新作長唄
歌舞伎座でも新作長唄に、知識人の歌詞が使われ、
明治政府の奨励策とはいえ、一種の流行現象の観がある。
もっとも、政府は脚本の改良を最優先課題にしたため、
河竹黙阿弥没後(1893・明治26年)、
脚本を書くという仕事は、狂言作者ではなく、
専門の劇作家にゆだねられるようになった。
それが学者などの知識層に波及した、ということだろう。
教育者の下田歌子作詞「千手の前」(1903・明治36年)
は、歌舞伎座7月興行の所作。
作曲は杵屋勘五郎(5世)。
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tea break・海中百景
photo by 和尚
歌舞伎座でも新作長唄に、知識人の歌詞が使われ、
明治政府の奨励策とはいえ、一種の流行現象の観がある。
もっとも、政府は脚本の改良を最優先課題にしたため、
河竹黙阿弥没後(1893・明治26年)、
脚本を書くという仕事は、狂言作者ではなく、
専門の劇作家にゆだねられるようになった。
それが学者などの知識層に波及した、ということだろう。
教育者の下田歌子作詞「千手の前」(1903・明治36年)
は、歌舞伎座7月興行の所作。
作曲は杵屋勘五郎(5世)。
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tea break・海中百景
photo by 和尚