辞世の句

先日、尊敬する良き先輩達と出かけたときのお話し。
大人の女3人の旅はとても楽しく毎回心に残る課題をもらいます。

「知ってる?小野小町の辞世の句」
その直後、管理人の心の中に衝撃が走るのです。

絶世の美女と呼ばれた小野小町の歌とは想像も出来ない辞世の句。

女性ならば大好きな小野小町の恋の歌は
管理人も漏れなく大好きでよく読みました。
老いていった小町の歌も女性として分かるなぁ~
なんて思っていたのですが・・・
この句はまったく知らず
ショックでした。
この時代はまだ、人生50年の時代
きっと今の管理人と変らない時期の句であろうと思い
自分自身とダブりました。


『我死なば 焼くな埋むな 野にさらせ やせたる犬の 腹こやせ』

解釈の仕方は色々あると思うけれど・・・

どの道、殿方には決して詠めない辞世の句でしょう。


人も単にこの世の動物の一種にすぎない。
自然の摂理の中
屍は、腹を空かせた動物の餌になればよい。

人の魂が体を離れたその時は
ただの屍
そこに美しき面影や情を抱くことはいらない。
その時こそ
ただの動物に返り
屍は生きる為のものの餌となればよい。

未練は人の中にあり
死を前に生きている自分の中にある。

それを振り切るように
吐き出すように
吐ききるように聞こえるこの句
だから切ないのだろうか?

愛の欠けらも残さず
拒み
切なく悲しい・・・

それにしても・・・
強いなぁ~
心から離れないこの辞世の句


管理人死ぬ時はどんな想いを残すのだろう。

魂と向き合い
飾りを一切そぎとったその時・・・
今の自分の解釈とは違うものが生まれるかもしれないけれど
同じ女
きっとこの句が頭をよぎることは否めないでしょう。

でも
出来ることなら
もう少し
やわらかで穏やかで
安らかでありたいと願いました。

屍にすらも
魂より溢れ出た愛の
暖かきぬくもりを
残り香のように、かすかに残したい。
今は、そう思うのです。


 
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