと弾けないんですね。

指が動くままに少し弾いて
ふと思いついたのが「夏の思い出」でした。

弾いたのは最初のほんの数小節でした。

私の隣でぐんまちゃんが
ヴァイオリンを弾くまねをしてくれていました。

気持ちよさそうに
弾いていてくれたんです。

ちょっと幸せなひとときでした。

私、本当にアホだったと思うのですけど
どうもおかしいと思ったら
1オクターブ高く曲を弾いていました。

ぐんまちゃんが途中で
拍手をして止めてくれたので、そこに甘えてしまいました。

楽譜がないと
うまく弾けないんだよ、って。

1オクターブ間違えなければ最後まで弾けたと思うけど
今さら言っても後の祭り。

うまく弾けたら
ちょっとしたいい思い出になったかもしれないけど

うまく弾けなかったので
すごくいろんな事が心残りでした。

「夏の思い出」なんて
超簡単な曲を即興で弾けなかったとは。

今度から
即興でも弾けるように
そして楽譜無しでも弾けるように
もうちょっとレパートリーを増やそうと思います。

私は時々、ヴァイオリンではなく
ヴィオラを背負っている事があります。

合奏の時、
主に伴奏パートを弾く楽器なので
ヴィオラで何か弾いてと言われたら、本当に思いつかない(苦笑)

持っていたのがヴィオラだったらやばかった(汗)

こちらも緊急時に弾けるくらいには
何らかの対策をしておきたいと思います。

たむらやぐんまちゃん、きっかけをありがとう。

すっごい冷や汗ものだったけど
ぐんまちゃんと弾いたのは楽しかったよ。

何かこう、濃厚な「夏の思い出」になりました。

気配を消して入室してくる御用聞き。

2017年08月15日 | 日常のこと
私は耳が生まれつき良くありません。

ただ、
耳鼻科で指摘されるまで
まったく気がつきませんでした。

高い音が苦手で
電子体温計の「ピピッ」とかは
気がつかない事が多いです。

でも、そんなの
電池が終わりかけているのかなと
体温計のせいにするレベル。

体温計を脇に挟んでいるならともかく
目の前でピピッと鳴れば、それは聞こえます。

生活に困らない程度には聴力があるのです。

さて。

最近、職場に出入りしている事務用品屋さん、
新人の若い男の子に変わりました。

この子、あいさつができないのです。

上記に書いたとおり
私は両耳に聴覚障害もどきがありますけど、
何も聞こえません。

同僚に呼ばれて、
私が「はい!」と返事をすると
その同僚はドアの方を指すんです。

指した方を見ると
事務用品屋の若い子が立っているの。

ドアが開く音がしない、
「失礼します」でもない、
「こんにちは、○○商店です」と名乗るわけでもない。

私が気がつくまで
ずっと立っているのです。

で、上司から「来客の対応はちゃんとして」と注意されるのは私。

宅急便も郵便局も
積極的に窓口に出て対応しているのよー。
お客が来れば対応しているし。

なんだか割に合わない気分です。

電子体温計の電子音以上の声であいさつってそんなに難しい事!?

最近の私は心がささくれて
事務用品屋の若い子が来る曜日は
自分の席に居たくない気分です(-"-)

今年のお盆と、文庫本。

2017年08月14日 | 日常のこと
少し前に読んだエッセイが
とても感動でした。

ある作家さんが東北でサイン会をしたときに
海水に浸かってしわしわになった本を渡されて
これにサインをしてもらえないかと頼まれたんだそうです。

このエピソードはほろりと泣かせるいいものでした。

それは横に置いといて。

数年前の大震災の日
大きな津波から避難する際に
とっさに文庫本を1冊手にとって逃げたんだそうです。

1冊か・・・

私ならどの本を持って行くだろうか。

心の準備ができていたならともかく
とっさに持って行くとしたら
その時の読みかけを持って行くかなぁ。

1冊を選ぶというのを想像して
悩みに悩みまくってしまいました。

海水に浸かって
しわしわで汚い本だったというのも
大切にしてもらっていたのが伝わってきて良かったです。

電子書籍が氾濫している近い将来、
紙が濡れてしわしわの本っていうのは
伝わらなくなっちゃうのかなぁ。

このエピソードのおかげで
震災被災者の方へ心から冥福を祈れそうな、
そういうお盆になりました。