西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

大久保今助

2009-01-30 | その他人物 (c)yuri saionji
葺屋町(ふきやちょう。いまの人形町)辺りには、見渡す限り「中村歌右衛門」と染め抜いた幟が
立錐の余地もなく、びっしりと並び立つ。
江戸はおろか、京、大阪、名古屋の贔屓から贈られた幟の数、実に数千本という熱烈歓迎。
何といっても大阪一の人気役者、中村歌右衛門(3世)の江戸初お目見えなのだから。

呼んだのは中村座の名物金主、大久保今助。
大枚金をはたいてここ一番の大勝負を仕掛けた。
迎え撃つのはお隣、市村座の座頭、江戸一番の人気を誇る、坂東三津五郎(3世)だ。

金主の大久保今助は、元はといえば水戸藩の御用達で財を成した優雅なご隠居。
芝居とはとんと縁がなかったのだが、4年ほど前、一分金(いちぶきん。約15000円)を拾ってから運命が変わった。
「どうせ拾った金だ、寺に寄付でもしてやるか」
と、寺の富くじを買ったらこれが何と大当たり!
寄付を差し引いて残った80両(約480万円)を、今度は江戸一番の大芝居、中村座につぎ込んだ。
金が子を産むとはこのことで、その興行が大当たりを打ち、又助はまたしても大金を手にした。
「こうなりゃとことん中村座だ!」
というわけで、膨らんだ金を次から次へとつぎ込んだ。
今助が金主になってからというもの、中村座の芝居は不思議と当たるのだ。

金主というのは役者の手付金や諸経費など、芝居を開けるための当座の金を用立てる者をいう。
もちろん金も出すが、口も出す。
何しろ売り上げから出資金を回収するのだから、木戸銭が命。
だから大当たりが出れば、客が飽きるまでロングランで引っぱり(その分経費が節約できる)、
不入りとなれば恥も外聞もなく演目を変える。
話のつじつまが合おうが合うまいが、そんなのは知った事じゃない。
金主の願いはただ一つ。出した金が利息を付けて返ってくるか否かだけだ。

座元(小屋の持ち主)は金を出さないのかと思うだろうが、
座元は”紀州の道成寺”、小鐘はあっても大鐘はない。
だが、江戸三座にのみ許された”興行権"という特権を持っている。
これは代々世襲の天下御免。
だから生臭い金勘定は人に任せて、座元のプライドだけで生きている。

ある日、今助は郷里の水戸に旅立った。
牛久沼の渡し場で船を待っていると、
そばの茶屋からぷーんと、えもいわれぬ香ばしい蒲焼きの匂いがしてきた。
今助はうなぎには目がないのだ。
辛抱たまらず、蒲焼きと、どんぶり飯を頼んだ(当時はこれがスタンダードな食べ方だ)。

きせるをくゆらし待つことしばし。うまそうに焼き上がった蒲焼きが運ばれてきた。
どれどれと、今まさに食さんとしたその時、
「おーい、船が出るぞー」
今助はあわてて蒲焼きの皿をどんぶり飯の上にかぶせて、船に飛び乗った。
向こう岸に着いて食べたそのうなぎ、飯にたれがしみてうまいの、うまくないの。

江戸に帰った今助は出入りのうなぎ屋にそれを作らせ、毎日芝居小屋に届けさせた。
そうこうするうちに客席で売る事を思いつき、使い捨ての割箸も考案。
これを添えて”うな丼”と称して売り出したところ、これがまた、大当たり。
今助は何をやっても当たるという誠に奇特なお方なのだ。




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