やさしさ 

昨夜のブログを消そうと思ったら
コメントもらって
そのままでいい気がした。

ブログも自分も・・・

なんとなく
自分はそれでもいい気がした。

あんな長いブログ読んでくれた方が居たなんて
ありがとう!!

馬鹿らしく思わないでくれた方が居たなんて
ありがとう!!

心からの優しい言葉・思いを
ありがとう!!

きっと
誰もが皆
多くの悩みを持ち

誰もが皆
胸の痛みを抱えているのですね。

人は誰も一人
時に孤独の中に居て・・・
だから
人は寄り添い生きるのですね。

一人で抱えられないものを
きっと持っているのでしょう。

だから寄り添う

胸の痛みは
誰もが持っていて

だから
人は人に優しく出来るんだ
そう思いました。

今度は管理人も
人の痛みを分かち合える。
本当の意味で
寄り添う人になれると思います。

只今
反抗期より脱皮して
少しは前に進んだかなぁ~
なんて思えます。

人の暖かい言葉がなかったら
今こんなにゆったりした心になれなかったかもしれません。

覚えておきましょう。
人の思いのやさしさを

いつか
この優しさを
誰かに届けられる人となりましょう。

ありがとう!!






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回想

「ちょっとずる休みしちゃった(^_-)-☆」

でも、その間いろいろ考えました。

管理人は長くに渡り
悩みなどは
かなり遠くに住んでおりました。

ここブログを始めると共に
自分自身と対話する事を覚えました。

時期を同じくして
大切な人の別れ
大切な人との出会いの中から少しづつ学び始めました。

正に遅咲きの思春期
です。
この歳にして
児童期から青年期への移行期となりました。

私は、人を羨ましいと心から思ったこともなく

自分に疑問も持たず
前のみを見て歩いていました。
いや、
前を見て歩いていると思いこんでいました。

小さな頃から
望みは大抵叶いました。
ピアノを習うとピアノを買ってもらい
絵の教室に通いたいと
小学生には不似合いな絵の道具を買ってもらいました。
いつも長くは続かなく
それでも出来の良い妹が買った全てをモノにして行きました。
私は兄妹でも一番で出来が悪かったのです。

望みが叶ったというより
叶わない望みを追うことはなかったのかもしれません。
でも働き者の両親のお陰で恵まれていたことは
確かかもしれません。

何年かぶりに定期的に
顔を出す思い出があります。

とても嫌な思い出です。

昨夜は徹夜をしてしまいました。
初めて向き合いました。
多くの過去の思い出に・・・

昔、まだ小学生の3,4年生頃でした。
私は犬を飼っていました。
名前は『コロ』です。
名前すら昨夜思い出しました。

初めて捨て犬を
飼ってもらいました。

我が家は自営業で
母も父の仕事を手伝っていました。

子供達の面倒は
お手伝いさんがしてくれました。
その時のお手伝いさんは
母子連れでした。
後にも先にも住み込みの子連れのお手伝いさんは
その親子だけでした。

親子は
お母さんと私より歳の小さな息子さんでした。
名前は思い出せません。
『僕』です。

時々、夕食を私達兄妹3人と
その親子で食卓を共にしました。

各自のプレートに、
お子様ランチのような
ハンバーグやスパげーティー
ケチャップご飯
少しの野菜
お決まりのパイナップルやみかんの缶詰だけが別の器でした。

私は嫌いでした。
特にその缶詰は嫌いでした。
でも『ボク』の大好物でした。

ボクは、たぶん鼻が悪く
ご飯を食べると
毎回、鼻からイヤの音を鳴らしました。
口から息が出来なくなくなるので
いつもより大きな音で
イヤの音を鳴らしました。

私は『ボク』の
プレートに顔をつけるようにして食べる姿も
とてもイヤでした。

そして、いつものように
お手伝いさんのお母さんがボクの横で
『ボク、こぼれちゃうでしょう』
ってこぼれたものを自分の口に運びました。
ボクは良く食べ太ってました。

私はその甘ったるい声が嫌いでした。

ボクは悪い子ではまったくなかったのだけど
遊んだ記憶がありません。
ただ、いつもお母さんのお尻にピッタリとくっついてました。

私は長女ですから、
幼い弟、妹は何も感じなかったのかも知れません。
そのことについて誰にも話した事がなかったので
未だ判りませんが・・・
というか、こんなに記憶をたどったのは初めてでした。

私は鼻の悪いボクの
どうしてもイヤだった音の話しは
してはいけない事だと
小さいなりに理解してました。
まして、厳しかった親に
人の欠点を言ったら
叱られると思い言わなかったのです。

でも今だから分かります。
どうしてもイヤだった理由は
寂しかったのでしょう。
羨ましかったのでしょう。
昨夜思い出すことも無い事を
思い出して気がつきました。

その頃
可愛がっていたコロと言う犬は大人になってました。
私は小さなものが欲しかったのでしょう。
インコの子供を飼いました。

なんでも理由さえ整えば
許されました。
「最後まで面倒を自分で見ます」
それが親との約束です。

まだ毛が生えていない小さな生き物でした。
スプーンで餌を与えました。
愛情のすべてを注ぎ込むように大事に大事に育てました。

インコは『ピーコ』で
良くなつきました。

羽はペットショップで切ってもらっていたので
飛ぶ事は出来ませんでした。

いつも私の後ろを追いかけて歩いて居ました。
呼べばいつでも私の元に歩いて来ました。

学校に行く時も
いつも私の後を追って来きました。

ある日、学校から戻ると
鳥かごの中にティッシュが入ってました。

何故か、直ぐに分かりました。
その下にピー子が居ることが・・・

私が鳥かごから
ティーシュをとると
その下にピーコが居ました。

手のひらに乗せると
ぺちゃんこに平たく堅くなってました。

お手伝いさんが
「コロに踏まれてぺしゃんこになって死んじゃったのよ」
そう言いました。

私はピーコのお墓を作り埋めました。
たくさん泣きました。
 
それから
私はコロを散歩に連れて行くことはなくなりました。

どうしても我慢できなくて、その場に
ウンチやおしっこをしてしまうコロを見てみないふりをしました。

餌や水をあげる時も
コロとじゃれあうことをしなかったように思います。
コロは良い子で
ウンチやおしっこを
最後の最後まで我慢して
その場ですることは無かったことを知ってました。

その時コロが何歳だったか?
覚えていません。

記憶は飛び
コロが病気で毛が抜け始め
そのうち保健所に連れて行かれることとなります。

私は初めから
コロが悪くないことを知ってました。
人懐っこいピーコは自分でも時々踏みそうになりました。
大好きなコロとピーコも一緒に遊びました。

そうすべて知ってました。
自分がピーコを籠にしまい忘れたのです。

また胸が痛くなりました。

私が覚えているのは
両親が保健所に連れて行くと話しを
聞いてしまったこと
それは私に知らせないように話していた話しでした。

私は知っていました。

ある時
学校から帰って来たら
コロが居なくなっていました。

私は直ぐに分かりました。
コロがどうなったのか・・・

そこまでの記憶は
ずっと塞がれていました。
やっと思い出しました。

最後に目の合ったコロが
とても悲しそうな目をして見ていたその顔だけが
胸を突くように
40年余りも何度も何度も浮き上がり
そして消し去り続けました。

深く考えたくなかったのです。
自分の罪に蓋をしていました。

父は高校生くらいから
大人になる今もずっと私に言ってました。
「普通になってくれ!!
頭が良いでもなく悪いでもなく
普通でいいだから」

私は本当に普通でした。
よくも無く、
悪くも無く
本当に普通でした。

親に逆らうこともなく
とても厳しかったので
恐かったからですが・・・
でも反抗期もなく過しました。

でも父の言っている意味が分かりました。

旦那様が私をもらいに来たとき
2時間も正座をさせられたあげく
やっと口を開いていった父の言葉は
「君は娘の何処が好きなんだね?」

旦那様は
「純粋で素直な所です!」
と答えました。

父は激怒しました。
「私の娘を馬鹿にしているのか!!」って

父は良く言いました。
「お前は人を信じ過ぎるが
人はお前のことを陰でどう思っているかわかるか?」

私は世の中に嫌いな人が居ませんでした。
皆わたしにとってはいい人でしたし
人の為に動くこと
それによって喜ばれることが幸せでした。
人の悪口なんて直接耳に入ることもなかったのです。

今思えば
きっと心なく人を傷つけることもあったのでしょう。
ただ未だ父の言葉を理解したくないのです。

・・・ただただ人を信じていたのです。
それが自分の価値でもあったのです。

父の言葉は悲しすぎて
深く考えることをしませんでした。

きっと、そんな私を父は心配していたのでしょう。

私は深くものを考えずに
今まで生きてきたのだと
つくづく感じました。

家では
旦那様から
君が一番、子供だと言われている意味も理解出来て来ました。

深いものの見方を知らなかったのです。
嫌な自分に蓋をして
生きていました。

人の痛みも分かると思い込んでいたけれど
とても遠いところに居たことを気が付かされました。

悩むことのない人生を送ってきました。
 
深いところまで行きつくことが出来なかったのです。

人の死は
自分なりに理解しました。
天国に行くし
きっとまた逢えると思うから
一度だけ泣くと
それで大切な人の死を忘れました。
まだその辺に居ると思うのです。

その人の無念を深く見ることを
また封印してしまったのです。
 
自分の楽な方に物事を考えました。
自分に傷の付かない生き方を選んでいました。

昨夜、初めて
思い出しました。
小さくてコロコロして可愛かったから
コロと名づけたこと。
ふわふわの毛が気持ち良かったこと。

コロと散歩に行って
小さな私は、毎回大きくなったコロに引きずられ
別の犬を見て
もうダッシュして行くコロの首にかかる鎖を
持っていられなくて
離してしまったこと。

それから日が暮れるまで探したこと
コロが自分で帰ってきて
嬉しくて、抱きしめて泣いたこと

両親に叱れると
コロの小屋にもぐりこんで
コロを抱いて泣いたこと。
 
コロの口が生臭くても
嫌でなかったこと

コロの毛の匂いのこと・・・

小さなコロを拾ってきて
恐い恐い両親を始めて説得させたこと

コロは兄妹皆
家族皆から愛されていたこと

始めて思い出すものは
こんなにも優しく暖かい思い出があったことを
昨夜初めて知りました。

ごめんね・・・コロ

もう許して上げようと思いました。
自分自身を・・・

そして
やっと遅咲きながら
痛みと向き合うことを知り

人の痛みを少しだけ判るようになった自分が
ありがたいと思いました。

罪深き自分を
認めることは幼い時から出来なかったこと

それを認めました。

良かった。
これから多くの苦しみや悩みを抱える娘達を
遠くから見守ることが出来る気がしたから
良かった。

遅咲きの花になりましょう。
これから
きっと人の痛みの深いところを分かる大人になりましょう。

罪深き自分を許し
40年分の涙を流しました。

まだまだ
まだまだ

これから私は
いっぱしの大人になって行くのです。

やっと汚い自分とも向き合うのです。

私はコンプレックスの固まりで
美しいものが大好きな理由は
自分がいかに醜かったかを知っていたいたからだったのです。

美しい心を追い求めていたのは
醜い自分を隠し続けた結果だったのかもしれません。

私は
この胸の痛みがやっと人並みになったのだと
思いました。














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