西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

天下るの傾城

2010-03-26 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
30-「天下るの傾城」(1815年・文化12・中村座)


文化5年(1808)に、中村座が大坂から中村歌右衛門(3代目)を呼んで以来、
江戸の大看板、坂東三津五郎(3代目)との対決が始まり、
時間とともに両者のファンを巻き込んでの一代闘争劇となっていった。

歌右衛門も三津五郎も踊りの巧者であるから、
7変化、8変化と変化物舞踊に勝負をかけるうちに、
変化物が大流行したのだが、狂言作者は知恵をしぼるのに必死、何しろ数が多い。

篠田金治は傾城役の歌右衛門のために、長唄には珍しく九九を使って工夫した。

『三五の月か それならぬ
 二八 十六で文付けられて
 四五の二十なら一期に一度
 わしゃ帯解かぬ 辛気へ』

●十五の頃か、そうでなかったか。十六才で恋文をもらい、
 もし二十歳だったら決して帯は解かなかったのに…いやだねえ。
 
三五の月とは、十五夜の月の意で、つまり満月。
少し穿ってみれば、「初めての関係で妊娠したのよ、まったくいやね」
ともとれる。
昔は早熟だったし、おぼこ娘は惚れると前後不覚でのめり込むから、
さもありなんだろう。

九九は平安時代に、日本に入って来たという。
本家の中国では、紀元前の春秋時代に発生したというのだから、びっくり。

 〓 〓 〓

tea breaku・海中百景
photo by 和尚
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