カラスのせい

事が起こるときは何故か皆一緒に起こる。

ちょっとした石のつまずきで
細い糸が何本も絡み付いてしまう。

解こうと引っ張ると結び目が硬くなる。
切れるはずがないと言う自信がなくなる。

見えない不安だけで
なんだかドキドキとしてきてしまう。

何かが起こりそうで怖くなると
また無闇に動き回り
知らないうちに細い糸は身体を縛り付けてしまう。

堅実的ではないなぁ~
そう思う。

いたずらカラスのお陰で
お客様も朝から大変だった。

カラスが悪いわけではないけど
管理人は君のお陰で散々ですぅ。

そうだ!
言葉も通じない君のせいにしておこう。

大好きな雨が楽しくないのも
なんだか 
不安になってしまうのも
全部全部君の身体が黒いから
そういうことにしておこう!!!











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時は

時は流れ行くが
共に歩くときは重なる

時は戻らないが
重ねた時は積もる

時は過ぎる
呼吸していることも忘れるほど当たり前に
1秒1分
・・・1時間・・・1日・・・1年

今がすべての時の証しなら

大きな深呼吸と共に
ときを身体に刻みたい


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ありがとう

ありがとうの詞は
与えられた愛から始まる。

こころを満たされたとき
その愛の欠けらが
口からこぼれ落ちて
「ありがとう」
の詞になる。

零れ落ちた詞の美しさは
またこころを満たした相手のこころに返される。

こころの詞
「ありがとう」

愛の詞がこころを行き来する。

愛は通い合うことから始まり
満たし合うことであふれる

奪い合う愛は小さく
与え合う愛はこぼれるほどに大きい

こぼれ出た愛からしか生まれてこない詞
「ありがとう」

だから
あなたに贈りたいこの詞

  ありがとう!











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こころを愛で満たすために

不安は疲れと孤独が作り出すものらしい。

健康な身体と
健康なこころ

当たり前のフレーズです。
でもこの「当たり前」が
とても大切で
とても難しい世の中

人も地球も乾いています。

ならば『愛』の水をあなたに・・・




もし、あなたが
ふたつのパンをもっていたら

ひとつは、貧しい人に差し出しなさい
もうひとつは、売りなさい

そして、ヒアシンスの花を買いなさい
あなたの心を愛で満たすために

   マザーテレサ



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マスク

新型インフルエンザの影響で
テレビでは
マスク姿の方が珍しくなくなりました。

マスクをしている自分では姿は見えないのだけど
目の前のマスク姿の沢山の人々は不安を駆り立てます。

マスクは風邪の予防ではなく
風邪を引いた人が
他の人に移さないものだった。

マスクをしてると
「風邪を引いたの?大丈夫?」と聞く。
マスクの風邪ひきさんを見ていたわります。

花粉症でのマスク使用と
風邪のマスク使用は
意味合いが違っているんだけど・・・

例えば、
新型インフルエンザにかかった人だけが
マスクをする。
その疑いのある人だけがマスクをする。
(あ!発症者は隔離・自宅謹慎でした。)

でも、そうなったら
皆一斉にマスクを外してしまうことだろう。

マスク姿は自分では見えないけど
人から見ると異様なのです。
知らないうちに不安を抱かせるのです。

なんだかマスクをしながらの過剰予防対策が
かえって不安をばら撒いているようで・・・

はやくマスクの嵐が過ぎ去ってくれたらいいのにね!

マスクをしても
正しい手洗い・うがい方法も知らない。
なんて人も多いそうです。
本末転倒

騒ぐこころの裏側に
何か他の不安が混じってしまっているじゃあないかぁ~
って思うのです。

飲み込まれた言葉がマスクになって
見えない言葉を訴えているようにも・・

新型インフルエンザの嵐に飲み込まれたのは
身体ではなくこころかも?

風邪にもかかってないのにつけてしまうマスク
早く身体のマスクも心のマスクも外して
体温の色のついた柔らかな唇から
あなたの素敵な言葉を聞きたいなぁ~


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いつかそのうち癖

「いつか」
「そのうち」
そんな言葉がいつも過ぎってます。

ふっと思い出しては
また・・・
「いつか」
「そのうち」を繰り返します。

いつかお返し出来るようになんて
沢山の感謝の言葉が
心に仮置きしてあります。
「いつか」
「そのうち」

それでも目の前の慌しさに
「いつかそのうち癖」
になって行く自分を戒めます。

癖になってはいけないのでした。

きちんとこころに留めてあるのです。
いつかそのうちは
あくまでも、こころの「仮置き」です。

度重なる仮置きで一杯になり過ぎて
癖になってます。

沢山の感謝のお返しが
仮置きしたままです。

だから
本当の位置に置けるように
小さなチャンスを見つけたら
飛びつきましょう!
なにをおいても飛びつきましょう!

いつか・そのうちの感謝のこころは
こころに眠らせるためではなく
ずっと目を開けたまま
心の約束を守る時を待つ言葉なのですから・・・




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一生で一度しか言わない言葉

知人のブログに書いてありました。 
「一生で一度しか言わない言葉」
さてなんでしょう?って

管理人は分からなかったんだけどね・・・

正解は
「はじめまして」です。

若年性痴呆?の入った管理人の場合
時々同じお方に何度か言ってしまいますが
これは例外と言うか・・・問題外のお話しです。

確かにそうですね!

「はじめまして」
人と人との出会いの言葉

その言葉をどのくらい大事に使っていたかしら?

生まれた娘を初めて抱いて言いました。
「はじめまして」
「ママです。よろしく」

あなたとの出会いは
生きてるご褒美。

そんな思いが
ぎっちりと凝縮され
一つの言葉がこぼれる。

「はじめまして」

「ここから」
初めての出会い
重なる人生の始まり
お相手と自分自身に告げる言葉。

出会いの喜びが
「はじめまして」の言葉を作りだす。

こころに染み入る
幸せの鐘の音のように
伝える言葉が
あなたに響きますように。

「はじめまして」


一生に一度しか使えない言葉
大切に使って行きたいと思いました。

「はじめまして」
これから
どんな出会いが待っているのか楽しみになりました。


教えてくださったブログ主のK様ありがとう♪





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梅庭


          (クリックで拡大します)
梅庭です。
初めて賞をもらったので
ちゃっかり
またまたブログでご紹介しちゃいます♪

本日で上野の東京都美術館の日府展も終わりました。
わざわざ管理人の拙い絵を見てくださった方
ありがとうございました。

意外なお方も見てくださったようで
言ってみるもんだな・・・なんて

100号のサイズの絵なのに
会場では一番小さいのです。

当たり前です。
日本画の出品規定が100号からですから^_^;

4回目でも同じサイズです。
理由は簡単です。
同じ額を使うからです。

管理人程度の作品に
額を幾つも買うのはもったないのです。
だから使いまわしです。

軽くて安くて絵の邪魔になら無そうな・・・
それだけで4年前選んだものです。

額は絵の一部。
美術館に行くと
額のほうが気になる名品もあります。
いい絵には
いい額がついてます。

だから管理人はまだまだこの額でいいと思ってしまう。

それにね。
前の絵から
次の絵に額を替えるときの
あの感じが好きなのです。

前の絵からそっと額を外します。

額を外そうとしたその指から
去年の記憶が蘇るのです。

額を取り付けたその記憶が・・・

一年も忘れた記憶が
その指から目覚めます。

フラッシュバックした
こころの映像は
とても不思議な感覚です。

岩絵の具が既に乾き
多彩な色で染まった手を綺麗に洗い流し
裏表を確認します。

おさなごに肌着を着せるように
慎重に優しく裏返し
絵を額に入れ込む。

その時のこころの記憶が蘇るのです。

疲労の中の安堵感
期待の中の焦りを飲み込み
勝負をかけたように
額を取り付けた絵を表に裏返す。

絵を壁に立てかけると
後ろに下がり
ゆっくり眺める。

記憶は毎年いつも似ている。

額を外された絵は
なんだかほっとしているようでもあり、
裸にされて恥ずかしそうでもあり、
そして、
ちょっと寂しそうもあります。

だから毎年絵に言います。
「ちょっと額借りるね!」
今気がつきました。
どの絵にも額を返すことなんてできないだぁ~・・・

来年もまたこの傷だらけの額を使うのかしら?
傷の分だけ重なる額の記憶・・・

もしも来年も絵を出品出来たなら
確かめに行って下さいませんか?







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見えないもの

見えるものは
分かりやすい。

見えないものは
分からない

分からないものは
見たくなる。

分からないものを見ても分からないのだけど
それでも知りたくなる。

分からないものを見ても分からず
知ろうとしても方法が見つからないのに
それでもやっぱり見たくなる。

見えないと分かっているものを
見たくなる。
そんな好奇心を駆り立てるものがあります。

見えないものは
心の目で見るものらしい。
でもね。
心の目が開いてないと見えないのだそうです。

心の目が開いてるかどうかは
自分で見えるのかしら?
分かるのかしら?

う~ん・・・
やっぱり分からないのです。

生あるものは、いつか死に
肉体を捨て魂だけになります。

魂だけになると
今まで望んだ
見えないものばかり見えるわけで
過去の目に見えていた形は
見たくとも見えなくなるのです。

気になる人の
「顔色をうかがう」なんてことなくなちゃうんです。

それを思うと
今のうち
生きてるうちは
見えない自由を味わいましょう!

見えないものを自分勝手に
膨らませたり、縮めたり
赤く塗ったり、青く塗ったり
見えないものを楽しんじゃいましょう!!

管理人分かちゃったんです。
見えないものが
ぜぇーんぶ見えたら
きっとつまらないってこと。

プレゼントだって箱に入って見えないから
ワクワクドキドキするんだものね!

でね。
思ったの。
今の肉体を離れるときに
「最高楽しかったよ!」って言ってみたいって。

だから
今を楽しみたい。
老いてゆく身体も愛しみながら
見れないものを自分本位に作り出す世界の
幸せや苦悩
夢や絶望を繰り返す
そんな自分が作り出した
まやかしの世界も楽しめるように生きて行きたいってね。
だってこれって
好奇心が作り出すものだから♪

無関心からは何も生まれやしないもの。

見えない不安を楽しむくらいの生き方して見ませんか!?

いつかこの身体を離れる時にくらいは
「最高楽しかったよ!」ってカッコよく
未練の欠片もないほどに言いきっちゃおう!!!!!









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最強のDNA

人は自分の為にはなかなか頑張りきれないけど
大切な人のためには頑張れます。

特に女性はそうかも知れません。
これはDNAから来るものだと思うのです。

雄は自分の子孫を残そうと戦います。
雌は自分の子孫を残そうと守ります。
これは、雄と違い
お腹の中で子供を育てるからかも知れません。

以前にブログで
セラヴィの玄関の雉の親子のステンドクラスの紹介しました。
その時も書きましたが、

母雉は
例え、草刈カマで首を斬られても
子供を抱き続けるそうです。

母雉は
例え、真っ赤に燃える山火事の中でも
子供を抱き続けるそうです。

26年もの間変わらず裏の林の中から
雉の声が聞こえます。
どんなに環境が変わっても守る力の強さが
変わらぬ雉の親子の姿を見せてくれます。

そんな雉の親子に
セラヴィの玄関ドアーで迎えてもらっています。
とても静かな絵(ステンドグラス)ですが
母雉の強さのにじむ作品です。
地元の作家が半年かけて作ってくれました。

セラヴィ「人生」
どんなに世の中が変わろうとも
愛がある限り
変わらないものが存在して行きます。

守りたいものが多いほど強くなる女性。

大切な人が多ければ多いほど
頑張れるということです!

このDNAは最強です!
守りたい大切なものを心に刻んで行きましょう!
きっとこの最強のDNAが貴女を強くしてくれます!

あ!そうそう、忘れてはいけません。
綺麗なオスの雉もセラヴィの中央に飾ってあります。
やはり雌と雄
二羽そろってこそ
物語り(歴史)は始まるのです・・・。


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