「船弁慶」
芝居を引退していた勝三郎は、吾妻能狂言が自然消滅したあとも
芝居に復帰することはなかったようだ。
ゆえに、近松門左衛門の『国性爺合戦』の二段目、
「千里ヶ竹」を題材にした「虎狩」(1878・明治11年・勝三郎作曲)
は別として、この時期は正次郎の曲ばかりが目につく。
面白いことに、「連獅子」には勝三郎と正次郎の2曲があるが、
勝三郎が吾妻能狂言のために作った「船弁慶」も、
同名の曲を正次郎が作曲している(1885・明治18年)。
これは、市川団十郎(9代目)のために河竹黙阿弥が作詞したもので、
前ジテ静御前のくだりは歌舞伎舞踊調に柔らかく、
後ジテ、知盛のくだりは能形式に堅くと、
両者の融合を狙ったような仕上がりだ。
正次郎の「船弁慶」は、別名を「静と知盛」という。
〓 〓 〓
tea break・海中百景
photo by 和尚
芝居を引退していた勝三郎は、吾妻能狂言が自然消滅したあとも
芝居に復帰することはなかったようだ。
ゆえに、近松門左衛門の『国性爺合戦』の二段目、
「千里ヶ竹」を題材にした「虎狩」(1878・明治11年・勝三郎作曲)
は別として、この時期は正次郎の曲ばかりが目につく。
面白いことに、「連獅子」には勝三郎と正次郎の2曲があるが、
勝三郎が吾妻能狂言のために作った「船弁慶」も、
同名の曲を正次郎が作曲している(1885・明治18年)。
これは、市川団十郎(9代目)のために河竹黙阿弥が作詞したもので、
前ジテ静御前のくだりは歌舞伎舞踊調に柔らかく、
後ジテ、知盛のくだりは能形式に堅くと、
両者の融合を狙ったような仕上がりだ。
正次郎の「船弁慶」は、別名を「静と知盛」という。
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tea break・海中百景
photo by 和尚