この1年・・・というか、1年半なのですが
先月、久しぶりにこのブログを更新したそのほん数日前。
実は1年半闘病生活を送っていた夫を見送りました。
とりあえず一段落したところで
なんというか・・・気を紛らわせたいと言うのとはちょっと違うのですが
気持ちの整理・・・というのとも微妙に違うのですが
両親の介護、看護で始めたこのブログでもありましたから
夫のことも書き留めておこうと思いまして
ただ、本ブログは長いこと放置しておりましたので
つらつらとまず楽しい話(コロナ云々は楽しいかどうかわからんけど)を前置きとして
それからおもむろに・・・と思いまして今に至ります。
夫とは2012年の秋から別居しておりまして
年に数えるほどしか会うことがありませんでした。
まあ、メールや電話はちょいちょいしておりましたし
会えば普通にいろいろ話してご飯食べて、と
なんか友達みたいなつきあいになっておりました。
いわゆる卒婚というやつ? 婚姻関係を解消するのではなく卒業するっていうような。
そんな感じでおりました。
で、夫は数年前からなんか鳩尾あたりの具合が良くないとは申しておったのです。
だからさんざん胃カメラ受けろ、イマドキの胃カメラは苦しくない、
軽い麻酔でうとうとしてる間にちゃっちゃと終わるで(←経験者)と勧めとったのですが
何しろ大の医者嫌いの病院嫌い。
そうは言っても糖尿病で定期的に通院してたんだから、
ドクターに相談して検査受けろってホンマさんざん忠告したのにさ~・・・
「どうしようもなくなったら行くわ」て、
「どうしようもなくなった時にはもうどうしようもないで!」と言ったのに
いざ、ホンマにどうにも我慢できなくなって胃カメラ受けた時はすでにステージⅣ。
・・・だからあれほどゆうたのに・・・。
昨年2月にたまらんようになって受診した時には
胃がんが食道まで進行して塞がってしまい食べ物が通らなくなってました。
3月のヒメコの結婚式が済むまでなんとか誤魔化そうと思ってたそうですが
それまで誤魔化しきれず。
ていうか、もーっとずーっと前に検査受けてちゃんと治療してりゃあ
なんの支障もなく・・・とまでは行かなかったとしても
なんとか健常者並みにはなってたと思うのに。
だから、夫はヒメコの結婚式には出ませんでした。
食べられないから披露宴には出ない、
それは仕方ないとしてせめて結婚式だけでも出りゃいいのに
何ですかね・・・
「結婚式だけ出て披露宴前に帰るとも考えたけどそういうわけにも行かんやろ」て
全然行かんことないやん!
そんなん、病気じゃしゃあない、それで文句言うような人は誰もおらんわ!
・・・とゆうたんですがね
モーニング借りる予約までしてたのにキャンセルして、結局出席せずじまいでした。
ヒメコもお父さんに結婚式だけでも来て、見て欲しかった・・・と
そらそうやんなあ・・・いったい何の意地なのか、今もって理解できません。
ただただ、それだけは残念極まりないです。
後で責めてもしゃあないので、式後は私ももう言いませんでしたけど。
そのため、今年になって入院して近親者呼んでくださいと言われるまで
ヒメコの旦那さんとはちゃんと挨拶せずじまい。
(つきあってやったときにチラッと逢ったことはあった)
旦那さんのご両親とは生前一度もお目にかかれずじまい・・・。
まあ・・・なんなんやろなあ、と思いつつも・・・
まあ・・・自閉気味で、普通の人ではなかったからね・・・。
ある意味、この人らしかったと言えば言える。
とにかくも・・・今年3月患部よりそこそこの出血があり
抗がん剤治療していた病院に救急で緊急入院、
その出血はなんとか収まったものの主治医からは
「これ以上の抗がん剤治療は負担ばかり増えて改善はもう見込めない」と言われ
少し落ち着いたところでホスピスに転院し、そこで3カ月余りの入院して
最期を迎えることになりました。
食べられない状況だったのでどんどん痩せてしまって
最期は本当に骨と皮だけになってしまい
それでも、ホスピスに入ってからかな、主治医の先生とヒメコの指導?で
LINE始めてLINEでビデオ通話始めて。
何しろコロナ禍ですから、一週間にたった10分、二人までしか面会できませんでした。
だからビデオ通話。
それまでは相手の目を見て話をするということがまったく出来ない人でしたが
ビデオ通話だと画面を見るからやっと目を見て話せた気がします。
とはいえ、ビデオ通話始めた時はもう自力でスマホも持てず
声も出なくなってたのですが・・・・
あまり良い妻であったとは私自身は全然言えないんですが~・・・
まだよく喋れた時に「あんたと結婚して良かった」
「賢母かどうかはわからんけど良妻や」
などとのたまわれました・・・
まあ?「今更何ゆうてんの?!」ですけどなww
最後に面会に行った時そろそろ今晩あたりかも・・・とは看護師さんからきいてたけど
いったん帰宅しての翌朝、早い時間に「すぐ来てください」と電話があり
次女のこんこんと駆けつけました。
看護師さんがずっと声をかけててくださって、
ついた時はまだ少し反応がありましたが
ほんの10分か15分後には脈がとれなくなりました。
「待ってはったんやと思います、来てくれたので安心しはったんでしょう。」
と、看護師さんに言っていただきました。
それからは怒涛の事務的作業・・・とりあえずヒメコと、息子のあーちゃんと
夫の妹を呼んで、あちこちに連絡して
葬儀社に連絡して葬儀のあれやこれや・・・息つくヒマもなし
葬儀が済んだらいろんな支払いやら申請やら・・・
役所やら保険屋やらいろんな解約やら引落口座の変更やら年金の手続きやら
やることが・・・やることが多い!!
いや、ホンマにやることが多い・・・・・!!
ひと月半かかってやっとほぼいろんな手続きがすんで
後は・・・ちゃんと申請ができてるかとかの結果待ちという感じで
ああ・・・・・・・・・。
一説には、遺族はそうやってあれこれやることがあるうちに
何となく気がまぎれて落ち着いて行く、なんてな話。
そうかもしれないですね。
そして正直、なんとなく実感があるようなないような。
別居してたからなおさらかもです。
未だにKN市の家に行けばごろごろしてるような
ホスピスに面会に行けば会えるような、またLINE通話してくるような・・・
なんとなく、ね、そうかこれが
「どっかでまた会えるような気がする」ってヤツか、とか。
世間では「旦那が先に死んだら女は元気で長生きする」とよく言われます。
(逆に「奥さんが先に死んだら男はすぐ死ぬ」なんてことも。)
ぜひ、そうありたいなんて思ってます。
うん、私はあーたの分も長生きするでえ。それが良妻ってもんやろ!
・・・なーんてね。
とりま、ひきつづき、自分が楽しいと思った話をキロクしていきたいと思ってます。
先月、久しぶりにこのブログを更新したそのほん数日前。
実は1年半闘病生活を送っていた夫を見送りました。
とりあえず一段落したところで
なんというか・・・気を紛らわせたいと言うのとはちょっと違うのですが
気持ちの整理・・・というのとも微妙に違うのですが
両親の介護、看護で始めたこのブログでもありましたから
夫のことも書き留めておこうと思いまして
ただ、本ブログは長いこと放置しておりましたので
つらつらとまず楽しい話(コロナ云々は楽しいかどうかわからんけど)を前置きとして
それからおもむろに・・・と思いまして今に至ります。
夫とは2012年の秋から別居しておりまして
年に数えるほどしか会うことがありませんでした。
まあ、メールや電話はちょいちょいしておりましたし
会えば普通にいろいろ話してご飯食べて、と
なんか友達みたいなつきあいになっておりました。
いわゆる卒婚というやつ? 婚姻関係を解消するのではなく卒業するっていうような。
そんな感じでおりました。
で、夫は数年前からなんか鳩尾あたりの具合が良くないとは申しておったのです。
だからさんざん胃カメラ受けろ、イマドキの胃カメラは苦しくない、
軽い麻酔でうとうとしてる間にちゃっちゃと終わるで(←経験者)と勧めとったのですが
何しろ大の医者嫌いの病院嫌い。
そうは言っても糖尿病で定期的に通院してたんだから、
ドクターに相談して検査受けろってホンマさんざん忠告したのにさ~・・・
「どうしようもなくなったら行くわ」て、
「どうしようもなくなった時にはもうどうしようもないで!」と言ったのに
いざ、ホンマにどうにも我慢できなくなって胃カメラ受けた時はすでにステージⅣ。
・・・だからあれほどゆうたのに・・・。
昨年2月にたまらんようになって受診した時には
胃がんが食道まで進行して塞がってしまい食べ物が通らなくなってました。
3月のヒメコの結婚式が済むまでなんとか誤魔化そうと思ってたそうですが
それまで誤魔化しきれず。
ていうか、もーっとずーっと前に検査受けてちゃんと治療してりゃあ
なんの支障もなく・・・とまでは行かなかったとしても
なんとか健常者並みにはなってたと思うのに。
だから、夫はヒメコの結婚式には出ませんでした。
食べられないから披露宴には出ない、
それは仕方ないとしてせめて結婚式だけでも出りゃいいのに
何ですかね・・・
「結婚式だけ出て披露宴前に帰るとも考えたけどそういうわけにも行かんやろ」て
全然行かんことないやん!
そんなん、病気じゃしゃあない、それで文句言うような人は誰もおらんわ!
・・・とゆうたんですがね
モーニング借りる予約までしてたのにキャンセルして、結局出席せずじまいでした。
ヒメコもお父さんに結婚式だけでも来て、見て欲しかった・・・と
そらそうやんなあ・・・いったい何の意地なのか、今もって理解できません。
ただただ、それだけは残念極まりないです。
後で責めてもしゃあないので、式後は私ももう言いませんでしたけど。
そのため、今年になって入院して近親者呼んでくださいと言われるまで
ヒメコの旦那さんとはちゃんと挨拶せずじまい。
(つきあってやったときにチラッと逢ったことはあった)
旦那さんのご両親とは生前一度もお目にかかれずじまい・・・。
まあ・・・なんなんやろなあ、と思いつつも・・・
まあ・・・自閉気味で、普通の人ではなかったからね・・・。
ある意味、この人らしかったと言えば言える。
とにかくも・・・今年3月患部よりそこそこの出血があり
抗がん剤治療していた病院に救急で緊急入院、
その出血はなんとか収まったものの主治医からは
「これ以上の抗がん剤治療は負担ばかり増えて改善はもう見込めない」と言われ
少し落ち着いたところでホスピスに転院し、そこで3カ月余りの入院して
最期を迎えることになりました。
食べられない状況だったのでどんどん痩せてしまって
最期は本当に骨と皮だけになってしまい
それでも、ホスピスに入ってからかな、主治医の先生とヒメコの指導?で
LINE始めてLINEでビデオ通話始めて。
何しろコロナ禍ですから、一週間にたった10分、二人までしか面会できませんでした。
だからビデオ通話。
それまでは相手の目を見て話をするということがまったく出来ない人でしたが
ビデオ通話だと画面を見るからやっと目を見て話せた気がします。
とはいえ、ビデオ通話始めた時はもう自力でスマホも持てず
声も出なくなってたのですが・・・・
あまり良い妻であったとは私自身は全然言えないんですが~・・・
まだよく喋れた時に「あんたと結婚して良かった」
「賢母かどうかはわからんけど良妻や」
などとのたまわれました・・・
まあ?「今更何ゆうてんの?!」ですけどなww
最後に面会に行った時そろそろ今晩あたりかも・・・とは看護師さんからきいてたけど
いったん帰宅しての翌朝、早い時間に「すぐ来てください」と電話があり
次女のこんこんと駆けつけました。
看護師さんがずっと声をかけててくださって、
ついた時はまだ少し反応がありましたが
ほんの10分か15分後には脈がとれなくなりました。
「待ってはったんやと思います、来てくれたので安心しはったんでしょう。」
と、看護師さんに言っていただきました。
それからは怒涛の事務的作業・・・とりあえずヒメコと、息子のあーちゃんと
夫の妹を呼んで、あちこちに連絡して
葬儀社に連絡して葬儀のあれやこれや・・・息つくヒマもなし
葬儀が済んだらいろんな支払いやら申請やら・・・
役所やら保険屋やらいろんな解約やら引落口座の変更やら年金の手続きやら
やることが・・・やることが多い!!
いや、ホンマにやることが多い・・・・・!!
ひと月半かかってやっとほぼいろんな手続きがすんで
後は・・・ちゃんと申請ができてるかとかの結果待ちという感じで
ああ・・・・・・・・・。
一説には、遺族はそうやってあれこれやることがあるうちに
何となく気がまぎれて落ち着いて行く、なんてな話。
そうかもしれないですね。
そして正直、なんとなく実感があるようなないような。
別居してたからなおさらかもです。
未だにKN市の家に行けばごろごろしてるような
ホスピスに面会に行けば会えるような、またLINE通話してくるような・・・
なんとなく、ね、そうかこれが
「どっかでまた会えるような気がする」ってヤツか、とか。
世間では「旦那が先に死んだら女は元気で長生きする」とよく言われます。
(逆に「奥さんが先に死んだら男はすぐ死ぬ」なんてことも。)
ぜひ、そうありたいなんて思ってます。
うん、私はあーたの分も長生きするでえ。それが良妻ってもんやろ!
・・・なーんてね。
とりま、ひきつづき、自分が楽しいと思った話をキロクしていきたいと思ってます。