ブリキ星通信

店主のひとりごと

ブリキ星通信/2009年5月

2009年05月06日 | 2009年

さわやかな季節です。
新型インフルエンザが早く沈静してくれるといいのですが・・・

最近は毎日、「抹茶ミルク」をのんでいます。
カップは内田京子さんです(写真)。
岡山の「ギャラリーONO」の小野善平さんに
教えてもらってからハマッてしまい、
これをたっぷり飲むのが毎朝の楽しみになっています。
実にさわやかで美味しいです。
抹茶を濃い目に点て、そこに温かい牛乳を入れ、
最後に泡立てたミルクをのせれば出来上がり。

本当は、楽茶碗で「侘び茶」の世界を体験したいのですが、
その技も余裕もなく、茶碗は箱の中で眠ったままです。
そこで、という訳ではないのですが、
楽茶碗をここしばらく「お茶大好き人間」のMさんに貸して、
使っていただいています。
一ヶ月ぐらいしてから戻ってきた茶碗を見て、
「エッ、これがあの茶碗だったのか!」と、
びっくり仰天しました。
くすんでいた黒い釉薬は艶やかになり、
形までもが立体的になったと錯覚するほどに、変身していたのです。
物の本には、美術館に入った茶碗は、
使われないので干からびて“仮死状態”になると書いてありましたが、
こうゆうことだったのか、と納得しました。
毎日茶碗をいつくしんで使ってくださったMさんに感謝です。
Mさんは「紅茶の達人」でもあるのですが、こうも言っていました。
「紅茶では、器の違いで味が変わるということはないけれど、
抹茶では、明らかに器によって味が変わる、という体験をした。
楽茶碗の場合は味が一ランク上に、よりクリーミーになる」と。
私がいくら楽茶碗大好きだといっても、
まだ、見た目と手のひらだけでのこと。
いつか、Mさんと同じ体験をしてみたいものです。
でも、もうしばらくは「抹茶ミルク」で楽しみましょう。

ブリキ星通信/2009年4月

2009年04月08日 | 2009年

桜が満開です。
もう散り始めていますが、それでも見事です。

4月6日の月曜日、国立にある「器の店ノーション」さんで
行われている<土と草 熊谷幸治・山本あまよかしむ二人展>
に行ってきました。
JR国立駅に降り立ったら、そこは、桜・桜・桜・・・
花見は後にして、まずはギャラリーへ。
熊谷幸治さんは、ブリキ星でも何回も展示会をしていますが、
これまでは、土器をつくる傍らに土面やオブジェを手がけていました。
今回のように、土面や彫刻作品を本格的につくり込んで
展示するのは始めてのこと。
想像していた以上に面白い展示会でした。
店内に足を踏み入れて、熊谷さんの作品で真っ先に目に入るのが、
迫力満点の人物頭部の立体。
これは、自分の顔をモデルにしてつくったそうですが、
フランスのケ・ブランリー美術館に置いたってひけをとらない
と思ってしまう程に凄かった。
土面は、一見怖そうな顔から悩める顔、オトボケのゆかいな顔まで、
実にいろいろありました。
写真の土面は、その中から購入した一点です(大きさ約20センチ)。
うーん、なんでこんなに「いいなあ」と感じる自分があるのでしょうか、
我ながら不思議に思います。
熊谷さんは縄文大好き人間(私も同じです)。
人は誰でも過去・現在の魅力あるモノや人から影響を受けます。
これは言ってみれば、柔軟性があるということ。
でもモノをつくる人にとっては、とてもやっかいな問題です。
熊谷さんは言います。
「縄文や好きな作家のモノをいいなと感じるのは、
 あくまで自己確認で、自分の制作上では切り捨てる」と。
作家なら誰もがそう思っているのでしょうが、
そう簡単にいかないのが人間です。
熊谷さんのつくるものが、
まがい物(似せた物)にならないで存在しているのは、
彼の“才能”としか言いようがありません。
山本さんの作品も含めて、たっぷり楽しんで、
ギャラリーを後にしました。
国立駅に戻り、大学通りの桜並木を歩いて
花びらのシャワーをあび、春を満喫した一日になりました。

「器の店 ノーション」での二人展は4月11日(土)まで。
「ギャラリーブリキ星」では6月24日(水)~7月2日(木)
熊谷さんの土器他の個展を開催(坂村岳志さんが花をいれます)。

ブリキ星通信/2009年3月

2009年03月04日 | 2009年

このところ、縄文時代の石器と茶道具の茶杓にはまっています。
石器は、縄文時代の人たちの生活(ときには祭祀)道具。
写真にあるのは、石を叩き割って造った
石匙(サジというよりナイフのようなもの)ですが、
これを造った人の個性が感じられます。
この人はかなり不器用で、自分と似ているかな、
この人はなんて見事な造形感覚の持ち主だろう、などとワクワクして眺めています。

一方、茶杓は、なんでもないシンプルな竹の匙ですが、
これまた奥の深い味わいです。
この茶杓にも造り手の茶道観や人格までが込められている
といわれていますが、私にはそこまで分りません。
石器を手にするときと同じように、只々<いいなぁ>と眺めています。
骨董でも、例えば中国の焼き物や仏教美術になると、
自分の「感性」だけでは済まされない世界があるのですが、
石器や茶杓にはそれがない。
<いいなぁ>と思う気持ちだけでつきあえるのが私には魅力です。

最近、お客さんから教えてもらって、
久しぶりにコミックを読みました。
山田芳裕さんの『へうげもの』。
利休を超えよう、自分の世界を持とうと必死にもがく、
武士であり茶人でもある古田織部が主人公で、
その「ひょうげた」生きざまが面白おかしく描かれています。
群雄割拠の戦国時代を生きる武将たちが、
茶碗1個で凋落されたり、名物のために命を賭けたり・・・
程度は違っても、いつの世にも似たような人がいるものです。

わび数寄をつき詰めるあまりに、
縄文人を模した茶席をつくってしまった古田織部。
それを見た利休が「過ぎたるはなお及ばざるが如し」と。
ふんふん、そうですね~

ブリキ星通信2009年/2月

2009年02月04日 | 2009年

たまーに、のんびりと休みの日を過ごすことがあります。
押入れから古いものを出してながめたり、
絵を掛け替えたり、ときにはウトウトしたり・・・

写真の絵は、金子晴香さんの鉛筆画「海の者」。
昨年の10月、田下啓子さんの企画した
「HER LAND 彼女達の国から・・・生命の輝き展」
という展覧会で購入しました。
いつ見ても気分のよい絵です。
かすかな不安感は漂っているのですが、
一方で、春の陽だまりにいる安堵感もあります。
今のままでよいのだよ、という自己肯定感も感じられて、
自分もこうありたいという思いが湧き上がってきます。

ギャラリーをオープンして、まる8年が経ちました。
毎日多くの方々の作品に接し、
「評価」を求められたりもするのですが、
最近は、人が心をこめたものに対し、
「よい」も「わるい」もないのではないか、
という気持ちになってきました。
「よい」あるいは「すき」とか、
「わるい」あるいは「きらい」という感覚は、
人によって異なり、相対的なもの。
それぞれの遺伝子や生育歴によって、また時代によって違ってきます。
この金子晴香さんの絵は、今の私にとっての「よい絵」なのです。

今日は、心のおもむくままに作品と向き合えるひとときを持てて、
安らかな休息日になりました。

ブリキ星通信2009年/1月

2009年01月01日 | 2009年

あけましておめでとうございます。

「めでたい」とばかり言っていられない
 世の中なので複雑な気持ちですが。

写真は、江戸時代後期、嘉永弐年(1849年)の「手習帳 」と、
そこに描かれていた「落書き」の絵です。
“怒り”のお顔で仁王立ち。迫力がありますね。
恵比寿さまと大黒さまが合体したような、面白い絵です。
ふつう恵比寿さまは、右肩に釣竿、左脇に鯛をかかえて、
にっこりエビス顔。
大黒さまは、米俵に乗って大きな袋を肩にかけ、
打出の小槌を手にしています。
“怒り”の恵比寿大黒が描かれた1849年という年は、
あの篤姫さんがまだ12歳。この時代を年表で見てみると、
1848年マルクス・エンゲルス『共産党宣言』発表、
ミル『経済学原理』刊行、
1849年イギリス軍艦マリーナ号浦和来航、
1850年には幕府批判の罪で牢獄・逃亡していた
蘭学者高野長英が捕らえられ自害、
そして時代は幕末、明治維新へ。
激動の時代のはじまりでした。
恵比寿大黒さまの“怒り”のお顔が象徴しているような今の社会、
今年は、すごい変化の時代のはじまりのような気がしますが・・・

私も今年11月で64歳。
「エーッ、そんな歳だったのですか~」と、
よくいわれますが、自分でも信じられないくらいです。
でも、歳相応に感覚も鈍くなってきているのを
感じないわけにはいきません。
とりあえず、今年一年、多くの方々に助けていただきながら、
仕事をしていきたいと思っています。
そして、少しばかり心の余裕をもって・・・