紅葉

恒例の長瀞の紅葉のライトアップが11月10日~25日迄行われます。
観光協会員手作りの小さくても暖かい紅葉のライトアップです。
今年も夕食の後、美しく浮かび上がる錦絵をご堪能いただきたいと思います。


昨日伊香保に行ってきました。
美しい紅葉を一足先に見てきました。
秋の空の中
美しい色とりどりの葉が何とも美しい!!

ここ数日できれいに色付いたようです。

赤・黄色・オレンジ・緑・茶色
全ての色が相乗効果で美しく輝きます。
自然界の色はなんて美しいのだろう。

涙が出るほど美しい!!
これほど美しいものを見ると
面白いものです。
こんな素敵なものを大切な人に見せて上げたい。
と思います。

感動するものは沢山あります。
美味しいもの
かわいいもの
美しいもの
画期的な情報でもなんでも
これはあの人に見せてたい聞かせて上げたい。
なんて思います。

まるで紅葉のように
赤はこの人に
黄色はあの人に
オレンジは大好きなあの人にと・・・
私が美しいと感動する色を
喜んでくれる大切な人々に伝えて上げたいと思うからです。
 
この人に「これを」と思うことは幸せです。
そんな人達が居ることも幸せです。

いろいろな人の色が重なって人生を作りあげてくれます。

それは、この感動を
きっと「この人」は同じように感動し、
喜んでくれると思うからです。

直ぐに伝えたい感動・・・

誕生日のプレゼントはこの人が喜んでくれるだろうと
想像しながら大切な人達の事を
想い、喜ぶ笑顔を描き選びます。
それはとても楽しく
そんな相手が沢山いることは幸せです。

感動を伝える人
また、確かにそれを受け取る数少ない人々は、
管理人の人生の色を
深く美しく染めてくれるのだと気が付きました。

虹を見つけて電話をくれる友達がいます。
そんな感動を貰う側の人であることも同時にとても幸せです。

今回も薮内佐斗司さんの作品特に「力丸」を見られたことも感動でしたが
それを知る友人に感謝しました。

大切はのは、
その感動を形に出して
喜ぶべき人に伝えることなのかも知れません。

言葉はとても拙く
心のままに人に伝えられません。

かといって
心のままでは
共通語を持たず
形になりません。

ならば、
それらを文字にして・・・
顔の見えない相手に伝えることは
もっとも難しい^_^;

自分の感動を感動してくれそうな人に
そのままを伝えられたら
きっと一番素敵な伝達方法なのだと思います。

心の震えと
言葉の震えが重なる感動の音
きっと、
この音を受け止めるアンテナが立っている人には
伝わる「はず」と思うのです。

だから管理人は思います。
沢山の想いや感動を持てる人でいたいと。

そして
多くの感動を伝えたい人々を
大切に守って行きたいと思いました。

紅葉の感動を伝えるために一番大切なことは
昨日見た青い空
冷たく澄んだ空気のような「透明感」なのだなぁ~って

開け放った窓から吹いてきた
冷たく心地よい風に納得させられました。
こんなクリアさが
感動音をアンテナに伝える大事な役目もしているだろうって。


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林住期

五木寛之さんの林住期(りんじゅうき)より

古代インドでは「四住期」という考え方が生まれ、
人生を四つの時期に区切ってそれぞれの生き方を示唆する
「学生期」・・青春
「家住期」・・朱夏
「林住期」・・白秋
「遊行期」・・玄冬

人生100年の時代25年づつの区切りとすると
学生期と家住期を人生の前半
林住期と遊行期を人生の後半とする。

「学生期」は基本体力づくり。
(青少年時代。心身を鍛え学習し、体験をつかむ。)

「家住期」は技術を学び経験を積む。
(社会人の時期。就職し、結婚し、家庭をつくり、子供を育てる。)

「林住期」試験に望む本番の黄金期!!ここで人生が決まる!
(これまで蓄えた体力、気力、キャリアを土台にジャンプ!)

そして静かなる時を迎える「遊行期」

「林住期」とは・・
本来の自己を生かす。
自分を見つめる。
心の中で求めていた生き方をする。
他人や組織のためでなく、
ただ自分の為に残された時間と日々すごす。
お金や身内や義理ある人々のために生きるのではない生き方もある。

「家住期」では、勤労期間。
社会人、家族人としての責任、義務をつくす。
だが、「林住期」とは本当にしたいことをする第三の人生。
「家住期」は「林住期」を真に自由に生きるための準備期間である。
その中で余計なものを捨てることで、真の自分を取り戻すことが出来る。

全てを捨て去り昔の想い残した夢や想いにかける。

「家出の進め」
家出とはある意味「出家」である。
職業につき、
社会貢献し、
市民としての義務をはたし、
子供を育てたなら
そこで、家庭というものを一度見直して見てはどうだろうか。
「家住期」から「林住期」を迎えるとき、
人は一度それまでの生活を解体する事も大事ではないかだろうか?
家出するとは、人になることだ。
しかし、人になることでしかつかめない真実というものがある。


「林住期」の仕事は
人生の生き甲斐をどこに求めるかだ。
「必要」からではなく「興味」によって動くということ。
生活の為に働く、家庭、子供の為に定職を持つとか、
自己の夢の実現の為に社会活動にに従事するとか
そんな「必要」はない
「興味」だけでいいのだ。
お金の為に何かをしないと決めつけるべきなのだ。

「林住期」とは、50歳から25年もしくは15年追加も考えられる。
いつまででも良いのです。
この時期にジャンプした者だけが、
死を穏やかに受け入れることが出来る。
例え、清貧というにも
ささやかすぎる暮らしをすることになったとしても、
そこには人間としての、
奇妙な充実感が得られるだろうと思う。

『林住期とはもっとも豊かな人生を送る時期』


管理人なりの抜粋の仕方、まとめなので
内容が違うかもしれません^_^;
著者権などもありますし
自分なりの、ほんの一部ご紹介。

ご自分で読むのが一番良いでしょう。
贅沢な生き方です。
反論も沢山あるかもしれないけど
私は、大拍手を贈りたい!

その為には
今をキチンと生きる事です。
今をキチン生きなければこの資格がないわけですからね!
それに・・・
「家出」するにも
家族にも自分にも蓄えが必要ですしね^_^;
そして、なによりも大切な子育てがまだまだありますし。
50歳からは無理でも先は長いのです(^^)v
がんばりましょう!

まずはいらない物を少しづつ捨てながら・・
しっかり「家住期」を生きながら・・

昔の「神様のいたずらに」にリベンジ!!
後悔のない最後を迎えるように生きたいと思ったり

いつかジャンプの時を想い描き
歳を重ねて行きましょう!

つまり、そう意識しながら歳を重ねることが
最も大切な事なのだと管理人は思います。




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見張り番

テレビを見ながら遅いお昼を取りました。
いつもテレビを昼間見る機会も無いのだけれど
何のドラマか?こんな一説がありました。

再婚者のお見合いの席
質問者
「どんな奥様をご希望ですか?」

答える男性
「乱暴な言い方ですが・・・
私が泥棒をすると言ったら
例えば
直ぐ警察に通報する奥さん。
例えば
私に一生懸命説得する奥さん。
私は
迷わず「見張り番」を買って出る奥さんが良いですね
そんな信頼関係を望みます。」
というよな?内容だったと思います。

実に面白いと思いました。
夫婦は強い信頼関係の中
外の常識や倫理観などより
独自の世界観を持ち
世界を敵に回しても
夫と共に生きるくらいな・・

但しこれは実に乱暴なたとえ話です。
これが良しと言うわけではありませんが
正しくこれぞ運命共同体です。
夫の「泥棒」以外の
声に出てない想いの部分が
自分のことのように全て共感できるということなのでしょう。

内容もわからないままに
妙に納得してしまいました。

五木寛之の林住期(りんじゅうき)の中にも
置き忘れたものを探しに家出する夫を
理解し許す妻の心情にも似てます。
 
林住期は最高に面白いので
読み終わったら
絶対に感想を書きます。
痛く共感してます。
こちらは夫婦と言うより
今後の生き方のお話ですが・・・

横道それましたが・・
夫婦でも友人でもなんでも
こんな人間の密接で濃厚な関係を築けるということに
憧れを感じます。
人は自我の強い生き物です。
人の数だけ人生があるように・・・

でもぴったりと重なる人生が
この世にある事も事実なのだと思います。

とは言え、そこまで行くには
相性や価値感に加え
時と共に移り変わる想いや夢を
理解し合う時間、会話がとても大切なのだと思います。

そしてもう一つ
お互いが
強く迷わず
信じ続けることが大切なのだと思います。

どうですか?
夫、妻。彼氏、彼女。はたまた親友の

貴方は迷わず「見張り番」になれますか?







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青春の詩

久々にサムエル・ウルマンの青春の詩など読んでみました。

驚きました。
久々に読んだ彼の詩が実に胸に響きました。
まるで管理人の今の心のそのものでした。
吸い取り紙のように心に沁みてきます。
この詩は
歳を重ねるごとに自分の言葉となって行きます。
歳を重ねるとはなんと素敵なことでしょう。

青春とは人生のある期間ではなく
心の持ち方。
若さの水水しい美しさではなく、
重ね行く心の中の強さ柔軟さ

新たな理想を見つけた出した時
その情熱は確かに人を
第二の青春へと導いてくれるのでしょう。
第二の青春は短くも長くもなる。
想う意志の力で幾つまでも続ける事が出来る。
永遠も可能なのだ

サムエル・ウルマンがこの詩を70代で書きました。
100年近く前だから、たぶん今の90歳位かもしれません。
彼は84歳で亡くなるので
それまで、素晴らしい青春時代を送ったのでしょう!!
青春とはある時期ではなく
心の持ち方・・・素敵ですね(#^.^#)


「青春」
サムエル・ウルマン 作山宗久訳 三笠書房

青春とは人生のある期間ではなく
心の持ち方をいう。
バラの面差し、くれないの唇、しなやかな手足ではなく
たくましい意志、ゆたかな想像力、もえる情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気
やすきにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うときはじめて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。
苦悩、恐怖、失望により気力は地にはい精神は芥(あくた)になる。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には
驚異にひかれる心、おさな児のような未知への探求心
人生への興味の歓喜がある。
君にも我にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美、希望、よろこび、勇気、力の
霊感を受ける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ
悲嘆の氷にとざされるとき
20歳だろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえるかぎり
80歳であろうと人は青春の中にいる。

青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ
・・・・・


これから、とっても頑張れそうなそんな
素敵な人生応援歌ですね!(#^.^#)

今日も一日頑張りましょう!!
オゥ!!!
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白鳥を抱く人







本日一枚の作品がセラヴィにやって来ました。
小林裕児先生の作品です。
いつものようにまったく上手く撮れて居ない事が
口惜しいです。

太陽のような暖かなオレンジの色を背に
恋人同士のような二人が白鳥を抱えます。
不思議な絵です。

真正面から見ると
幸せそうに白鳥を抱え走るような恋人同士の姿。
でも脇から見ると
一人で白鳥を抱え笑う男性
また別の方から見ると
一人で白鳥を抱え微笑む女性。

桜の木をくりぬいて作った板は
不思議な世界を作り出します。

絵に付いたガラスの羽は
真正面から見ると2枚

でも脇から見てもきれいな影が
もう一つの羽を作り出し
2枚の羽となります。

ガラスに銀箔が入った羽の陰が
ただのガラスの陰を
複雑にし、もう一つの羽をリアルに映し出します。

彼の独特の赤の色が写真では伝えらず残念です。
漆に使う水銀の多く入った赤。
独特の朱赤です。

男性の髪から出ているものは
形にならない「言葉」や「気」
伝えられない想いです。
先生は良くこんな風に強い想いを絵の中で形にして描かかれます。

女性の口角の上がった唇と爪は象徴的な見事な朱赤。
とても明るく、よどみや、迷いのない美しさと強さを持ちます。
赤い爪を持つ二つの手で抱きかかえるものは。
「幸せ」・「夢」・「希望」の象徴のような白鳥です。

不思議な世界に暫く見とれました。
心奪われました。

先生に、先日渋谷の文化村の個展でお逢いしました。
ずっと心に残っていた作品の事を先生に伺いました。
その作品は今韓国での個展に行っていることを知りました。
是非、帰って来たらもう一度見たいとお願いしました。

私が気に入ってもセラヴィに合わなくては何もならないので
本日無理を言って先生直々に届けてもらいました。

この作品は
初めて小林先生の個展で出逢った時
一目惚れしたのですが諦めていました。
「無理だろうなセラヴィには・・・」
セラヴィと気の合わなそうなものを
初めて好きになり自分でもビックリしました。

諦めきれず先生に伺えば
あれから一年近く経つのに
まだ在るという・・・
評判がとても良いのに不思議だよねとおっしゃる。
「セラヴィを待っていたのかも?」
なんて思ったのです。

「セラヴィに合わないはずがない」という
ヘンな確信が湧き始めました。

その時は来ました。

セラヴィはなんともすんなりと
その作品を受け入れてました。
何の抵抗も無く
待っていたように・・・

遊び心の中に
優しさと慈しみと愛が溢れます。

この絵は
思い出の作品となります。
たぶんとても大切な作品となります。
管理人とセラヴィが共に生き
これからもまた
共に歳を重ね生きて行く証のような作品です。

時は静かに動きます。
24年前からの絵がセラヴィには飾られてます。
何十年も掛かり集めた絵はセラヴィを作り出しました。
それでも、
それが少しづつ替えられています。
スタッフですら
解らないほど自然に替わっています。

絵を選んでいた管理人の決め付けだったのかもしれません。
「ここには合わない。この部屋にしか合わない」って
勝手な思い込みだったのです。
管理人よりずっと大きな許容量をもっていた
セラヴィのことを忘れてました。

来年の冬休みには
絵を一度全部はずし移動しようと思ってます。

ガラスの羽が
多くのお客様に
夢と希望と幸福を与えてくれる作品になれば良いと思います。

ただこの作品は
かなり主張が強く・・・

後の評価はお客様にお任せいたしましょう。
ここは皆様の別荘ですから

でもこのブログでは評価は出来ません。
セラヴィに飾ってあるこの作品を
セラヴィと共に肌で感じていただかないと

先生はどの個展会場に飾るより
此処が良いねとおっしゃって
セラヴィが「待っていた」と同じようにおしゃってました。

是非
体感なさってご評価ください。
レストランが明るく幸せに満ち満ちてますよ(^^)v


YUJI KOBAYASHI  小林 裕児 http://www.yuji-kobayashi.com/
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叱られちゃうこと2

叱られちゃうこと第2弾!!!
思いつきました。

「わっ!!」です。
隠れていきなり脅かす「あれ」です。

管理人には小学生の娘がおりますので、
未だに時々やります。
娘の驚く顔を思い出しながら
隠れてワクワクするのです。
待つ間は彼女の驚く顔を想像しながら
ずっと笑ってます。

ただこれは大人相手には出来ません。
以前に二十歳になる長女にやったら
真面目に怒られました^_^;

それで・・・
例えば仕事でへとへとになって帰って来た旦那様にやったら・・・
想像します。
これは、かなり勇気が入りそうです。
長女に仕掛ける以上に勇気が入ります。

実際、私が疲れて帰宅した時「あれ」をやられたら・・・

小学生の娘からだったら驚いた後
「こちょこちょ」で仕返しして
じゃれ合って笑ってお互い楽しく終わります。

でも、疲れてホッとした時に「大人」からやられたら・・・
やっぱり怒ちゃうでしょうねぇ~
「何やってるんのよ!!」って
心臓バクバクしながらね!

だからあえてやって見たいのです。

くたくたで無防備な旦那様を待ち構え
「わっ!!」
彼はかなり驚き・・・
その後は・・・
きっと呆れて顔で
「いいかげん大人になれよ~」って
叱られるのでしょうね。
いやいや
「酔っ払ってるの??」
とか・・・

そう聞きたくなるような常識破り!!

この歳ではしないだろうって叱られそうな
そんなちょっとした
面白くて常識破りな事がしてみたいのです。

馴染みの友人辺りには出来ますね。まだね(^^)v

ただ時と人をわきまえますから
出来るのです。
これが
わきまえずにするから
大人にとっては非常識でルール違反になる訳です。

いたずらってしてみたいですね。
相手の驚く顔をワクワクしながら待つ。
でも
大人は小さな事で驚かせる遊びが無くなりました。
心に余裕がないからかなぁ~

お酒でも飲んで子供返りしない限り
大人は大人のまま
つまらないですね!

常識的な大人・・・
知識や理屈を捨て
自然の摂理の中で
肌の体感温度だけで学んで行きたい。

理性で止められない勢いで感情が走って行く
まあ、そんな大げさではないのだけれど
そんな感じたままの
心の声の欠けらを聞いて見たい気がします。
心のままに生きていけたら良いなぁ~
自然の中の一部のような
そんな形の中で生きたいなぁって管理人は思うのです。

子供返りは一般的に
満たされなかった思いを
取り戻そうとする時間感覚の障害だったり。
過去の我慢しすぎが起こすとも言います。
でもこれって悪くないと管理人思うんですよ。

遊び心が足りないこの時代
ゆっくりゆっくり寄り道しながら
歩くのって。
少年少女に戻って
好奇心を取り戻して行くって

瓶の蓋を集めたり
きれいな石を集めたり
どうでも良いものに時間を掛け
自分を満たすと言う遊びが出来なくなりました。

有意義に
有意義に
と空いた時間を使います。

意義無く
無意味に
と空いた時間を使う人は居ないでしょう。
ほっぽらかさてれた無意味な時間の中で
十分に遊べる子供心を持っていたいと思います。

張り詰めた糸をゆっくりたるませてあげるって
今の時代に必要な事と管理人はそう思うのです。

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叱られちゃうこと

お風呂に入りながら、ひらめきました!!!

唐突ですが・・
例えば
洋服を着たままお風呂に入ったらどうなんだろう?って

昨日のブログの
「叱られる悪い事」を
ふっと思い出し・・・

叱られてもコッソリやりたくなる
そんな楽しいこと考え付きました。

洋服を着たままお風呂に入るのは
非常識で実に馬鹿らしいけど
なんかそんな馬鹿らしいことがして見たくなりました。

もちろん
叱る人は居るはずもなく。
今、幼稚園児レベルの
「叱られそうな悪い事」をしても
結局のところ管理人は、
大人ですので・・^_^;

周りは叱ると言うより
「見てみぬ振り」
精神状態を疑うだけですね。
そして、家族はかなり心配することでしょう。

何故そんな馬鹿らしいことやりたいと思ったのか?
それは、するはずもない。
してはいけないことだから・・・

心に自然に敷かれた当たり前と思うルールだからです。

でもこのルール違反は、
楽しくなくてはまったく意味を持たないのです。

楽しいような・・・
楽しくないような??

説明の必要の無いまっすぐな想いを
望みながらも
説明付けがないと動けないことは
なんと面倒なことでしょう。

それでも「やってみたいなぁ~」と思う。
こんな馬鹿らしいことに気が付いてしまったら
どんな気持ちになるんだろう?
っていう好奇心が湧いてきて
可笑しいかなぁ~?

こんなヘンな衝動が
いったい何処から来るのかを考えた方が良いと
言われそうですが・・・

倫理観の中で当たり前に生き、
普通になったことが
今、なんだか不思議に思えてくるのです。
きれいな景色より
きれいな景色を見ている自分の周りが気になって居る自分が

そんな面倒な自分を壊して見たくなることありませんか?

まったく無意味で形も利益も生み出さないものに
心奪われてみたいと思ったことありませんか?

出来れば
小学生の時のようなウキウキした柔軟な心に
戻ってみたい思ったことありませんか?

凝り固まってしまった面倒な自分から
あの頃に戻ってみたいと思ったことありませんか?

大人は忙しいのですね・・・

「ピンポンダッシュ」と言うのを知ってますか?
まったく知らないお宅の呼び鈴「ピンポン」ってを鳴らし
そのまま「ダッシュ」して走り去る。

何が楽しんだろ???

この不可解な行動をする大人の気持ちが
初めて分かりました。
してはいけない叱られそうな「いたずら」なのでしょう。
大人の小学生レベルのお遊びです。

理解は出来ても
こんな風に
人に迷惑掛ける事で楽しいと言うのは
ちょっと無理かなぁ~。
まあ、その迷惑を掛けるというところが
外せないところなのでしょうが・・・

ピンポンダッシュには歳を取りすぎましたし
あまり想像力を膨らます事が出来ない。


等々考えながら
やっぱり
今日もお馬鹿さんをしないで
普通に終わりそうです。

あ~面倒臭い!!
そんな、管理人に今回もお付き合い頂きm(__)mです。







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鉄道

埼玉の大宮に鉄道博物館が出来ました。
たいへん盛況のようです。

鉄道マニアもモチロンですが
昔の思い出に胸を熱くした
一般のお客様も多かったようです。
大人も子供も楽しめそうな素敵な鉄道博物館が出来ました。

昔の電車は
座る所がビロードのような感触でした。
椅子の背中は木で出来ていました。
床もちょっとべとつく様な黒い木でした。

機械油のような独特の匂いがありました。

小さな時は
電車に乗った途端
必ず靴を脱ぎ捨てると
反対向きに座り
「いっせいのせ!」と息を合わせ
窓の右と左のツマミを
友達と二人掛りで開けたものです。

一気に身を乗り出し
外の風を顔に当てながら
美味しい空気と共に景色を楽しみました。
見て楽しむだけではないのです。
手に届きそうな美しい景色の数々を
体感するのです。
電車の一部となって・・

大きな声で風に負けずに歌を歌ったり
どうでも良いということが
とても楽しい事でした。

今、管理人は
一人で窓を開ける腕の長さは持ちましたが
靴を脱いで反対向きに座ると言うのは・・・

想像すると・・・
まず歳相応に靴を揃え
窓側に正座して
窓を開け
体半分を出すと・・・
・・・自殺と間違われそうです^_^;

でも
誰も見てなかったら
やっぱり「やりたい!!」です。
窓から体を思いっきり乗り出して
手を伸ばし
風を感じ
草の匂いを感じ
周りの景色の数々に手を振り

そう言えば
昔は電車から見える人に手を振れば
誰もが手を振り返してくれました。

但し大きな管理人がやったのでは
まるで助けを呼んでいるように見えるかもしれませんね^_^;

子供の頃は
やったら叱られることでも
こっそりやれば
子供心には悪い事ではないこと
ありました。


それは親が危険だからという心配で
「してはいけない事」と理由付けしたからでしょう

今は・・・
叱る側です。

危険だからと叱られることを
することが無くなりました。

寂しいものです。
そのちょっとした冒険心が
余計にワクワクさせていたのですから

してはいけない危険なことは
大人になったってしまったらしません。

冒険心を何処かに忘れてきました。

あの機械油の匂いの中にかなぁ~

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おはようございます。

おはようございます。
口紅も付けないと言う一週間近くの自分から
今日はきれいに歳相応
お客様に失礼にならないお顔でフロント業務に戻りました。
いろいろありますね。
歳相応に^_^;

数日前にありがたいメールをお客様から頂きました。
7月にセラヴィの露天風呂で転倒。
腕を骨折したお客様からでした。
ずっと気になりながらも
お手紙も連絡も出来ないままでした。

いろんな理由付けをしている間に時が過ぎ
日が過ぎれば過ぎるで連絡がし難くなっていました。
時折思い出す度に気になり
心に大きな引っかかりが出来ていました。

お客様からのメールで
骨の中にチタンのパイプを入れる手術を入れ、
3週間ほど休んだだけで職場復帰。
現在リハビリ中、生活には支障ありません。
とのこと・・・

何も出来なかったのに・・・
最後に
もう少し落ち着きましたら、また夫婦で伺います。
と言うメールでした。
「お礼」と書かれたメールには
私達への気遣いが一杯でした。
胸が熱くなりました。

ありがたい!
ありがたい!

お客様が元気になられた事が
とても嬉しかったり、
まだリハビリ中とは
やはりかなり大変だったのだと
何も出来なかった自分を恥じてみたり、

管理人はこんな方になりたいと思いました。

いつも想います。
セラヴィは
お客様が作ってくださっているのだと

管理人、スタッフは
お客様に育てられ教えられて
此処まで来ました。

管理人は24年目
成長は遅いけれど
ゆっくり暖かな心を頂きながら
これからも
皆様と共にあり続けたいと思ってます。







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愛の連鎖反応


今朝もいつも通り
客室にモーニング珈琲と新聞をお届けしながら、
元気の無くなった花達を見まわります。
水引きの悪い花や
枯れそうな花は取り替えます。

沢山のコスモスも
花盛りを生けたので
今朝は終わった花を片付けました。
その花の中にまだきれいなコスモスが3輪
その部分だけ切ってまた花器に戻しました。

可愛い花を愛でながら
朝から幸せ感じます。
小さな花の笑い声が聞こえるようです。
白のコスモスが照れて隠れています(#^.^#)

「愛でる」
このブログも
「時を愛でる」をブログのサブタイトルに使いました。
愛と言う心の目で見ることは
とても幸せなことです。

ただ見る場合は
愛でるではなく「見る」になります。

好きなものを見るときは
目でも見ているつもりが
愛の心が生まれ
知らない間に心でも愛でています。
結果、心に幸せが生まれてきます。

ただ見るだけのものより
愛でるもの、
つまり愛するとは
こんなにも
人を豊かに、幸せにしてくれます。

花も空も風も空気も
セラヴィにあるお気に入りのもの全てが
愛するもの。

フロントに行きながら
必ず触れているソフャの皮の感触
愛するものに囲まれて
知らず知らずに想いが満たされていることに気が付きます。

愛にはいろいろな形があるけれど
それのどれをとっても
愛することは幸せ。

「愛される幸せ」と「愛する幸せ」を
友人と語った事を思い出しました。

恋愛関係などは
愛されたいと強く望むものですが
でもそれも
「愛した」から
「愛されたい」になったのでしょう。
愛するものに
愛されたいと願うのは自然な事。
とも想いますが・・・

管理人は、
愛することが、とても幸せなことを知っています。
相手に愛されたいと言う欲が湧く前に
すでに愛で溢れるほど心が満たされて行ってしまうのです。
これは愛の連鎖反応によるものです。

愛すれば愛するほど
愛する心は
全てのもの
人生そのものまでも豊かに輝かせます。
これが「愛の連鎖反応です」
よく恋をすると全てがバラ色なんて言いますでしょ(古い?)^_^;
そんな感じでしょうか。

管理人はたぶん
人より
愛するものが沢山ある気がしてます。
そんな自分自身が
とても大好きなことに気が付きました。
自分のことが「大好き」と言えることは
なんとも幸せなことだと思いませんか?
そんな気づきまでがとても幸せな管理人です。
お久しぶり管理人!って感じです。

愛の連鎖反応を信じる管理人
沢山の物を、人を
愛し続ける心だけは
管理人の唯一の自慢かもしれません。(^^)v

とても幸せ(#^.^#)
って言える回数が
一日何度も何度もやって来ます。

今日はもう直ぐ雨になりそうです。
雨のこの香りがしてきました。
雨は大好き(#^.^#)
大きく深呼吸しながら
「なんて幸せなんだろう!!」
って今日の何度目かの幸せを感じてます。

久々に大好きな自分が帰って来たようです。
これと言ってとりえは無いけれど
愛する幸せを感じさせたら天下一品です(^^)v

連休中の沢山の素敵なお客様の笑顔に
ありがとう!!
この幸せの一つに皆さんの存在が確かにありました。
ありがとう!
お送りするとき
いろんな暖かい想いが心をよぎりました。

愛の連鎖の元火に気が付きました
いつも
どんな人の心の中にも
気が付くとあるものです。

「ふぅ~」と息を吹きかければいいのです。
火は燃え始め
愛の連鎖を作り始めます。

愛することが
愛するものを呼び
幸せを運ぶ

幸せがまた
愛する心を呼び
愛する想いがまた
幸せを招く
愛の連鎖反応

管理人は毎日
幸せを一杯感じながら
愛する多くのもの達に囲まれて
ホットな心で皆様をお待ちしております。

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