自分の算出方法

自分のことを知るために
自分算出したことありますか?

貴方は自分のないところを数えますか?
それとも
自分にあるものを数えますか?

ひき算とたし算

あれもナイこれもナイの「ひき算」
これもアルあれもアルの「たし算」

自分を知るために
その前にまずは
自分の持っているものを数えましょう。

私は命をもってます。
私は青い空を見る目を持ちます。
私は風を感じる心を持ちます
私は雨の匂いのわかるいい鼻をもちます。
私は屋根の付いた家をもちます。
私はゆっくり眠れるベッドがあります。
私は飢えに苦しむ事はなく、お腹いっぱい食べることが出来ます。
私は洋服を着れ、お出かけ前に迷う事ができます。
私は良く働ける丈夫な体をもらいました。
私は多くの愛情をもってます。
私は可愛い子供に恵まれてます。
私は守りたいものを持ってます。
私は尊敬できる親をもってます。
私は暖かい家族をもってます。
私はいい友人をもってます。
私は笑顔が似合う顔をもってます。
私は多くの知恵をもってます。

私は弱った時に助けてくれる多くの手をもってます。


多く多くがあります。
書いていったら一日終わるかもしれないほど・・・
「あるもの」を書き綴るのは楽しいです。
次々と楽しい記憶や
良い思い出
素敵な笑顔の波がやってきます。


ひき算より
たし算のほうが
自分を知りやすのです。

なぜなら
意外と自分を惑わされてしまうのは
ひき算だから・・・

『たし算から知る本当の自分の算出方法』
いいですねぇ~!!
管理人、本でもだしちゃうかな(^^)v

なんだぁ~みんな既にやってたの^_^;
なんてこともあるね・・

それも管理人らしい天狗鼻ですね!
そうそう管理人は
あっという間に伸びたり折れたりの
変化する鼻も持ってましたぁ!!



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ろうそくの炎

管理人ろうそくの炎が好きです。

今は明りは、電気
指一本でつけたり消したり
そして気が付くと
電球が切れてたりするわけです^_^;

とても便利ですが
たまには
ゆらゆら揺れる炎の明りもいいものです。
心が暖まります。

誕生日のろうそくは消すためにつけます。
停電の時は電気の代わりの明り
別のものを見るために使います。
誕生日でも停電でもない
ただ、ろうそくの炎を楽しむ日もいいものです。

今はハーブの香りのろうそくもあり
リラックス効果もあるようですので
たまには一杯のお相手にいかがでしょう
ろうそくの種類を語ると長くなるので・・・

管理人の友人に
「疲れ」をお相手に飲むなんて人が居ます。
疲れさんとまずは乾杯して一杯やるそうです。
今度は蝋燭をお勧めしましょう。
疲れさんよりはおしゃべりのようですから^_^;

ぼんやりしたい時にお勧めです。
深く考えることに疲れたとき
ぼんやりと静かに
脳を開放してあげるのにお勧めです。

漂う空気の流れさえにも戯れ揺れる。
儚そうに、頼りなさそうに
ゆらゆら揺れるろうそくの炎が好きです。

今にも消えてしまいそうで消えない
しっかり芯を捕えて燃える
ろうそくの炎。

ゆらゆら揺れるその炎が好きです。
青や赤やオレンジや
いろんな色が層になって一緒にゆれます
炎の周りの空気も一緒になってゆれます。

高くのびたり
小さくなったり
右へ左へ
ゆらゆら揺れながら
まるでおしゃべりでもしているように
暖かく優しい光で辺りを包んでくれます。

いつもこんな時
幼い頃読んだ
「マッチ売りの少女」の姿が目に浮かびます。
マッチの炎の消えるそのわずかな時間の光を
ろうそくの炎の中に見ます。
そっと手で炎を包みます。
暖かい・・・

ろうそくの炎の寿命は
その長さで決まります。

いや、そうとも限りません。
人の手を借り、大切に扱えば永遠です。

ろうそくの炎は
幾つものろうそくに火を与えても
決して炎は減ることはありません。

ろうそくの炎が果てようとする時
新たな長いろうそくにその火を移せば
炎はまた新たな生命を受け
暖かく優しい光で辺りを照らし続けます。

でも・・・・
「フッ!」っと一息しただけで
炎はあっけなく消えます。

さっきまで、
決して消えないと思うほど
しっかりとろうそくの芯を捕えていたのに

糸のような煙が天にすっと登り
驚くほど、あっけなく消えてしまいます。

一瞬の内に闇が広がります。

炎を繋ぐことも消すことも
自らは決して出来きないろうそく。

何かに似ています。
何かに・・・
誰かに・・・
似ています。


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君はもうここに居ないんだね

今日お葬式がありました。
親戚の方のご挨拶の中で

亡くなったお奥様を
たいへん大切になさっていた
ご高齢の旦那様の今後が心配。
これから しばらくは
「君はもうここに居ないんだね」
と繰り返すことだろう
と言っておられました。

いつもいつも一緒
居ないことも忘れるほど
生活のすべてに関わる存在だったことを
繰り返し感じて行くのでしょう。

暮らすことは
共に暮す
生きることは
共に生きる

それを疑いもせず
時を過してきたのでしょうから

「君はもうここにいないんだね」

長く長く
繰り返される独り言。

「君はもうここにいないんだね」

目覚めたその瞬間
着替えの途中
ご飯の合間

日常のどの部分にも顔をだし消える

「君はもうここに居ないんだね」

涙が枯れ果てても
なお
この言葉と共に暮らすのでしょう。

「君はもうここにいないんだね」

その独り言がまるで
生活の一部のように・・・

「君はもうここには居ないんだね」

もう一度
愛しき人が胸に戻るその時まで
繰り返し
繰り返し
つぶやき続けるのでしょう

「君はもうここには居ないんだね」

小さな独り言は
居ないことの確認というより
居ない君にそう話しかけているのでしょう

小さな独り言は
居ない君を認めるというより
居ない君の居場所を作っているのでしょう

小さな独り言は
置いていった愛しい人の思いを
まだまだ思い出にしてしまいたくないのでしょう。

「君はもうここには居ないんだね」

急ぐことはないのです。
辛いけど急げないのだから

それで仕方がないのです。
ゆっくり思い出にするまでには・・・
頭や体ではなく
心がまだ君を離したくないのだから

心に愛しい君がまた戻るその時まで
独り言は続くことでしょう

「君はもうここには居ないんだね」

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愛の形

エロスの愛
フィリアの愛
アガペの愛

最近管理人
愛することが生きることの意味のように思います。

管理人は、
実際これら三つの愛を手にしています。


エロスの愛
肉体的、情緒的な愛
自己中心的な愛
恋の一時の高まり
動物的自然の摂理、支配欲
若き日に経験済みです。

フィリアの愛
友情や家族愛
実に落ち着く相互理解
信頼の関係の愛です。
自分の利を求めない
良き家族・友人達に恵まれ
信じて行くことが出来ます。

アガペの愛
母になってひしひし感じております。
無償の愛です。
子供の為なら命なんか惜しくないですよね。

旦那様の為だと・・・・
まだ、ちょっと勿体無い^_^;

色んな愛の形が
自分の中に存在し
その愛を持っていることが幸せで
自信にも繋がります。

人を愛すということは
とてもとても素敵なことだと思います。

色んな愛の形があるけれど
実はすべて
一つのところから始まっていて
ただその時々の人間の愛の過程のような気もします。
愛の形が変化するだけなのかもしれません。

人の心の中には
形を変える愛があります。

恋に落ちたその時から
愛した愛されたお相手は
すべての愛を受けることのできる可能性が生まれます。

年月と共に移り変る愛の形のすべてを受ける人は
なんて幸せかしら・・・

そんな愛を注げるお相手が一生の内に
一人でも居たなら
それは
それは
幸せですね(^_-)-☆

愛とはゆっくり
自分の心の成長と共に
一生をかけて育ててゆくものだと思います。

どうぞ皆さん素敵な愛を育てて行きましょう!!
愛の溢れる人となりましょう!!!







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ボレロ

昨夜モーリス・ベジャール・バレエ団の公演を見に行きました。
バレエはまったく無知ですので
興味も持たなかったのですが
後輩の弟君のブログで知って
無理を言って連れて行ってもらいました。

素敵でした。
というより
凄かったです!!!
人の体はここまで美しく
体はここまで強くしなやかに言葉を発するのか!!と

きらびやかな舞台や衣装はなく
それらに目を奪われることがないことで
ストレートにダンサーの魂が
心に飛び込んできます。

宗教的な色をました踊りの中央に
私は神の宿る木を見ました。

特に感動したのは『ボレロ』
これは最後に心を持っていかれました。

美し過ぎて強過ぎて
それが切ない・・・

男達の中の円卓に立つ
彼女の体や表情を一つも見逃さないように見ていました。


円卓の中で舞うと言うより
生きる心臓の音のように
強く魂に刻み続けます。

強く鋭く美しい!!
獲物を狙う豹のような彼女に釘づけで
生きるという動物的な強さ美しさに魂を奪われました。

凛しく強く胸を打ち続けました。

豹のような鋭く遠くを見据える目
美しく研ぎ澄まされた体が
繰り返すボレロの曲の中
強くしなやかなリズムを奏で
魂の奥へ奥へと響きます。

彼女を囲む男達が
次々と増えて
それが官能の波にも見えたり
生贄を囲む聖なる儀式にも見ました。

美しく強く引き締まったその体から
流れ出る無駄のない汗までが
強さの証のようでした。


最後は疲れ果てて
ギャフンという感じでした。
大きな感動なんだけど
ギャフンと心が鳴りました。
拍手する手が
どんなにか重かった・・・
それでも
素晴らしいダンサー達に拍手をと頑張りました。

観るというより
魂と魂が真剣勝負をしているようで
疲れ果ててしまいました。

まさに
ショック死しそうな心に
同行した飄々とした弟君の存在がほっとさせてくれて良かったです。

一人だったら
固まったままのかなり凄い顔で居たに違いありません。

耳鳴りのように
眠りのその瞬間まで
ボレロの曲が繰り返し繰り返し響き続けました。
彼女の鋭い目と研ぎ澄まされたその体の動きが
魂の音を奏で続けました。

大変に良かったです。
ぜひボレロお勧めです。






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やさしさ 

昨夜のブログを消そうと思ったら
コメントもらって
そのままでいい気がした。

ブログも自分も・・・

なんとなく
自分はそれでもいい気がした。

あんな長いブログ読んでくれた方が居たなんて
ありがとう!!

馬鹿らしく思わないでくれた方が居たなんて
ありがとう!!

心からの優しい言葉・思いを
ありがとう!!

きっと
誰もが皆
多くの悩みを持ち

誰もが皆
胸の痛みを抱えているのですね。

人は誰も一人
時に孤独の中に居て・・・
だから
人は寄り添い生きるのですね。

一人で抱えられないものを
きっと持っているのでしょう。

だから寄り添う

胸の痛みは
誰もが持っていて

だから
人は人に優しく出来るんだ
そう思いました。

今度は管理人も
人の痛みを分かち合える。
本当の意味で
寄り添う人になれると思います。

只今
反抗期より脱皮して
少しは前に進んだかなぁ~
なんて思えます。

人の暖かい言葉がなかったら
今こんなにゆったりした心になれなかったかもしれません。

覚えておきましょう。
人の思いのやさしさを

いつか
この優しさを
誰かに届けられる人となりましょう。

ありがとう!!






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回想

「ちょっとずる休みしちゃった(^_-)-☆」

でも、その間いろいろ考えました。

管理人は長くに渡り
悩みなどは
かなり遠くに住んでおりました。

ここブログを始めると共に
自分自身と対話する事を覚えました。

時期を同じくして
大切な人の別れ
大切な人との出会いの中から少しづつ学び始めました。

正に遅咲きの思春期
です。
この歳にして
児童期から青年期への移行期となりました。

私は、人を羨ましいと心から思ったこともなく

自分に疑問も持たず
前のみを見て歩いていました。
いや、
前を見て歩いていると思いこんでいました。

小さな頃から
望みは大抵叶いました。
ピアノを習うとピアノを買ってもらい
絵の教室に通いたいと
小学生には不似合いな絵の道具を買ってもらいました。
いつも長くは続かなく
それでも出来の良い妹が買った全てをモノにして行きました。
私は兄妹でも一番で出来が悪かったのです。

望みが叶ったというより
叶わない望みを追うことはなかったのかもしれません。
でも働き者の両親のお陰で恵まれていたことは
確かかもしれません。

何年かぶりに定期的に
顔を出す思い出があります。

とても嫌な思い出です。

昨夜は徹夜をしてしまいました。
初めて向き合いました。
多くの過去の思い出に・・・

昔、まだ小学生の3,4年生頃でした。
私は犬を飼っていました。
名前は『コロ』です。
名前すら昨夜思い出しました。

初めて捨て犬を
飼ってもらいました。

我が家は自営業で
母も父の仕事を手伝っていました。

子供達の面倒は
お手伝いさんがしてくれました。
その時のお手伝いさんは
母子連れでした。
後にも先にも住み込みの子連れのお手伝いさんは
その親子だけでした。

親子は
お母さんと私より歳の小さな息子さんでした。
名前は思い出せません。
『僕』です。

時々、夕食を私達兄妹3人と
その親子で食卓を共にしました。

各自のプレートに、
お子様ランチのような
ハンバーグやスパげーティー
ケチャップご飯
少しの野菜
お決まりのパイナップルやみかんの缶詰だけが別の器でした。

私は嫌いでした。
特にその缶詰は嫌いでした。
でも『ボク』の大好物でした。

ボクは、たぶん鼻が悪く
ご飯を食べると
毎回、鼻からイヤの音を鳴らしました。
口から息が出来なくなくなるので
いつもより大きな音で
イヤの音を鳴らしました。

私は『ボク』の
プレートに顔をつけるようにして食べる姿も
とてもイヤでした。

そして、いつものように
お手伝いさんのお母さんがボクの横で
『ボク、こぼれちゃうでしょう』
ってこぼれたものを自分の口に運びました。
ボクは良く食べ太ってました。

私はその甘ったるい声が嫌いでした。

ボクは悪い子ではまったくなかったのだけど
遊んだ記憶がありません。
ただ、いつもお母さんのお尻にピッタリとくっついてました。

私は長女ですから、
幼い弟、妹は何も感じなかったのかも知れません。
そのことについて誰にも話した事がなかったので
未だ判りませんが・・・
というか、こんなに記憶をたどったのは初めてでした。

私は鼻の悪いボクの
どうしてもイヤだった音の話しは
してはいけない事だと
小さいなりに理解してました。
まして、厳しかった親に
人の欠点を言ったら
叱られると思い言わなかったのです。

でも今だから分かります。
どうしてもイヤだった理由は
寂しかったのでしょう。
羨ましかったのでしょう。
昨夜思い出すことも無い事を
思い出して気がつきました。

その頃
可愛がっていたコロと言う犬は大人になってました。
私は小さなものが欲しかったのでしょう。
インコの子供を飼いました。

なんでも理由さえ整えば
許されました。
「最後まで面倒を自分で見ます」
それが親との約束です。

まだ毛が生えていない小さな生き物でした。
スプーンで餌を与えました。
愛情のすべてを注ぎ込むように大事に大事に育てました。

インコは『ピーコ』で
良くなつきました。

羽はペットショップで切ってもらっていたので
飛ぶ事は出来ませんでした。

いつも私の後ろを追いかけて歩いて居ました。
呼べばいつでも私の元に歩いて来ました。

学校に行く時も
いつも私の後を追って来きました。

ある日、学校から戻ると
鳥かごの中にティッシュが入ってました。

何故か、直ぐに分かりました。
その下にピー子が居ることが・・・

私が鳥かごから
ティーシュをとると
その下にピーコが居ました。

手のひらに乗せると
ぺちゃんこに平たく堅くなってました。

お手伝いさんが
「コロに踏まれてぺしゃんこになって死んじゃったのよ」
そう言いました。

私はピーコのお墓を作り埋めました。
たくさん泣きました。
 
それから
私はコロを散歩に連れて行くことはなくなりました。

どうしても我慢できなくて、その場に
ウンチやおしっこをしてしまうコロを見てみないふりをしました。

餌や水をあげる時も
コロとじゃれあうことをしなかったように思います。
コロは良い子で
ウンチやおしっこを
最後の最後まで我慢して
その場ですることは無かったことを知ってました。

その時コロが何歳だったか?
覚えていません。

記憶は飛び
コロが病気で毛が抜け始め
そのうち保健所に連れて行かれることとなります。

私は初めから
コロが悪くないことを知ってました。
人懐っこいピーコは自分でも時々踏みそうになりました。
大好きなコロとピーコも一緒に遊びました。

そうすべて知ってました。
自分がピーコを籠にしまい忘れたのです。

また胸が痛くなりました。

私が覚えているのは
両親が保健所に連れて行くと話しを
聞いてしまったこと
それは私に知らせないように話していた話しでした。

私は知っていました。

ある時
学校から帰って来たら
コロが居なくなっていました。

私は直ぐに分かりました。
コロがどうなったのか・・・

そこまでの記憶は
ずっと塞がれていました。
やっと思い出しました。

最後に目の合ったコロが
とても悲しそうな目をして見ていたその顔だけが
胸を突くように
40年余りも何度も何度も浮き上がり
そして消し去り続けました。

深く考えたくなかったのです。
自分の罪に蓋をしていました。

父は高校生くらいから
大人になる今もずっと私に言ってました。
「普通になってくれ!!
頭が良いでもなく悪いでもなく
普通でいいだから」

私は本当に普通でした。
よくも無く、
悪くも無く
本当に普通でした。

親に逆らうこともなく
とても厳しかったので
恐かったからですが・・・
でも反抗期もなく過しました。

でも父の言っている意味が分かりました。

旦那様が私をもらいに来たとき
2時間も正座をさせられたあげく
やっと口を開いていった父の言葉は
「君は娘の何処が好きなんだね?」

旦那様は
「純粋で素直な所です!」
と答えました。

父は激怒しました。
「私の娘を馬鹿にしているのか!!」って

父は良く言いました。
「お前は人を信じ過ぎるが
人はお前のことを陰でどう思っているかわかるか?」

私は世の中に嫌いな人が居ませんでした。
皆わたしにとってはいい人でしたし
人の為に動くこと
それによって喜ばれることが幸せでした。
人の悪口なんて直接耳に入ることもなかったのです。

今思えば
きっと心なく人を傷つけることもあったのでしょう。
ただ未だ父の言葉を理解したくないのです。

・・・ただただ人を信じていたのです。
それが自分の価値でもあったのです。

父の言葉は悲しすぎて
深く考えることをしませんでした。

きっと、そんな私を父は心配していたのでしょう。

私は深くものを考えずに
今まで生きてきたのだと
つくづく感じました。

家では
旦那様から
君が一番、子供だと言われている意味も理解出来て来ました。

深いものの見方を知らなかったのです。
嫌な自分に蓋をして
生きていました。

人の痛みも分かると思い込んでいたけれど
とても遠いところに居たことを気が付かされました。

悩むことのない人生を送ってきました。
 
深いところまで行きつくことが出来なかったのです。

人の死は
自分なりに理解しました。
天国に行くし
きっとまた逢えると思うから
一度だけ泣くと
それで大切な人の死を忘れました。
まだその辺に居ると思うのです。

その人の無念を深く見ることを
また封印してしまったのです。
 
自分の楽な方に物事を考えました。
自分に傷の付かない生き方を選んでいました。

昨夜、初めて
思い出しました。
小さくてコロコロして可愛かったから
コロと名づけたこと。
ふわふわの毛が気持ち良かったこと。

コロと散歩に行って
小さな私は、毎回大きくなったコロに引きずられ
別の犬を見て
もうダッシュして行くコロの首にかかる鎖を
持っていられなくて
離してしまったこと。

それから日が暮れるまで探したこと
コロが自分で帰ってきて
嬉しくて、抱きしめて泣いたこと

両親に叱れると
コロの小屋にもぐりこんで
コロを抱いて泣いたこと。
 
コロの口が生臭くても
嫌でなかったこと

コロの毛の匂いのこと・・・

小さなコロを拾ってきて
恐い恐い両親を始めて説得させたこと

コロは兄妹皆
家族皆から愛されていたこと

始めて思い出すものは
こんなにも優しく暖かい思い出があったことを
昨夜初めて知りました。

ごめんね・・・コロ

もう許して上げようと思いました。
自分自身を・・・

そして
やっと遅咲きながら
痛みと向き合うことを知り

人の痛みを少しだけ判るようになった自分が
ありがたいと思いました。

罪深き自分を
認めることは幼い時から出来なかったこと

それを認めました。

良かった。
これから多くの苦しみや悩みを抱える娘達を
遠くから見守ることが出来る気がしたから
良かった。

遅咲きの花になりましょう。
これから
きっと人の痛みの深いところを分かる大人になりましょう。

罪深き自分を許し
40年分の涙を流しました。

まだまだ
まだまだ

これから私は
いっぱしの大人になって行くのです。

やっと汚い自分とも向き合うのです。

私はコンプレックスの固まりで
美しいものが大好きな理由は
自分がいかに醜かったかを知っていたいたからだったのです。

美しい心を追い求めていたのは
醜い自分を隠し続けた結果だったのかもしれません。

私は
この胸の痛みがやっと人並みになったのだと
思いました。














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限界の線引き

誰でも「限界」なんて感じちゃうことありますよね。

管理人はそんな時
一杯飲んで、爆酔します。
夢も見ないでただひたすら
寝続けます。

そして目覚め
元気ハツラツゥ~♪になるわけです。

心も同じ
「も~限界!!」
と思ったら休めればいいのです。

限界!!
「ここまでしか」
の「しか」の後は
「無理!」になるわけです。

そして、
その場に自分を封じ込め
道を絶つことが
苦しみからの開放と勘違いします。

だから、
そうやって限界の線引きするのです。

諦めたのではなく
限界だったのだと認識させて
その場を終わらせてしまいたいのです。

限界を設けるのをやめれば、
どこまでも無限の可能性があります。

限界は自分の中で
自分で決めた一つのラインに過ぎないのです。

決めつけなければ
どこまでも限界はなく
遠い未来に、
小さな希望の光が輝いているはずです。

自分が自分自身の力を信じ
諦めないなら
そこから続く道の先に
無限の可能性が生まれるます。

限界は自分自身の大切な可能性を否定してしまいます。

・・・・
とか、わかちゃいますが・・・

頭で判っても心が
「イヤだ!!」
って言うのですよ^_^;

遠い未来は
ヤッパ遠い!!!なんて思ちゃうんですよ。

限界線を
自らを引くには
まだまだ経験不足の青二才
そんな風に言えばなんとなく理解できるわけで
その上
こころは、反抗期のおこちゃまなんだし。

この際
「お利口さんの理屈殿の言うことは聞きたくない!!」
って言ってやりましょう!!

そんでもって
真昼間から寝ちゃいましょう!!!
ふて寝でも、狸寝入りもしてしまいましょう!!

休みながら

寝不足の目の下のクマと同じように
心にもクマが出来るし
きっと美容にはよくないし

それに
そのままの理に叶わない
今の自分に従ってみるのもいいんじゃないかな?

そう、だから・・・
難しい理屈はおいといて・・
力抜きまくり

管理人ならこう言います!

『ずる休みしちゃった(^_-)-☆』

それでいいんじゃない?





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灰色の空

今日、大雨の中、片道一時間ほど
80キロ規制の高速を走りました。

管理人は、
雨の日に車に乗るのは好きですが
どうもワイパーの動きの忙しなさが嫌いで
いつも出来るだけ、ゆっくり動かします。

でもこんな高速での大雨は
嫌いなワイパーの動きも、
フルで頑張ってもらうこととなりました。

20分ほど走ったとき
周りが急に明るくなりました。
雨の量はかわらないので
ワイパーは相変わらず猛スピードで動き続けます。

またすぐに
景色は元のどんよりとした暗さにもどりました。

きっと雲が薄くなった所だったのでしょう。

もの凄い雨の中
ワイパーは必死で仕事をこなし続けます。

またしばらく走ると
急に辺りが明るくなりました。

そう
また薄い雲の下に来たのでしょう。

変らぬ大雨との戦いの中
ワイパーは外の景色どころではなく
フロントガラス越しに必死な顔をのぞかせます。

管理人は
働き者のワイパーに助けれ
不思議な雲の動きを感じながら
高速を走り続けました。

フロントガラスしか見られないワイパーにはわからないね!
お気の毒さま・・・

管理人は始めて
ワイパーはフロントガラスしか見られないことを知って
そうだね!
それは君の役目だから・・・

それに君が外を向いていたら
管理人は、こんな大雨はお手上げです。

そう言うと
ワイパーもちょと自慢げに
さっきより頑張って動いているように感じられました。

管理人は、外の景色を見ることの出来ないワイパーに
雲のことを話してあげました。

いつも寝る前に末娘にお話しを聞かせるように・・・

あのね。
君の前に降り続く雨はね。
遠い雲の下からやって来て
それはそれは永遠に続くような大雨だけど
良く見ると
雨の上の厚い厚い雲は
もっともっと上の
大きな空の下のほうで流れているだけなの。

空一面を埋め尽くす灰色の厚い雲
それは頭のず~っと上のほうで
凄いスピードで動いているの。

頭の上のすべてをおおう灰色の景色は
本当の空ではなくてね。
ただの流れる雲にすぎないなんて
不思議でしょう?

今見える灰色の空の正体は
流れる雲

本物の空には太陽があって
夜には月や星が輝くの
空を埋め尽くす雲がちょっと気を抜くと
太陽の光や月の光が
辺り一面を一瞬にして明るくしてしまうから
やっぱりばれちゃうのよ。

灰色の空の正体は
ただの流れる雲だったことをね。

もう直ぐ風に流され消えて行く灰色の空。
そのうち君はまたフロント越しに横たわり
管理人の顔をのんきに覗き込んでることでしょう。

空を見れない君に
時々話して聞かせてあげましょう。

広い広い大好きな空の話をね(^_-)-☆













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忘れ物2

昨日、書きっぱなしのブログを見て・・・
おう・・・
毎回意味が分からないけど
日曜日の夜はもっと訳が分からない^_^;

もしも
前世より、
魂に刻まれた想いなるものがあったなら

それを知るのは
きっと
肉体と魂が分かれるその時だろうと思いました。

魂が重い肉体より離れる時
きっとその声の主や意味が解ってくるのでしょう。

訳も分からずそこから抜け出せない。
もしくは
そこへ引っ張られるような・・・

理解に苦しむ
自分の気持ち。

もしくは
人の気持ちの場合もあるでしょう。

そんなものの正体を知ることは
時には謎めかせたほうがいい時もあります。

魂の声にしておいた方がいい時があります。

そうすると
考えることが無意味に見えて
なんとなく諦めて
そこから抜け出すことができるから。

それも
遠い遠い前世
そのまた前世の
魂のせいにするといい。

意味を知るのは
「肉体と魂が分かれるその時」
答えをあせることはなくなり
考えすぎることが無意味なことと感じられるます。

まるでいきなり鳴った
真夜中のワン切り電話を相手にしているような

そんな
訳のわからぬ
もやもやから
抜け出すことが出来るのです。








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