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ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

ジュリー・ラテライブ・ランダム再生①

2016年07月23日 23時52分06秒 | ジュリー・・・思い出SONGSあれやこれや
はい、お待たせいたしましたでしょうかどうでしょうか?
コンサートライブのセトリ紹介に続きましてはこれですよ。
勝手に名付けてラテライブ・ランダム再生!

カフェラテとは関係ございません。
ラテ=ラジオ&テレビ。

広告業界では新聞のラジオ・テレビ番組表の面を「ラテ面」と申します。
朝日新聞の最後の面は”テ”だけですけど。
関係ないけど、ラテ面の中に(特に記事の中に)四角い枠囲みの広告が載ってることがありますが
あれを「ラテ中(なか)」と申します。記事本文の中は「記事中(きじなか)」。まんまですが。

てな話は置いといて。すぐ横道逸れる。

で、思いつくままなので時系列には並びません。だからランダム再生です。


では、まずその筋では(たぶん)伝説と化している(ような気がする)
テレビスタジオでのワンマンライブ「セブンスターショー」のセトリ紹介から参ります!

放送は1976年2月15日
「TBSサンデースペシャル・セブンスターショー 沢田研二特集」
たった一度の放映で、DVD化もされていない、
当時ビデオデッキ持ってた人はお金持ち?! 
だってビデオデッキが一般的になり始めたのは1980年ごろで
それもVHSモノラルにもかかわらず30万円したもの!!
こうゆうのするのはTBSで久世光彦(くぜてるひこ)プロデューサーを置いて他にいない!
セブンスターとは7人のスターが順繰りで毎週取り上げられた、ていうのも確かですが
もともとはたばこのセブンスターを指す。それにひっかけた企画と言うわけです。
要はスポンサーが煙草屋さん、当時の日本専売公社。つか、専売公社って番組のスポンサーになれたの?!
・・・・なれたんやろうなあ、だからこんなタイトルの番組が存在した。(だったと思う。)

ジュリーはその第1回目に取り上げられたわけです。他の6名の話は割愛、失礼!

じゃあ、セトリ行きます。
何しろ一回しか放映されていないし、だから記憶は超絶曖昧。
でもフル録音はありますとも!・・・長いこと聞いてないけど^^;
ただ、何年もたってからどこかで誰かにビデオ映像見せてもらって再確認した覚えがある。
それもかなり昔のことなので、やはりよくわかりません。DVD化望む声多数!!
もう貸してくれた人とも疎遠になってて再見不可能。何故ダビングしなかった・・・


1.ジーザスクライスト・スーパースター
1977年のライブアルバム「ハムレット・イン・ジュリー」でも歌われた歌からスタート。
ほんまにうろ覚えですが、たしか体中?黒く塗った(濃い色のドーラン?)ジュリーが
クレーンの上に乗って高い場所で歌ってた・・・と思います。
ジーザスクライスト、もちろんイエス・キリストのことです。
2.立ちどまるなふりむくな

阿久悠・大野克夫コンビのちょっと地味だがそこそこ名曲。ジャケもそこそこかっこいい。
3.フランチェスカの鐘
よう知らんのですが二葉あき子さんという人が1948年に歌った歌らしい。
戦前から戦後にかけての大スターのお一人だとか。知らなくてすいません。
1948年てジュリーが生まれた年ですね。広島の原爆投下へのレクイエムだそうです。
4.モナリザの微笑

言わずと知れたザ・タイガースの大ヒット曲。3枚目のシングルでした。
これロックバンドか?・・・・番長グループの三羽ガラスといわれた不良少年が・・・
と思わせるには十分なジャケットやな・・・。
余談ですが、この頃ジュリーの母校・鴨沂高校で先生がジュリーのことを指して
「こんな生き方もある」と生徒たちに称賛してみせたのだそうだ。
5.絆(HALLYDAY)
資料が散逸してしまい、詳細がわかりません。ええ歌ですが。
原曲はフランス語の歌=シャンソンで、全然違う意味の歌詞だったのではと思われます。
訳詞・・・ていうか日本語詞は竜真知子さん。HALLYDAYとはジョニー・アリディのことではないかと。
つまり元はジョニー・アリディの歌なんでしょう、きっと。
すっごく簡単に歌詞の内容を紹介すると
女に振られて落ち込みまくっている親友を大げさなまでに励まし
「俺はお前を信じている!立て!お前の力でまた前に進むんだ!」と絶叫する、的な
・・・結構恥ずい歌だったりする・・・ややオーバーアクション気味で。
イヤ、メロディーラインとかは中々にカッケーんですけどさ。今、真剣に聞くとやっぱちょい恥ずい・・・
6.スティングのテーマ
古き良き映画「スティング」のメインテーマです。
これはハッキリ映像を覚えている。何と言って、まずピアノの鍵盤に置かれた手のアップから始まる。
で、ぐっとカメラが引くと、なんとなんと、大野克夫さんのアップではないか!!
当時めちゃめちゃファンだった(子供のくせに生意気にオトナのファンだった)ちゃちゃは
テレビの前でひっくり返りかけた。この時ほどビデオがあればと思った時はなかった。
(「お前がパラダイス」のカズさんの時も思ったけど、これはのちに入手したので満足。)
ホンキートンク・ピアノと言うものを知ったのもこの時です。
そしてこのピアノを耳コピで弾いた。ただしうちにあったのはエレクトーン。
7.月光値千金
もともとアメリカのポップスらしいけど、日本でも日本語の歌詞をつけて親しまれた名曲らしい。
それも戦前のことだそうで、あの榎本健一さんが歌ったりもしたそうで。
戦後はアメリカでナッキン・コールが歌って大ヒットしたとのことで。全部ウィキ調べですんません。
8.銀河のロマンス

言わずと知れたザ・タイガースの名曲、同名映画の主題歌でもありますが・・・・
ご存知の通りこの歌のB面はタイガース最大のヒット曲「花の首飾り」。
月刊明星の企画で一般公募した歌詞を元に作られた歌で、トッポこと加橋かつみさんが歌った。
それがA面を超えるヒットになったため、両A面とみなされるようになり
本来タイガースのリードボーカルであるジュリーは相当悔しい思いをしたようです。
プライドがいたく傷ついたというのもあったでしょうしね。そらそうやんな~・・・。
それが元でかつみと関係がぎくしゃくした部分もあったし、正直嫉妬心も感じたそうですし、
ジュリー自身もこのことは一生トラウマとなるとどこかで語っていたそうです。
きっと今でも事実トラウマとして残ってるんじゃないですかね。
9.時の過ぎゆくままに
今聴いてもよいですなあ、改めて、この歌は。
冒頭でジュリーが主演したTVドラマ「悪魔のようなあいつ」主人公の可門良の格好で
「可門良、28歳、職業、3億円事件、犯人」と言うセリフを言います。
三億円事件の犯人てジョブではないよね・・・。
放映された75年当時「時過ぎ」歌う前によく「可門良、27歳」と言ってました。
原作の設定ではずっと27歳だったのですが番組中誕生日を迎えます。
その日が8月15日、終戦記念日で、可門良がラジオかなんか聞いてて
「今日は終戦記念日です」と言うのに対して
「終戦? 敗戦と言え、敗戦と!」と吐き捨てるように言ってから
「あ・・・誕生日だ、俺の・・・」とつぶやく。・・・おい。
それ以降、ジュリーは「時過ぎ」の前振りのセリフを「28歳」に改めました。律儀?
10.危険なふたり。
11.お前は魔法使い
12.気になるお前
もうこの辺はカイセツ不要でしょ。
13.悪い予感
この時期のコンサートでもよく歌っていたミシェル・サルドゥの歌。
14.懺悔の値打もない
これは北原ミレイさんのデビュー曲ですがな。だいぶアレンジは変えてますけど。
阿久悠さんなんですね、作詞。すごいな、あの人は、何でも書いている。
この歌って、ここでのジュリーもオリジナルのミレイさんも通常4コーラス歌ってますが
実はそれ、1、2、3、5番の歌詞で、他に幻の4番が存在したのです。
あまりに暗い歌詞なのでカットされたとか理由ははっきりしませんが
3番の歌詞でナイフを握り憎い男に向かって行った主人公が
どうやら鉄格子の中にいるような歌詞(しかもまだハタチ)でした。
阿久悠さんが亡くなった後、ミレイさんがフルコーラスで歌ってはります。
今ならググれば映像が見られる。名曲ですね。カラオケにはあったかな~?
15.朝日のあたる家
これぞ名曲中の名曲!とちゃちゃは思う。好きです。
子ども心に、英語の歌ってすごいかっこいいと思わせたスタンダードナンバーの一つ。
アメリカンフォークで古くから歌い継がれた曲で、作者は不明なんですと。
やっぱボブ・ディランバージョンが日本では有名でしょうかね。
1970年代前半の日本のフォーク歌手はみな彼に影響されたと言いますしね。
このギター伴奏が実にカッケーっすね。コピったわ、ちゃちゃも、アコギで。
殆ど意味もわからんと歌った、歌本に載ってた・・・アニマルズバージョンで。ディランちゃうんかい。
てか、ジュリーの話せいや?? 。。。井上堯之さんのギターがカッケーかったです。はい。
16.許されない愛
これももはや言うことはないわ!
17.DIO COME TI AMO(ディオ・コメ・ティ・アモ)~愛は限りなく
ジリオラ・チェンクティーというイタリア人女性歌手の歌らしいです。
それを日本では伊東ゆかりさんが歌った。訳したのは「あらかはひろし」さんと言う人。
ていっても実はこれって架空の人物らしい。レコード会社とかのチームの名前とか
訳詞や作詞を本来の生業としていない人がペンネーム的に使ったとか何とか。
実は特撮ヒーロー物やアニメの原作者でもようある話です。
この歌はしっとり系のバラードですが、確かスタジオ内で”雨”を降らせて
その雨に打たれながら歌った映像を記憶しております。
18.いくつかの場面
ラストは当時ジュリーとジュリーのファンを泣かせたこの歌・・・コチラをご参照ください。
コチラに書いたのでここでは端折りますが、ホンマジュリー泣かせのええ歌です。
最後はエンディングにエンドロールがかかりつつジュリーのアップで終わります。

それにしても、です!
さすが久世さんの演出です、見事な映像でした、なぜDVD化せんのだ!
そして、これは加瀬さんの意見もかなり入っているはずですよね、
選曲が凄すぎます。特にカバー曲の選曲が。これは会場コンサートではありえない。
まさにテレビだからこそできたことではないでしょうか。
そしてジュリーを愛してやまない(変な意味ではない)久世さんだからこそできたのでしょう。
・・・まあ・・・久世さんの場合変な意味もあったんだけど。ホンマは。マジで。
(変と言ってはいけないか、昨今。)


ま、そんなこんなで今回これまで。毎度、お粗末!

で、・・・・次回予告。
1975年頃のFM大阪(FM東京とも言う)で放送されたやつでもあげようかと。
なんつーたかな、確か「サウンドアプローチ」。
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あの頃のジュリー・・・セトリあれこれ らすと~~~~~~~~

2016年05月08日 06時29分37秒 | ジュリー・・・思い出SONGSあれやこれや
記録をしていたジュリーのコンサートライブセトリ話は一応今回1989年ので終わりです。

1984年夏のツアー、そしてハワイフラフラ旅行団のライブから
ちょっと間があいたのはもちろん・・・カズさんがいなかったからだよ~

いちおー1985年の夏、独立後初のライブは見に行ったのですが
残念ながらすっごいガッカリしてしまいました(個人の感想です)・・・
泣けるくらい哀しかった~・・・(個人の!感想です!)
ユカリさん以外はほぼそのほんの少し前までショーケンのバックやってた人々だった。
正直ええ~~~~~~~~~?? なんで?????????????
・・・でした。何故にショーケンのバックの人が?・・・と。

ジュリーとショーケンの両方のファンと言う友人が当時おりまして
「ショーケンはEXOTICSをバックにはできへんけど
ジュリーはEXOでもショーケンのバンドでも使えるで」とよくゆうてました。
まさか、それが現実になるとわ。

とにかく、行ったは行ったけど、何にも覚えていません。
何の記録のしませんでしたし・・・・レコード(まだCDより優位だった)も買わなかったし
この時私は「ああ、もうジュリーのファンではなくなっちゃったなあ・・・」と思いました・・・

てな話はこの辺でやめて、1989年の、カズさん復帰後ちょっとたった頃、
バンド的には「JAZZ MASTER」になったばかりの頃のセトリをアップしたく思います。

何故かいつもの大阪フェスティバルホールではなく、地方都市のライブです。
関西人でない方々には「それドコ?」と言われるかもな大阪市の隣の市、
八尾(やお)市にある八尾市文化会館プリズムホール。1989年11月8日。
1988年開場ですんで、当時できたばっかしでしたね。

うろ覚えですが、確か月曜日かなんかで、
仕事があるので行けるかどうかわからんかったから前売りを買わず
当日行ったら立ち見になったんやったと思います。立ち見券なんてあってんね。

ではセトリ紹介。

1.VANITY FACTORY
1980年アルバム「G.S.I LOVE YOU」からサモノト作品。
これが一曲目とは珍しい。
2.彼女はデリケート
同じく。これもサノモト作品。
3.ポラロイドGIRL
当時のシングルリリース曲でなんとサエキけんぞう作詞プリプリの奥居香作曲。
ポラロイドは商品名なのでNHKで歌えなかったな~。
ここで一応ご挨拶が入ります。
「新しい歌や懐かしいお馴染みの曲いろいろ取り揃えて」とのお言葉が。
4.BYE BYE HANDY LOVE
アルバム「STRIPPER」からまたまたサノモト作品。
5.危険なふたり
いきなりの懐かし曲。
6.僕は泣く
時のアルバム「彼は眠れない」から。
4年経つうちにすっかりCDが主流になってもうレコード発売はなくなっていた。
但しシングルはまだちっちゃい8センチCDの時代でした。
7.堕天使の羽音
同じく。めちゃめちゃ久しぶりにこのアルバム聴いてみたけど中々に良かったなあ。
ここで少々MC。「八尾でございますね~」などと八尾の話を??
そしてJAZZ MASTERのメンバー紹介をはやばやと。
特に凝ってはいませんで、フツーにさらっと紹介。
ギター:柴山和彦 キーボード:朝本浩文 ドラム:村上ポンタ秀一 ベース:吉田建
朝本さん、確か2年ほど前に事故って意識不明になってたけど、回復したんかなあ・・・
他のお三方はめっさお元気な今日この頃。
8.カサブランカ・ダンディー
おおっと、そうきたか。
9.すべてはこの夜に
この時はアルバム「NON POLICY」バージョンではなく、
それ以前のステージで歌ってた古い方のアレンジバージョン。
たぶん建ちゃんアレンジだったのではないかいな。
これもサノモトですが、この回何故にサノモト祭り???
10.時の過ぎゆくままに
・・・・・・残念なお知らせ。歌詞を思いきり間違えた。
Aパート1番も2番も2番の歌詞で歌った・・・忘れてやれや?! すんませーん・・・!!
ギターがカズさん一人なのでアコギ使わなかった。エレキのみ。
1番でアコギ、2番でエレキ持ち替えなんてやって欲しかったなあ~・・・とか??
11.静かなまぼろし
「彼は眠れない」から。このCD60分以上あってんね。
当時カセットテープ60分に入らなくてウォークマンで持ちだしにくくて難儀した気が。
今では全く悩まなくていい悩み。テクノロジーどんだけ進んだ?

ここで長いMCに。話題はまず松田優作さんの訃報についてから。
1989年11月6日死去ですから、ほんの2日前やってんね・・・。
内田裕也さんの紹介で何度か一緒したとか、一度二人で呑もうといいつつ実現しなかったとか、
そういうちょっとした思い出話と、冥福を祈る言葉と。
それと、私はほとんど覚えてないんですが出演したドラマ「二人の医師」の話をからめて。
覚えてないと言うより、見てないな、多分、これ・・・・。
ググってもヒットしないばかりかウィキでは削除されとるがな・・・何でや?
「売れなくてもええやんか」の爆弾?発言もあり・・・
その後「売れようが売れまいが己が道を生きる」ジュリー・・・ですな。

12.噂のモニター
「彼は眠れない」から。
13.ストリッパー
人気曲が続きます~!
14.ダーリング
15.DOWN
「彼は眠れない」から・・・この後シングルリリースされた曲ですが
この年の紅白歌合戦では「ポラロイドGIRL」が歌えない代わりにこれを歌った。
ちなみにこの曲からレコード発売はなしになったとのこと。
てことは「ポラロイド」が最後のシングルレコード?! 持ってへんわ・・・
16.TIME IS ON MY SIDE
キターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!
何と何と、この曲やるかーーーー!!!
ローリングストーンズの名曲・・・なんですが、実はストーンズはオリジナルではなく
元々はインストだけのジャズ曲で後に詞をつけられていろんな人が歌ったとか。
ストーンズが録音して歌って大ヒットしたので代表曲扱いになってます。
ジュリーのザ・タイガースも初のアルバム=ライブアルバム
「THE TIGERS ON STAGE」での録音があり、
ソロになってからもよくセトリに入ってた名曲でありんすね。
ライブアルバムには入ってないみたいですが。
17.KI・MA・GU・RE
今は亡き忌野清志郎さん提供の曲。どっかのライブで一緒して合唱してました。合掌。
カンケーないけどそのステージでジュリーが
ギターを弾いてるカズさんをリフティングしていた。???
18.ジャストフィット
「ミスキャスト」から人気曲。ライブではやたらエンディングが長くなる。
19.晴れのちBLUE BOY
盛り上がり最強のラスト近くのスタンダード曲。ライブではやたらイントロとエンディングが長くなる。
20.彼は眠れない
アルバムタイトル曲。
21.DAYS
「ポラロイドGIRL」カップリング曲。個人的にはこっちのが好き。

ここからはアンコール。
22.気になるお前
これもキターーーーーーーーーーーー・・・・・のか? アンコールの定番やが。
23.DOWN
本日2回目。新バンドなのでレパートリーが少ないから・・と言う勿れ(言ってる)
24.PRETENDER
これはお珍しい!! アルバム「BAD TUNING」から。作曲宇崎竜童さんよ!
そして最後にもう一度メンバー紹介してお終い・・・・・

で。この頃お約束の2度目のアンコール。
25.ルナ
「彼は眠れない」から。実はアンコールまでとってあったな。
26.ポラロイドGIRL
もっかい!! レパートリーが少ないからと言う勿れ! たぶんわざとやね。

ちゃちゃとしてはこの後1990年、1991年と続けて
大阪フェスティバルホールでのコンサートには行ったのですが
そして1994年の安井かずみさん追悼コンサートにも行ったのですが・・・

ズズさんのセトリはDVDにもなってるのでググればでます。

それ以外は行ったけど記録がもう残ってません。

それ以来、昨年の中身は加瀬邦彦さん追悼的コンサートまで全然行ってないので
もはや紹介するものがなくなりました・・・・・

てなわけで、この後はTVやラジオでのスタジオライブセトリ紹介にシフトしたいと思います。
まだまだ挙げれるネタいっぱいやわ~、どんだけ濃いねん~!!

とりあえず、コンサートセトリ話はこれにてお了い。お粗末!!



おそまつと言えば最近売り出してるおそ松くんモノ・・・なんすか、アレ!!
びっくらこいた・・・・。あのイケメンデザインとかも・・・おいこれ、キセキの世代じゃね?

そしておそ松さんやて?!・・・中の人のゴージャスなこと・・・
・・・うわ、大阪でやってへん!!

あ、関係なくてスミマセン。
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あの頃のジュリー・・・セトリあれこれ⑰

2016年04月17日 21時20分02秒 | ジュリー・・・思い出SONGSあれやこれや
セトリ話もほぼほぼ最終回~!
この後ちょっとだけオマケ的なセトリ紹介ありますが
本編はおしまいってことで。
だから長いぞ。スペシャル細かいレポだぞ、出し惜しみなしだぞ、と。


トリは1984年 ハワイフラフラ旅行団でございます。

ハワイフラフラ旅行団とは・・・前回お話した通り。
では、具体的な中身を見てみましょう。

日程のいつ行われたのかは不明ですが、
まずは総勢700名参加の大大大ビンゴ大会!!
一回じゃなく、何回かしたみたいで(そりゃそうだ)
その度に主催者やゲストからのプレゼントが渡されたようです。
司会進行はナベプロの方だと思われますが
三回目のナンバー読み上げはなんと我らがカズ・柴山和彦さん!
そして・・・ゲームで一番に「ビンゴ!」の声を上げたのが
アキラ・西平彰くん!!!!!!!!!!!!!

ところが「これ、僕のじゃなくてカズさんのなんです。」

ナンバー読み上げ役のカズさんの分をアキラくんがやってたらしい!
カズさん自らナンバーを確認し、ビンゴ達成が確定。

しかし、そこでこの回のプレゼンターからツッコミ入りました。
「譲った方がいい。」
プレゼンターはスペシャルゲストとしてツアーに参加していた
忘れていないぜ、我らが兄貴・内田裕也さん!
カズさんも曰く「ホントは欲しいんだけど、譲った方がいいんじゃないかと
・・・だから、譲ります!」とてビンゴ続行・・・
商品が何だったのかは不明。そのへんは資料がなかった。

続いて、「新しいゲーム『サバイバルゲーム』といいますか、
生き残りゲームというのをやります。
・・・この手のゲームに関しては非常に才能のある、
紹介しましょう、エキゾティクスの吉田建博士でございます!」
そこで颯爽と吉田ケン登場。
「司会をやることになりましたエキゾティクスの吉田博士である。」
とのたまう吉田博士によると、
今回の1984年夏の全国縦断ツアーの中で
「あまりにも僕たち教養がないというので」
4回ほどメンバーやスタッフたちで宿舎で漢字テストや一般教養のテストをやり
教養アップを図ったとか・・・
「結果は非常にひどくて、漢字のテストに至っては中学生以下!
平均30点以下で、下は0点から上は60点。」絶望的ですね・・・。

さて、本題。
「やりかたはいたって簡単・・・寝ないで考えた・・・
ようはアメリカ縦断ウルトラクイズと同じですね。」
そして少々もたついてちょっと噛む・・・
「だってあがっってんだよ! だってベース持ってないんだよ!
ベース持たないで出ることないんだもん! 誰かベース持って来てよ~!」
意外と小心者であることが明らかになった。
「今から二択クイズを出すんで、手元にある〇か×の札を上げてください。
正解が〇の場合にはこの曲が流れます!・・・」
流れた曲はジュリーの「勝手にしやがれ」
「そして×の時はこの曲・・・」
ワイルドワンズの「思い出の渚」・・・場内大爆笑! 怒る加瀬さん・・・!!
ケン曰く「使用料払いますから!! 著作料払いますから!」
一度負けたらオワリ、敗者復活なし! 5位までに賞品あげる!

問題は以下の通り・・・良かったらやってみてね。

1.タイガースのデビュー曲は『シーサイドバウンド』である。
2.NHK紅白歌合戦で最初に金杯をもらったのは沢田研二である。
3.1リットルの水の重さは1キログラムである。
4.ジュリーのシングル『ダーリング』よりも『憎みきれないろくでなし』の方が先に発売された。
≪・・・この後数問は問題不明・・・アシカラズ。≫
13.エキゾティクスのメンバーの中でフジテレビから家が一番遠いのは僕、吉田建である。
14.「勝手にしやがれ」はハ短調の曲である。
15.ジュリーが卒業した中学校は京都市立鴨沂中学校である。
16.有名なジャズ喫茶『ドラム』は銀座にあった。
17.マウイ島には信号機が20以上ある。
18.ハワイ諸島とグアム島ではグアム島の方が赤道に近い
19.ゴキブリには羽が6枚ある。
20.三島由紀夫は東京大学卒業である。
20’NATOとは北大西洋条約機構である。
21.1982年、ジュリーはある雑誌に連載を持ったがそれは『JJ』である。
22.ドリフターズの高木ブーはオルガンを担当している。
23.(昭和天皇の)皇后陛下の名前は照子という。
24.エキゾティクスのスペルを並べ替えるとエクソシストになる。
25.ハワイと日本の時差は19時間である。
26.ジュリーの『あなただけでいい』の作曲者は加瀬さんである。
27.『Smile for Me』という歌はフォリンズから送られた曲ではない。
28.これのみ三択問題。ツアーで本当にあった話。
鹿児島で桜島の大きな噴火がありましたが、
その時朝食の後でみんなトイレで唸ってたんですが
慌てて廊下に飛び出た人は誰でしょう。
①エキゾのドラムのユカリ②ジュリー③小林マネージャー

問題は以上。
上位5位までに豪華賞品が手渡されましたそうです。
ブランド物のバッグとか、ホテルペア一泊旅行とか・・・
そして1位、沢田研二賞は「ビデオカメラとビデオデッキのセットです!」
ケン曰く「いいな~・・・欲しいな~・・・」
え? 1位でこれ?・・・・て
・・・当時は高かったんだよ~、豪華賞品の部類に入ったのだよ。

ともかくもこうして楽しいゲームの時間は終わったのでありました。

・・・・ちなみに正解はコチラ。
1.×正解は『僕のマリー』 2.○ 3.○ 4.○ ・・・13.×正解は横須賀のカズさん。 
14.×正解はAマイナー、イ短調 15.×正解は京都市立岡崎中学校 16.×正解不明(たぶん新宿)
17.×正解は19個 18.○ 19.×正解はたぶん4枚 20.○ 20’.○(何故か本問は20ダッシュだった)
21.×正解は『CAMCAN』 22.×サイドギター 23.×良子(ながこ)さま 24.×
25.○ 26.×平尾正晃さん 27.○ビージーズから贈られた。
28.②・・・・実況。
「どうしたの?!」あたふたあたふた・・・・
「・・・沢田出てきたよ~・・・軽いヤツだよ~・・・こんなことで驚きやがって~」爆笑。


さて、ハワイフラフラ旅行団の締めはもちろんライブステージ。
お待たせしました、セトリ紹介です。
今回はゲストに内田裕也さんをお招きしてのスペッシャルコンサート! イケイケ。

まずは裕也さんとロックンロールメドレーから。
1.ルート66
ナットキングコールが大ヒットさせた有名なスタンダードナンバー、
アメリカの国道66号線をぶっ飛ばす。
余談ですが今その国道は廃止されてしまってるとか。
元の道路は観光道路として今も通ることはできるそうな。
2.ルーシー・ルーシー
てか、メモにはそうあるけどこれビートルズの
「ルーシーインザスカイ ウィズ ダイアモンド」だったんじゃ・・・不明。
3.ジョニー・B・GOOD
お馴染みすぎるこのナンバー。
4.STAND BY ME
お馴染みすぎベン・E・キングのこの歌は元々1961年リリースなのに
1986年の同名映画の主題歌でリバイバルヒットしたので
結構幅広く知られるところとなりました。です。
5.GET BACK
お馴染みビートルズのナンバー。
ここからはいつものジュリー&EXOTICS。
6.素肌に星を散りばめて
アルバム「A WONDERFUL TIME」より。
7.すべてはこの夜に
アルバム「NON POLICY」より。以下同じ。
8.ナンセンス
9.8月のリグレット
10.真夏のConversation
11.シルクの夜
12.おまえにチェックイン
これはライブの必須項目!!
13.晴れのちBLEU BOY」
これもやらなな~! もう、大騒ぎするっきゃない!
14.眠れ巴里
「NON POLICY」より。次も。
15.ミラーボール・ドリーマー
16.New York Chic Connection
「渡り鳥はぐれ鳥」B面
17.?
これはタイトル不明。洋楽のカバーだったみたい。
そしてすべてのオーラス曲は、何とこの曲でした・・・
18.美しすぎて(YOU ARE SO BEAUTIFUL)
アキラくんのピアノソロだけでしっとりと歌う、
ジュリーファンには本当に馴染み深く懐かしいこの歌。

実はこれがジュリー&EXOTICS最後のステージでした。
このコンサートツアー明けのお疲れさん旅行たる
ハワイフラフラ旅行団、これが終わってジュリーは
半年間の休業、充電生活に入り
エキゾメンバーとは、カズさんに聞いたところによると
9月いっぱいの契約満了に伴ってお別れすることに・・・

このハワイでのライブ、この曲でもって終わることになったのでした。
・・・結果的に、ですが。


さて、長きに亘ってお送りしましたジュリーのセトリ話、
これでまずはお終い。
あと、番外編として1989年頃、JAZZ MASTER時代の
ツアーのセトリを挙げようかな、と。
それからテレビやラジオでのミニライブのセトリ等アップして
当時を忍んでみたいと思います。

てなところで、お粗末!
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あの頃のジュリー・・・セトリあれこれ⑯

2016年03月21日 14時45分44秒 | ジュリー・・・思い出SONGSあれやこれや
いつになったらジュリーのセトリの続き書くねん?! て?
ひゃあああ~! スンマセン、スンマセン!!

いつもいつも平日はバタバタしまくりで、
休みの日は
①ぼや~っとする。
②その週に溜めた録画(アニメ)をぼや~っと見る。
③コミックスをぼや~っと続け読みする。
④医者に行って(涙)待合室でぼや~っとする。
⑤フェイスブックをぼや~っと見て時々コメる。
⑥仕方がないのでちょっと家事をする。

というふうにほぼほぼ ぼや~っとしています。

・・・・てなわけで
「1984年ハワイフラフラ旅行団のセトリ」で検索してくださった方、
しばしお待ちを!! それもそのうちやりますから!!

その前に1984年夏の全国縦断コンサートですわな!!


時のアルバム「NON POLICY」中心のツアー。
セトリ紹介は1984年8月19日 於おなじみ大阪フェスティバルホール。

ちなみに時のシングルリリースはこれ。


と、その前に少し話が前回の続きになりますが
1983年冬のコンサートやNHK紅白歌合戦に出た時の衣装がありました。コレ。

これで「晴れのちBLUE BOY」を歌った紅白であった。


では、1984年夏のコンサートツアーのセトリ紹介をば。

ステージの真ん中は少し高くなっていて、
縦長の、ちょうどラグビーボールを立てたようなドーム型の立体造形が置かれていました。
主催者側いわく「ムーンドロップス」だそうで。涙型ですな。月の涙。

暗闇の中どことなく神秘的な、国籍不明の静かなバラード調のメロディーが流れる中、
そのムーンドロップスが真ん中から縦に割れて、
その中から光とともにシルエットが・・・ジュリーの登場です。

1.カミカゼ
何とも不思議なメロディーラインの曲なのですが、実は正体はようわかりません。
タイトルもセットの名の通り「ムーンドロップス」という説もありましたが
ちゃちゃは当時のジュリ友から「『カミカゼ』だと思う」と聞いたので
とりあえず「カミカゼ」ということにしときます。
以下、しばし「NON POLICY」から。
2.ナンセンス
3.8月のリグレット

ここでまず始まりのご挨拶。そして
「ありがとうございました! ありがとうございました!
・・・それでは、さようなら!www」なにゆうとん・・・

4.真夏のConversation
「(ま)な~~つのカンバセ~ショ~~ン」とカズコーラスが被りファンは喜ぶ。
ただし「ま」はジュリーが一人で歌う。「な」から合わせる謎。
5.シルクの夜
イントロ、アキラのしっとりピアノソロが素敵よ~! らぶりい。

ここで再度軽くご挨拶。アルバムの紹介をチラリと。

6.SMILE
7.すべてはこの夜に
これも「NON POLICY」からで佐野元春さん作詞・作曲なのですが、
実はそもそもは吉川晃司さんのために書かれた曲でした。
1983年夏の「大阪ポップフェスティバル」というライブでやった時は
アキラくんアレンジでの演奏でしたが
あらためて井上鑑さんがアレンジし直してアルバムに収録。
余談ですが、これには少々ややこしい経緯がありまして
吉川さんでリリースしようとしたところ
佐野さんが何故か難色を示し、
「ジュリーが先に歌えばOK」という注文を出したため
まず「NON POLICY」でジュリーが歌って
その2年後吉川さんがシングルリリースしたということです。
なんでだろうね~。

ここでちょっと長いMCが入ります。
あれこれ話してましたが要するに
「最近売れへんけど、だからいろいろ考える機会になった。
新たな目標がいるんやないかと気づいた。新たな目標を模索し、実行しようとしている」
・・・てな話をしていました。
この後の半年の休業と独立を示唆したものと考えられます。今にして思えばですが。

8.WHY OH WHY
アルバム「A WONDERFUL TIME」より。
でも何故かワンコーラスだけ。はて、なんで?
9.PAPER DREAM
同じく「A WONDERFUL TIME」より。
これもすこ~しコーラスアレンジしてあって、
まずイントロでは
「ヨーソドライ」ふんふんふふ~ん「アイムトライ」ふんふふ~ん
「ユーセワイ」ふんふんふふ~ん「アイムクライ」
これを間奏でも繰り返す。そしてエンディングにも入れる。
エンディングのギターソロはもちろん柴山和彦さんです~。
10.How Many ”Good-By”
「MIS CAST」よりバッキングボーカルとギターソロが
カズファンには嬉しすぎるこの曲。
そうそう、やっさんが抜けてギターはカズ一人になったのですが
この歌は本来ツインリード。なんかPA使ってムリクリツインリードを実現したみたいよ。
PAパネエ。(もともとそういうもんですが)

ここでジュリーはお着換えタイム。
サンバ調の同じメロディーをメイン楽器をちょっと振り分けながら
EXOは演奏を続け、案外早くジュリーは帰還・・・
そのまま演奏は続いて、どうも聴いたことあるメロディーだと思っていたら
1983年年末のライブでやったサンバアレンジの”あの曲”ではないですか!

11.Sweet Surrender
12.どん底
売れない状況を逆手に取って・・・やっぱ売れなかった(涙)シングル曲
13.おまえにチェックイン
だけどこれで大騒ぎしよう! 何故かライブではエンディングがやたら長くなる。
14.晴れのちBLUE BOY
もう一曲大騒ぎしよう!
そして以下は再度「NON POLICY」より。
15.眠れ巴里
16.ミラーボール・ドリーマー
17.ノンポリシー
このアルバムは全曲井上鑑さんがアレンジしておられまして
当時NHK-FM「サウンドストリート」で井上さんが持ち担当の日
ジュリーがゲスト出演していろんな話をしていましたが
その中でエキゾメンバー一人一人の紹介みたいなくだりがあり、
ここでお二人、カズさんをベタほめしておりました。曰く
「柴山和彦選手、この人はどういう人ですか?」
「この人は・・・こう、とにかく頑張りマンですね。
できないとは絶対言わない人です。
ステージでもギター弾きながらコーラスつけたりとか」
「そう、いつもコーラスもやってますよね」
「だからレコーディングの時なんか、僕はコーラスのこととか考えないでやるから、
さっき(番組中歌を流した)の『ノンポリシー』でも、
いろいろなんかこう・・・すごいややこしいこと(演奏)しながら
コーラスもやってしまう、やれてしまうんですよ・・・」
「演奏もコーラスも一手に引き受けて。」
「引き受けて!・・・最初からできなくても。
とにかくできないとは絶対言わない。すごい・・・努力家ですよ。」
「キリっとした感じなんですよね。」
正確な言葉はわかりませんがまあ、だいたいこんな感じの話でした。もうベタベタ。
18.New York Chic Connection
大騒ぎのこの歌は「渡り鳥はぐれ鳥」のB面。
ちゃちゃ的にはこっちをA面リリースして欲しかった。
19.タイトル不明
ラストはゆったりした最後にふさわしいバラード曲なんですが
タイトルとか全然わかりません・・・スビバセン。
オリジナルなのかカバーなのかも・・・

こっからアンコール!!

20.A WONDERFUL TIME
名曲や~
21.渡り鳥はぐれ鳥
22.ス・ト・リ・ッ・パ・-

さてさて・・・あれ、メンバー紹介いつやったんだ・・・・。

記録がありません。すんまっせんー。

てなところで前回の

あの頃のジュリー・・・セトリあれこれ⑮ 追記あり~!!

↑ご覧の通り追記ちょこっとありなので良ければおさらいを。

お粗末!!
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あの頃のジュリー・・・セトリあれこれ⑮ 追記あり~!!

2016年02月28日 20時12分24秒 | ジュリー・・・思い出SONGSあれやこれや
久しぶりのジュリーセトリあれこれです。
まだ1983年やん・・・・もう33年前ですってか(汗


1983年年末のコンサートは
時のアルバム「女たちよ」からは一曲もやりませんでした。
そらねえ、あれはコンピュータミュージックバリバリでしたからね
ライブ向きやなかったからでしょうね。
「源氏物語」を現代に変換して音楽で表現すると言う
コンセプトアルバムみたいなものでしたから、
どちらかと言うとミュージカル的な歌劇(おんなじか)的な方が演出的にあっていたし
そうゆうわけでライブではやらずじまいでした。

テレビの歌番組ではカラオケってかPAで何曲かやりましたけど。

そりはともかく~

「ジュリー・ファイナル・コンサート」と銘打ったこのライブは
別名?「沢田君からのメリークリスマス」ともタイトルをつけられて
東京は12月23・24両日 日本武道館で
大阪は12月27日 当時落成したばかりの大阪城ホールで敢行されました。
チケットには更に「日産ブルーバードスペシャル」なんてな文言が・・・
日産自動車の強力なバックアップがあったということやね。


しかし正直アリーナ席と言うのは平場なのでステージが高くても
前の席の人が長身だと見えにくいから嫌いやわ・・・・
とゆうて、スタンド席はステージから遠いしなあ~・・・
やっぱ大阪フェス最強やわ!!


さてほな、セトリの紹介といきまひょか。
今回は資料があんまなくて
無知によるタイトル不明曲も散見せらるることを先にお詫び申し上げます。
前述の通り時のアルバム曲未使用で、リクエストにお答えした感じの選曲です。


0.オープニング~MISTY MISSY(EXOTICS)
これはPAです。エキゾのレコードから収録順一曲目の吉田建さん歌。
あとでMCで「EXOTICSのアルバムも出ております。」と紹介。
「何と、歌を歌っております!・・・入り口の大月楽器で売っておりますので
帰りにぜひお買い求めください!」
余談・・・大月楽器はかつてあった大阪の大手レコード店で
ライバル店にMIYAKOというのがあり、
その両方を足して芸名にしたのが歌手の大月みやこさんです。
1.Sweet Surrender
ジュリー・ソング・カレンダー7月の歌・原由子さん作詞。
原曲とアレンジを完全に変えていて、夏らしさは全くなくなり
情熱的なカーニバル調に。どっちもイカス。
2.CANDY
久しぶり~。忘れてなかったんだね~。
3.恋は邪魔もの
1974年の名曲。
4.おまえにチェックイン
1982年の名曲!
5.Maybe Tonight
6.おまえがパラダイス
残念ながらコンサートではカズさんの頭ぐしゃぐしゃしません。
7.ノクターン
珍しい選曲。1979年のアルバム「TOKIO」から。
8.サムライ
9.月曜日までお元気で
「麗人」のB面。
この次カバーだと思いますが一曲知らん曲が入ります。わからんので省略。
そしてここでインターバル。
10.スーパー・ジェネレーション
時の最新のブルーバードCMソング。
販売されなかったので音源がない・・・残念!!
ブルーバードのCMソングはミュージックテープ収録以外に
これとあと一曲はあったはず。↓これの時の。

この後、CM使用の車体の色が赤から白に変わりました。
聞くところによると、この頃昭和天皇のお加減が悪くなり
赤とか金色とかの「おめでたい色」は自粛する風潮になったかららしいです。
11.きめてやる今夜
12.BURNING SEXY SILENT NIGHT
ジュリーソングカレンダーきっかけのクリスマスソング。
このコンサートの初回の日本武道館ではクリスマス前だったのでちょうど良かったのですが
大阪ではもう過ぎたあとでしたわね。
13.あなたに今夜はワインをふりかけ
「サムライ」B面。
14.憎みきれないろくでなし
「勝手にしやがれ」の次にリリースされ、結構売れて評判もよかったけど
「勝手にしやがれ」の次にリリースされたため目立たなくなってしまった絶品。
15.追憶
懐かしい一曲です。
16.いくつかの場面
これもファン泣かせっぽい選曲ですね。
17.どん底
時のリリース曲。
18.ス・ト・リ・ッ・パ・-
19.一人ぼっちのパーティー
ジュリー・ソングカレンダーのラスト3月の曲。詞は研ナオコさん。
20.晴れのちBULE BOY
21.ブラウン・シュガー
珍しく懐かしの名曲をカバー。
ここからアンコールです。
22.勝手にしやがれ
23.愛の出帆
これも懐かしめの曲ですね。1970年代前半のコンサートの”いつもの歌”でした。

というわけで、1983年ファイナルコンサートのセトリ紹介、これまで。
お粗末!

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

以下追記!!

急いで記事をアップしたのでいろいろ抜けがありましたが
・・・・他はともかくこれは追記しておきます。
このライブの参加メンバー紹介・・・EXOTICSだけではなかった! 
ゲストミュージシャンがいらしたので。

パーカッション 帆足 哲昭(ほあしてつあき)さん・・・当時は大沢くんのバックのメインメンバー。
女声コーラス 三名グループ「フェイズのみなさん」・・・詳細不明。名前も聞き間違いありかも。
サックス 矢口 博康さん・・・ホアチョこと帆足さんと同じく。カズさん繋がりかな?

紹介は「憎みきれないろくでなし」の直前。
でした。


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