管理人にはヘンな癖があります。
一生懸命やって、
最後の最後「ここぞ」と思うとき
身体や心がが拒否するのです。

いきなり眠くなったり、
停止状態になる。

ゴールのテープを見て
後ろ向きに走りたくなるのです。

大きな山を登り最後の一歩の所で
滑り落ちたくなるのです。

何故そうしてしまうのか未だ解からず
ここまで頑張ったのに・・何故ここで?

悲しくなるくらいのへそ曲がりぶりです。

でも最近こんな考えも浮かんできました。

自分が思うよりずっと頑張っていたのではないかしら・・・なんて

だとしたら褒めてあげなきゃ

『それでも偉いぞ!自分(*^_^*)』




 

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大黒柱

なぜか体重が増え続けた。

男性と体重を競うとは夢にも思わなかった。

そしてとうとう管理人

一家で一番太い柱

一家の中心☆

大黒柱となったのであった。

「おめでとう!」パチパチパチ

いや・・・

管理人。そもそも大黒柱なんて目指していないのだ。

どっかで道をあやまったのか?

思い出そう・・・。

 

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だんご虫

手のひらで丸くなるだんご虫を見ながらおもう。

あなたがね。

茶色でなかったらどうかしら。

赤やピンクや黄色に青

キャンディーみたいに可愛いでしょうね。

でも間違って食べたら大変だね。

そうだね。

あなたは丸くなるだけで十分に可愛いだんご虫だった。

 

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当たり前に感謝

 

きのうがあって

きょうがきて

あしたがある。

ねる。めざめる。はたらく。

ねる。めざめる。はたらく。

そんな当たり前がしあわせなことだと思う。

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散歩2

久々の眩しい太陽

今朝は太陽の方に歩いていこうと決めた。

夢中になるので携帯の目覚ましを20分後にセット

ベルがなると戻ることにしている。

 

太陽に向かって歩きながら

昔虹を見て追いかけたことを思いだした。

その時は車だったけど

虹が消えそうになるまで走った。

意味の無いこと。生産性のない思い付きが大好きだった。

たぶん今も変わらないけど、それには沢山の時間が必要だ。

 

太陽に向かうとじりじりと熱い。

こんなとき太陽は凄いと思う。

こんなに遠くにいてもこんなに熱い光を出すのだから。

曇りの日の明け方は特に良く解る。

厚い雲を通りぬけ白々とした空に

山際が浮かび上がる瞬間

分厚く重い雲の上に

しっかり太陽が居ることが解って

ちょっと感動してしまった。

グレーの空に光の色が重った。

 

今朝は太陽を追いかけ国道沿いを歩く。

まっすぐな陰が長ーく伸びる。

上田正治氏の写真を思い出す。

セラヴィにある写真集のひとコマのよう

 

そのうちだんだんずれていって

太陽が斜め左上になる

こんどは陰が斜めに伸びる

足の先に出来た防護柵の規則正しい影を飛び越えながら歩く

影は踏んではいけないルールだから。

なんでかそんなルールができる。

昔影踏み鬼ごっこの逆バージョンだ。

白線があれば

その上を歩くマイルールが出来上がる。

飛び石があると石の上しか歩いてはいけないルールが出来る。

 

ベルが鳴った。

くるりと身体を変えて帰り道

影が自分の足から真っ直ぐ伸びて

細長い巨人が目の前にあらわる。

この陰で思い出す。

両親と真ん中に子供の三人の陰

素敵な陰だった。

 

太陽に押される背中が熱い。

太陽って凄なぁー。

 

帰宅

いつものように子供のお弁当作りから現実の一日が動き始める。

 

 

 

 

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散歩

早朝に散歩を始めて

まわりの草や花や虫や鳥が近くなった。

昔に返ったようでうれしい。

久々に真民の詩を思い出し

今のこの瞬間に当たり前に出会うことの奇跡

今吸った湿っぽい空気まで愛おしくなった。

一度きりの人生を詠ったものだったのだが

自分のこころにピタリと来た。

さすがに完璧に覚えているわけはなく

自分流の言葉が思いとなり心に残っている。

ネットで調べてみた。

この詩だ!

そうそうこれこれ失礼ながらコピーぺ

 

二度とない人生だから

坂村 真民

二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛をそそいでゆこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳をかたむけてゆこう

二度とない人生だから
一匹のこおろぎでも
ふみころさないようこ
こころしてゆこう
どんなにかよろこぶことだろう

二度とない人生だから
一ぺんでも多く便りをしよう
返事は必ず書くことにしよう

二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう
貧しいけれど
こころ豊かに接してゆこう

二度とない人生だから
つゆくさのつゆにも
めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめてゆこう

二度とない人生だから
のぼる日 しずむ日
まるい月 かけてゆく月
四季それぞれの星星の光にふれて
わがこころをあらいきよめてゆこう

二度とない人生だから
戦争のない世の実現に努力し
そういう詩を一篇でも多く作ってゆこう
わたしが死んだら
あとをついでくれる若い人たちのために
この大願を書きつづけてゆこう

 

 

 

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ウォーキングというか・・お散歩

雨の降ってないない朝は散歩する。

20分の往復で40分日が昇ると共に歩く。

とても気持ちの良い時間帯だ。

未だ同じ道を通っていない。

そう決めているわけではないのだけど

気の向くままと決めている。

本日の道はとても良かった。

車道と歩道の間の縁石の上を歩くうちに思い出した。

そうだ!中学校の頃、体操部だったのだ。

縁石が途中から平均台に見えてきて

色んな技を思い出して

出来るかも・・・

いやもう出来ないでしょ!?

そもそもなんで体操部だったのかしら?

解らないまま小さなわき道に入る。

梅の木が続く。

落ちた梅をよけながら

ウメのいい香り。

草の中、朝露や土が靴を汚す。

歩くたび草がサラサラ音をたてる。

そうだった。運動靴はすぐに汚れるものだった。

畑のあぜ道に出る。

まだ小さな苗がお行儀良く並ぶ。

田植えをして一ヶ月というところかしら?

水田を覗き込みおたまじゃくしを探す。

そう言えばなんでおたまじゃくしを取ったんだろう?

バケツに一杯とった。

確かにおたまじゃくしがカエルになって驚いたっけ。

足を水田に通る水で洗った。

水が気持ちよかった。

そんなことを思い出し素足になりたかったけど堪えた。

雉のオスが鮮やかな姿で目の前を走った。

驚いて首を長くして変な格好で走る。

遠くに行って安心するといつもの歩き方になった。

もうすぐ雨の降りそうな匂いがしている。

車では決して味わえない空気・時間・感触

体のとても喜んでいた。幸せだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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正しい道なんて
考えているうちはわからないものです。

考えなく進めばいいのです。

気が付けば後ろに「自分の道」が出来るのですから。

出来れば正しく間違えの無い道を歩みたい。
少しでも楽な方へ。得な方へ。
そんな気持ちありますよね。

ただ考えすぎて難しい道を作ってはいませんか?

こころの中をてらす明るい方向が貴方の道
こころが喜ぶところが進むべき貴方の道です。

だから何も考えず無意識のほうがいい。

素直な耳で
こころの声を聞いているとき
素直な目で
こころの景色を見られているときは
自分に素直になれているときです。
しっかり自分を信じれられています。

他人の眼鏡を掛けた自分で自分を見ないの。

合わない眼鏡はちぐはぐで後からどっと疲れてね。肩こりのもとだもの。

管理人デブですが、自分のままでいいと思います。

それは、これからの自分がとても楽しそうだから

『あんな自分』『こんな自分』これから出来る自分

これからの自分にわくわく出来ることはなにより嬉しくしあわせなものです(*^_^*)

 



 

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一生で一番面白いコース

 先日『セラヴィ古今亭志ん輔落語会』が10回目を迎えた。

年一回10年目である。

初めの落語会は20人弱だったかもしれない。

でも10年も経つと100名近くなる。

これは管理人ではなく志ん輔師匠と

管理人の周りの人のお陰なのだが

自身に力なぞ無くても

続けることだけでも価値があるのだと思った。

『また来年もやってね。』のたった一人の一言。

それが今を作り出している。

それが誰だかも忘れているだが^_^;

3日坊主の管理人だが

続けられる。「やめない」ということは

自分に合ったものを選んだということ。

そんなものに出会えたことが何より尊いと思う。

気が付くと年を重ねているものを幾つも発見して

そうかそうかと嬉しくなった。

人より秀でているものは無いと思っていたけれど

好きなものを見つける力はあるのだと思う。

人は好きなものの傍には居たくなる。

好きな人のために何かしたくなる。

自然に傾く方向に居るだけのこと。

だから続くのだ。

意外と管理人は素直な性格なのだ^m^

でもいいね。長く続けるだけで

人から「偉いね」なんて言われる。

「お陰様で」といいながら

心から感謝できる人が周りに沢山できている。

良いことずくめ。

だからね。

ただただ続けようと思う。

『好き』のエッセンスが足らなくなったら

それを足す方法を見つけながらも楽しいだろう。

これからもっともっと楽しもう。

欲張りの管理人

もっともっと深く面白い人生の極みまでたどり着いてみたいのだ。

 

長く続いたものは

結婚生活28年

セラヴィ32年

好きなもの好きな人は重ねる年の数だけずーっと変らない。

「偉いね」

「お陰様で」

「ありがとうm(__)m」

   

     [ 人間の一生 ](読み人知らず)

職業に上下もなければ貴賤もない。
世のため人のために役立つことなら、
何をしようと自由である。
しかし、どうせやるなら覚悟を決めて十年やる。
すると二十からでも三十までには一仕事できるものである。
それから十年本気でやる。
すると四十までに頭をあげるものだが、
それでいい気にならずにまた十年頑張る。
すると、五十までには群を抜く。
しかし五十の声をきいた時には、
大抵のものが息を抜くが、それがいけない。
「これからが仕上げだ」と、新しい気持ちでまた十年頑張る。
すると六十ともなれば、もう相当に実を結ぶだろう。
だが、月並みの人間はこの辺で楽隠居がしたくなるが、
それから十年頑張る。
すると、七十の祝いは盛んにやってもらえるだろう。
しかし、それからまた、十年頑張る。
するとこのコースが一生で一番面白い。

 

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夏休みの宿題は最終日

ブログを打ちながら眠気に負けて

途中中断することが

実は良くあるのです。

翌朝日の出と共に続きを書くなんて具合ですが

なんだかちんぷんかんぷんになったりします。

日付は初めにブログを書き始めた前日の日付と時間となります。

それを知ってからは

つづきは朝までに打てばいいやなんて

ギリギリの悪知恵を使う。

一昨日お泊りになったご贔屓さんのM氏

管理人のブログのギリギリ具合を読み取って

『私も夏休みの宿題は最終日のくちですよ。』とおっしゃってました。

仰るとおり!!!

管理人、やらなければならないと解っていても

最後の最後にやる派です。

昔は絵日記なんかもあってね。

その絵日記には天気もつけなくていけない。

どうやって完成させたか覚えていないのだけど

これが一番やっかいだったような記憶があります。

しかしながら

最後にやる派は出来てしまうのです。

これが悪い自信に繋がります。

そうそう夏休みの一研究というのもありましたね。

たぶんこればかりは叱られながら母に手伝ってもらった記憶があります。

最後の最後にやる派

その癖は大人になっても変らない。

というか長年繰り返すうちに

『出来る!』という確固たる自信は揺るぎないものとなってます。

最後の最後にやる派はこのように必ず周りの人を巻き込みます。

まあ癖ですから仕方ないんですね。

一気に燃え上がる情熱的性格

慣れてください!

周りの方々いつもありがとうm(__)m

 

 

 

 

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