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西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

宝船

2010-07-03 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
113ー「宝船」(1818頃・文政頃・河原崎座)


題名のとおり、めでたい脇狂言の曲だ。
七福神の紅一点、弁天を花魁に見立てて、
七福神に恋争いをさせるという、洒落た曲。


『長き世の 遠の眠りの皆目ざめ
 恵方に当たる弁天の
 笑顔に見とれていつまでか
 茶屋が床机に 根が生え抜きの
 毘沙門さんのじゃらつきを
 見兼ねて布袋がのっさのさ
 そうはならぬと 押し合う中へ
 連れ立つ勇の大黒 恵比寿
 これはたまらぬ 
 こりゃどうじゃ
 恋争いは吉原の
 派手な大尽 福禄寿
 抑々廓の全盛は
 幇間末社の大一座
 三日は客のきそ始め
 此方に髭の意休と見たるは
 心やさしき寿老人』

ながきよの 遠の眠りのみな目ざめ 波乗り船の 音のよきかな
という回文とともに、七福神の乗った船が描かれている「宝船」は
1月2日の夜に枕の下に敷いて寝ると、いい初夢を見るといわれている。 

だからではないが、3日は吉原の仕事始めの日、
幇間、取り巻きを引き連れて客が押し寄せるとの初夢か。

髭をたくわえた寿老人を、助六の恋人揚巻に横恋慕する老人、
髭の意休に例えたところなどはなんとも愉快。


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tea breaku・海中百景
photo by 和尚

猿舞

2010-07-02 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
112ー「猿舞」(1819・文政2年・河原崎座)


”かまわぬ柄”を考えたのは、7代目の市川団十郎だ。

当の団十郎はよほどそれが気に入っていたとみえ、
「正札付」の歌詞にもそれを読み込ませているし、
「猿舞」にも、無理矢理はめ込ませている。

『吉田通ればナ
 二階から招く
 しかも鹿の子の振り袖が
 奴島田に丈長かけて
 先のが品やる振り込めさ
 手際見事に投げ草履
 ありゃんりゃりゃ
 こりゃんりゃりゃ
 粋な目元にころりとせ
 仇者め

 留めて止まらぬ
 恋の道馬場 先きのきゃれ
 色めく飾りの伊達道具
 これかまわぬの始めなり』

●吉田の宿を通れば、二階から女郎が手招きをするのだよ。
 鹿の子絞りの振り袖を着て、奴島田に結った髪に丈長をかけてな。
 先に行く奴なんぞは、まあ気取って槍を振ること。
 それにここぞとばかり、見事に投げ草履を決める。
 おれ様の目元に惚れるなよ、おねえちゃん。
 
 留めても止まらないのが、恋の道。
 だれにも邪魔はさせないぞ、男振りのいい、昔気質の派手奴!
 これがかまわぬ(物事にとんちゃくしない)男の第一条件さ。
 
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tea breaku・海中百景
photo by  和尚

丁稚

2010-07-01 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
111ー「丁稚」(1815・文化12年・中村座)

言葉とは不思議なもので、時代時代で流行の言葉が生まれる。
この時代は蘭学ばやりで、イギリス語・ロシア語・支那語なども次々と入ってくる。

庶民は聞き慣れない言葉を並べ立て、面白がって遊んだようだ。

『アンナン コンナン
 女が大事か ハクラクリュウ太鼓
 散茶ハンエイ エゾエンメイ
 ビングルリュウチャ ウガンキュウ
 キュウツウエイ スウツエイ
 さあ スンコロク チョカハッタラ
 キュウサノリュウセンシュ
 スイシュデリュウチャ
 スイシュデリュウチャ
 ユルルッテン ソッテンエイ
 まつはカンゲのな
 スウスウベン滑らんしょ
 妙妙だに見世繁盛
 チュウチュがヨカモニ チンガラモ
 モソモソ可愛よか そじゃわいな
 パアパア』

これは意味不明。
こんな歌詞を書く篠田金治もりっぱだが、
へい、と作曲する杵屋勝五郎も偉い!
 
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tea breaku・海中百景
photo by 和尚

正札付

2010-06-30 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
110-「正札付」(1817・文化11年・森田座)


「菊寿草摺」(6/22ブログ)で書いた草摺物の違うバージョンで、
ここでは道化役の小林朝比奈が留める。


『留めてとまらぬナ 無理酒に
 気強い朝のひぞり言
 エゝ 何じゃいな おかしゃんせ
 肩に手拭い 
 染めもかまわぬ江戸自慢
 かまいます 妙でんす
 派手な所がわしゃ嬉し
 これ留まらんせ』

●止めても止まらぬ酒の無理強いで、朝になって本気で、怒ること怒ること。
 ああ、おかしい。
 肩にかけた手拭いは、団十郎好みの江戸自慢。
 男女蔵好みの模様も、すてきに派手なところが、たまらない!
 ちょっと、お止まりよ。
  
“かまわぬ”とは、物事にこだわりませんという、
団十郎の身上を、鎌、輪、ぬ、の判じ物に表した模様。   
 


”かまいます”は、その反対を洒落た、市川男女蔵の模様。



何とも遊び心に溢れた、とんちじゃないか。
こいうことが江戸人のゆとりなのだ。
今の日本人にもこのような遊びを楽しむ余裕があるといいのですが…

俄鹿島踊

2010-06-29 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
109-「俄鹿島踊り」(1813・文化10年・中村座)

俄とは、上方のニワカが先行する、にわかに思いついた芸能のことだが、
吉原の場合は、独自のイベントを指すことばとなった。

新吉原が出来てからおよそ100年後(1762・宝暦12年)、
茶屋の主人たちが、8月1日の九郎助稲荷の祭礼に、俄芝居を仕立てて仲の町を練り歩いた。
これが殊の外受けたもので、調子に乗って数日間続けたのだそうな。

翌年はさらにグレードアップして、芸者たちが芸を競った。
そうこうするうちに、期間も大幅に延長、
8月半ばから9月半ばまで30日間に及ぶ「吉原俄」という名物になった次第。

鹿島とは、茨城県にある鹿島神社のことで、
毎年元旦になると、神官がその年の吉凶・豊凶を鹿島大明神の神託として触れて歩いた。
いつの頃からか偽神官が現れ、
でたらめな託宣をしては、お守りを売りつけるようになったのだが。

『さても見事な神いさめ
 思い寄せたる宮雀
 鈴振る 袖振る 振りもよし
 鳴りも吉原全盛遊び
 浮かれ浮かれて これわいな』

●さあさあ、すばらしい託宣だよ。
 神官さんは今年の予想を持ってきた。
 振り下ろす鈴の音色も絶好調、吉原も今が全盛、
 浮きに浮かれて、やってみよう。

この曲は実際の吉原俄のための曲ではなく、
坂東三津五郎(3代目)の12変化の所作の地として作られたもの。

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tea breaku・海中百景
photo by 和尚