<しばらくアップするの忘れてました・・・ずいぶん間があいてしまってすんまっせーん(謝)
前回は10月3日アップでした。・・・続けてアップしますのでよろしくです。>
何てことなの…・
私は何も言うべき言葉が見つからなかった。今まで、兄さんは一言もそんな話はしてくれなかった。ううん、少し違う。きっと兄さんも話せなかったんだ・・・。口にすることがとてもじゃないけど出来なかったんだ。
お母さんはすべて話してくれた。兄さんのこと――兄さんの父親は誰だったのか、何があって生まれたのか・・・どうして兄さんを施設に預けて…しかも一度も訪ねなかったのか・・・それから兄さんが放浪していた理由――これはお母さんも知らなかったことだけど、その原因はほぼ間違いなく知ることが出来た――。とにかく、全部。そしてわかった。兄さんが言ってた、身体が全身で拒絶すると言った意味。あれはたとえなんかじゃなかった、本当のことだったんだ…。
私はもう悲しいやら辛いやら、何に対してかわからない悔しさや怒りや…そういったすべての負の感情でいっぱいになってしまった。とにかく…とにかく兄さんはなんてすさまじいものを背負っているのだろう?! なんてまがまがしく重い荷物を背負っているのだろう? ・・・それなのに、どうしてあんなに優しいんだろう・・・。私は何も知らずに兄さんに甘えているばかり。兄さんはきっと、今も苦しんでいるの違いないのに…。
父さんは――父さんももちろん、この話は初めて聞いたに違いない。難しい顔で腕を組んでうつむいている。でも、私が涙ぐんだのに気づいて、そっと腕をほどいて肩を抱いてくれた。それから父さんはかすかに微笑んで口を開いた。
「大変だったね、美和さん。いや、よく話してくれた。」
お母さんは驚いた顔を上げた。お母さんも涙を浮かべていて、顔を上げた拍子にそれが転がり落ちた。父さんは優しい笑みを浮かべている。
「確かに・・・僕もそれはひどいことをしてしまったなと言わざるをえない。でも、過ぎたことは悔やんでも仕方がないよ。それにあなたはそれを背負い込んでるんだよね。逃げないで、ずっと忘れずに背負って生きる覚悟でいるんだろう? ・・・僕は思うのだけれど、美和さん、和行君はそれをきっとわかっていると思う。あなたの覚悟はとっくに知っているよ。僕も知った。ワカも知った。こういうのは一人で持つとホントに重い。でも、皆で持てばきっとそうでもないよ。…あなたも自分ひとりで抱えるのはやめて、僕たちにも任せてみないか?」
それから父さんは私に言った。
「いいよね、ワカ。今の話でワカはお母さんが嫌いになったか?」
私はもちろん激しく首を横に振る。
「だよね? 僕たちは美和さんの味方だよ。ずーっと辛い思いをし続けていたんだよね、美和さん。僕が気づいてあげるべきだったのに申し訳ない。」
「いいえ! いいえ、そんな・・・あなたが謝ることじゃないのに・・・。」
「いや、夫のクセに、あなたに強引に結婚を申し込んだクセにわかっていなかったのは失格に等しいよ。だからこれからは何でも話してよね。だから…はい、これ。」
父さんは胸のポケットからさっきの紙切れ――兄さんからのメッセージを取り出してお母さんに渡した。お母さんはそれをこわごわ開いた――
みるみるうちにまた涙がわいて流れた。それが悲しいものではないことは私にもすぐわかった。お母さんはハンカチを取り出して目を抑えその紙をテーブルに置いた。
「私も見ていいの?」
「ああ。いいと思うよ。」
父さんはそう言ってその紙をとって私に見せた。そこに書かれているのは――
『あなたと会って話がしたい。
良ければ1月4日午後1時、湘南海岸の西側にある小さな浜へ来てください。
江ノ島の前の海岸通を西にまっすぐ、駅から20分ほど歩いたところです。
道沿いにSUNSETという名の喫茶店があります。そこが私の店です・
そのすぐ前に浜に下りる階段があります。私はそこであなたを待っています。
ずっと待っています。』
メッセージはそれだけだったけれど…兄さんの気持ちは何も書かれていないけれど、それだけで十分にお母さんには嬉しいものだということは明らかだった。
「兄さん・・・! お母さん、良かったね! 兄さんが会いたいって! こないだは会いたくないって言ってたけど、今度は自分から会いたいって言ってくれたじゃない!」
私は本当に嬉しくなった。兄さんのどういう心境の変化かはわからないけど、やっぱり兄さんはいろいろ考えてくれてたんだ。お母さんも何度も頷いた。
「ええ、ええ・・・。」
「良かった・・・。父さん!」
「うん、良かったよ・・・。」
父さんも嬉しそうだ。
でも・・・私も思わず喜んだけど、本当に大丈夫なんだろうか? あれほど強く拒否した兄さんが・・・理屈じゃなく身体の不調まで引き起こされるんだと言ってた兄さんが・・・。こないだ話していた時も、確かに少し気分が悪そうだった。私が相手で、話題にしただけでも辛そうだったのに、いきなりお母さん本人と話が出来るんだろうか・・・。私はにわかに心配になった。
「父さん、私もお母さんについて一緒に行くわ。」
私は兄さんが心配だったし、それにお母さんのことも心配になったのでそう言った。しかい、父さんは首を横に振った。
「ワカ、気持ちはわかるけど行っちゃだめだ。」
「どうして? 私、兄さんの邪魔をしようっていうんじゃないのよ、ただ――」
「行くだけで邪魔になるんだよ。和行君もね、きっとワカがついて来たがるだろうけど来させないでくれと言ってきたよ。」
「ええっ…。」
兄さんが…。大丈夫なんだろうか・・・いろんな意味で。それともそうして自分を追い込んでいるんじゃないのかしら…。
「いいかい、心配なのはわかるけど、ここは和行君に任せなさい。絶対行っちゃダメだよ。」
「うん…。」
大丈夫? ホントに・・・?
それから後、私たちは久しぶりに親子三人夕食の鍋を囲んだ。ここに兄さんが加わってくれる日がもしかしたら近いのかな? それとも兄さんは…やっぱりお母さんを受け入れてはあげないんだろうか。あの状態では何とも言えない。それに、今日初めて聞いた真実の話…。
私は何とか気を取り直して笑おうとしたけれど、やっぱりその話が重くのしかかって、胸がつかえて仕方がなかった。兄さんはこんな辛い思いをずっと抱えてきているんだ。それなのに私には・・・ううん、きっと兄さんは誰にも優しいと思う。それはそういう辛さを知っているから、苦労して生きてきたからなんだろう。そういう人ほど、ヒトには優しいっていうもの。
お母さんは久しぶりに楽しかったと言って、満面とはいかないけれど一応笑顔で帰って行った。今、お母さんは埼玉県の熊谷市に住んでいる。ここ、佐久市と以前兄さんがいた横浜市と、中間に位置するところにいたいということだった。熊谷なら長野新幹線に乗れば案外近い。佐久平で降りてここまでは路線バスですぐ来れる。そういうと、お母さんは私たちのことも十分気にかけてくれているのは確かだ。兄さんは横浜じゃなく藤沢市だからもう少し遠かったわけだけれど、お母さんとしては横浜がよりどころだったんだ。
今日の話じゃ、10年前に兄さんを訪ねてから一度も会っていないみたいだし、その後も兄さんが今どこにいるのか知ることも出来ず、ただ、私たちの話を聞いて、元気で暮らしているということだけを支えにしていたのだと思う。
可哀相と言っていいのかどうかわからないけれど・・・お母さんも可哀相だ…。もし私がお母さんの立場だったらどうだろう…。
確かにお母さんは兄さんにひどいことをしたかもしれないけれど、無理もないとも思える。もちろん、何の罪もない兄さんにしてみれば理不尽この上ないことなのだけれど。では、だからって、その…兄さんの父親に当たる人を非難してすべてその人が悪いんだと否定することも完全には出来ないように思う。だって、その人がいなければ兄さんも存在していないのだから。兄さんの一番の苦悩はそこにある。その人を非難することは自分の存在を非難することにもなってしまうのだから…。私なら…私ならどうしただろう、どう思っただろう…。
ダメだ、想像もつかない…。
私は本当に心配でたまらなくなった。兄さん、大丈夫かな…お母さんとする話って、すごく重く辛いことだろう。心が引き裂かれるようなことだろう。壊れないよね・・・お母さんも平気ではいられないだろうに・・・。どうしよう、どうすれば…。
・・・TO BE CONNTINUED.
前回は10月3日アップでした。・・・続けてアップしますのでよろしくです。>
何てことなの…・
私は何も言うべき言葉が見つからなかった。今まで、兄さんは一言もそんな話はしてくれなかった。ううん、少し違う。きっと兄さんも話せなかったんだ・・・。口にすることがとてもじゃないけど出来なかったんだ。
お母さんはすべて話してくれた。兄さんのこと――兄さんの父親は誰だったのか、何があって生まれたのか・・・どうして兄さんを施設に預けて…しかも一度も訪ねなかったのか・・・それから兄さんが放浪していた理由――これはお母さんも知らなかったことだけど、その原因はほぼ間違いなく知ることが出来た――。とにかく、全部。そしてわかった。兄さんが言ってた、身体が全身で拒絶すると言った意味。あれはたとえなんかじゃなかった、本当のことだったんだ…。
私はもう悲しいやら辛いやら、何に対してかわからない悔しさや怒りや…そういったすべての負の感情でいっぱいになってしまった。とにかく…とにかく兄さんはなんてすさまじいものを背負っているのだろう?! なんてまがまがしく重い荷物を背負っているのだろう? ・・・それなのに、どうしてあんなに優しいんだろう・・・。私は何も知らずに兄さんに甘えているばかり。兄さんはきっと、今も苦しんでいるの違いないのに…。
父さんは――父さんももちろん、この話は初めて聞いたに違いない。難しい顔で腕を組んでうつむいている。でも、私が涙ぐんだのに気づいて、そっと腕をほどいて肩を抱いてくれた。それから父さんはかすかに微笑んで口を開いた。
「大変だったね、美和さん。いや、よく話してくれた。」
お母さんは驚いた顔を上げた。お母さんも涙を浮かべていて、顔を上げた拍子にそれが転がり落ちた。父さんは優しい笑みを浮かべている。
「確かに・・・僕もそれはひどいことをしてしまったなと言わざるをえない。でも、過ぎたことは悔やんでも仕方がないよ。それにあなたはそれを背負い込んでるんだよね。逃げないで、ずっと忘れずに背負って生きる覚悟でいるんだろう? ・・・僕は思うのだけれど、美和さん、和行君はそれをきっとわかっていると思う。あなたの覚悟はとっくに知っているよ。僕も知った。ワカも知った。こういうのは一人で持つとホントに重い。でも、皆で持てばきっとそうでもないよ。…あなたも自分ひとりで抱えるのはやめて、僕たちにも任せてみないか?」
それから父さんは私に言った。
「いいよね、ワカ。今の話でワカはお母さんが嫌いになったか?」
私はもちろん激しく首を横に振る。
「だよね? 僕たちは美和さんの味方だよ。ずーっと辛い思いをし続けていたんだよね、美和さん。僕が気づいてあげるべきだったのに申し訳ない。」
「いいえ! いいえ、そんな・・・あなたが謝ることじゃないのに・・・。」
「いや、夫のクセに、あなたに強引に結婚を申し込んだクセにわかっていなかったのは失格に等しいよ。だからこれからは何でも話してよね。だから…はい、これ。」
父さんは胸のポケットからさっきの紙切れ――兄さんからのメッセージを取り出してお母さんに渡した。お母さんはそれをこわごわ開いた――
みるみるうちにまた涙がわいて流れた。それが悲しいものではないことは私にもすぐわかった。お母さんはハンカチを取り出して目を抑えその紙をテーブルに置いた。
「私も見ていいの?」
「ああ。いいと思うよ。」
父さんはそう言ってその紙をとって私に見せた。そこに書かれているのは――
『あなたと会って話がしたい。
良ければ1月4日午後1時、湘南海岸の西側にある小さな浜へ来てください。
江ノ島の前の海岸通を西にまっすぐ、駅から20分ほど歩いたところです。
道沿いにSUNSETという名の喫茶店があります。そこが私の店です・
そのすぐ前に浜に下りる階段があります。私はそこであなたを待っています。
ずっと待っています。』
メッセージはそれだけだったけれど…兄さんの気持ちは何も書かれていないけれど、それだけで十分にお母さんには嬉しいものだということは明らかだった。
「兄さん・・・! お母さん、良かったね! 兄さんが会いたいって! こないだは会いたくないって言ってたけど、今度は自分から会いたいって言ってくれたじゃない!」
私は本当に嬉しくなった。兄さんのどういう心境の変化かはわからないけど、やっぱり兄さんはいろいろ考えてくれてたんだ。お母さんも何度も頷いた。
「ええ、ええ・・・。」
「良かった・・・。父さん!」
「うん、良かったよ・・・。」
父さんも嬉しそうだ。
でも・・・私も思わず喜んだけど、本当に大丈夫なんだろうか? あれほど強く拒否した兄さんが・・・理屈じゃなく身体の不調まで引き起こされるんだと言ってた兄さんが・・・。こないだ話していた時も、確かに少し気分が悪そうだった。私が相手で、話題にしただけでも辛そうだったのに、いきなりお母さん本人と話が出来るんだろうか・・・。私はにわかに心配になった。
「父さん、私もお母さんについて一緒に行くわ。」
私は兄さんが心配だったし、それにお母さんのことも心配になったのでそう言った。しかい、父さんは首を横に振った。
「ワカ、気持ちはわかるけど行っちゃだめだ。」
「どうして? 私、兄さんの邪魔をしようっていうんじゃないのよ、ただ――」
「行くだけで邪魔になるんだよ。和行君もね、きっとワカがついて来たがるだろうけど来させないでくれと言ってきたよ。」
「ええっ…。」
兄さんが…。大丈夫なんだろうか・・・いろんな意味で。それともそうして自分を追い込んでいるんじゃないのかしら…。
「いいかい、心配なのはわかるけど、ここは和行君に任せなさい。絶対行っちゃダメだよ。」
「うん…。」
大丈夫? ホントに・・・?
それから後、私たちは久しぶりに親子三人夕食の鍋を囲んだ。ここに兄さんが加わってくれる日がもしかしたら近いのかな? それとも兄さんは…やっぱりお母さんを受け入れてはあげないんだろうか。あの状態では何とも言えない。それに、今日初めて聞いた真実の話…。
私は何とか気を取り直して笑おうとしたけれど、やっぱりその話が重くのしかかって、胸がつかえて仕方がなかった。兄さんはこんな辛い思いをずっと抱えてきているんだ。それなのに私には・・・ううん、きっと兄さんは誰にも優しいと思う。それはそういう辛さを知っているから、苦労して生きてきたからなんだろう。そういう人ほど、ヒトには優しいっていうもの。
お母さんは久しぶりに楽しかったと言って、満面とはいかないけれど一応笑顔で帰って行った。今、お母さんは埼玉県の熊谷市に住んでいる。ここ、佐久市と以前兄さんがいた横浜市と、中間に位置するところにいたいということだった。熊谷なら長野新幹線に乗れば案外近い。佐久平で降りてここまでは路線バスですぐ来れる。そういうと、お母さんは私たちのことも十分気にかけてくれているのは確かだ。兄さんは横浜じゃなく藤沢市だからもう少し遠かったわけだけれど、お母さんとしては横浜がよりどころだったんだ。
今日の話じゃ、10年前に兄さんを訪ねてから一度も会っていないみたいだし、その後も兄さんが今どこにいるのか知ることも出来ず、ただ、私たちの話を聞いて、元気で暮らしているということだけを支えにしていたのだと思う。
可哀相と言っていいのかどうかわからないけれど・・・お母さんも可哀相だ…。もし私がお母さんの立場だったらどうだろう…。
確かにお母さんは兄さんにひどいことをしたかもしれないけれど、無理もないとも思える。もちろん、何の罪もない兄さんにしてみれば理不尽この上ないことなのだけれど。では、だからって、その…兄さんの父親に当たる人を非難してすべてその人が悪いんだと否定することも完全には出来ないように思う。だって、その人がいなければ兄さんも存在していないのだから。兄さんの一番の苦悩はそこにある。その人を非難することは自分の存在を非難することにもなってしまうのだから…。私なら…私ならどうしただろう、どう思っただろう…。
ダメだ、想像もつかない…。
私は本当に心配でたまらなくなった。兄さん、大丈夫かな…お母さんとする話って、すごく重く辛いことだろう。心が引き裂かれるようなことだろう。壊れないよね・・・お母さんも平気ではいられないだろうに・・・。どうしよう、どうすれば…。
・・・TO BE CONNTINUED.