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温泉めぐり紀行

メタセコイア並木(滋賀県 2025年5月)

221.大槌町へ(2)

2012-08-20 | 東北ボランティア

朝の5時。自然と目が覚めた。夜、蚊に攻められたが慣れっこになって寝てしまった。

教室には10人くらい寝ているので、そっと教室を出て階段を降り、昇降口をでたら

ちょうどカミさんが歯を磨いているところに出くわした。

じゃぁ、ということで早朝散歩に出ることにした。

町の様子は3か月前とほとんど変わらない。県立大槌病院は半壊のままだし、

住居跡の土台には夏草が覆い茂っている。

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2階までがメチャクチャに破壊              住居跡に夏草が



水門近くまで歩いて行くと、あちこちに水の湧き出る場所を見つけた。

ここは昔から湧水を暮らしに利用してきた土地柄なのだ。

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あちこちに湧水                   湿地帯に生えるガマの穂

暮らしを根こそぎ破壊した自然災害の爪痕はカミさんの表情を次第と曇らせていったのでした。

・・・・・・・

昨夜買っておいたサンドイッチと牛乳でかるい朝食を済ます。

リクルートの若手社員と一緒に先ずは教室内と廊下、昇降口の清掃。

その後、中村マネージャーから

今日は仮設住宅の「ふれあいBBQ(バーべキュウ)大会」の手伝いをしてもらいたいのだが、

と提案があり、

希望者が多かったため、結局、全員で車に分乗して出かけることになった。

 

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仮設住宅の広場に設営された「ふれあいバー ベキュー大会」。

「ここへ来てみんなと会えてよかったぁ、元気になったぁ」とおばあちゃん。

大槌町で100年続く種屋さんを営み、自慢の大根の種は皆に喜ばれていた。

   「おらほうのダイコンは、おこうこ(おしんこ)にしても、

    おでんにしても、とっても味がいいの」

焼きトウモロコシを片手に、

おばあちゃんは何度も何度も楽しそうに話すのでした。

    

仮設住宅では引きこもりになりがちなので交流の場を作りたい、

という

主催者のNPO三陸産業復興支援ASSIST SANRIKUの高橋代表。

お昼近くになって子どもや大人がだんだんと集まり始め、賑やかになってきた。

会場に来られない人には仮設住宅に届けに行ったりし、用意した焼き肉、トウモロコシ、

五目ご飯のおにぎり、焼きイカ、フランクはすべて無くなった。

 

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仮設住宅の前が会場             仮設の皆さんが徐々に集まってきた

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イカ焼きにフランク                   かき氷が大人気

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トウモロコシを茹でてる女性が南さん        リクルートの若手社員と

ときおり小雨も混じったけど「ふれあいBBQ大会」は大成功でした。

これも高橋代表の町民への思いやりとそれを支える若いボランティアのお蔭でしょう。

とりわけリクルート社の若い連中は実によく働いていた。人事部のKさん、博士くん、玉鉄似の彼・・・

ボランティアに来て感じていることの一つは、若い人たちの行動力だ。

いろいろな場所で若者がそれぞれに活動している姿に頼もしさを感じます。

この国は大丈夫かも・・と思わせる光景です。

・・・・・・・・・・

片付けを終えてキラリベースに戻り、一息ついた。

隣町につい最近オープンしたビジネスホテルに泊まるという南さんを乗せ、

海岸線をまわって吉里吉里(きりきり)へ。

ここの「さんずろ屋」さんで遅い昼食。

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  海鮮丼                         刺身定食                       

南さんをホテルへ送り、そのまま「御蔵(おぐら)の湯 」へ直行。

すこし早いが今日一日の汗を流したのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


220.大槌町へ(1)

2012-08-19 | 東北ボランティア

東日本大震災から1年5か月。8月11日、午後2時46分。

岩手県大槌町を一望する城山公園に立っています。

町長の追悼のメッセージがスピーカーから町中に流れ、サイレンを合図に1分間の黙とう。

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 城山公園から                    ひょっこりひょうたん島
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旧大槌町役場                      雑草も生い茂る

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

前日、奥さんと一緒に車で午後に家を出発し、夜、東北自動車道・長者原SAで仮眠。

遠野町を経由して釜石市に入り、

鵜住居地区の防災センターに立ち寄った。

防災センターの玄関先に花を供え、亡くなられた方達の冥福を祈る。

大槌町に入り、先ずは城山公園へと向かった。

・・・・・

黙とうを終えて城山公園から旧大槌北小学校のキラリベースへ。

宿泊予定のキラリベースに行くと吉田さんがにこやかに握手しながら迎えてくれた。

3か月ぶりの再会だ。相変わらず元気そう。

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仮設商店街前の広場が賑わう          旧大槌北小学校に泊まる

・・・・・・

今晩は仮設商店街前の特設ステージで

T-BOLANのボーカリストによる演奏と花火大会が賑やかに行われた。

お盆休みのお祭りムードで一杯。

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      ラブちゃん                     T-BOLAN 森友嵐士さん

・・・・・

今夜一緒に宿泊しているのはリクルート社の男女の若手社員10人。

このうちの3人を乗せて汗を流しに「御蔵の湯」 (山田町)へ。

教室に照明はないので真っ暗だが、マットレスにシーツを敷き

タオルケットを掛けて横になるとあっという間に寝入ってしまった。

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城山公園から

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8月11日午後、城山公園でのことです。

 

10人ほどのボランティアを案内してきた社会福祉協議会の男子職員さんのお話しを一緒に聞く機会がありました。

 

多分20代半ばくらいの彼の言葉の一つ一つには重い現実がありました。

追伸:その後、たまたまですがNHKの東日本大震災WEBページ彼が証言している映像がありました。

・・・・・・・・・・・・

 

私はあそこに焼け残った建物の向こう側にあった社会福祉施設に勤めていました。

3.11の地震直後、すぐにおじいちゃん、おばあちゃん達を高台にある施設へ移動しました。

戻ってききたとき課長と事務局長が津波が来るから一緒に車でにげようと、誘ってくれました。

でも、その時は何故だか、オレは走って逃げますから、と言ったんですよね。

そのまま、いち目散で避難所のお寺に向かったのですが背後からバキバキと家を壊し、土煙りをあげながら近づいてくる津波が目に入りました。

避難所の寺にはお年寄りがたくさん避難していたのですが、逃げようと云っても、

オレはもういい、ここで死ぬって云うんです。放っておけずにおばあちゃんを背負って

直ぐ後ろの城山公園にむかって石段を登ろうとしたんですが、前が詰まっていて先に進めない、

でも、津波は直ぐそこまで来ている、これはもう駄目だと思い、墓石をよじ登り、

上へ上へと逃げたのですが、ついに津波につかまりました。必死で墓石につかまって勢いが収まるのを待ちました。

背中のおばあちゃんは私の首に腕を回して、絞め殺されるんじゃないかなと思うくらいすごい力でつかまっていました。

その後、避難所で活動しましたがほとんど食事もとれず、一週間ほど避難者のお世話をしていました。

課長と事務局長ですが、残念ですが亡くなられました。今でもあの時の光景を夢に見ます。

・・・・・

この職員さんが必死で逃れた丁度その時刻、その城山公園の真下にある墓地に押し寄せる津波の映像(3分35秒)です大槌の町を破壊し、次々と家を飲み込んでいく大津波の恐怖が伝わってきます。(合掌)

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218.再び大槌町へ

2012-08-02 | 東北ボランティア

来週、岩手県大槌町へ復興支援ボランティア行ってきます。

以前から行きたいとの思いのあった奥さんも一緒です。彼女の忙しいスケジュールの合間をぬって作った貴重な時間です。

宿泊申請したところ、受け入れOKの返信メールがあったので

大槌北小学校の教室を活用した「きらりベース 」に寝泊まりの予定。むろん寝袋、シーツなどを持参します。

5月に、きらりベースで過ごしたときいろいろ興味深い話しを聞かせてくれたり、

仮設住宅や被災現場など、いろんな場所に連れてってくれた吉田マネージャー(59才)さんとの再会も楽しみの一つです。

釜石、大船渡、気仙沼、陸前高田の復興の様子も見てきたいので

今回もマイカーでの移動です。

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 大槌町(2012年5月)


212.三陸の海岸を行く(4/4)

2012-06-11 | 東北ボランティア

きらりベースの吉田さん、スタッフの女性達に挨拶し、大槌町を後にした。

短い滞在だったが今ではもう大槌町の地形が頭の中にしっかりインプットされている。

これも吉田さんにあちこちと連れて行ってもらったおかげだ。感謝、感謝です。

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さて今回のもう一つの目的は、

釜石、大船渡、陸前高田、気仙沼そして南三陸町までの海岸沿いの様子を見ておきたいと思っていた。

大槌町や先月訪ねた宮城県亘理町の様子などから想像はしていたけれど、

どの町もその想像をはるかに超える壊滅状態であった。

海岸線に点在する大小さまざまな入江と漁港、集落も流されていて、

復興のテンポが遅いなぁ、と思わざるを得ません。

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大船渡の駅前は未だにがれき撤去が続く

陸前高田市に入ると見渡すかぎり家がない。流されずに残っているのは病院やホテルである。そしてあの有名な一本松はがれき処理場近くに佇んでいた。近くへは寄れないがすでに枯れてしまったようだ。

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高田の松原で唯一残った一本松

次に訪ねた気仙沼でも駅舎が跡形もなく流され中心街だった場所はガランとした平地になっている。

そして驚きだったのは巨大な船が町中に放置されていた。

倒れないように突っ支い棒がしてあるとはいえ異様な光景に写る。

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気仙沼で

海岸線を走り続けて南三陸町へ着いたときはもう5時近かった。

がれき置き場に目をやると巨大な黒い塊が横たわっている。

近づいてみてそれが蒸気機関車だということに気付いた。たぶん広場にでも展示されていたにちがいない。

津波のすさまじさを象徴する姿だった。

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南三陸町で

多くの職員が亡くなられた防災庁舎の傍に車を駐めた。鉄骨がむき出しとなった庁舎前の祭壇に黙礼。後ろを振り返ると川の水位が地面すれすれである。大きく地盤沈下しているのだ。

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破壊された南三陸町・防災対策庁舎

夕方になり、お腹も空いてきた。

本吉街道をすこし走った所に仮設商店街があった。時間も遅かったせいで店じまいのところが多かったが居酒屋風の食堂がやっていた。

奥に座敷、手前にカウンター席と椅子の席。椅子席に座って刺身定食を注文。店内を見渡すと奥の座敷では20人ほどの男衆がテーブル囲んでビールや料理を前に何やら打ち上げっぽいことをやっている。皆さん元気そう。

どうやら商工会関係のメンバーらしい。後ろ向きに座っていたその男性(ひと)の横顔はテレビでよく見る町長さんだ。

復興に向けて皆さん頑張っている様子だった。

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仮設商店街で刺身定食を食す。さすが美味かった。


211.一週間前ほどの防災訓練(3/4)

2012-06-07 | 東北ボランティア

ボランティアの3日目。

最後にどうしても見てってもらいたい場所がある、といって吉田さんがハンドルを握って走り出した。

トンネルを抜けて釜石市内に入り、ある建物の前で駐まった。その白い建物の壁を見ると「釜石市鵜住居(うのすまい)地区防災センター」の名があった。

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・・・・・・・・・・

今から半世紀以上前の昭和8年3月3日午前2時31分、昭和三陸津波がこの地を襲い多くの尊い命が奪われた。

明治29年6月15日の明治三陸津波から38年後のことだ。だから釜石市では3月3日に防災訓練をして災害に備えてきた。

そして東日本大震災の8日前の3月3日、いつものように鵜住居(うのすまい)地区では避難訓練が行われ、

避難先の「釜石市鵜住居地区防災センター」の2階に参集した。ここなら安心、防災センターへ逃げてくれば大丈夫・・と思って参加したに違いない。

ところが、このことがかえって大変な事態を招いてしまった。大震災の直後、続々と防災センターに避難し始め二階の講堂は大勢の人で埋まった。

今おもえば留まっていれば助かったかもしれないが、わざわざ山から下りてセンターへ避難してきた人もいたという。

そこへ津波が直撃、二階講堂の天井から10センチの高さまで押し寄せて多くの方が亡くなられた。「防災センター」という名と一週間前の訓練がかえって、あだとなってしまった。

**鵜住居地区は、死者・行方不明者579人、全壊1515棟など大きな被害を受けた。

**後に陸前高田市の防災庁舎でも同じ光景を眼にすることになる

一階の入り口に設けられた祭壇に一礼し、内部が破壊された建物に入った。

二階に上がると、窓という窓はすべて破壊され、不慮な死を迎えた大勢の方の無念さをおもうと言葉も出ない。

想定外の巨大津波であったとはいえ防災センターとしては余りにも無力な建物であった。 

その一方、鵜住居地区は震災時に子ども達が高台に避難しほぼ全員が助かった「釜石の奇跡」を象徴する場所でもある。

そして小中学校跡地7ヘクタールに復興のシンボルとしてラクビー競技場を新設する計画があるようだ。

 ・・・・

 震災の現場に立つと、やはり様々な気持ちが去来する。とりわけ鵜住居地区は奇跡と絶望が複雑に交差する町であった。

吉田さんがここへわざわざ連れてきた意味合いがすこしは分かった気がした。

 ・・・

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210.教室で寝泊まり(2/4)

2012-06-03 | 東北ボランティア

きらりベース」は大槌北小学校の教室を活用したボランティアの無料宿泊所です。一階は津波で壊され全く使える状態ではありませんが、幸いにも二階部分は被害を免れました。教育委員会などの行政側ではいずれ取り壊すつもりのようですが、このスペース活用を思いついた人がいた。きらりベースのマネージャー、吉田さん(59才)だ。

 

昨年の3.11震災直後に佐賀県武雄市から復興支援活動に駆け付けた。元々は美容師だったが15年ほどして物販会社を経営、バブル景気の波に乗り多いときは300人を超える従業員を抱えるまでになった。

しかし3.11が彼の生き方を変えた。被害報道を見て、これは現地に行って支援活動しなければ・・・という強い思いが駆け巡り、車に飲み水などを積めるだけ積んで一週間後に被災地に立たせた。

大槌町などに入るボランティアは遠野からバスで1時間半もかけて峠を越えてやって来る。もし大槌町に宿泊場所が確保できれば移動時間が大幅に減るし、活動時間も広がる。

そこで着目したのが小学校の活用なのだった。ビジネスをやっていた人だけに行政相手の交渉に力を発揮された結果、

期間限定で使用が認められ、この五月から本格的な整備が始り、この夏には100人が泊まれるようにと準備をしている真っ最中。

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大槌北小学校                     教室が宿泊スペース

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   吉田さんやスタッフの皆さんと             きらり駅内で馬頭琴のボランティア演奏

・・・・・・・・・・・

私は、その準備作業のほんの一部分を手伝わせて頂いた。3日間泊まったのだが、同宿したのは鹿島道路の若手社員さん20名。

彼らは大教室に泊まったので私ひとりが教室使うことに。マットの上に布団を敷き持参したシーツを掛けて毛布と掛け布団で寝ました。

何かやはりガランとして寒い。不便なのが水とトイレ。トイレは敷地内の仮設商店街に併設されているトイレ2ヶ所のみ。

なので夜中に行きたくなっても、つい我慢てなことになる。食事ですか?朝食は仮設商店街のスーパーで前夜に買い置きしたパンと牛乳。昼食は、この仮設商店街のラーメン屋か車で五分ほどの復興食堂で。

夕食は隣町の山田町にある無料のお風呂に毎日、吉田さんが車に乗せて連れて行ってくれたので、その帰りに山田町の三七十食堂とか釜石市の食堂で食べました。

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NPO法人が作り、運営する無料の湯


209.青い壁が迫ってきた(1/4)

2012-05-31 | 東北ボランティア

「■(震災は)何だかすっごく昔のような気がします。あの日、もし朝に津波が来ていたら私もだめだったと思う。

職場でそろそろ帰り支度しようかなぁ、と思ってたときにグラッときたんです。完全に家は流されてしまって、今は仮設(住宅)から通ってます・・・。

蓬莱島には弁天様が祀ってあるんですが、灯台は流されたのに大丈夫だった。だから私達は奇跡の島って呼んでます。

弁天様は女性の神様なので男女二人でここへ行くと(嫉妬して)必ず別れてしまう、という言い伝えがあります」

 

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**蓬莱島は「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった島。軽自動車1台分の幅の桟橋道があったが震災後は渡れなくなった。

「■家も何も流されて・・・・、もう笑うっきゃないよね」

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**家の土台だけが残り・・

「■その日、病院で必死で看護にあたったけど、やはり子どもや家族がどうなったか心配でたまらなかった。

上司から職場をとるか家族をとるか、決めろと言われ、わたしは家族をとり3人の同僚と一緒に辞表を出した。

その後、家族は全員無事だったことが分かり、ほっとしたんですけど、同僚が家を訪ねてきて、頭を下げればいいんだから職場(病院)に戻ろう、と説得されました。

一人は復職したけど、わたしは強情だから戻らないのさ・・」

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**県立大槌病院の玄関。1階と2階はメチャクチャに破壊されてるが3階以上の窓は壊れていない。

「■津波は壁となって現れました。ものすごく高くて青い壁。その天辺だけが白く波立っていて、静かにこちらに向かってくるんです。怖かったです。急いで車から降りて逃げました」

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「■むすめと孫三人を亡くしました。孫のひとりは未だに見つかりません。海水と泥で汚れたけど、かろうじて残った孫の写真を東京の会社が無償で修復してくれました。泣けて泣けて・・・」

 

 

「■うちはガソリンスタンドなので遅い昼食をとろうと思ってスパゲティーを作って、さぁ食べようとしていたとき、地震がきて、

直ぐにお父さんが、津波が来るから逃げろと云われてねぇ。食べてから逃げようかとも一瞬、思ったけど、大事な書類の入ってるカバンと位牌を持って車で逃げました。

スパゲティー、もったいない~、とおもってね(笑)」


大槌町で聞いた女性達の声です。ひとり一人に重く辛いドラマがあります。 

 

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**地盤沈下したため道は盛り土している。雨が降ると水浸しになる。

        

 


208.お手伝いしてきました

2012-05-26 | 東北ボランティア

今朝の午前1時半、岩手県大槌町のボランティアから帰ってきました。

ETC深夜割引を活用するため遅い帰還となりました。

大槌町のボランティアステーション、きらりベースでは多くの人と知り合いになりました。

特に町の実情やボランティア団体の裏表を知り尽くしたマネージャーの吉田さんには、すっかりとお世話になった。

見てきた大槌町の様子について何回かに分けてご報告させてもらいます。

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206.岩手県へ

2012-05-16 | 東北ボランティア

来週の21日から24日まで岩手県大槌町へボランティアに行ってきます。

3月、4月は福島の花見山を守る会の活動に参加したのですが、今月は岩手県です。

岩手県での支援活動は

遠野被災地支援ボランティアネットワーク「遠野まごころネット 」が大きな役割を果たしています。

そこでの活動をレポートしたブログ をみていたら大槌町のきらりベースプロジェクトの記事があったのです。

きらりベースプロジェクト」とは何か、プロジェクトの概要をホームページから引用します

・・・・

大槌北小「福幸きらり商店街」の自治会が主導し、

復興拠点づくりのプロジェクトを始動させました。

 その名は「きらりベースプロジェクト」。 

 復興のために集う支援ボランティアや連携団体のための宿泊施設を、

 被災した校舎を有効利用することで実現させます。

  また、大槌の復興へ向けて多くの取り組 みがあります。

 その活動を大槌町の内外に伝え、ともに作り上げる、

  協働ワークショップの開催場所をきらり商店街を中心に整備してゆきます。

 このプロジェクトを進めるにあたり、

復興支援活動へのご協力とご支援お待ちしております。

・・・・

事前の申し込みが必要なので申請フォームメールを送ったところ、受け入れOKの返答と

IDのメールがきてひと安心。

というわけで、現地へは何かと便利な車で行ってくるつもりです。

20日の日曜日中に東北自動車道に入ってしまえば、21日の何時にでようとも

高速料金は50%割引。あいにく20日は用事があって夕方に出発することになるので、

どこかのSAで仮眠していくことになるでしょう。”大スポンサー”の奥さんから防塵マスク、長靴を

調達する資金提供があったので大助かりです。明日にでも「ワークマン」で購入してこよう。

ベースプロジェクトは

小学校の空き教室を利用したボランティア専用の無料宿泊施設なので寝袋持参です。

いってみれば一種の合宿生活みたいなもんでしょう。ういう生活は嫌いじゃないので楽しみでもある。

校庭内には仮設の商店街が建っている様子なので食事はここでOKらしい。

きっと、いろいろな方がボランティアに来ているだろうし、その人たちとの交流もあるだろう、

いずれにせよ、しっかりと働いて復興活動と町の姿をみてきます。

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    今朝の公園(am5:30)

 

 


194.春の花が満開の花見山

2012-04-27 | 東北ボランティア

今日、27日の毎日新聞に「NPO花見山を守る会」の写真と記事が載っていた。

毎日新聞はこの会のことをよくフォローしていて、会からのメッセージを載せています。

記事によると、20年ぶりに梅、桃、桜に加えサンシュユなどの花木がいっせいに咲き誇っているとのこと。

22日でマイカー規制も終了しているはずなので避難生活の人たちも再びやってくるだろうし、

桃源郷の景色を楽しんでもらえるのではないでしょうか。

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花の案内人を募集中ですが、この花案内ボランティアは楽しいですよ。

一周30分ほどの散策コースからは

花見山全体が見渡せてほんとうに素晴らしい花景色が堪能できます。

・・・・・・・・

明日からGW突入です。10日ほど前から兵庫に住む次女が結婚式にでるため

孫の紗英ちゃんを連れて我が家に来ています。すっかり慣れてきたところですが、

明日の夜、奥さんの従姉妹のピアノリサイタルを前橋まで聴きに行く計画なので、

渋滞を避けて今夜、車で高崎のおばあちゃん宅へ全員移動する予定。

パパは勤務が終わり次第、大阪から実家のある前橋へ直行し、あさって迎えに来るとのこと。

あちらのご夫妻も初孫の成長ぶりを待っていることでしょう。

昼に両家揃って食事会をする予定です。

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  ベランダで咲くタイムの花

 

 

 

 


193.東北の海辺で

2012-04-25 | 東北ボランティア

福島でのボランティアを終えたあと、

足をのばして宮城県名取市、岩沼市そして仙台空港周辺を歩いた。一週間前のことだ。

田圃には壊れ果てた船の残骸がいくつもあり、

人が住み、行き交った街並みは家の基礎だけが残り、漠とした平地になっている。

遠くに目をやると、お寺と墓石がぽつんぽつんと建ち残り、

海辺では、がれき処理のための巨大な焼却炉5基が煙を上げている。

田の畦にアイロンが一台打ち寄せられていた。

その赤く錆びた姿から、さまざまな想像がかけめぐるのだが、

非日常の光景を前にすると、

その絶対的な巨きさに、どうにも現実的な感覚が追いつかない。

日常を切り裂いた自然災害の爪痕が今も残っている。

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192.桜花だより in 福島

2012-04-23 | 東北ボランティア

一週間前、

ボランティアにでかけた福島県・花見山では色とりどりの花樹が咲き誇っていました。

そのなかで唯一つぼみ状態だったのが桜。

東北道を走っていて栃木あたりまでは、あちこちで満開の桜をみかけたのに

北上するにしたがって白河、郡山あたりの里山ではほとんど咲いていません。

横浜ではとっくに散ってしまいましたが

福島では多分、今頃からが見ごろになるのではないかと思います。

千年桜で有名な三春の滝桜。

17日の夕暮れ時に立ち寄った際、ライトアップされてました。

けれど残念なことに、未だつぼみの状態。

観光客は私と今朝の飛行機で九州から来たという男性二人のみ。

賽銭箱を片付けに来ていたおじさんに訊くと、ことしは観光客がすくないとのこと。

『今日なんかも観光バスが20台くらいだし、乗用車がぜんぜんだめだ。

ガソリンが高くなったせいだろうなぁ。みやげもの屋は大変だよ』

たまたま同じ日に撮った今年と5年前の写真を並べてみます。

 

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  これは今年の4月17日 

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   2007年4月17日の滝桜

その4日後の先週土曜日(21日)の夜、滝桜の前に作られた特設ステージからの

NHKの生中継番組をみましたが画面を見るかぎり、やはり蕾のままのようでした。

実生から育てた滝桜の苗が全国に3万本も配られているとはしりませんでした。

人々に癒やしと生きる希望をあたえているのですね。

(追記:町では23日、開花宣言しました。27日頃が見ごろとのことです)

三春の町には、あちらこちらに枝垂れ桜が点在し、その数の多さに驚きます。

観光協会の桜マップを手にゆっくりと散策するのが楽しい鑑賞法。

作家の玄侑宗久さんが住職をつとめる福聚寺にも大きな枝垂れ桜があります。

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今年4月17日の福聚寺の枝垂れ桜

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2007年4月17日の満開時

三春からすこし離れた船引町の「小沢の桜」(田村市)。

ここもご覧のとおり、未だ咲いていませんでした。

小さな祠と枝の様子はまさに里山の原風景です。

映画「初恋」のロケ地で有名になった場所とのことです。

ところで三春町には温泉もあります。

桜めぐりに疲れたら福聚寺近くの「霊泉やわらぎの湯」で熱い湯に浸かっていくのもいいでしょう。

天然の放射能ラジウムを含む霊泉が売りの温泉宿ですが、

東電福島第1原発事故で放出された放射性物質汚染が解決しない状況下では

ちょっと複雑な思いがしますね・・

 

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         小沢の桜

 

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191.がんばっぺ ふくしま(3)

2012-04-20 | 東北ボランティア

3月に続いて復興支援に福島市に行ってきました。車です。

活動場所は以前と同じ「NPO花見山を守る会」。

先月は風も冷たくてとても寒かったのですが、4月中旬ともなるとさすがに暖かく、

周辺の山は黄色やピンクの花樹に覆われて、いっきに春がきた様子でした。

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初日は、避難者を対象としたバザー会場で支援物資の仕分けの手伝いなど。

レトルト食品は行き渡ってるのか、あるいは食べ飽きてしまったせいか、ほとんど捌けません。

バスタオル、オムツ類などがよく出ていました。

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この日は、

室内で里神楽・神代神楽研究会とロックバンド「サルーキー」によるライブがあった。

(バンド名はエジプト産の犬「サルーキー犬」に由来とのこと)

皆、のりのりでリズムをとっていました。後半は琴・三弦・尺八・横笛の和楽器とのコラボ。

ひとときを楽しめた企画でした。

そのときの様子は「花見山を守る会」の復興支援便りをご覧ください。動画も見られます。

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2日目は日が射して暖かな1日。

8時半に車で"出勤"し、まずはSTAFFの方と花の案内コースを歩き、ごみ拾いとトイレ清掃を行なった

花の案内コースにはチップが敷かれ、花見山とその周辺の花樹林を一望できる30分コース。

あとで群馬県太田市から観光バスで来た主婦ら10人を案内したところ、

これはすごい!!素晴らしい景色だわぁ、と喜ばれました。

この黄色の花はサンシュユ、これは東海サクラ・・と花の名前など解説したり、

あれは吾妻連峰でもうじき雪渓にうさぎの形が浮かびます、

それと、こっちに見えるのは安達太良山。そうです、あの智恵子の故郷の山です。

二本松市に智恵子の生家と記念館があるそうですのでぜひいってみてはいかがですか・・・

コース案内もボランティアの仕事の一環なのでした。

 

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185.希望新聞

2012-03-31 | 東北ボランティア

今朝(31日)の毎日新聞に

先日訪ねた「NPO花見山を守る会」の写真とお礼の手紙の記事がでていた。

写真には一緒に作業をしたスタッフの皆さんの顔があった。

前列左端で座っている方が会長(理事長)、その右隣がひょうきんな性格でムードメーカーの若者。

そして元気印の女性陣。

左端で立っているのは宅配便の仕分け作業を共にした日本酒好きのおとうさんだ。

みんな頑張ってたなぁ。

たった1日半しかいなかったけれど、皆さんの声が聞こえてきそうだ。

毎日新聞の26面「希望新聞」は、

東日本大震災の支援活動、サポート情報、ニーズ情報などが掲載されている。

情報?には「花見山を守る会」の支援物資のよびかけがあり、

今回は、食料品やトイレットペーパーを要請している。

トイレットペーパーは軽いのだが、かさばるので運送料金が高くつくことがネックになっているようだった。

来月、折を見てボランティアに再訪しようと思っている。

       (下の写真をクリックすると大きく見ることができます)

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184.福島市・岩谷観音

2012-03-30 | 東北ボランティア

医王寺に参拝したあと再び電車に乗り、岩谷観音に向かった。

昨日、ボランティアに来ていた夫妻から磨崖仏が素晴らしい、と聞き、訪ねてみる気になった。

観光市街地マップを頼りに「美術館前」で下車し、歩く。

福島市のシンボルである信夫山の麓に沿って東にひたすら歩く。

こういうとき毎月やっている歴史散歩の会で鍛えた歩き力に助けられる。

・・・

福島市音楽堂、古関裕而記念館を右手に見ながら行くと、

信夫山の東端に岩谷観音の案内が現れた。

露出した凝灰岩に西国三十三観音、地蔵尊、不動尊などおよそ60体が刻まれている。

およそ300年まえに彫られたものなので風化して判然としないものもあるが、

やさしい表情を今につたえる仏群たちである。

・・・

昨年の震災による影響だろうか、

崩れやすくなっているのでロープを張って一部立ち入り禁止にしているところもある。

ベージュ色でなおかつ自然が造形した模様のある岩肌に直接彫っているためか

どの磨崖仏も何ともいえない味わい深さがある。

雨が降ってきた。

岩肌が濡れて、より立体感が増してくる。

自然の風雨に曝され、時に身をまかす磨崖仏たち。

 いつまでも、この空間に浸っていたい岩谷観音だった。