小さい秋見つけた

今セラヴィでは昨日に引き続き
王さんのCDで「小さい秋」の洞笙(縦笛)が掛かってます。
久しぶりに聞きました。
ジンと胸の奥まで染み入ります。

サトウハチローさんの作詞でしたね。
誰もが歌えるこのフレーズ
「だれかさんが だれかさんが だれかさんが 見つけた
 小さい秋 小さい秋 小さい秋 見つけた」

 1 目かくし鬼さん 手のなる方へ
   すましたお耳に かすかにしみた
   呼んでる口笛 もずの声
   
 2 お部屋は北向き くもりのガラス
   うつろな目の色 とかしたミルク
   わずかなすきから 秋の風
  
 3 むかしのむかしの 風見の鳥の
   ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
   はぜの葉あかくて 入日色
  
素晴らしい詩に感動いたしました。
昔は良く意味も分からず歌った曲
こんな曲だったのかぁと
今更ながら
小さな秋の染み入る詩に切なく心打たれます。

年と共に多くの想いが分かるようになって来ました。
胸の奥の奥まで
秋が染み渡ります。

心がずっしり重くなり過ぎました。
今日は雨とお友達でゆっくりと行きましょうかね(#^.^#)

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喜寿のお祝い

本日はお得意様のお客様のお母様の喜寿のお祝いです。
三世代で満室御礼の貸切となりました。

胡弓に琴にピアノの演奏会が開かれました。
とても贅沢な時間です。

胡弓の王さんのCDは気に入って3枚持っています。
菅野さんのお琴のCDも一枚
今日はずっとこれらのCDを掛けてました。

でも本物は凄い!!
演奏が始まった途端
調理場も一時止まり
その音に一同耳を奪われました。

喜寿のお祝いに
昔の童謡や
オリジナルの曲
ゆったりとした音色が
静かに静かに流れます。

次の歳を迎えられないお母様の
ご病気のことを伺っていました。

胡弓の音色が胸を打ちます。
琴の音色が響きます。

素晴らしい喜寿のお祝いでした。

まだまだ夜遅くまで宴席は続きます。
先に休まれたご両親は
家族の楽しそうな笑い声を子守唄に
幸せな眠りにつかれたことでしょう。

時は静かに優しく過ぎて行きます。





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サイドウエイ


これは「サイドウエイ」と言う映画に出てきた
カリフォルニア・サンタバーバラのピノ ノワールワイン
先日ご馳走になりました。
カリフォルニアワインと言うと
若い頃は、昼間から水代わりに飲めるワイン思っていたですが
(質より量のかなり安い奴でしたが^_^;)
このワインは昔飲んだそれとは随分違いました。

ここ最近、ヘンに重いのを好んでいたので
これは、とっても美味しかったです(#^.^#)
無理に大人のフリをしていたのが違う気がしました。
とても新鮮でした。

そこで早速この映画です。
レンタル店で借りて来ました。
ゆっくり落ち着いて見たいと思ったら
どうも毎晩落ち着けず
結局・・延滞料に脅迫され昨晩見ました。

本日返しに行ったら
半額150円位で借りたDVDの追加900円を払いました^_^;
毎回こんな時は自分に呆れる。
実は良くあるのです、気分屋の管理人^_^;
突然、その場の気分で見たい見たくないになるもので・・・

ワイン好きの方には良い映画です。
初心者の管理人にも(^^)v
ワインはこう飲むのだ!!
美味しそうなワインにうっとり(#^.^#)

やはり酒は飲まれるのでなく
味わうのです
管理人自身に話しております^_^;

酔うのはアルコールの力ばかりではなく
味はもちろんだけど
作った方々への想いとか
風土、自然の恵みへの感謝とか・・
そんな想いに酔って行くのです。
もちろんその時のメンバーのセレクトは
それ以前のお話ですが・・・

そんな風にワイン・お酒を頂いたことが無かったので
これからは、是非そんな飲み方をしたいと思います。
ワインは生きているのです。
もちろん日本酒も同じですが
そんな事もなるほどなるほどと再確認!!

一杯のワインが何十倍も膨らみます。
欲張りな管理人は
少しずつ何種類もの美味しいワインを飲みたくなりました。

ワインは大好きなのですが
銘柄はお抱えのソムリエ
Mrナベに任せきりでしたので・・
反省反省です。

お陰で
冬休みの目標が出来ました(^^)v

一口含んで楽しむ
舌の上で転がし転がし楽しむ
管理人の五感が喜びそうです。

アルコールに強くない管理人
直ぐに飲まれて
味より馬鹿騒ぎの喉の湿りに使います^_^;

でも、これなら最後までワインさんにも失礼にならず
楽しくお付き合い出来ると思うのですが
たぶん・・・

たった一口を大切に味わう
忘れていた世界でした。

酔うために飲むのであっても
それは出来れば
アルコールではなく
味や想いの方にうっとり酔いたいものです。
心の底までが喜ぶ
そろそろ、そんな飲み方がしたいものです。

「綺麗に仕上がってお帰りなさい。」
そんな素敵な言葉を掛けてくれた人に
とても逢いたくなりました。


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無縁仏

昨日、叔母様が亡くなられた。
彼女から最後の時までを託された司法書士の先生から連絡が入った。

78歳だった。
30数年前から可愛がってもらった。
ここ1年位は逢ってなかった。

父の知人だったが父とは何故か疎遠になっていた。

彼女との付き合いは父の紹介
当時割烹旅館を営む女将の彼女に頼まれ
急がし大晦日からお正月泊りがけで
高校生の初アルバイトをしたのがきっかけだったと思う。

その後も付き合いが続き
私の大学時代の友人は皆彼女のファンで、
皆で押しかけ、旅館の大広間で朝まで騒ぎそのまま寝た。
結構お世話になった。

彼女の人生は正しく波乱万丈だった。
良家の子女として生まれ
とても年の離れた旦那様と国家の要人クラスで海外を渡り歩き
旦那様が亡くなってからは
和風庭園の美しい庭を持つ割烹旅館を営み
最後は場所を秩父に移し小さなラブホテルを経営した。

当時、彼女は父に絶大の信用があったので
お目付け役という事で
二人で計画して旅行も行った。
彼女と当時大学に入ったばかりの私。
二人は親に隠れて不良の限りだった。
最高のホテルに泊まり
夜はカジノにディスコ
思う存分遊び
夜遅くまで語り合った。
姉妹に近い親子みたいだった。

大学に行く為に
都内にマンションを購入して貰った時も
彼女は父から依頼を受け
二人で決めた。
彼女は都内を簡単に車で回り
商売柄、不動産に関わる知人も多く居たので
父の条件と私の理想の叶うマンションは直ぐに決まった。

今そのマンションは大学生の次女と従妹が住んでいる。
時はもう30年近く過ぎていた。

子供の居ない彼女は
私と親子に見えることを、とても喜んだ。

何処に行っても
物怖じせず
粋に着物を身にまとい
時にはロングドレスをなびかせた。
いつも彼女の大きな旅行バックは
美しい衣類と宝石でいっぱいだった。

船の旅は特に好きで
トンでもなく凄い友人達と
豪華客船で世界旅行も楽しんだ。

最後の旅行は5年前のチベットの巡業だった。
後から聞いて
すでにこの時彼女は何かを決めていたらしい。

葬儀の3時間前に到着した。
誰も居なかった。
線香を立て
彼女を見舞った。

昔の顔に戻っていた。
彼女が気にしていた皺は消え
私達が馬鹿みたいに遊んでた頃の顔だった。
私の妹も来た。
親が疎遠になっても
引き続き3人兄妹皆が彼女を慕っい
付き合いはずっと続いていた。

小さな葬儀場に
私と妹、そして弟
私の従妹の生花が飾られていた。
たった4っつ
それだけだった。
並んだ生花は兄妹なのに苗字が違う事が
また長い時を感じさせた。

祭壇の花は見たこともないほど少ない。
正面の慰霊の写真も空だった。

彼女の人生が終わる時
ここはあまりに質素で静かだった。

皆の香典で葬儀を賄わなくてはならない事を後で知った。

家の近い妹が急いで写真を取りに戻り
葬儀場に頼んで慰霊の写真に伸ばしてもらった。
とてもいい写真だった。
着物姿に髪をアップにした
上品さが漂う、いつもの優しい
彼女の笑顔だった。

葬儀場の方が
「お身内は居ないと言っておられましたが
お子さんですか?
失礼!とても似てらしゃるので・・」
彼女の目の前だった。
彼女の耳に確かに届いたであろうこの言葉が・・・

想像も出来きなかった目の前のものすべてを
冷静に見ながら
とにかく今彼女の為に出来る事のみを考えていた。

通夜と告別式が一緒だった。
総勢で10人の参列者があった。
喪主は彼女から依頼を受けた司法書士の先生だった。

清めの席では
その人たちの話から
晩年も良き友がいて
幸せだったことが分かった。
それが何よりの救いだった。

最後の半年
彼女は入退院を繰り返し
生活保護を受けていた。
それでも友人に最後までカッコウ付け
意地っ張りだったと言う。
いつでも華があり
この辺に居る人じゃないと言っていた。

彼女のパジャマを取りに行った友人は驚いたそうだ。
彼女はパジャマを持っていない。
すべてシルクのネグリジェだったと言った。
彼女から再度聞いて
昔の古い古い着物の寝巻きを探し出し病院に届けたそうだ。
洗濯物もその友人が引き受けてくれた。

当時の華やかな友人は誰一人居なかった。
彼女の意向で知らせて居ない。
ガスを届けていたガス屋さんの親子。
近所の人
でもその人達が入院中の彼女を暖めてくれていた。
妹も半年前くらいまで
自宅にお弁当を届けたり良く面倒をみたらしい。
その事を随分感謝してたと言っていた。

親に口答えは出来なったが
彼女とはお互い譲らなかった。
最後はどちらかが
「まったく意地っ張りなんだから」と言って
二人笑った。
どちらも意地っ張りで
その上、笑い上戸だった。
笑いが止まらず涙を流し、
痛む腹筋を押さえた。
彼女との思い出の欠けらを集めていたら明け方になった。

今日は火葬場に行く前に
彼女の家に行き
御棺に入れるものを探した。
部屋の壁に私からの12枚の子供写真入り年賀状が
きれいにラップに包まれハガキを傷つけないように
画鋲で止めて飾ってあった。
妹からの子供入りの年賀状も飾ってあった。
彼女にしたらこの子達は孫だったのかもしれない。

年賀状は欠かさなかった。
残りの年賀状が大事に保管されていた。
妹と私のハガキだった。
全部既に処分したのだろう
彼女は私達がここに来ることを知っていた。

高価な物はすべて処分したらしい。
それでも多くの着物とドレスがまだ残っていた。
彼女のお気に入りと見られる着物一枚
おもちゃのようなイヤリングを一つ
ドレス2着を持ち出した。

電気も切られ
カーテンを開けても薄暗かった。
きれいに整理がされていた。
もう随分前に覚悟が出来ていたらしい。

私が最後に逢ったのは
一年前、病院にお見舞いに行った時だった。
狭い病室に沢山のベッドがあった。
私は、彼女を探した。
彼女と目が合った瞬間
彼女は驚き戸惑って
動きづらい指で髪を直した。
そして、号泣した。

もう来なくて良いと言われた。
沢山の思い出があるから
それをゆっくり何度も思い出せるから。
それで十分と言った。

私がもって行ったシルクのガウンは
後でそのまま戻って来た。
理由は理解出来た。

その後退院の話を聞いて良くなったと思っていた。
そのうち行こうと思っていた。
でも気が付くと一年が経っていた・・・

私が彼女の生活の変化に気が付かないほど
彼女は私に実に巧みだった。
豪華な旅行の話と
昔と変った今の気楽な生き方を面白がって私に話した。
ホテルに来る常連さんのカップルとも仲良しだった。

昨日に続き火葬場にも皆が集まってくれた。
誰もが彼女を想う人ばかりだった。
小さくとも暖かな葬儀だった。

彼女は私達がこうする事を知っていた。
最後は私が骨を拾うことを知っていた。

彼女の骨壷は、小さかった。
「無縁墓」に入るからだという。
入るだけの骨しか用意されていなかった。
無縁仏になる。

「無縁仏」の響きがどうにもならないほど
心の臓の底をえぐった。

無縁墓への納骨は
私と妹と司法書士の奥さんの三人に限られた。
司法書士の奥さんが皆に謝っていた。
理由は良く分からない。

無縁仏はかなりのショックだったが
行ってみると武甲山が美しくそびえ
大きな観音様の懐に入れられた。
観音様もいいお顔だった。

いい人生だったに違いないと思った。
彼女は私の中のいつも通りの彼女に戻って行った。

司法書士のご夫婦は彼女との20年来の友人だったらしい。
入院中の彼女を良く見舞ってくれたらしい。
病院を抜け出し
ラーメンや寿しを食べたという。
良かった、本当に嬉しかった。

昔連れて行ってもらった
彼女の馴染みの美味しい銀座の寿し屋が浮かんだ。
彼女はとても美食家だった。

司法書士の奥さんが差し入れた大福
こっそり食べて看護婦さんに見つかり叱られたり・・・
昔から甘いものは目がなかった。
病院でも看護婦さん達に人気だったという。

武甲山を見渡しながら暫らく話した。

依頼されたことは最後まで終わらせる事と
私達姉妹への連絡だけだったそうだ。

「そう言えば」
最後に司法書士の奥さんが言った。
強い薬で意識が朦朧とする中
「今、船で長瀞に行って来た」とヘンな事言っていた。
初めてたまらなく泣けて泣けた。

彼女は彼女のまま
旅立った。
美しく大きな観音様の後ろにはきれいなきれいな武甲山がそびえ
「やるじゃ~ん!!」と
昔のように格好いい彼女に言った。

持ち帰った彼女のお気に入りの写真は
背丈より高いシャンパングラスの塔に
ナイスガイとシャンパンを注ぐ
豪華客船の中の一枚の写真。

彼女は多彩な人生を楽しみ
その時々、多くの人々に囲まれ愛された。
しかしやはり彼女はやっぱこれだろう!

今彼女はこの豪華客船に乗っていることだろう。
きっと先に旅立った素敵なご主人
大切な兄妹、愛する両親、友人。
そして、多くの衣装箱を運ぶイケメンポーター達を従えて・・・


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お土産


これは先日の連休にお客様から頂いた南米のお土産です。
「ここのうちは、ヘンなものが多いから」と言われ
なんだかこんな言葉がとても嬉しい管理人です。
そら豆の皮が大きくなったような楽器です。
叩くと暖かいいい音がします。
南米・・ブラジル・・サンバとなり
管理人一人サンバのリズムに合わせ
お尻をフリフリ・・
結構踊りながらいけます。

お久しぶりに「お帰り」になったMさんご夫婦
お調べしたらなんと2年ぶり
確かにお久しぶりと思っても・・
こんなにお逢いしてなかったとは・・

まったくお変わりないMさんご夫婦
お逢いすると直ぐに溶け込んで
ちょっと前にお逢いした様な錯覚に陥ります。

こんな感じよくありますよね。

同級会とかも
数十年逢わなくとも
逢うとそのまま
みんな、昔の顔に戻ります。

さっきまで
白髪が気になっていた顔が
話しているうちに
まったく昔のままの顔になっていて
気が付くと同級会場は、
教室の一室のようになって来ます。

良い歳して
いつものように追いかけっこが始まったり
頭をこずいたり
こずかれたり

小学生の頃
青い鼻水をたらしていた男の子は
どんな素敵な紳士になっても
やっぱり
「あおじる」と言われ
あの時の鼻の下の色が付いて見えてしまいます。

女ガキ大将のよっこちゃんが
髪を立て巻きロールにて登場した時は
誰もが驚きましたが
話していると
立て巻きロールの長い髪は
昆布でも頭につけてるように見えてきます。

どうしてなんでしょう?
不思議ですね。
形はもうおじさん、おばさんですが
見ているうちに子供になっています。

こんな時は
心の目の方が優先されて
脳に入ってくるのでしょうか?

良き時代を共に過した友達は
すっと、その時代に帰れます。
それは、
子供心の純真さを
未だ心の中に大事にしまってあったからでしょう。
皆、誰の胸にも・・・




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梅干



やっと小梅を干し終わりました。
大きな梅干は梅雨が明けた頃
干したのですが、
小梅は後でと思ったら
遅い梅雨明けと忙しさを理由に
気が付いたら今^_^;

でもどうにか無事いい小梅の干し梅が出来そうです。

大きい梅も小梅も
どちらの梅も自宅の庭の梅の木。
梅酒もそうです。
とことんの自家製です(^^)v

梅を干したては
スッパイ香りが辺り一面漂います。
干してある梅干は
必ず誰かがつまんで食べます。
管理人ももちろん(^^)v
太陽の香りのする梅干ですよ。

梅干は話をするだけでも
口の中がすっぱい感じがして
唾がたまりますね。
うぅ~すっぱ!!

梅干と言えばおにぎりでしょう!!
おにぎりに梅干はとても良く合います。
本当に「日本人」の食文化の原点です。
美味しいお米と梅干があれば
海苔が邪道になるほどです。

炊きたてのご飯をふわっと握り
大きな梅干を
少しづつかじりながら食べます。
梅干がメインのおかずです!

子供と美味しいね!って言いながら立ち食いします。
お行儀の悪い食べ方ですが
それが、たまらなく美味しいのです。

手に付いたお米の粒を
時々口できれいにしながら食べます。

おにぎりは食べるというか
ほうばります。
軽く握ってあるので
落ちそうな所から急いで口に入れます。

梅干は塩気とすっぱさの中に甘みがあって
こんな食べ方をするとそれが良く分かります。

でも不思議です。
お茶碗にご飯をよそった場合
梅干一個ををおかずには出来ませんが
おにぎりにをすると梅干が
立派なおかずになってしまいます。

梅干とご飯の愛称は
どうしても
おにぎりの方に軍配を上げてしまうのは
管理人だけでしょうか?

ホント!梅干を発見した人は偉い!!!
それに
ご飯を握るという事を発見した人も偉い!!

お陰で管理人は
実に簡単に
幸せそうな子供の笑顔を見ることが出来ます。



この一畳ほどのざるが5枚も・・・凄い量なんです!!
セラヴィの一年分の梅干ですからね。
後にしたくなる気持ち
お分かりいただけますよねぇ~
それに小梅は小さいので並べるのが面倒で
ついつい後回し後回し・・・管理人の悪い癖です^_^;

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まんじゅしゃげ


これはキャンプ場入り口に咲いたまんじゅしゃげ。
彼岸花ともいいますが、
管理人は昔からまんじゅしゃげ(曼珠沙華)と呼んでいます。

小さい頃はまんじゅしゃげを触ると
「歯が欠ける」と聞いてました。
良くお墓参りの時に見る花で
あの真っ赤な
血の色を連想させるような赤が
また怖かったのです。

だから、
大人になるまでは触ったことはありませんでした。

お墓に咲く
歯が欠ける
血の色
子供心に一人では目を合わすのも怖い花でした。

葉っぱもなく
スッと立ち誇る
見事過ぎる花の感じも
妙に浮世離れしていて
それがまた不気味でした。

そう言えば
今、「歯が欠ける」の意味が判りました。
この花には
葉っぱがないから「歯がない」で、
そんな迷信を作り出したのかもしれませんね。

今はセラヴィにも飾ります
花火のように咲く曼珠沙華は美しいのですが・・・
未だちょっと気になります。

幼い頃の怖い思い出が
いい思い出に変る時もあります。

昔叱られて
押入れに閉じ込められ、
暗くて怖くて
泣いて泣いて
「ごめんなさ~い。もうしませぇ~ん」と
出されるまで泣き続けた事を思い出します。

泣くほど怖いその押入れも
今は、大きくなった身体を布団の上に丸めながら
幼い日の思い出と共に
良~く寝れそうな気がします。

怖い思い出も
押入れから許され出された開放感、
抱かれて涙を拭いてもらった
暖かさが重ねられ、良き思い出に変ります。

人間上手くできていて
嫌な思い出も
重なる良い思い出があれば
良い方が上塗りされて行きます。

未だ上塗りが足らない曼珠沙華は
これから
素敵なエッセンスでもかけてもらって
いつかは
見たままの美しい花
もしくはそれ以上に変る時も来るでしょう

長い一生
柔軟な心さえ持ち合わせることが出来るなら
良きエッセンスが
思い出に上塗りし続けられることでしょう。

そして、上塗り上塗りされ続ける思い出は
より深みを帯びて
美しくも重厚な色合いになって行くことでしょう。

長生きしましょ!
生きてる限り
良い思い出が上塗り上塗りされ続けますから(^^)v
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喜びと悲しみの感情

歳を重ねて想うこと。

喜びと悲しみと言う感情は
昔は
すべて自分の為にあり
自分の中から始まることだった。

50歳を近くに眺め思うこと

今は
愛する者の為にある。

愛するもの喜びが
私の大きな喜びとなり、
愛する者の笑顔が私の幸せとなる。

愛する者の悲しみは
なんと胸を突くものだろう。
愛する者の涙は自分の涙より尊い。

深く愛するものが多い分だけ
それはそれは
多くの感情を手にすることが出来る。

なぜなら
歳を重ねるごとに
失うことの辛さを覚え
与えられることの喜びを覚え
「かけがえのない」者の存在を知って行くからであろう
知らぬ間に、
年と共に
人の深さを知る訓練をしているのだ。

人は自分のために生きるのではなく
愛する者のために生きて行くのだと思う。

多くの愛に満ち溢れた人生を
これからも送って行きたいと想う管理人です。
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「疲れたぁ~」の幸せ

水害から復旧し
連休最後のお客様も
今日無事お送りすることが出来ました。
連日の復旧作業で腕が上がらない。
五十肩ではありません
まだ3年あります^_^;
でも「疲れたぁ~」

「疲れたぁ~」って言う時は
疲れることから開放された直後が多い
ホッとするのと同時である。

疲れたぁ~って言った時点で
すでに緊張が解け始めているのです。
だから家に帰った途端
「疲れたぁ~」って漏れる声は
安心感の中
溜まった疲れを既に吐き出しているのです。

そしてその後は
お風呂に入って
「ほ~」(#^.^#)

ベットに横たわり
「ほ・ほ~」(#^.^#)
ベッドって素敵!!
最高!!
気が付くと爆睡。

「疲れたぁ~」って
最後の「たぁ~」の『あ』の字で
口が開いたままになりませんか?

口を開いたまま
そのまま
頭の重みに耐えられなくなり
カクンと首が折れ上を向きます。

この時皆さんは上を向く派ですか?
それとも下を向く派ですか?
まあどちらでもいい事ですが
管理人は上を向く派です(^^)v

そして、このまま
確実に身体がとろけて始めて行きます。

口を開いたまま顔面脱力
次は首がカックン
肩がだらり
背中がふにゃり
とろけて
とろけて

すべての力が抜け切って
身体の重みだけが残ると
その身体の重みも耐えかねて
地べたに吸い寄せられるように
全身がぐにゃりべたり
地べたにどろどろと流れだして行きます。
その後はもう
身体も地面の一部になってしまったような

脱力ってこういうことなのかなぁ~って

とても人にはお見せできませんが^_^;

すべてから解き放たれ
瞼の重みにも耐えれなくなると
最高に気持ちよくなる
瞬間です!!

この瞬間が最高に幸せなのに
この幸せはあっという間。
なにせ特技が3秒で爆酔ですから・・・^_^;

管理人、疲れたぁ~の後の脱力が
癖になりそうです(^^)v
最高の時を味わおうと無理をして欲張る一秒も
これまたいいのです。
これで最高幸せ時間4秒の更新です。

今日は早々と
最高な時に駆け出して行きまぁ~す!!
今日は4秒の自己ベストに戦いを挑みます!!!
では、おっ先にぃ~!!(^O^)/

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命日

今日はとても大好きな友達の命日
驚いた!もう一年とは

君の葬儀で
強引に友人に引きずられ
棺の君の亡骸に対面させられた。
半分けんか腰だ
最後まで目をつむっていたけど
「もう二度と逢えないから」と大声だされ
驚いて目を開けた・・・

目の前の君は君ではなかった。
君の抜け殻・・・
蝋人形のような君の抜け殻があった。

吐きそうになった。
でも、もう覚えてないし、
思い出せない。
私には関係のない抜け殻だからだ。

ほんの数日だけ落ち込んで
直ぐ元気になった。

驚いたことがあった。
君が死んでも
世の中がそのまま何も無かったように
まったく変らず動いていた。

私の生活もまた、
なんら変わりがなかった。
朝、いつものように笑顔で家族を送り出し
家事を適当にこなし仕事に出勤する。
普通に歌を歌いながら子供とお風呂に入った。

そんな私の見るものすべてが
変らない事がとても不思議だった。

ちょっとだけ変ったのは
いい天気の日
とても気持ちの良い日
そんな日は空を仰ぎ
必ず君の最高な笑顔を思い出した。
そして今もそれは時折続く。

君は絶対私を悲しませない!
君は人を悲しませるのが大嫌いだし
いつも人を笑わせてくれる役回りだった。

随分と逢っていなかった。
別に意味はなかった。
いつでも逢いたいと思えば逢えるし
呼び出せばきっと逢いに来てくれたろし
別段急ぎの用事がなかった。

年上なのに弟みたいで
でも困っているといつも助けてくれた。
そしてとても気が合った。

君に逢いたいなんて
今日初めて思った。
真剣に君に逢いたいと
初めて思って気が付いた。
君の死に
今日、初めて向き合ってるみたいだ。

本当に君が逝ってから一年経ったのか!
君が死んだことを
私の頭はまだ理解しかねていたのだ。

一年経って
思い出した。
そうだ
君を呼び出すことが出来なくなった。

いつも近くに居るようで
別段不自由は無かったけど
損した気がするよ。
本当にもう居ないと思ったら

今日とてもとても君に逢いたいと思う。

毎日のように
いつも三人で遊んだ遠い昔。
飲み歌い踊り
はしゃぎまくった。
楽しくて楽しくてしょうがなかった青春の時。

君とだったら
この歳でも昔のように飲んだ帰り道
また三人で、
腕を組みながら
スキップ踏んで帰ることが出来たろうに・・・

君に逢いたい!!

もう三人で飲める日はないのだ。
君の頭も、もうたたけない。
いじめる相手が居ない。
じゃれあう相手が居ない。

『いつでも逢えると思っていても
 逢えなくなる時があるのだ。』

そんな信じられない事が起こる歳となって来た。
死とは歳の順だと思っていた。
多くの世の中で起こる悲惨な事件事故は
私とはまったく別のところにあった。

でも順番なんてまったく無いことが判った。
人は、突然居なくなることがあるのだ。

だから、後悔の無いよう生きよう。
君が羨ましがるような
くやしがるような
沢山のお土産を持って
いつか君の元に行こう。

とりあえず
今日は君の大好きだった
天草の焼酎で漬けたさっぱりすっきりの梅酒を飲んでやる。
羨ましいだろう(^^)v

仕事場なので君の分までは飲めない。
それに、君にはあげる気など更々ない!!
見せびらかせるだけだよ~だ!!
くやしかったら逢いに来い!!
どうだぁ~!!


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