goo blog サービス終了のお知らせ 

温泉めぐり紀行

メタセコイア並木(滋賀県 2025年5月)

967.アベノマスク再配達

2022-04-15 | 暮らし

天下の愚策とされたアベノマスク

政府が民間事業者から調達した2億8700万枚。

全世帯用が1億3千万枚、介護施設等用が1億5千枚だ。

全家庭に2枚ずつ配ったものの8130万枚(113億円)が配られないまま倉庫に眠っていることが昨年判明した。しかも保管料に年間6億円もかけていることが分かった。

どこまで税金を喰う馬鹿げた事業なのか、と誰もが腹をたてた。

最終的には廃棄処分するが希望者には配布する・・という方針が伝えられると、

送料無料なら、捨ててしまうくらいなら、何かに使えるかもしれないし、もったいないから

もらっておこうじゃないか・・と思うのは国民感情として当たり前というもの。

というわけで我が家も昨年の12月24日に厚生労働省へメールで申し込みをした。

2月初旬から順次配送されるはずだったが申し込みが殺到し大幅に予定が狂った。

いったいいつになったら到着するのやら・・と半ば忘れかけてたところ

昨日の4月14日、宅配業者が箱ひとつ持ってきた。

開けてみると100枚分のアベノマスクだった。やっと届いたのだ。

勝手な話しだが、箱にきっちりと入ってるマスクを見ていたら、なんだかまた腹が立ってきた。

担当部署は厚生労働省のマスク等物資対策班とあるが実際の梱包やら配送は

業者まかせだろうから、このコストもバカにならないだろうし・・。

ほんとうにどこまで金食い虫のマスク事業なんだ。

そういう国民の "もったいない感覚" を理解できずにいるシンゾウは

もっと早くやれば良かった・・なんて得意顔だったとか。付ける薬はないものか。




963.餃子を愛でる会 partⅡ

2022-04-07 | 暮らし

先週、友人ら4人を呼んで餃子の会をやった。

去年暮れの「餃子を愛でる会」に引き続いての開催である。

メンバーは前回参加した3人にSさんを加えた4人。

コンピューター・通信機器メーカーや広告代理店、ゼネコンを勤めあげ、

退職した面々である。

暮れに軽い脳梗塞で入院したSさんの快気祝いも兼ねて賑やかな会となった。

うちの奧さんは実家のある高崎へ行って留守。

出かける前にポテトサラダを作ってくれた(これが絶品なのだ)。

12時、腹を空かせてもらった4人が我が家に集まった。

先ずはSさんの順調な回復を祝って乾杯!!。

この日のために前日から餃子を150個作った。

餃子は大判のエビ入りと普通のひとくちサイズの2種類用意。

正確にいえば100個を前日に作って冷凍し、当日の午前中、あらたに

50個を作った。やはり作りたての生餃子は美味しいので、

そこにこだわって作った。

この日のメニューはつぎのとおり、前回とほぼ同じメニュー。

   


意外だったのは煮物が好評だったこと。

去年、たくさんいただいた大根を半月ほど干して冷蔵庫にしまっておいた。そのことを思いだし、あまり考えもせず煮物を作ることにした。

干し大根、干し椎茸それに高野豆腐をぬるま湯でもどし、鍋にだし昆布、醤油、

みりん、酒そして冷凍庫にあった残り物の鶏肉をいれて煮込む。

ひと晩外に置いて冷やしたら素材に味がしみて角のとれたいい感じに仕上がったようだ

花豆の甘煮は、ご近所のKさんから今朝いただいたもの。

煮物にポテトサラダと花豆が前菜。いずれも手作りだ。

餃子はいつもながら好評でけっこうな数を焼いた。

やはりビールと餃子は相性がいい。

熱々の餃子を頬張り、冷たいビールをノドに流しこんでは話題が尽きない。

ウクライナ情勢のこと、

日本赤十字に募金して本当に現地に届くのか、人件費で消えてしまわないか

農耕民族と狩猟民族がもたらしたDNA ・・・etc

そして特製ナポリタンを大皿に盛ってテーブルにドカンと置く。

これはもう定番中の定番といって良いくらい作り慣れている料理だ。

どんどん皆さんの腹に収まっていく。

終盤は珈琲や日本茶をいれ、先日、道後温泉で買ってきた一六タルトが

デザート。あっ、それとIWさん持参の最中(もなか)もいただいた。

呑んで食べてるうちにアッという間に4時になってしまった。

家族用に冷凍餃子をミヤゲに持って帰ってもらった。



961.ひさしぶりの遠出

2022-03-18 | 暮らし

20日からちょいと一週間ほどのクルマ旅に出るつもり。

前から行きたかった兵庫県の浄土寺

以前宿泊した京都・宇多野YHで旅のおじさんが

「これまで巡ったお寺の中で一番だ」と絶賛していた寺である。

20日は昼過ぎに出発し、東名、名神、山陽道と乗り継いで兵庫県小野市

まで一気に行く。途中、どこかのSAで車中泊となる。

三木小野ICで降りれば浄土寺まではそう遠くないはずだ。

近くに温泉施設も2箇所ある。どちらかに入湯して疲れをとろう。

浄土寺の参拝後、淡路・鳴門専用道で徳島に渡り、香川県多度津の

四国健康村」に泊まる。ここは遍路や四国旅行の際に毎度お世話に

なっている24時間営業の温泉施設。

自宅からここまでほぼ高速道路だが、休日なので3割引が適用される。

そして翌日は道後温泉に近い「松山YH」に泊まるつもり。

予約は未だ入れてないがまず100%大丈夫だろう。

朝6時にオープンする道後温泉本館に入るのも楽しみのひとつだ。

また、高知県内陸の梼原(ゆすはら)町はぜひ行ってみたい。

隈研吾が設計した図書館等の木造建築を訪ね、古い町並みを歩く。

梼原という地名は、ずいぶんと昔に読んだある本で記憶に残った。

忘れられた日本人」(宮本常一著、岩波文庫)である。著者の宮本は

全国各地の民間伝承を調査し、一冊の本にまとめた。

宮本民俗学の代表作といわれるこの本に「土佐源氏」という28ぺージの

文章がある。

橋の下に住む盲目の乞食老人が馬喰をしていた若い頃、村の女性たちと

交わした性が語られる。一種の色懺悔(ざんげ)である。

その舞台が梼原なのである。

あまりにもドラマチックな話しなので、本当に口述筆記したのだろうか、

宮本の創作ではないのか、とかいろいろな批評がなされてきた。でも、

そんな論評はどうでもいいことで、読者自身の審美眼で作品の文学性、

芸術性を判断すればいいだけのこと。

ということで梼原の町の楽しみが膨らんでいる。

と、ここまではコースがほぼ固まっているのだが、あとの行き先、

宿泊先などは全く決まっていない。

でも、まぁ何とかなるだろう。

何度も歩いたお遍路のお陰で四国4県の土地勘は養われてるし、

最悪でも車中泊すればいいんだから気は楽というもの。

旅の後半、ふたたび本州に入ったら滋賀県立美術館で開催中(27日まで)の

企画展、「人間の才能 生み出すことと生きること」を鑑賞するのを

忘れないようにしなくちゃ。

NHK・Eテレ「日曜美術館」で紹介されていたのをみて、これはぜひ

行ってみたいと思った企画展である。

それと最後にもうひとつ。

円空の出生の地である岐阜県羽島市の「中観音堂・円空資料館」にも

立ち寄ってみたいと思っている。

あれこれ欲張りすぎかもしれないが・・まぁ行けるだけ行ってみよう。

コロナでうっとうしい気分を旅が解放してくれるはずだ。

東京・目黒川の桜 満開である(2021年3月27日)



960.春めく

2022-03-14 | 暮らし

寒さが底をつきやっと春らしい暖かさがやってきた。

ベランダの植物たちも新芽を出して気持ちよさそうだ。

 

あの日から11年過ぎた3.11。

ロシアによる軍事侵攻が続くウクライナ。

沈静化しないコロナウイルス。

 

いちどきにいろいろなことが起きて頭が混乱する。

まさか、こんな時代がくるなんて・・と思う人が多いだろう。

 

  

 

 


 

 

 

 


959.コロナ専門家と製薬マネー

2022-02-22 | 暮らし

新型コロナ・オミクロン株の感染拡大が止まらない。
TVでいろいろな医師らがコメントを述べるが、それぞれ云うことが違う。
何が本当なのか見極めがつかない。コロナ初期の頃は「勝負の二週間だ」とか、ここが自粛の肝心な期間だとか云われれば素直に聞けた。
しかし、こんなにも感染が長引くと医師や担当大臣が熱心に語りかけても心に響かない。だから専門家の云うことも話し半分程度に聞いてていいんじゃないか。

そんな折り、今日(2月22日)の朝刊に、やっぱりねぇと思う記事を見つけた。

毎日新聞・大治朋子記者の「火論」である。(文末に記事を引用・掲載した)

この記事によると、

NPO法人医療ガバナンス研究所の研究員でもある尾崎章彦医師(37才)が

コロナ報道をめぐってメディアに登場した医師や教授らの露出度を調査した

ところ、政府・分科会の主張を支持する傾向が強い専門家ほどメディアで

の露出度が高い傾向が見られたという。

それだけではない。

彼らの中には製薬会社から講演料として多額の謝金を受け取り、

その企業が扱う新薬についてメデイアで肯定的なコメントをするケースも

目についたという。

 

製薬会社と医師・専門家の関係を裏付けるため尾崎氏らは製薬会社が

公表している情報を基にデータベースを構築し、無料公開している。

記事で紹介されたサイトがこれである。(リンクを張ってある)

 

マネーデータベース 製薬会社と医師

 

たとえば製薬会社名をファイザーと入力して検索すると、2016年から2018年

までの3か年ごとに原稿執筆料など項目ごとに支出総額が示される。

しかも誰にどれだけ支払ったか上位20人の医師名がリストアップされる。

これはもっと世に知られてもいい情報源である。

 

 一方、つぎの「FACT online」は調査報道を標榜するサイトであるが、

尾崎医師らが執筆している下記の「コロナ著名人と製薬マネー」は

実に説得力ある内容である。一読の価値ありだ。

 

「FACT onlin」~コロナ著名人と製薬マネー~

 

コロナのコメンテーターとして毎日のようにテレビでみる仁木芳人、

三鴨廣繁、松本哲也、水野泰孝、館石一博氏ら。記事を読むと、

これらテレビ出演上位十傑に入る人物が製薬会社から講師料などの名目で

高額な謝礼を受け取っている。

また彼らの一部にはフライングコメントといわれる巧妙な新薬推奨コメント

をする者もいる。多額の謝金をもらっていれば、以心伝心で新薬の宣伝役の

片棒も担ごうというもの。

次の記事も尾崎章彦氏が執筆したもの。迫力ある内容である。

東大医学部卒の尾崎氏が将来のエリートコースを捨ててまでも貫く正義と

信念に敬意を表したい。

医者と製薬会社の『悪しき慣習』」(2019年12月号)」

『製薬マネー』知られざる実態」(2021年2月号)

 

これらの裏事情を知ると、なるほど、やっぱりねぇ、・ということになる。

意外だったのは昨年、横浜市長に当選した山中武春氏も製薬会社(中外製薬)

から謝金をもらっていたことだ。

・・・

それにしても大学教授を頂点とする医学部ヒエラルキーと製薬会社の持ちつ

持たれつの構造は今に始まったことではなさそうだ。

むかし、職場に薬学部卒で転職してきた同僚がいた。

3年間、外資系の医薬品会社でプロパーとして懸命に働いてきたが、その仕事

はいかに自社の薬を医師達に売り込むかだったという。

最近、ゴルフ行ってないなぁ・・これみよがしの医師の独り言を聞けば、

接待ゴルフをセットし、ご機嫌をとる日々だったとか。

かれこれ五十年ほど前の話しだ。

 

尾崎さんたち「マネーデーターベース」の取り組みは、利益相反の観点から

医学界と製薬会社の関係性をデータで明らかにし公開性を築く一歩となっている。


 


 


958.3回目のワクチン接種

2022-02-20 | 暮らし

昨日、3回目のワクチンを打ってきた。ファイザー製である。

注射した左上腕に痛みはあるがだいぶ薄らいできた。

1回目、2回目と同様に今回も発熱の症状はない。 

       予防注射を受ける人のイラスト(マスクあり)

横浜市から3回目の接種予約券の入った封書が届いたのは今週の2月16日(木)

すぐに市の予約専用サイトにアクセスして予約した。実にスムースだった。

接種を希望する月日、希望場所(区名)等を入力すると候補の医療機関が出てくる。

これはすごく助かる機能だ。

なぜなら、昨年はとにもかくにも予約方法がひどかったから。

政令市でいちばん人口が多い(377万人)横浜市の住民が一斉に予約するんだから

電話も予約システムもパンクするのは当たり前だ。

予約センターの電話はなかなか繋がらないし、専用サイトから申し込みも

うまくいかない。とにかく空き状況が不明なので接種会場をひとつひとつ

あたるしかないので、いたずらに時間がかかるばかり。

疲労とストレスをまき散らした市民に評判の悪い予約方法だった。

そして、

ワクチン対策の専門家が新市長になったこともあり、さすがに使い勝手の

いいシステムに改良したのだろう。

 

   

一日経っても発熱などの副反応はない。これで抗体が増加するはずだ。

といってもその効果は2~3か月のようだ。

オミクロンが沈静化したとしても変異ウィルスがまた出てくるだろう。

ならば4回目のワクチンを打てばいいのか、というと必ずしも

そうでもないようだ。

これ以上ワクチンを打っても効果は期待できない、という悲観的な

データもあるようだ。コロナ禍に入って2年になり、それなりに私達も

賢くなってきた。そしてTVに出ている医者・専門家たちの云うこともかなり

怪しいことも分かってきた。

今後の見通しについて忖度のない良識ある専門家の見解を聞いてみたい。

 

今日2月20日現在で横浜市の新規陽性者数は3093人(延べ715万7千人)。

陽性反応がでたため自宅で療養している知人も出始めた。

我が孫も友達が陽性となったため濃厚接触者として判定され、24日まで自宅

の2階の部屋に隔離されてるとのことだ(本人は楽しんでるみたい)。

コロナがすぐそこまで迫ってきていることを実感させられる。

 

 

 


 

 

 


956.Birthday

2022-02-14 | 暮らし

今日、2月14日は私の誕生日。

世間ではバレンタインデーともいう。最近、友人の訃報に接することが

多かったのでいっそう感慨深いものがある。

ともかく一年いち年が早い。コロナ下だから余計そう実感するみたい。

でも、もう年齢を数えないことにしている。意味ないしね。

 

夕方、孫からおめでとう、とラインでビデオ通話をもらった。

小4の彼女は仲のいい女の子同士4人で友チョコしたんだとか。

夕食は奧さんが「お稲荷さん」をたくさん用意してくれている。

銘酒七賢で祝う。

そして明日は免許の更新のため試験場に行く予定。

      ソース画像を表示


 


955.相次ぐ友の訃報

2022-02-02 | 暮らし

 

こうも続くといささかショックである。

学生時代、同じサークルで遊んだY君が今月9日に亡くなったという知らせがあった。

先月も大学の研究室で一緒だったT君の訃報を聞いたばかりというのに。

 

Y君の病名はパーキンソン病と似た神経難病の多系統萎縮症だったという。

彼はは2才年下のシャイな性格でよく笑うジョークの好きな奴だった。

「830.股間若衆(2019.9.9.)で学生時代のエピソードを文末に書いた。

そこに登場する「Y君」とは彼のことである。

ずいぶんと昔、彼が東京に出張のついでに横浜の我が家に泊まってもらった

こともある。

 

訃報をメールで知らせてくれたのは私と同期のA氏。

いそいで電話をいれた。

昨日、Y君の娘さんから電話で彼の亡くなったことを知ったという。

俺が死んだら近親者だけで葬儀を済ませ、落ち着いてから友人に知らせて

せてほしいと家族に伝えていたそうだ。

 

A氏のメールに3枚の写真が添付されていた。

その一枚にA氏を挟んで左にY君、右にA君の3人が写っている。

様子からみると在学中のサークル合宿のときのようだ。みな若い。

 

そのA君はなんと40代の若さで亡くなった。

サークル仲間ではいちばん早く旅立ってしまった。

写真とはいえ何十年ぶりかでA君と再会し、懐かしい思いがした。

考えてみれば、

A君は我々夫婦の縁結びのきっかけを作ってくれた恩人である。

 

私25才、社会人1年目の年。

当時、サークルの演奏指導者だった先生の記念演奏会をやろうという話し

が進んでいて司会のアナウンサーを探していた。

そんななか、A君がいい話しを持ってきた。

どこでどうナンパしたのか知らないが、4年生のA君は国立音大の女性と

付き合っていて、流れでバイトの話しを彼女に相談したのだろう。

そしてアナウンサーのアルバイト話しは巡りめぐって国立音大の放送研究会

に在籍するある女子学生に話しが繋がった。

 

わたしが曲解説の担当だったので、とりあえず解説文案を作り、打ち合わせ

することになった。

待ち合わせ場所は彼女が住む東京国分寺市の最寄り駅の国立駅。

 

そして当日。

駅の改札口で待っていたのは見るからに明る健康そうな音大生であった。

近くの喫茶店に入り、演奏会の原稿の打合せをした。

きけば二十歳の誕生日を迎えたばかりの2年生だという。

 

初対面だというのに

なぜか懐かしい人に会っているような不思議な感覚を覚えた。

と同時に、なぜかこの女性(ひと)といずれ一緒に生きていくような

気がした。

彼女の卒業と同時にその直感が現実のものとなった。

・・・・・

あぁ、それにしても青春時代を共に過ごした友をなくすというのは実に

悲しく辛い。今日はきのうの続きではなく、明日は今日の続きではないこと

が身に沁みる。

 

    

     汽車道から夕暮れの


 

 


954.そして今に・・・

2022-01-27 | 暮らし

遙か昔、深く傷つけた人がいます。

会うことがあれば謝りたいと、ずっと思ってきました。

けれど、いつしかそんなふうには考えなくてもいいのではないかと思うようになりました。

その人はいま、わたしと同じように老いて生きているのでしょうか。

それとも、亡くなったのでしょうか。わたしにはわかりません。

わかっているのは、私の記憶の中で、その人はいまも若く、あの頃のように眩しく輝いていることです。

逆に想い出す度に震えるほど憎かった人間も許せないと憤った相手もいます。

そんな彼らもまた、気がつけば、わたしの中で「懐かしい人」に変わっていました。

いまあるのは、わたしの生涯に関わってくれたことへの深い感謝だけです。

時は、わたしたちが出会った人たちすべてを、夜の星座のようなものに変えてゆくのだと思います。

あなたが気にかけているその人はあなたのことを今は懐かしく思っているのかもしれません。

あの人はどうしているのか、幸せに生きているのだろうかと。

だから、気にする必要などありません。

そうではなく、天空に輝く星を見上げるように憧憬の気持ちで、生涯で出会ったすべての人たちを思い出してください。

それが彼らへのあなたからの感謝でありまた最高の謝罪になるのです。

この世界でいちばん残酷な仕打ちは忘れられてしまうことなんですから。

ーーーーーーーーーーーーーーー

これは作家・高橋源一郎が新聞の人生相談欄に書いたもの(2019年3月25日毎日新聞)。

遙か昔、深く傷つけた人がいます。会うことがあれば謝りたいと、ずっと思ってきました。

ここに私の記憶が共鳴する。

はたして自分はどうであったか、と。

もしあの人と出会った頃にもどれるなら、ちゃんとした言葉と態度で伝えたい、

もっと優しくけじめを表したい、すまなかったと頭をさげたい、

そして中途半端だった自分を思いっきり叱りつけてやりたい。

高橋源一郎の云う「懐かしい人」へ昇華できぬまま冬におもう。

あの人はどうしているのか、幸せに生きているのだろうかと

    

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

その女性(ひと)は、前髪をさっと掻き上げ

わたし、ここにアザがあります 

そう言って私を見つめた。

目に覚悟のようなものが宿っていた。

いちばんの親友にも見せたことないです

額の小さな紅いアザに驚きはしなかった。

が、彼女の真っ直ぐな気持ちをどう受け止めればよいのか戸惑った。

・・・

大学四年のときだ。

ひとつ年下の彼女は実家で事務手伝いをしながら邦楽の演奏活動をしていた。

私は邦楽サークルにいたので彼女とはいくつかの演奏会やお習い会で顔見知りになった。

それとなく好意を抱いたふたり。

そして初めて二人だけで会ったとき、彼女はいろんなことを話してくれた。

家業の事務を手伝っていること、滝に打たれながら修行したこと、

親友の結婚披露宴でお祝いに「春の海」を演奏してほしいと頼まれたこと・・などなど。

そして何度目かの逢瀬のときに彼女は前髪を掻き上げ

わたし、ここにアザがあります 

そう言って私を見つめた。

きっと迷いに迷ったことだろう。

それだけ真剣に向き合って欲しかったのだ。

私のように浪人したり留年を繰り返している怠け者とは違って真っ直ぐに生きている女性だった。

彼女の期待に応えるには当時のわたしは未熟で稚拙であった。

ちょっとのすれ違いが少しずつふたりの溝を深くしていった。

交わした約束どおり、新婦の前で私たちは「春の海」を演奏し、披露宴に彩りをそえることができた。

そして、この日がわたしたちの最後の合奏となった。

・・・・・・・・

ーーーーーーーーーーー

・・・・・・・・・・

同じ大学に通う彼女と私は別の学部だった。

彼女は東南アジアからの留学生。姉、弟も留学生で一緒に暮らしている。

お父さんは母国の大使館勤務で裕福な家庭に育ったようだ。

部活動を通じて気があった私と彼女。

ある日の夕方、ふたりは深大寺公園を散策したあとベンチに座ってイチョウの木立を眺めていた。

ふと小柄な彼女の肩を抱き寄せたい衝動に駆られた。

しかし彼女はゴメンナサイと嫌がる素振り。

昔、男性に乱暴されそうになり、そのトラウマから拒否感が頭をもたげるのだという。

中央線に乗り、彼女の住むアパートまで送っていく。

気まづく沈黙するふたり。

アパートまえに着くとすっかり辺りは暗くなっていた。

じゃぁ・・といいかけたとき、彼女の口から思いがけない言葉が

あれしてもいいです

   そっとふれあった唇。

     ・・ぎこちないふたりだった。

後年、大学の同期生と結婚した彼女は、赤ちゃんと彼の三人で新婚間もない我が家を訪ねてきた。

その日が彼女を見た最後の姿となった。                          (953.「二十二才の別れ」から)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


953『二十二才の別れ』

2022-01-10 | 暮らし

その女性(ひと)は、前髪をさっと掻き上げ

わたし、ここにアザがあります 

そう言って私を見つめた。

目に覚悟のようなものが宿っていた。

いちばんの親友にも見せたことないです

額の小さな紅いアザに驚きはしなかった。

が、彼女の真っ直ぐな気持ちをどう受け止めればよいのか戸惑った。

・・・

大学四年のときだ。

ひとつ年下の彼女は実家で事務手伝いをしながら邦楽の演奏活動をしていた。

私は邦楽サークルにいたので彼女とはいくつかの演奏会やお習い会で顔見知りになった。

それとなく好意を抱いたふたり。

そして初めて二人だけで会ったとき、彼女はいろんなことを話してくれた。

家業の事務を手伝っていること、滝に打たれながら修行したこと、

親友の結婚披露宴でお祝いに「春の海」を演奏してほしいと頼まれたこと・・などなど。

そして何度目かの逢瀬のときに彼女は前髪を掻き上げ

わたし、ここにアザがあります 

そう言って私を見つめた。

きっと迷いに迷ったことだろう。

それだけ真剣に向き合って欲しかったのだ。

私のように浪人したり留年を繰り返している怠け者とは違って真っ直ぐに生きている女性だった。

彼女の期待に応えるには当時のわたしは未熟で稚拙であった。

ちょっとのすれ違いが少しずつふたりの溝を深くしていった。

交わした約束どおり、新婦の前で私たちは「春の海」を演奏し、披露宴に彩りをそえることができた。

そして、この日がわたしたちの最後の合奏となった。

・・・・・・・・

額の傷を苦にして恋に踏み切れないNHK朝ドラの主人公を見てそんな昔のことを思い出した。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

・・・・・・・・・・

同じ大学に通う彼女と私は別の学部だった。

彼女は東南アジアからの留学生。姉、弟も留学生で一緒に暮らしている。

お父さんは母国の大使館勤務で裕福な家庭に育ったようだ。

部活動を通じて気があった私と彼女。

ある日の夕方、ふたりは深大寺公園を散策したあとベンチに座ってイチョウの木立を眺めていた。

ふと小柄な彼女の肩を抱き寄せたい衝動に駆られた。

しかし彼女はゴメンナサイと嫌がる素振り。

昔、男性に乱暴されそうになり、そのトラウマから拒否感が頭をもたげるのだという。

中央線に乗り、彼女の住むアパートまで送っていく。気まづく沈黙するふたり。

アパートまえに着くとすっかり辺りは暗くなっていた。

じゃぁ・・といいかけたとき、彼女の口から思いがけない言葉が

あれしてもいいです

そっとふれあった唇。

・・ぎこちないふたりだった。

後年、大学の同期生と結婚した彼女は、赤ちゃんと彼の三人で新婚間もない我が家を訪ねてきた。

その日が彼女を見た最後の姿となった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


952.新雪

2022-01-09 | 暮らし

1月6日、雪が降った。

昼には小雪だったのに夜まで降り続いて5センチほど積もった。

寒いけど午前中、丹沢へ湧水を汲みに行く。

こんな雪のときに汲みに来るやつはいないだろう。

案の定、誰もいない。

丹沢のこの場所で雪景色をみるのは初めてだ。

 

 

それにしても雪が昨日でなくて良かった。

きのうは歴史散歩の会、新春恒例の七福神巡りだった。

ことしは都内の山手七福神をめぐるコース。

東急目黒線・不動前から白金高輪まで歩いた。参加者は14名。

晴れてはいるものの風が冷たい日だった。

 

 

 

目黒川 春には満開のサクラ


 


951.新春歩け歩け大会

2022-01-03 | 暮らし
地域の正月恒例の歩け歩け大会に参加した。
参加人数は100人弱くらいか。
今回はやや長めのコ−スで1万5千歩。
すこし疲れたがあさっての七福神めぐりの足慣らしになった。
 







950.2022年元旦

2022-01-01 | 暮らし

2022年元旦。

今年も奥さんの実家がある高崎市で年末年始を過ごしている。

昨日の大晦日、奧さんと車で鮮魚店・角上へ行った。

入店の行列を作るほどの大賑わい。暮れらしい光景に心が弾む。

お寿司、刺身を購入。

 

夜、煮物等の仕度をすませ奧さんとおばあちゃんは炬燵に陣どり、

楽しみにしているNHK・紅白歌合戦の放送開始を待っている。

私は2階にあがり別の番組を楽しむ。

毎年このパターンだ。

 

午後11時45分、

紅白歌合戦を見終わった奧さんと白衣観音へ初詣に出発。

これは結婚以来、高崎で正月を迎える際の恒例行事だ。

夜空にオリオン座がくっきり。

気温はたぶん零度ぐらいだろう。

そういえば昼間、小雪がちらついていた。

高崎ではまず雪が積もることはないがちょっと珍しい光景だった。

      

        白衣観音

 

 

昼、長女一家と次女一家が年始の挨拶にやってきた。

夫婦二組4人と小学生3人、年長さん1人の計8人。

普段はおばあちゃん1人暮らしだが毎年このときだけは賑やかな

ひとときを迎える。

 

 


949.ドレスとうなぎ

2021-12-25 | 暮らし
  • JR新橋から徒歩10分、銀座8丁目のドレスを扱う洋品店。
    今日は演奏会で着るワンピースを探しに来た。今持っている演奏用ドレスはどれもこの店で調達したもの。なので、年末のこの時期になるとXマスセールのお知らせが毎年とどく。

先客に若い女性がひとりいる。
これからパーティがあるとかであれこれドレスを物色中だ。やっと気に入ったドレスを身につけ靴も新調してさっそうとお店からでかけていった。
ゆっくり見て探せるよう、私は銀座4丁目方面までぶらりと散策して時間をつぶすことにした。
年末のせいもあって人出は多い。

試着の結果、2着購入。
今日25日まで15%割引セール中なので満足した様子だ。

  

 

 

そして今日でかけてきたもうひとつの目的・・。
昼にうなぎを食べる約束になっている。
いつもなら浅草の「うな鐵」まで足を伸ばすところだが今回は新橋駅から
川崎駅へとUターン。
川崎市役所近くの「うなぎの大沼」に向かう。
昼時を少し外したせいか直ぐに案内された。
職場が近いこともあってランチに時々食べにいった店でもある。
久しぶりのうなぎは実にうまかった!

川崎市役所の建設工事は着々と進んでいるようだ。
午前中は春のような陽気だったのに午後2時過ぎから急に寒くなってきた。
数年に一度の強い寒気が日本上空に来ているようだ。

川崎市役所の工事風景  


 


948.餃子を食す宴

2021-12-20 | 暮らし

19日、近しい友人3人を我が家に招待し、餃子を愛でる会を催した。

早いはなし、素人料理人の私の料理に付き合ってもらおうという魂胆。

洒落というか遊び心でお品書きなんぞを作ってみた。

 

                

 

前菜の「笹かま」は仙台に住むいとこがお歳暮に送ってくれたもの。

チーズ蒲鉾とかいろいろな種類があってどれもうまい。

キンピラゴボウは昨夜奧さんが作った一品だし、

大根の甘酢漬けは野菜農家の横山さんから買ったもの。

どちらも日本の家庭の味そのものだ。

鶏皮のピリ辛煮は調理の合間を見て作っている。

 

これらのツマミをテーブルにそろえ皆さんを迎える。

昼の酒は酔いがまわるねぇ

なんでなんですかねぇ

とかいいつつスパークリングワインで乾杯。

つい頬がゆるんでしまうのは仕方が無い。

 

 

                                                       

今回の主役、メイン料理はなんといっても餃子

そして鶏肉の甘酢炒めと特製ナポリタンが脇を固める。

ここ二日ほどで餃子200個作った。

皮にシソ(大葉)を置いてエビをのせ餡で包んだ餃子を先ず作る。

そして、もうひとつは餡に千切りの椎茸をしのばせた餃子だ。

私の作る餃子は評判がいいので調子に乗ってどんどん作ってしまう。

ひき肉にショウガ、ニンニク、塩、砂糖、しょうゆ、オイスターソース、紹興酒、溶いた味噌を加え

肉を押しつぶすように練る。

野菜はニラと千切りキャベツ。

タマネギをみじん切りし、炒めてを加えるのが私流のやり方。

こうすると玉ネギの甘みが味に変化をもたらしてくれる。

キャベツは半日ほど干すと甘みが増すというが今回は3時間ほど干して使用。

白菜は水分が多いので入れない。

あとは合体してさらりと混ぜれば餡の出来上がり。

 

フライパンに同心円状に20個を敷き詰め、1センチほどのお湯を入れて蓋をし、6分ほど蒸し焼き。

余分な湯をきり、ごま油少々をかけ、焦げ付かないよう様子を見ながら2分ほどさらに焼いて完成。

うまい、うまい 

出来たて餃子をパクリとほほばっては冷たいビールを流しこむ。

あぁ~しあわせ。

 

           

 

▼鶏肉の甘酢炒めはNHKの「あさイチ」で中華料理人の陳さんが作り方を伝授してた。

その録画を何度も見返して作り方を覚えた。

レシピをメモし、もうかれこれ10回近く作ったのではないか。

だから調理のポイントはつかんでいるつもりだ。

 

                           

 

2センチ四方に切った鶏に塩、コショウ、しょうゆ、酒で下味をつけたあと

溶き卵、片栗粉を入れてよくかき混ぜておく。

漬け込む前に鶏肉から皮を剥がし、さとう、酒、しょうゆ、唐辛子でピリ辛煮をつくってしまう。

次に、2センチ角に切ったピーマンと玉ねぎ、同様に2センチほどの長さに切った長ネギを用意する。

合わせ調味料は、酢、砂糖、しょうゆ、紹興酒、チキンスープ、溶いた片栗粉。

酢と砂糖を同量にするのがポイントである。

 

油をさしたフライパンに唐辛子4本を入れて油に香りをつけたら先ほどの鶏肉をいれ両面に焼きをいれる。

ショウガ片とすべての野菜を入れて炒め、合わせ調味料を少しずつ入れてとろみをつける。

絡まり具合を確認して出来上がり。

今回は初めて4人分を作ったので味のほうはどうかなと思ったのだが

皆さん全部たいらげてくれたのでホッとした。

あとで気が付いたのだがカシューナッツを入れ忘れてた!!。

わざわざあちこちの店を訪ね歩いて買い求めていたのに・・ほんとそそっかしい。反省だ。

     

▼そして今日最後の料理は特製ナポリタン

JA全農販売のパスタは北海道産小麦を使用したもっちり食感が特徴。

フライパンにオリーブ油をやや多めに入れ、ニンニクを入れて香り付けしたあと

細切りにした玉ネギとベーコンを炒める。

炒めてしんなりした玉ネギ類をフライパンの端に寄せ、空いたスペースにケチャップ、ソース、ミニトマト、砂糖を加えて加熱する。

火が通ったらパスタのゆで汁(塩味)を少々くわえる。

本来、油と水は混じり合わないものだが、ゆで汁に溶け出したパスタのデンプン質が両者を仲良くしてくれる。

これを乳化という。そうすることでとろみのあるソースができあがる。

料理は科学である・・とはよく言ったものだ。

まぁ理屈は後回しにして、とりあえず全体を炒め絡めればソースは完成である。

 

次にパスタを茹でる番だ。

たいていの料理レシピ本では茹でる時間は表示より1~2分早めに湯からあげましょう、と書いてある。

でも私の場合は逆だ。

袋に表示されているゆで時間より1~2分余分にゆでることにしている。

指定された時間ではほとんどの場合やや固いのでそうしている。

今回のもっちりパスタの場合は11分。

 

ゆであがったパスタをザルにあけ、ソースが待つフライパンに投入し絡める。

味が薄ければ追いケチャップをする。

大皿に盛り、ベランダで栽培しているバジルの葉を飾る。

こうするとお店のように一気におしゃれな感じになる。

 

これうまいいねぇ

と皆さんもりもりと食べてくれる。もっちりパスタ作戦、大成功だ。

料理人としては最高の幸せ。

     

コーヒーを飲みながらフト外をみると、いつの間にか暗くなっている。

大学紛争など団塊世代に共通の話題は尽きないがそろそろお開きだ。

お土産に餃子を持っていってもらった。

 

 

洗い物をし、ひと息ついてると奥さんが「ただいまぁ」と帰ってきた。

昨日から高崎の実家に行ってたのだが、私の大好物である登利平のお弁当(とり弁)を

高崎駅で買ってきてくれた。

いそがしい一日だったがおいしい弁当で疲れも吹っ飛んだ。